第十一話 読唇術

 武蔵川女子大学って、たしかあのテレビに良く出てるあの生粋のフェミニスト、牛島冴子うしじまさえこ先生がいる大学だったよな。何だっけ? えっと、男は単に女を子宮としてしか見てなくって、男はその子宮っていう名の壺に精液という名の発酵物を入れて、子供という名の酒が熟成されて出来上がるのを待つだけの存在、だったけかな? 学者先生の考えることはよくわかんないけど、私の子宮は使われることはないんだろうな――。


 夕刻六時を過ぎて、あたりは真っ暗。この時間だからか正門から出てくる学生もチラホラって感じ。てか、ゔーさぶい。路駐してる車の中で待ってようかな? でもそれだと京極さんが見つけられないかもしれないし……。


「藤堂さん、ですか?」


 声がしたのは私が待っていた正門のその中からじゃなくて、正門前の歩道からだった。


「ごめんごめん、なんか呼び出しちゃったみたいで」

「いえいえ、わざわざこんな所まで来ていただいて有難うございます」


 いいなぁ、京極菖蒲さんの髪型みたいに胸まで伸びてる髪って、割と憧れなんだよなぁ。あんな風に強めのパーマ掛けてさ、ああいう風にかっこいい感じって良いよな。あたしってばすぐ切っちゃうからなぁ。


「それじゃぁ、そっちの方に車停めてるから、どっかカフェでも行こうか」


 菖蒲さんのお勧めの店があるからと案内されて行ったそのお店は、大学の直ぐ側にあった、いかにも女子大生好みの、ケーキが売りらしいカフェだった。でも昨日あんなにイタリアン食べたから、ケーキは辞退した。


「ごめんね、いちおう仕事だから、また録音させてね」とICレコーダーをテーブルに置く。

「実は午前中の電話を切ったあと、麗華と喧嘩してしまって……」

「あら、そうなんだ。喧嘩って良くするの?」

「いえ、ないです。初めてだと思う、多分。やっぱり、本人に確かめたほうが良いと思って」

「って、まさか妊娠のこと? 聞いちゃったわけ?」


 そりゃ不味いよ、菖蒲さん。せめて私に相談してからにしなきゃ。それって大問題なんだからさぁ。弱ったな……。今更それ言ったってしょうがないけど。


「……実は、前にも一度、妊娠のこと聞いたことがあって、あんなことさせられてるから心配で。でも、その時は、妊娠には十分気をつけているから大丈夫だって話だったんです」

「で、今回も、そんな感じで菖蒲さんが麗華さんの妊娠を心配してるみたいに聞いたってわけね?」

「はい。そしたら、麗華が物凄く怒って……」

「はぁー。そうなのか。……で、菖蒲さんは見つけた妊娠検査薬の話とかしたの?」

「いえ、そこまでは言ってないんですけど、多分……、私も怒りすぎたから、妊娠を疑ってるの、気付かれたかもしれません」


 それはそうかもねぇ。つわりしてるところははっきり菖蒲さんに見られてると、麗華さんも知ってるからねぇ。うーん……しかしこれは、困ったぞ。


「うーん。実際はさぁ、避妊なんてピル飲めば済む話でしょ? やらされてること考えたらピルは絶対じゃん。だからさ、麗華さんが妊娠するのはおかしいのよ」

「え? でも、ピル飲み忘れたとか」

「そんな事あるわけないでしょう。そうじゃなくて、意図的に飲んでない可能性があるってこと」

「意図的、ですか?」

「うん、麗華さんが何考えてるのかさっぱりわかんないんだけど、どの道さぁ、……あんまり大きな声では言えないけど、堕ろすかないわけでしょ? そう考えたら菖蒲ちゃんに隠す理由もない。だから色々と辻褄が合わない」

「……あの、私は、それって彼氏が関係あるんじゃないかなと思ってて、誰の子供かわからなくなって、それで麗華が悩んじゃったんじゃないかなと」

「そうね。それもあるかもしれない。彼氏に妊娠がバレてしまったとか……、でも、どうして麗華さん、彼氏なんかいるの? あの子の状況考えたら」

「何度も、別れてるんです――」


 その仲西麗華の彼氏は、兵間黎斗ひょうまれいとと言い、同い年で高校生時代からの仲らしかった。渡辺二瓶に巻き込まれる前に一度別れているのだが、その後一年くらい経ってから、兵間からの申し出で友達関係として再び付き合うようになったものの、兵間が仲西を彼女として見ることしか出来ないらしかった。仲西もそれは駄目だと、何度も別れようとしたらしいが、仲西の方もどうしても離れられなかったんだと。


「複雑だなぁ。頭がこんがらがってきちゃった。で、菖蒲さんはまだ麗華さんと仲直りはしてないわけね?」

「……はい」

「そうかぁ。なら私からこの件を聞くってのも今すぐには無理だね。あなたが私に密告したみたいになってしまうし」

「そうですね、すみません。私が勝手なことをして」

「まぁでも済んだことだし、……これからは出来るだけ私に相談してほしいけど」


 それ以降は、ふたりとも大して話をせずに、テーブルに向かい合って重い空気を感じながら、困った表情を続ける以外になかった。


「とりあえず、菖蒲さんは麗華さんと仲直りして下さい。一度くらいの喧嘩で壊れるような仲じゃないと思うし。いいわね?」

「わかりました。あの子も多分、そう思ってると信じてます」

「でさ、出来たら、私を含めて三人で秘密を共有するようにしましょう。あたしが全部わかってないと、せっかく着手し始めた件だしね」

「そうなんですか? 昨日は無理そうなお話でしたけど」

「ううん、どうにかね、渡辺二瓶の勤務先があの港西警察署だって分かったし、勤務状況調査に着手してるよ。麗華さんには既に報告は行ってるし、麗華さんからお金も振り込まれてるって」

「よかった。ありがとうございます、藤堂さん」

「成功するかどうかはまだまだ未知数だけどさ。とにかくやってみるね」


 それで、京極菖蒲とは一旦別れたのだが、どーしても腑に落ちない。何故、仲西麗華は妊娠したのだろうか? あの子がやっているのは要するに強制売春だ。妊娠リスクが高いんだからピルは絶対飲んでる筈。それがわからないような馬鹿である筈がない。その上、その妊娠まで隠そうとする。どう考えても堕ろすしかないのに、何故?


