第二十六話 郵便受けに落ちたスマホ

 カランコロンと鳴ったドアベルが、私以外には誰もいない喫茶店の店内に響く。仲西麗華が半ば冷たく言い放ったその言葉の意味がわからず、私は呆然と店の奥で座ったままそのドアを見つめるだけだった。するとすぐに再びドアが開いてドアベルが鳴る。リリアンおばさんだった。チリトリと箒を持っていたので店の外で掃除をしていたようだ。


「海来さん、あの子と話は終わったのかな?」

「……ええ、まぁ」


 終わってないけど、そう言うしかない。リリアンおばさんはドアの鍵を再び締めて、ドアの傍にチリトリと箒を置くと、私の傍までやってきて少し声のトーンを落として言った。


「それっぽい男がいたわよ」

「えっ? 彼女を監視してた人がいたの?」

「うん、道路の向こう側の歩道からね、路上駐車して止まってるトラックの影から若い男がこっちのお店をじっと見てた」


 やはり、仲西麗華は誰かに監視されていたのか……。


「若い男ってどんな感じだったの?」

「良くは見えなかったわ。こちらからジロジロ見て気付かれるのもダメだしねぇ。ただ……、なんか変だった」

「変?」

「だってさぁ、海来さん、あなたさっき尾行がいるかどうかわからないって言ってたでしょう? でもあれじゃぁ、そんな筈はないわ」

「どういうこと?」

「あんなバレバレの監視する人なんて逆になかなかいないわよ。海来さんほどの探偵さんがあの男に気付かないはずない。何十年も前に調査員辞めた私だってすぐ分かったくらいだよ?」

「そんなにバレバレだったの?」

「あんなの、素人だって分かるわよ。それで彼女が店から出て大学に入っていったら、その後を追いかけていったみたい。あそこ女子大なのにねぇ、男が入っていったらバレバレだよ? あの男どうするつもりなんだろうね?」


 うーん……、彼女に監視はいたってことなんだろうけど、なんか変だなぁ。私や三島が彼女を尾行していて、彼女に監視がついていたなんて全く気付きもしなかったのに、そんな素人みたいな人が監視してたなんて、かなり違和感あるんだけど……。


「わかったわ、リリアンさんありがとう。そう言えば、もうお昼過ぎてるし、ランチタイムなんじゃないの?」

「今日はお店休むよ、ちょうどお店の大掃除しようと思ってたから。それより、海来さん、お腹空いてるでしょう。二人でお昼にしましょう。……おーい、あたしの旦那さま、特製ランチ二つ作って!」

「ごめんなさい、なんだか私のせいで急にお店が休みになっちゃったみたいで。売上には全然足りないかもだけど、ランチのお金は旦那さんと三人分払わせてね」

「いいって、そんな気遣いしなくてもさ。それよりさ、あの素人みたいな若い男、もしかしたらまた戻ってきて、海来さんがここを出るとき見つかると不味いんでしょう?」

「それはそうだけど……」

「だったら、変装しましょう」

「変装? あたし、帽子と眼鏡くらいしか持ってきてないんだけど」

「違うよ、海来さんと私ってば体型ほとんど同じでしょう? だから、この私の服とあなたの今着てるのを交換しちゃうわけ。そしたらこの店から海来さんが出ても、あの男は海来さんを私だと誤解するはず。あの男はさっき店主の私を見てるわけだからさ」

「なるほど、それはいい案だ。流石は元調査員さんだ」


 特製ランチが完成する前に、私とリリアンおばさんは着ていた服を交換した。リリアンおばさんは私が着ていたビジネススーツを着て明らかに嬉しそうだった。私の方はと言えば、変装はきちんとしなくてはと、リリアンさんが自分がしているように、ヘアスタイルをお団子にしてくれた。そんなに私は長髪ではないので、髪の毛をキツキツに引っ張られて無理やりお団子にさせらてしまい、顔が突っ張って仕方ない。



「ランチ美味しかった。今日はほんとにありがとう、いつかこのお店貸し切って、パーティでもしてさ、いっぱいお金落とすからね」

「パーティは良いわね。楽しみにしてるよ、じゃぁ海来さん気をつけてね」

「はーい、じゃぁまたね」


 と、私がその喫茶リリアンを出たのが午後一時。店の外を一瞥しても、誰かが監視している様子はなかった。私は、せっかく変装させてもらったんだからと、その仲西麗子を尾行・監視していたという若い男が気になって、大学の中へ――。


 仲西がどこで授業を受けているのかも分からなかったので、広いキャンパスの中をウロウロ、怪しまれないよう一時間ほどうろついて、ようやく見つけたその若い男。とある校舎から道を隔てて、臨時で建てられたような雰囲気の工事用のプレハブ小屋の影に隠れるようにして、じっと立ってる……、って全然隠れてない。あれじゃバレバレじゃん。確かにリリアンさんの言う通り素人だ。誰かに不審者として通報されてないのだろうか?


