第十話 竹中真凛

 そのまた三ヶ月前の続き。どうやらやっと香西雪愛が誰だか思い出したらしい海来。



「ゲホッ、ゴホッ、……ちょっと、海来先輩、こっちは大事な仕事してるんだから、もっとゆっくり――」


 事務所開設以来の五年分もの埃かぶってた段ボール箱を、書棚の上から一気にドスンと落としたものだから、その直ぐ側の三島はホコリまみれになっていた。


「あ、ごめんごめん、悪かった。あ、もうお昼前じゃん、三島、ランチ行ってきなよ」

「はーい、じゃぁ行ってきまーす」


 と、三島は事務所から出ていった。


「彼、美男子だね。いいねぇ、杏樹さん、やっぱ男はイケメンに限るって奴?」

「そんなのじゃないわよ。大学の後輩」

「へー。で、大学の同級生ってさっき叫んだけど?」


 私はその、大学時代に使っていたコクヨのキャンパスノートに挟んであった一枚のチラシを漆原に渡した。


「えっと、何々、学園祭「園芸サークル・仙人掌さぼてん 舞台:宝塚風園芸劇のご案内」? って何これ?」

「私の通ってた大学のさ、学園祭ん時の、そのサークルの宣伝チラシ」

「これが何?」

「その真中にある、出演者一覧をよく見て」

「出演者……、……、あっ、香西雪愛って書いてある! ……でも、これって」

「そう、それは役の名前。その後ろに本名、竹中真凛たけなかまりんって書いてあるでしょ?」

「えっ? えっ? ……つまり、えっと、どういうこと? よくわかんねぇ」


 そりゃ分かるわけがない。だって、「香西雪愛」って本人の実名じゃないんだから。私だってそんなの、よく微かに覚えてたなってくらい、実名じゃなかったからこそその程度の記憶しなかいわけだ。まさかね、竹中真凛が香西雪愛を今も名乗ってたのか。


「ねぇねぇ、もっかいさっきの香西雪愛の写真見せて」


 と、漆原からスマホを受け取る。


「うーん、やっぱりこいつ竹中真凛だ。うんうん、そうだそうだ、こんな感じだ」

「えーっと、つまり、杏樹さんの大学に、その真凛って女の子が、香西雪愛って役名で、学祭の劇に出てたってこと?」

「うんうん、そう。笑うよ? 私思い出したもん、香西雪愛の、雪愛って名前さ、由来があるんだ」

「由来?」

「うん、You kill Me なんだって。その劇のタイトルそうなってるでしょ?」

「ほんとだ。てか、You Kill Me って、ユー・キル・ミー、ゆーけーめー、雪愛ゆきめ? なんか笑えるよな、あはは、「あなたは私を殺す」って意味か」

「そうそう、竹中真凛が主人公役やっててさ、ラストで殺されんの」


 そう、その光景ははっきり覚えている。学園祭で暇潰しに、たまたま見た園芸サークルの劇。園芸サークルが劇って珍しいなと思って、その教室に入ってさ。


「でね、その竹中真凛てのが、劇の中で一人だけ超浮いてんのよ」

「浮いてる。とは?」

「そこ書いてあるような宝塚女優に匹敵するか、それを超えるくらいの凄い演技なのよ。あんな迫真の演技、プロの俳優でもなかなか出来ないんじゃない?」

「あっ、演技か、そっかその竹中真凛って、そもそも演技がうまいんだ。なんか見事に繋がったじゃん」

「そう、だからさ、さっきの漆原くんの話を聞いてて、思い出したってわけ」

「うわー、すげぇ。俺って運命の出会いとかって信じない方なんだけどさ、こんな偶然、あるんだね。あの香西雪愛が杏樹さんと知り合いだったなんて」

「知り合い? 全然。同級生ってくらいしか知らない。学部も違うし、大学でも数回見かけた程度」


 ――と、会社の電話に着信。


「はい、藤堂海来探偵社です。お電話ありがとうございます」

〈浮島ですけど〉

「ああ、浮島さんの奥様でらっしゃいますね、お世話になります。報告書の方はまだ、立て込んでまして、あと二日くらいお待ちいただけますか?」

〈それはいいの。夫が行方不明になってるんです〉

「えっ? 行方不明?」

〈先日、そちらから調査終了のご連絡を頂いた日から、自宅にも戻ってこないし、会社にも出勤してないみたいなんです。なにかご存知ありませんか?〉

「いやー、そんな感じはなかったですけどねぇ。わかりません。ご主人はなにか、家出するような理由でも?」

〈知りませんよ、そんなの。銀行口座も全部なくなってるんです〉

「ええっ? 銀行口座? 貯金が引き出されてるってことですか?」

〈いえ、私はカードだけ渡されているんですけど、口座がすべて抹消済みでして〉


 何ぃぃぃぃぃぃ!?


