第6話 お父さんとお母さん

 広い。広い。

 なんと言ってもまず、庭が広い。

 お屋敷やしきの門をくぐったのは随分ずいぶんと前なのに、まだ建物が見えてこない。

 馬車が通る道の両側には背の高いが植えられている。みきは大人3人分ほどの太さで、高さは10メートルくらい。それが等間隔に何本も植えられていた。には桜に似た小さい薄桃色うすももいろの花がたくさん咲いていて、辺りはほのかな甘い香りに包まれていた。

 私は思わず馬車から顔を出して、景色けしきと香りを楽しんだ。

「ちょうど今、キルシュルートの花が見頃みごろなんですよ。」

 レフィーナがにこやかに話しかけてきた。

「キルシュルートって名前なんですね。ステキ…。」

「はい。夏は青々とした葉をつけ、秋にはその葉が赤く紅葉こうようするんですよ。」

 ほんと、桜にそっくりだなぁと思った。

「間もなく、到着とうちゃくしますよ。」

 レフィーナの言葉で、私は外に出していた頭を馬車の中にひっこめる。

 車と違って、この馬車は止まる時に少しれるのだ。


 馬車から降りると、そこにはお城のような建物が立っていた。

 これはもう、邸宅ていたくと言うよりは宮殿きゅうでんだろう。

 3階建ての邸宅ていたくは、外観がいかんかがやくような白壁しらかべおおわれていて、出窓でまどは一つ一つこまやかな装飾そうしょくほどこされていた。シンメトリーと言うのだろうか、綺麗きれいな左右対称で、中央にはドーム状の屋根やねかざりがついている。

 写真やテレビでしか見たことの無かった、ヨーロッパの宮殿きゅうでんがまさにそこに建っていた。

「お…大きいのね、レフィーナのお宅って。」

 伯爵はくしゃくという地位についてはとんとうとい私だが、貴族なのだからおそらくは立派な建物に住んでいるんだろう…とは思っていた。しかしこの大きさは想像以上!

王城おうじょう侯爵こうしゃく様たちのお屋敷やしきに比べたらそうでもありませんわ。辺境へんきょう伯爵邸はくしゃくていとしては大きいほうだとは思うけど。」

 いやいや、比べる基準きじゅんがおかしいですから!

 内心、ツッこみたい気持ちでいっぱいだったが、グッとこらえた。


 当主とうしゅのオルデンブルク伯爵はくしゃくが所用のため不在ふざいとのことで、私はウィリアム執事長しつじちょうに連れられて先に部屋に案内された。

 部屋に入ると綺麗きれい装飾そうしょくほどこされたフワフワの絨毯じゅうたん、どっしりとしたテーブルにこれまた柔らかそうなソファーなど、様々な調度品ちょうどひんが目に入る。部屋の広さは40じょうほどだろうか。

 さらに奥には20じょうほどの広さの寝室しんしつがあり、その中央には天蓋てんがい付きのベッドが置かれていた。

 このベッドだけで、私の住んでいたアパートのワンルームはいっぱいいっぱいだろうな…と思った。

 格差かくさ社会の現実を突きつけられながらも、ここまで差がありすぎると他人事のように思えて、かえって落ち込まないから不思議だ。


「どうぞ、こちらの部屋をご自由にお使いくださいませ。何か御用ごようがございましたら、テーブルの上のベルを鳴らして下されば、メイドが参ります。のどかわいたさいのお飲み物、寒くなった時のカーディガンなど、遠慮えんりょなくお申し付けください。」

「ありがとうございます、ウィリアムさん。」

「それとれていたおし物は洗濯いたします。明日にはお持ちできるかと思います。」

「何から何まで、本当にすみません。」

 私はウィリアムに深々とお辞儀じぎをした。


 ソファーに横になると、これまでのつかれがどっと押し寄せてきた。

 もうどれくらい寝ていないだろう。えっと、死んだ日は朝5時に起きて、それから…あれ?神様の部屋に居た時間は寝ていない時間にカウントされるのかな?…などと考えているうちに私は深い眠りについてしまった。