 とりあえず、その男にばれないようにスマホで写真を撮る。でもその撮影も全然余裕で、彼は自分の周りに気を配っている様子はなかった。その男は、二十歳くらいに見え、痩せているわけでもなければ太っているようでもないような、学生なのか社会人なのかはわからないが、どこにでもいそうなとしか表現しようのない男性だった。まさか、あの男が渡辺二瓶のやっていることに関係しているようなヤバい人だとは到底思えない。少なくとも、警察関係者では絶対にあり得ない。


 その男を、遠巻きにそれとなく監視していたら、その監視から三十分くらい経って、警備の人間が彼に近づき、そのまま警備員室に連れて行かれてしまった。やはり誰かに不審者として通報されてしまったのだろう。さて、どうしようか……、今日は仲西を尾行するより、その男の正体が知りたい、と思って警備員室を見張っていると、警備員室から出たその男は警備員に連行されるようにして正門から追い出された。私はその男を尾行することにした。


 その男は、大学から離れると、そのまま駅に向かって歩き、その駅から電車に乗って二駅先で降りる。駅前のコンビニに二十分ほど立ち読みや買い物で時間を潰した後、駅から歩いて十分のところにある独身者向けと思われる賃貸マンションに入っていった。距離を開けて尾行していたので、そのマンションに入ったのを見て私は走った。どこの部屋に住んでいるのか、さっさと突き止めないと尾行の価値が下がる。この機会を失ったら、長時間の張り込みやさらなる尾行をしなきゃならなくなる。


「わっちゃー、こりゃ駄目だ」


 マンションの玄関前に着いて思わず私はそう呟いた。オートロックマンションだ。その男は自動ドアの向こうでエレベーターを待って立っているのは見えるが、鍵を持たない私は自動ドアの中に入れない。これでは、エレベーターの階数表示から、行き先階が分かる程度。夜ならば外から、照明が点くタイミングを見計らえば部屋は分かるんだけど、今はまだ昼間だからなぁ……。


 とりあえず、外から見ていたエレベーターの階数表示で三階に住んでいるらしいことは分かった。……今日はここまでで諦めて帰るしかないか。だが、以前に私は三島に同様のケースで叱ったことがあったのを思い出す。何故オートロックマンションであることを予測せず、すぐに追いつけないほど距離を開けて尾行したのか? と。君に人件費いくら払ってるのか分かっているのか? と。そのせいで無駄な張り込みが必要になるという可能性に気付かなかったのか? と。


 経営者というのは嫌な稼業だな……。うむむむ……。三階か。外から郵便受けは、見るだけなら見られるよなぁと、投函口のある一階玄関左側にある狭い部屋に入った。三階は301〜305の五軒、か。このどれかの部屋が奴の住処なんだけどなぁ……。これ以上は無理か。


 諦めの悪い私は頭を働かせると、この賃貸マンションを取り扱う不動産屋を当たれば、個人情報は得られなくとも、空き室くらいは絞り込むことは出来る、というところまでは気付いた。しかし、その空き室があったとして、その部屋を借りて居住者を調べるなんて、それこそ金のかかる話。やっぱ駄目かぁ……、あっ。


 その投函口のある狭い部屋に郵便配達員がやってきたので、狭すぎるので私は一旦外へ出た。……パタン、パタンと郵便受けに投函してその投函口の蓋が閉まる音を聞きながら、外でじっと待つ。……くそー、諦めるしかないのかなぁ。経営者として、これでは部下に示しがつかない。まぁそういうこともあるんだけどさ、経営者だって失敗もするし……、でも三島にバカにされたくないしなぁ。


 郵便配達員はその狭い部屋を出て、バイクで去っていった。まだ諦めきれない私は、なんかいい方法ないかなぁと、再びその部屋に入る。じーっと、その301号室から305号室の郵便物投函口を見続けるも、いいアイデアは思いつかない。……玄関口で居住者か誰かが出入りするのを待って、自動ドアの開いた瞬間に一緒に入っていったところで、リバースドアスコープ(※)も持ってきてないし、裏技もあるけど、……全部屋やらないといけないから不審者として疑われる可能性もある。うーむ……、あっ。


 今度は宅配業者が来たので再びその部屋を出る。しゃーない、帰るか。……待てよ、ああやって投函されてる配達物には名前は書いてあるんだよな。てことは、外からでも、投函口開けて中に照明当てたら、名前確認できるんじゃないか? よしっ、やってみよう。宅配業者が帰ったので、私は再びその狭い部屋に入って、投函口の蓋を手で押し開けてスマホのライトを照射する……、が、配達物が入っていること以外、全然わからない。


 くそっ。ならばと、スマホカメラを中に突っ込んで接写すれば――、あっ! しまった! カメラが中に落ちてしまった! これは不味過ぎる! ……しかし、ぎりぎり入る指の先を入れても、郵便受けの中に落ちてしまったスマホが掴めない。えー、これは不味過ぎるよぉ……、三島にバカにされるどころではない。どうしよう?


 ……つったって、これは流石にどうしようもない。郵便受けの内側から開かない限り、スマホを取る方法はないなぁ。でも、多分、ナンバー式のロックだろうし、開けるのは結構時間かかるかもだし……。外からどうにかならないかなぁ……、あ、そうだ、思いついた!


 私は急いで、近くのコンビニに走り、ガムを買って割り箸を貰った。噛んだガムを割り箸の先にひっつけて、その粘着力でスマホを回収する作戦。投函室に戻って、早速実行してみると、数回やってみただけでスマホ回収成功。そして同じ方法を使って、301号室から305号室までの郵便物を外から取り出し、氏名の確認に成功した。しかも、305号室のその氏名は聞いたことのある名前だった――。




 ※リバースドアスコープとは、玄関ドアにあるドアを閉めた状態で外を見るためのドアスコープを使って、外から部屋の中を見るための道具。


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