 ともかく私には分からないとしか言えず、行方を調査するかと奥さんに聞いたら、それは良いと断られ、電話を切った。


「どうしたの? 杏樹さん、そんな真っ青な顔してさ? 誰が行方不明?」

「……その、香西雪愛とこの前ホテルで浮気してた旦那。口座ごと消えたって」

「マジっすか。……てことはやっぱり、あの人、女詐欺師だったんだ」

「そうなるのかな。そこも漆原くんの話と符合するわね」


 そっかー。まんまとやられたな。ただの普通の浮気不倫だと思ってたのに、相手は女詐欺師だったのか。まだ確証はないけど……、なんかむかつくなぁ、出し抜かれたみたいな気分――。なんだか納得の行かない気分で、自分のデスクチェアに座ったまま、デスクチェアの座面回転軸でぐるぐる回った。


「杏樹さんさぁ、俺もなんか背筋が寒くなってきた」

「どうしてさ?」

「だって、俺もその雪愛に詐欺に合ってたかもしれんじゃん」

「……それはどうかなぁ。餌はばらまかれたかも知んないけど」

「餌?」

「うん、セックスしまくったんでしょ? 男ってセックスに弱いから、雪愛はさぁ、漆原くんのことまた寄ってくるんじゃないかくらいには思ってるかもしれないね」

「いやいや、あんな無機質なセックス、もうやらない。つまんねーもん」

「朝までやってたって言ってたじゃん」

「そん時はね、すげーなと思ってたけど……、何なんだろうなぁ? セックスの練習台にでもされたのかな?」

「そうかもね、女ってさ、30過ぎると色々気にする人多いみたいだしね……、はぁ、よしっ、行くか!」

「えっ? どこへ?」


 私はすぐさまロッカーに。


「浮島の旦那の捜索」

「浮気してた旦那さんのこと?」

「うん、捜索は依頼されてないからサービスだけどね。それに、なんか女詐欺師如きに出し抜かれたみたいでムカつくからさ。しかも同級生だよ?」

「へー、面白そう。探偵って面白そうだね」

「面白いよー。そう思うんだったら君もついてくる?」

「えっ? 俺?」


 簡単にお化粧直しした私は、自分のロッカーを閉めて、端のロッカーに入れてある、探偵道具の入ってる鞄の一つを取り出した。


「うん、漆原くん、香西雪愛の家知ってるんでしょ? 住所だけでも分かるけど、案内してくれたほうが早いし」

「香西雪愛の家? 旦那さんはそこにいるって話?」

「そうじゃないけど、とにかく案内して」



 ――と、事務所を出て、途中昼食を取り、一時間ほどで香西雪愛の住んでいるという三階建になってるアパートに到着した。そして、二階に上がって、突き当りの香西雪愛の部屋の前に。


「じゃぁ、漆原くん、中に人がいるか確かめて。インターフォンかノックか」

「えええ? 俺が? 出てきたらどうすんのさ?」

「いいじゃんか。忘れ物したとかなんとか言えばさ。多分いないと思うから」

「そうなの? よくわからんけど、じゃぁ」


 ――ピーンポーン。と数回押しても中に人がいる様子はなかった。


「じゃぁ、漆原くん、ちょっと人が来ないか、あたりを見張ってて。あ、そうそう、ジャケット脱いで、これ着て」


 と、探偵道具鞄から作業着の上着を二つ取り出し、その一つを漆原に、もう一つを自分で羽織った。変装道具の一つだ。これで誰かが来ても業者だと思い込ませることが出来る。そして、鞄の中からピッキング道具を取り出す。


「わぉ。杏樹さんってば、ピッキングも出来るんだ。すげー」

「ホントは違法だからやっちゃいけないんだけどね。でもあたしは自分で鍵屋さんにみっちり教えてもらったんだ。――よしっ、開いた」

「はやっ。杏樹さん流石だ」

「いいから、早く中に入って」


 2DKの部屋の中。割と質素な暮らししてんなー。全財産奪うくらいの女詐欺師ならもっと派手に生活してるのかと思ってた。ふーん……。


「で、杏樹さん、なにキョロキョロしてんの? ていうか、部屋に入って何するわけ?」

「ノープラン」

「ノープラン? 何の考えもなくここに来たってことか? それがプロの仕事かよ、ったく」

「うるさいわね。どーせ暇なんでしょ? 手伝ってよ」

「手伝ってって、何をさ?」

「だから、部屋に入ったらすること決まってるじゃんか。家探しよ。何か手がかりになるものがないか探すのよ。全財産なくなって旦那が行方不明ってことは、香西雪愛と一緒にいる確率が高いってこと。だから、この部屋のどこかに、例えば行き先を示した何かがあるかもしれないじゃない。それを探すのよ」

「あー、そういうことね。わかった。じゃぁ俺は、寝室の方探してくるよ」


 そして、二人で分かれて家宅捜索が始まった。


「杏樹さーん」

「何? なんかあった?」

「いや、そうじゃなくてさぁ、俺さぁ、暇だけど暇じゃないんだぜ」

「どういう意味よ?」

「俺、無職とかじゃないよ、一応実業家だから。お店をさぁ、五件ほど持ってんだぜ、凄いだろ」

「へー、そうなんだ。ふーん……」


 んなの興味ねぇってば。しっかしまぁ、きれいに整理整頓されてるから、探しやすいちゃぁ探しやすいけど、特になにもないなぁ。ゴミ箱の中も綺麗サッパリなにもないし……。


「漆原くん、どんな感じ? なんかありそう?」

「うん、今見つけた」

「えっ? ちょっとすぐそっち行く……、……どこ?」


 と、漆原が座っているのは洋服ダンスの正面だった。


「見つけた、とは?」

「これよ。この金庫。杏樹さんだったらチョチョイノチョイでしょ?」


 見ると、五十センチ四方くらいの金庫がそこにあった。


「無理無理、ダイヤル式なんて、その専門家でもなきゃ無理よ」


 こりゃ駄目だ。流石は凄腕女詐欺師、きっちりしてるところはきっちりしてる。普通は三十歳くらいの女性がここまでのしっかりした金庫は持ってないと思うんだけど――。


 ――ガチャ。


 えっ? まさか、玄関から誰か入ってくる?




注)探偵が無断で他人の家屋に侵入すると、住居侵入罪になります。



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