 もしかして、ピルが体に合わないとかはあり得るけど、無理矢理中に出されたりしたら、アフターピルって手もあるわけだし。あるいは何らかの理由で避妊に失敗していて、その後に妊娠にやっと気づいて、彼氏の兵間ともセックスしていた、そしてその妊娠が兵間にもバレた、とかかな? ……でも、なーんか腑に落ちないんだよね。だとしても、菖蒲さんに相談しないで隠す理由がない。わからんなぁ……。もしかして、避妊反対派で、中絶反対派の宗教――。


「あっ! 危ない」


 間一髪だった。もしかして、あたし信号無視? やっべー、……バックミラーで確認すると、ぶつかった車もなくて、事故にはなっていなかった。やばいやばい、あんまり考え事せずに、安全運転で帰ろう。これカンナの車だしなー、ぶつけたりしたら怒られる――。



 カンナはまた今日から海外とかで、カンナのマンション駐車場に車だけ返して、電車で自宅へ帰ってきた私。部屋に入ると、猫の若造わかぞうが嬉しそうに「ミャァァァァ」と泣き叫んで迎えてくれた。


「若造、ごめんねー。寂しかったでしょう? んー、すりすり」


 抱っこされるのを嫌がる黒猫の若造は、私の腕からするりと抜け落ちると、ゴロゴロ泣きながらまだ電気つけてない奥の真っ暗なリビングの闇に消えていった。玄関ドアの裏面にある鍵掛け用のフックに鍵をかけ、スニカーシューズを脱いでシューズボックスに仕舞い込むと、そのまま短い廊下の先にあるリビング手前にあるトイレに。


「あー、また忘れてたな。んとに、私の場合最近、わかりにくくて困るんだよなぁ」


 生理の始まり。いつもは予想してておりものシートつけるんだけど、忘れてしまうとこうなる。仕事に熱中してると不快感にさえ気付かない。はぁ……、あたしもピル飲もうかなぁ。生理不順に良いって聞くし。オキニのショーツなんだよね、これ。ため息ついていてもしょうがないから、またアレするか。


 そのショーツをトイレで脱ぐと、洗面でシンクにお湯をためて、その中にショーツを放り込む。そしてそこに過炭酸ナトリウムの粉末をドボドボっと入れてかき混ぜてつけ込んでおく。こうして後で普通に洗濯するとあの落ちにくい血痕が残らないのである。探偵業をやってるとこんな些末な知識まで身についてしまう。


 寝室で部屋着に着替えて、リビングに戻り、冷蔵庫から缶ビールを出して、帰りにスーパーで買ってきた30%値引きのお弁当を電子レンジで温める。テレビをつけると、NHKで九時前の地方ニュースが始まっていた。若造が寄ってきた。いつものやつね……、と冷蔵庫からカルカンを出して、早く出せとうるさい若造を押しのけながら、猫エサ用の小皿にそれを開けてテーブルの上に置く。


「若造はいいねー、おいちいもんね、カルカン」


 チーンと電子レンジが合図する。取りに行こうとしたところで――。


〈昨晩の通り魔事件の容疑者、額川辰巳ぬかがわたつみは本日午前10時頃現場から二キロほど離れた路上を歩いていたところを巡回していた警官に逮捕されました――〉


 ああ、今朝のやつか。私は見えなかったけど、あんな顔してたんだ。まだ結構若そうじゃんか、……またあれかなぁ、非正規社員とか或いは危険ドラッグとか――。


〈刺された会社員の馬渕信子まぶちのぶこさんは、本日夕方、搬送先の病院で出血多量により死亡と発表されました〉


 あらー、重体と聞いてたけど、死んじゃったんだ、可哀想だなぁ。……あれ? あの写ってる警察署の玄関、めっちゃ拡大映像でくっきりはっきりあの二人写ってんぞ。


「あっち!」


 電子レンジから取り出したお弁当をテレビに没頭していて持ち続けてしまって、その熱さに思わず落としてしまったが、構わずテレビの真ん前まで慌てて寄った。その瞬間は一瞬で、すぐスタジオに映像が戻った――、とテーブルの上に置いていたスマホがバイブ。


「なにー、三島くん、こんな時間にどうした?」

「いえ、遅くまで会社に残っていて、帰ろうとしたらやっと連絡が来て」

「え、まだ会社にいるの? てか、連絡って何?」

「海来先輩、やりましたよ」

「やりましたって? 何の話?」


 わー、お弁当、ひっくりかえって汁溢れてるよ……。


「実はあれから気になって、大学の桑田先生に相談してみたんです。そしたら、人文学部の心理学の先生を紹介してもらえまして」

「心理学の先生? って、三島、一体何の話をしてるの?」

「読唇術ですよ、読唇術。あの会話、わかったんです」

「えっ、マジで!?」


 私の大声に驚いて、若造がカルカンの小皿をひっくり返して部屋の何処かに消えた――。



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