第二十七話 雷鳴
その名前は
仲西麗華の彼氏じゃないか。確か、京極菖蒲がそう言っていた。どうして仲西の彼氏が、自分の彼女を尾行監視なんか……。間違いないよなぁ、と、一度しか聞いたことのない名前だったので、そのマンションの郵便受け投函口のあるその狭い部屋で、自分のバッグから手帳を取り出し、急いで記述を確かめると、確かに京極菖蒲と会ったあの日の欄にそう書いてあった。……おっと。
また、その投函部屋に業者が入ってきたので、交代するようにしてその部屋を出た。外は小雨がぱらついてきていた。今日は武蔵川女子大学までは社用車で来ていたので、傘は持ってなくて、仕方なく早足で駅まで戻って、ホームで椅子に座って電車を待つ。
仲西の彼氏が、何故仲西を尾行するんだろう? もしかして彼女にフラレてストーカーっぽくなっちゃってるんだろうか? 何度も別れてるって言ってたしなぁ。どうする? 兵間黎斗も調べる必要はあるのかな? でも売春とは関係ないだろうし、そこまでの予算も人もうちの会社にはないし、優先すべきは本丸、渡辺二瓶の周辺をとにかく洗わないと。遅れていた安西調査事務所からの、渡辺二瓶の勤務状況調査報告は今日には届いてるはずだし。
〈……、黄色い線の内側でお待ち下さい〉とのアナウンスが流れていたのに気がついて、椅子を立って乗車の列に並ぼうとしたら、それは対向側列車の到着アナウンスだった。なぁんだぁと思って、もっかい椅子に座ろうと戻ろうとしたら、既に別の人間に席を取られている――。
ちっ、と舌打ちしつつ、すぐこっちにも来るだろうし別に良いかと再び列に並ぼうとしたら――、あれ?
京極菖蒲? ちょうど向かい側に到着していた電車がホームから離れると、降車客に混じってその中に。なんで? あの子の一人暮らししているマンションって、大学の直ぐ近くにあった筈。妙だな……。もちろん何か用事があってこの駅を降りたんだろうけど、どうも気になる。よしっ、ついでだからあの子も尾行しよう。
忘れ物をしたと言って、Suicaの入駅データを改札口で駅員さんに消してもらって、急いでさっきと同じ方向の駅前ロータリーに出ると……、いた。自分の勘は間違ってないようだ。駅から尾行して、京極菖蒲は兵間黎斗と同じマンションに入り、三階で降りた。ということは――。
「どういうことなんですかね?」と三島は首を捻った。
事務所に戻った時には、既に大雨になっていた。車の中にも傘がなくて、社用車の駐車場から走って戻るとずぶ濡れになってしまい、私は自分のロッカーからタオルを出して頭や体を拭く。喫茶リリアンのおばさんにぱっつんぱっつんにされたお団子を解くと、髪の毛から雫が落ちる。
「そうねぇ。意外と、仲西麗華の彼氏、兵間黎斗は京極菖蒲と出来ちゃってんのかもね」
「三角関係だとか?」
「それはまだよくわかんないけど、うーん……」
「でも、麗華さんの事件とは関係ないから、気にしなくても良いんじゃないんですか? うちは人手も足りないし」
「それはそうなんだけど……」
京極菖蒲なぁ、あの子のことを三島に黙ってたけど、この際、事実は全て話しておくか。京極が絡むと、関係ないってわけでもないんだ……。
「三島くんさぁ、悪いけど、コーヒーいれてくんない? コーヒーメーカーのやつ、まだあったでしょ?」
「ないです。警察に持っていかれています」
「はぁ? コーヒーメーカーが探偵業法違反容疑となんか関係あるの?」
「そんなの知らないですよ。社長は「警察に逆らうな」つってたし。……ほら、警察に貰った押収品目の一覧にもコーヒーメーカー、書いてありますよ」と、三島はその用紙を私に渡す。
「嘘でしょ……。もしかしてあれがデロンギの高級品だってあいつら知ってたんじゃないか? ひどすぎるー。……じゃぁいいや、お金渡すから、そこのコンビニで買ってきてくれる? 小間使いさせて申し訳ないけど。ああそうだ、安西調査事務所からなんか届いてた?」
「はい、社長のデスクの上に封筒置いてあります。じゃぁ、コーヒー買ってきまぁす」
三島がコンビニに行くために事務所を出た後、私はその安西調査事務所から届いていたA4サイズの用紙が入るサイズの封筒を持って、頭を拭いていたタオルを首にかけてソファーに座る。その封筒を開けると、きちっと簡易製本された『港西警察署 勤務状況調査報告書』ときっちり表紙にタイトルが書かれた冊子が入っていた。
「ったくもう、やべぇなぁ、これ」
今朝来た家宅捜索の刑事たちが、渡辺二瓶の関係者とはまだわからないけど、もしそうだったら、結構不味かったかもしれない。うちが渡辺二瓶を調べていることがこの報告書でバッチリ分かってしまうからだ。仲西麗華を尾行した程度が判明してもそこまではわからないが、この報告書の存在は流石に不味い。これが家宅捜索の後で到着したことに、ほっと胸を撫で下ろす。
表紙をめくってすぐのページに、渡辺二瓶巡査長の勤務状況が書かれていた。……渡辺は、生活安全課に所属、か。交番だったはずだから地域課かと思っていたけど、今は生活安全課ね。で、普通に土日祝日休の平日勤務で八時十五分出勤の十七時十五分退勤って、こりゃ普通のサラリーマンさんと同じってことか。ふーん、てことは……、とその勤務状況表の下に書かれた渡辺二瓶の階級を見たら、巡査部長、となっている。ということは、そこそこ昇進なさってるわけだ。
