第十八話 芝居の手筈

 午後五時過ぎ。山下建設本社事務所のあるそのオフィススビル地下一階、休憩所には私と、今年四十一歳になる中性脂肪がヤバそうな山下建設営業社員の浮島成海の二人しかいない。しかも浮島の旦那、どうやらヘビースモーカーらしく、地下に降りてくるなり速攻でその休憩所の隅にある喫煙所に一人入ってなかなか出てこない。私は嫌煙家なので喫煙所の傍にすら寄りたくない。ったくもう……。


 しょうがない、漆原に連絡するか。地下だけど……、スマホは電波通じるみたいだな。


〈はい、漆原っす〉

「どう? そっちの様子は?」

〈今のところは、二人が一階のロビーでソファーに座ってくつろいでて、もう一人が裏口に回ってるみたいです〉

「そう、奴らも浮島の逃げ道しっかり塞いでんのね。漆原くんは見つからないでね」

〈外から見てますから大丈夫っす〉

「で、例の一芝居だけど、タイミング合わせないとうまく行かないから、もうチョット待っててね」

〈ラジャー〉


 多分、五分もあれば大丈夫だとは思うけど……、おっと浮島の旦那やっと出てきたな。


「浮島さん、どうぞこちらにお座り下さい」


 と私が言ったのに、座ろうともせず、そのままあのセカンドバッグを抱えたまま私を無視して休憩所を出ていこうとする。……ったく、この中性脂肪が。


「浮島さん! そのセカンドバッグに何が入っているのか、私は知ってますよ?」


 とエレベーターホールに向かう浮島に向かってそう叫んだら、休憩所の出入り口でビクッとして立ち止まった。そしてゆっくりとこっちを振り返った。


「……知ってるって、どうして?」


 顔面蒼白の浮島。


「一階で待ち構えているあの三人のヤクザのことも、あの香西雪愛のこともね」


 あたしがそう告げると、今度はさらに仰天したような表情で、抱えていたセカンドポーチまで落としそうになって慌ててる。


「まぁまぁ、そんなに驚かないで。私はあなたの奥さんに依頼されて、あなたの浮気を調査してたんですよ。よくある話でしょ? でも、決して悪いようにはしませんので、まずはこっちへ来て椅子にお座り下さい」


 とうとう浮島は観念したかのように、私の座っているテーブルの対面に座った。……タバコ臭いなぁ。


「ありがとうございます。先ずは、あなたのために缶コーヒーもそこの自販機で買って用意しておきましたので、それでも飲んで落ち着いて下さい」


 これからやる一芝居のためには浮島の大演技が必要なため、どうしても落ち着いてもらわらないと困るのだ。浮島は私に言われたとおりに、缶コーヒーを二口、三口ほど飲んだ。


「浮島さんは、それを持って逃げるおつもりだったんでしょ?」


 浮島はしばらく黙って俯いていたが、どうにか頷いて私の言う通り逃げるつもりだったことを認めた。


「それは無理ですよ。あのヤクザも一人裏口に回っていて、逃げ道はありません」

「えっ? まさか……」

「そんなのちょっと考えれば誰にでも分かりますよ。ヤクザが三人であのホテルまで来たのはあなたを絶対に逃さないためです」

「……ホテルって? ということはずっと尾行されていたんですか?」

「それが探偵の仕事ですからね。まぁ、ほんとはそこまでする必要はなかったんですけど。だって、これで実際には仕事は終わってますし……」


 と、私は自分のスマホで浮島があのラブホテルに入っていくところを写した写真を見せた。浮島はただ、唾を何度がゴクリと飲み込みつつそれを見つめるだけだった。


「ところがですね、浮島さん、あなたの浮気相手の女性が問題だったんですよ」

「……う、浮気って、私は浮気なんか、……そ、その写真だって私しか写ってないじゃないですか」


 ……はぁ。ったく、男ってやつはどいつもこいつも諦めが悪いんだから。何度も見てきた光景だけどさ、今回はさっさと認めてくんなきゃ駄目なんだってば。いつまでもヤクザを待たせるわけにはいかない。


「まぁ、あっちの方の録音もしてますから、証拠は完璧です」

「……あ、あっちって?」

「いや、あの、だから、Peach Love ってホテルで隣の部屋、確か浮島さんは203号室でしたでしょ? こっちは204号室からその最中を録音してるんです」

「ろ、ろ、録音? ……プ、それはプライバシーの侵害じゃないか!」


 んだよ、まだこいつ抵抗しようってのか?


「ですから、もう浮気の証拠はバッチリ――」

「う、浮気など私はしてない! あのホテルではエー、AVビデオを一人で見てたんだよ!」


 ブチッ……と、切れそうになったけど、ここは冷静に、しかしガツンと言ってやる。


「あのねぇ、こちとら探偵のプロなんだよ! あんたが浮気をやってるって確証がなきゃ、そもそも調査なんかしないわよ! それにねぇ、あんた奥さん妊娠してるの知ってたんでしょう? いったい、どんな神経してたら奥さんの妊娠中に浮気なんか出来るんだよ! いい加減にしらばっくれるのはやめたらどう?」


 言えた言えた。きつく言ってやったが、内心は冷静なもんだった。だいたい、浮気をする男なんて妻の妊娠中だってやるのである。ともかく、早く認めてくれないと時間が……。って、何だよその、浮島、こっちを問い詰めるような表情は?