「ゆめ…」

 うーん、まだ眠いよう…

「ゆーめ…」

 誰かが肩をさぶる。私は一人暮らしだから…あぁ、これはきっと学生時代の夢を見ているんだ…なつかしいな、おかあさん…

「私はお母さまではありませんよ?」

 その声をいて、私はガバッと上体を起こした。

「ど…こ?あ…」

 目の前にはレフィーナがいた。今の会話、夢なのか現実なのか…

「起こしてごめんなさいね、ユメ。」

「あ、ううん。私こそゴメンね。いつの間にか寝ちゃってた…」

「いい寝顔だったから、そのままにしてあげたかったのだけれど、ちょうど今、お父様がお帰りになったの。ご挨拶あいさつをお願いしてもいいかしら?」

「あ。うん、もちろん。」

 これからしばらくの間ご厄介やっかいになる予定なのだ。

 挨拶あいさつはしっかりしておかねば…

 少し乱れていた服と髪を整えてから、私はレフィーナに連れられて応接おうせつへと向かう。

「それにしても、ユメはまだまだお子様なのね。お母さんって寝言ねごとで言ってたわ。」

 レフィーナがクスクスと笑う。

 やっぱり声に出して言っていたようだ。恥ずかしさで穴があったら入りたいくらい。

「もぅ、からかわないでよ。…ゆっくり休めたからかな?久しぶりにお母さんを思い出しただけだから。」

 レフィーナは幼い割にはさとい子だ。

 今の私の言葉で、ユメは母親とは離別りべつもしくは死別しべつしていることをさっしたのだ。

「ごめんなさい、ユメ。私、その…茶化ちゃかすようなことを言ってしまって…。」

 そう言ってレフィーナは落ち込んだ。

「ううん、気にしないで。お母さんとお父さんが死んじゃったのは、もう随分ずいぶんと前のことだから。私も気持ちの整理せいりがついてるし。」

 さびしくないわけではない。

 でも、さすがに10年経って、自分も社会人になると、その現実をだいぶ受け止められるようになった。

 そんな私に精一杯せいいっぱいつぐなおうと、レフィーナが口を開く。

「ユメ、あのね。私たち出会って間もないし、私はユメのお母さんにはなれないけれど、姉と思っていいのよ?だから…その…遠慮えんりょなくたよって下さいね?」

 ん?

 私は小首こくびをかしげた。

「レフィーナ、ごめん。貴方あなたいま、何歳いくつかしら?」

「少し前に14歳になりましたわ。」

 ちょっと待てーい!

「あ、あはは。ゴメンね、レフィーナ。私16歳なんだ。お姉ちゃんは、私だね!」

 声にならない声を上げたレフィーナは、顔を真っ赤にして俯くしかなかった。

 (もちろん16歳というのは、神様が設定した今の年齢だよ?) 


 そんなやりとりをしているうちに、応接おうせつにたどり着く。

 先ほどの部屋も十分に豪奢ごうしゃだと思ったが、応接おうせつはその100倍は豪奢ごうしゃだった。

 金銀財宝できらびやか、というわけではない。

 緻密ちみつな装飾をほどこされた調度品ちょうどひん、天井のシャンデリア、何もかもが素人目しろうとめにも高級品だと分かる。そしてそれらが統一感とういつかんを持って調和ちょうわしているのだ。

 応接おうせつだから、おそらくは来客者に対しての見栄みえという物もあるのだろう。


 部屋の奥には30代後半くらいの男性と女性が座っており、私とレフィーナの姿を見るとソファから立ち上がった。

 男性はレフィーナと同じプラチナブロンドの髪、橙色だいだいいろの瞳。端正たんせいな顔立ちで、女性にモてそうだな、と思った。

 女性はスカイブルーの髪、レフィーナと同じエメラルドグリーンの瞳。オーラと言うのだろうか、気品きひんに満ちた相当な美人だ。

 一目で、レフィーナの両親と分かる。


「お父様、お母様、お帰りなさい!」

 そう言うが早いか、レフィーナが両親に駆け寄る。

「ただいま、レフィーナ!」

 父親が両腕りょううでを大きく広げ、ハグをした。

「ただいま、レフィーナ。お客様の前なのですから、もう少しおしとやかにしましょうね?」

 母親がさとすが、怒っている風ではなく、その顔は優しさに満ちていた。

 レフィーナは両親にとても愛されているんだろうな、と思った。

 そしてレフィーナとの挨拶あいさつを終えた二人は私の方を向いた。

「初めまして、お客人きゃくじん。私がオルデンブルク第16代当主とうしゅ、アルスベルド・オルデンブルク伯爵はくしゃく、レフィーナの父親です。そしてこちらが…」

「初めまして。アルスベルドの妻でレフィーナの母親のアリアナ・オルデンブルクです。どうぞゆっくりしていってくださいね。」

「は、初めましてっ!わ、私はゆ、ユメと申します。…」

 緊張きんちょうしすぎてんでしまった。顔から火が出る思いだ。


「ねぇ、お父様。ユメは記憶をくしてしまっているの。先生にてもらえないかしら?」

「おお、そうだったね、レフィーナ。ウィリアムから仔細しさいは聴いているよ。」

 先生と言うのが恐らく伯爵家はくしゃくけ専属医せんぞくいなのだろう。

「夕食まではまだ時間があるからね。先に先生のところで診てもらうといい。レフィーナ、案内してあげなさい。」

「はーい!お父様!」


 正直、この世界の文明水準ぶんめいすいじゅんでは、医療いりょうには不安がある…。前世の世界だって、中毒ちゅうどくを起こす水銀すいぎんが19世紀までは薬として重宝ちょうほうされてたって聞いたことがある。お薬として、何かとんでもない物を飲まされたらどうしよう…?

 加えて、どうしたものか。

 話の流れで私は記憶喪失きおくそうしつという事にしてしまったが、お医者さんにられると、このうそがバレるのではないか?

 万が一バレてしまったらどうしよう…

 医療いりょう技術もさることながら、私はこのことが一番不安だった。


――コンコン


 レフィーナがドアをノックする。

「はい。」

 部屋の中から透き通るような美しい女性の声が聴こえた。


――どうぞ、お入りください。

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