次のページをめくると、生年月日や学歴、そして現在の居住所、現在使っている私物の携帯電話番号まで書いてあり、妻と子一人、その家族の名前まであった。すごいなぁ、安西調査事務所。あそこって私のいる時に、ここまできっちりやったかなぁ? 今回は結構金払ってるけど、大したもんだね。でもまだなんかページあるけど……、とその報告書の後半ページを見てさらに驚く。
「ええ? 私はそこまで調べろとは言ってないぞ? んだよ、そんな金払わんからな」
探偵会社ってたまにこういうことをやるんだよな。余計な調査をして、客からその分の代金まで請求する、みたいな。昔はそれで結構問題視されたから、探偵業法で事前に調査内容や料金について客ときっちり文書を交わすことになっている。今回は、安西調査事務所と私の関係だから、契約書みたいな面倒なことはしなかったけど、まさかこんな昔の悪質探偵会社みたいな事をするとは思ってなかった……、あとで文句の電話入れてやる。
で、その無駄な調査の内容は、港西警察署全職員の氏名と所属課などの一覧だった。交番勤務者まで載ってる。正規公務員だけかと思ったら、非常勤職員まで記述されていた。……安西調査事務所の仁科亮太に、警察署ぐるみの犯罪かもしれないと私が言ったからかなぁ。そりゃあったらあったで有り難いけど、でもこの分は絶対金払わないからな。私は呆れて、その報告書を自分のデスクの上に放った。
「ひゃー、外はもはや豪雨ですよ」と、事務所に戻った三島は買ってきたコーヒーのカップを二つ、私の座ってるソファーの前にあるテーブルに置きながらそう言った。
確かに、外はすごい雨音。
「ご苦労さま。三島くんもちょっと濡れてるから、このタオルで拭いて」と新しいタオルを渡す。
「ありがとうございます。……それで、安調の報告書、どうだったんですか?」
「仕事はきっちりやってらしゃるんだけどさぁ、余計な調査までやってんのよ」
「余計な調査って何ですか?」
「渡辺二瓶以外の、全職員の氏名とか所属課とかの情報。そんなの私頼んでないからね。後で文句言おうかと」
「それは確かに駄目ですね。仲西麗華さんの件で結構お金戴きましたけど、贅沢して良いわけじゃないですしね。どうにかして引っ越さないと……、ほらあそこ」と、三島は壁の方を指を差す。
「えっ? あれ、まさか雨漏りしてるの?」
「そうですよ。警察が資料を沢山押収していったのでああやって見えてるんですけど、前は隠れてたので」
「そうだったのか。……やだなぁ、このビルって雨漏りまでしてるんだ。ほんと、引っ越したいわね」
「だから無駄な調査なんか、させたら駄目ですよ。僕だって社長に無駄なことをするなって散々怒られてきたし」
ギクッ。……その無駄な尾行を私が今日、やりかけたわけだけど。
「うん、あたしはそんな仕事は頼んでないから後で追加料金は払わんと仁科にきつく言っておくし。……それよりさ、三島に話しておかなきゃいけないことがあるんだ」
私がそう言うと、三島は私の座るソファーの対面にある、私用のデスクチェアーをソファーに向けて回転させて座った。
「お話とは?」
「うん、京極菖蒲の話。あの子ね、単なる仲西麗華の親友ってだけじゃないの」
「それは、さっき話してたように、仲西麗華の彼氏と実は関係していたってことですか?」
「それとはまた別の話。あのさぁ、先々週くらいに撮った港西警察署の玄関前の動画、今そのパソコンで出せる?」
「ああ、渡辺二瓶と香西雪愛が会話していた動画ですね? 出せますよ。ちょっとクラウドのフォルダ開きますね……、えーっと、これです」
私のデスクに置かれたそのパソコンのディスプレイに、その時の解析動画が映し出された。
「これがどうかしましたか?」
「そのさぁ、何を喋っているかって話。中央文理大学の坂東教授のところで、三上さんって耳の聞こえない学生さんに読唇術やってもらったんだけど、私、やばいから全部話せないって、三島くんに言ったよね?」
「ええ……」
「今、それを全部三島に教える。やっぱり京極菖蒲が怪しいから」
「えっ?」
私は、自分のバッグから手帳を取り出すと、読唇術をしてもらった時に三上佳代子が読み取った会話を記述してくれた一枚のメモ用紙を三上に渡した。内容は――。
渡辺:京極がウィメンズに行ったって話はホントなのか?
香西:ええ、あそこに来たのは事実。でも彼女は何も知らないから、多分偶然かと。
渡辺:大丈夫なのか?
香西:問題ないわ。京極がうまくやってる。
渡辺:自殺でもされたら困るからって、わざと弁護士のところに行かせたりするのは認めたが。
香西:あの子は金蔓だもの。でもウィメンズ止まりよ。京極からはそれより先はなかったと聞いてるわ。
「これって……、藤堂先輩、いったいこれは?」
「そうよ。彼女もグルだってこと」
突然、窓が眩く光り、間髪入れず凄まじい雷鳴が轟いた――。
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