「妻が妊娠?」

「あれ? 浮島さん、あなた知らなかったの?」

「……ほんとに、妻が妊娠してるって、そう言ったんですか?」


 ありゃま、これはほんとに知らなかった様子。


「ええ、奥様は、妊娠中に浮気されるのは許せないって、そう仰っておられましたよ」


 すると、浮島、缶コーヒーの残りをグビグビと一気の飲み干したかと思うと、突然、目を潤ませて、鼻を啜り始めた。


「……そうでしたか。……藤堂さん、でしたよね?」

「ええ」

「うちの夫婦は、もう結婚して十年もずっと、子供が出来なかったんです。私も妻も子供を欲しがって、二年くらい前までかなぁ、不妊治療をずっと続けてて、体外受精、あと顕微授精ってんですかね? 何回もそんな高価な治療もやったんですけど、それでも出来なくて……」


 とうとう浮島の目から涙が溢れ出していたが、表情は以外にスッキリし始めていた。少し笑みさえ浮かべてる……。


「……そうでしたか、妻が妊娠。いつやったのか覚えてないですけど、この前の旅行かなぁ。……俺ってなんて馬鹿なんだ。……言い訳になりますけど、ほんとに魔が差したんです。半年ほど前、雪愛さんがこの会社の前で、私に声を掛けてきて、確か道に迷ったとかなんかでしたけど、それで意気投合してしまいまして――」


 ははーん。やっぱりあの女の企みじゃん。半年前つったら、ちょうどこの浮島の勤めてる会社が不正経理で問題になった時期とぴったり符合するし。


「浮島さん、あの女は最初からあなたを狙ってたんです、おそらく」

「えっ?」

「ホテルであのヤクザが、あの女が社長の愛人だって、そう言ってましたよね?」

「はい」

「あなたは、山下建設の社員だから、社員の家庭状況もある程度は会社の方で把握していたはずです。確か、一年ほど前に浮島さんのお父さん亡くなられていますよね? あなたのお父さんは結構な資産家だったと私も知っています。それで相当な額の遺産をあなたはお父さんから引き継いだ。あなたが今そのセカンドバッグに持っているのは、その遺産が入っている銀行の預金通帳でしょう?」

「え……、まぁ、そうですけど。それとうちの会社がなにか関係あるんですか?」

「これは推測になりますけど、おそらく、社長とあの女が結託して、あなたのその遺産を奪うつもりだったんです」

「ええ? そんな、まさか?」

「もちろん今言ったように推測ですけど、ちょうど半年ほど前に、あなたの会社が不正経理で問題になったことはあなたもご存知でしょ? その経理の穴埋めにあなたの遺産が狙われたんですよ。だから最終的にヤクザまで出てきたんです。多分、あなたも薄々、あの女が多少は怪しいと思ってらっしゃった。あなたは自分の預金口座が狙われているかもしれないと考えて、自身の口座を抹消して別の口座に全財産を移し、会社にその口座の通帳かカードの入ったそのセカンドバッグを隠してまで、遺産を渡すのを渋った。あの女はあなたに借金か何かで助けてほしいと言ってたんでしょう?」


 もはや、浮島の目に涙はなかった。それどころか真剣な表情で私の話を聞いている。なんとかなりそうだけど、時間が……、急がないと。


「はい、経営していたお店が借金で潰れそうだからと、とりあえず私にお金を貸してほしいと。必ず返すからって。でも、そのお店もちゃんと見せてもらったし、その借金の借用書もしっかりありましたけど?」

「全部ウソですよ。お店なんかちょっとお金払えば、如何にもオーナーだって演じさせてくれますよ。あの女はね、噂ですけど、超凄腕の女詐欺師です」

「詐欺師?」

「ええ、おそらく。もっと言えば、多分、山下建設の社長も騙されて、あの女に貢いで不正経理なんかやらかしたんでしょうね。社長と仲のいいヤクザを巻き込んだのもあの女でしょう、きっと」


 浮島も話に納得し始めてるみたいだし。そろそろ、芝居を始めてもいいか。私はLINEで漆原に、芝居を始めるためのメッセージを送った。


「藤堂さん!」


 わっ!? びっくりした。何だよ? 突然そんな改まって。


「ほんとに、私が駄目だったんですね。あんな女に騙されて、危うく全財産奪われそうになってまで……なんて馬鹿なんだ、私は! ほんとに、この通り、申し訳ないです!」


 いや、そんな深々と私に向かって頭を下げられてもしょうがないってばさ。


「浮島さん、謝るのは奥さんにしてあげて下さい。今はそんなことより、ここから、あのヤクザから逃げないと」

「ああ、そうでしたね。でもどうやって?」

「それを今からお話します。今から、一階ロビーに上がって、あなたはヤクザに一旦捕まってもらいます」

「え? 逃げるんじゃなくて捕まるんですか?」

「大丈夫です。それからなんですけど――」


 そして、地下休憩所で浮島に芝居の手筈を打ち合わせして、漆原に確認の電話をした。


「漆原くん、どうかな?」

〈まだ来てないけど、五分ほど前には連絡したから、そろそろ来るかと〉

「分かった。じゃぁ、来るまでなんとか時間持たせるから、お願いね」

〈大丈夫ですか? 何なら俺と杏樹さんが交代して〉

「いいよ。こっちでなんとかするから。じゃぁヨロシクね」


 来なかったら来なかったときのことだ――。


「よし、浮島さん、行くよ」

「はい」

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