第112話 狂乱パンデミック
そんな館内の管制室にて、
しかし、仮想空間を解放したことで手の空いたマシュと鬼衆と合流しており、幾分か作業量は分散され、
糸魚川は眼にも止まらぬタイピングでコントロールパネルを操作して、戦場全体を
未だバトルドーム内で逃げそびれた怪我人がいれば、近くにゲートを展開して搬送の補助を行う。
同時に、戦況が決定的に傾かぬ様に常に目を見張らせて、危険だと感じれば戦力の分配を検討すると言った具合に、彼のやるべきことは膨大にある。
であるのに、そんな彼の仕事を増やしてしまう困ったちゃんがいた。
「ルキフグスさん……!! スマホの電源は入れておけとあれほど……ッ!!」
怒りのままにコントロールパネルに拳を振り下ろす。
しかし、思ったより痛かったのか、振り下ろした拳の痛みを堪えるように、静かに股で挟み隠す。
周りに隠す様に平静を装ってこそいるが、目尻には涙が浮かんでいた。
「超高速で動き回ってるからこっちからの干渉も追いつかないし……困ったわねぇホント」
あまりにアホで、しかし深刻な問題を前にマシュは頬に手を当てて溜息を吐く。
モニターには、
クラウスは彼女が辿り着く前に回収され、現在は治療中だ。
故に、彼女は全くの無駄足なのだが、それを伝える手段がない。
念話を繋ごうにも、モニター画面に辛うじて残像が映るほどの速度で動き回る彼女を捕捉することができず、繋げられない。
東京湾と一口に言ってもそれなりに広大であるため、ゲートを開いても気づかずに遥か遠くへ移動してしまう。
スマホに連絡を入れて知らせようにも、充電がなくなっているのか、電源を入れていないのかして繋がらない。
貴重な大戦力が目の前にいるというのに、指を咥えて見ていることしかできないというのが現状であった。
高速移動しながら瓦礫を
そんな時だった。
彼のポケットに入ったスマートフォンが振るえる。
発信者を見ると、
糸魚川は一度落ち着こうと考え、深くふか〜く深呼吸をする。
そして、更にもう一息吐いてから通話を繋いだ。
「こちら糸魚川です。いつまで道草食ってるつもりだ馬鹿野郎」
『だって、班長が弱ってる気配がしたのに突然気配が消えるし、どこにもいないんだもん』
落ち着いたとはいえ、一言文句を言わずにはいられなかったようだ。
「クラウス班長ならとっくに回収して現在は治療中です」
『……!! そっかぁ、良かった。無事だったんだね』
スマホの向こう側から安堵の息が聞こえて来る。
アホな行動をしていたものの、それほどクラウスが心配だったのだろう。
「それより、ルキフグスさんは早急にメインスタジアムへ戻って来てください。そこが、おそらく最終決戦の場となります」
糸魚川は戦場全体を
だからこそ、
その後、蘆屋道満が
そして、把握しているのはそれだけではない。
「ルキフグスさん、蘆屋道満と交戦に入ったら最初から全力を出してください。最悪、殺害しても構いません。政府からの許可は降りています」
蘆屋道満という規格外の脅威も正確に把握していた。
彼はずっと気になっていたのだ。
デリットが残した八神に関する研究データによれば、人間一人の魂では唯一神にも等しい
もし、そんなことをすれば普通は肉体が耐えられずに爆発する。
仮に肉体が耐えられたとしても、神という規格外の存在を肉体に降ろせば、魂が耐えられず人格は消滅し、その身に降ろした神こそが新たな人格として目覚める。
八神にしても、何故肉体が無事だったのか、ミカと魂を合一して安定化した今ならまだしも、それ以前はどうして魂が消滅しなかったのかは現在も不明だ。
しかし、彼女を生み出す過程で生まれた何千という検証結果が残っている以上、人間の肉体、魂では神という規格外の存在を受け止められないという事実は確かなものだろう。
だというのに、蘆屋道満は数多の神、妖怪、星霊、神獣といった数多の幻想種を喰らっているというのに肉体と魂が崩壊する様子は見られない。
彼の人格は取り込んだ数多の幻想種に押し潰されることなく、しっかりとその原型を保っている。
だから、糸魚川はこの謎を紐解く鍵が何処かにないかと、各地の戦闘をずっと観察し続けていたのだ。
そして、ウォルターと
「蘆屋道満はまだ本気を出していません。だから、彼が本気を出す前に決着を着けるんです」
それは、『数多の幻想種をその魂ごと
そして、彼の
計り知れない程の存在規模を獲得したからこそ、その力の全てを受け止めることができたのではないかという説だ。
ウォルターは紋章を喰らうことで魂を肥大化させていて、そのお陰で餓者髑髏の魂さえ滅却する呪術——
クー・フーリンという歴史上でも屈指の強靭な肉体を誇る大英雄の覚醒者だったからこそ、北欧の全神性を己が身に降ろすという降霊術の極地とも呼べる絶技を実現できた。
これと同じ現象を、比較するのもバカバカしい規模で行ったのが蘆屋道満なのではないかと
だとしたら、彼の力が八神らとの戦いでみせた程度のものとは到底考えられない。
最低レベルで完全解放されたルシファーと同等クラス。
もしかしたら、
『分かった。班長にご褒美よろしくって伝えておいてね』
その言葉を最後に通話は途切れ、モニターに映っていた彼女の姿が瞬きの間にメインスタジアムへ移動していた。
彼女にとっては数十キロメートルという距離も、東京湾、メインスタジアムを取り囲む結界さえもさしたる障害ではないようだ。
彼女が通り抜けた箇所の結界は、綺麗な太刀筋で切り崩されていた。
紋章高専トーナメント前大会優勝者であり、レート6最上位クラスの実力者である
本音を言えば、朝陽昇陽や
北海道オホーツク海を映しているはずのモニターに視線を移すと、そこには夕暮れの時刻にも関わらず数多の星々が
夜空に、ではない。
宇宙空間のように染め上げられた地上でだ。
この世全ての悪を
彼と朝陽の激闘は天地開闢にも等しく、数多の星々が瞬いては超新星爆発を想わせる爆発がモニターを真っ白に染め上げていた。
京都府嵐山も似たような状況だ。
朝陽も柳洞寺も世界最強クラスの強者ではあるが、それは相手側も同じであった。
それでも、二人は勝利を収めるだろう。
しかし、決戦の場には致命的に間に合わない。
だからこそ、頼みの綱はルキフグスらメインスタジアムにいるメンバー。
そして、策があると述べ、現在治療を施されている安倍晴明だけであった。
「……頼みます」
糸魚川は仲間達の勝利を静かに祈り、その命運を託した。
そんな時、コントロールルームの扉が開いて、特務課下部組織
その男は
だが、様子がおかしい。
糸魚川は下部組織の人間であろうと、一人一人の顔を覚えているが、彼の目にはあのようなスペードマークの紋章が浮かんでいただろうか?
「に、逃げて下さい!! 敵に乗っ取ら……ららり、……パラライカ★」
ガクガクっと痙攣した男は懐から拳銃を取り出して糸魚川に向けて容赦なく発砲する。
糸魚川は突然の事態に驚き、行動が一歩遅れてしまう。
魔力を集中させて防ごうにも、もう間に合わない。
だが、彼の身体を凶弾が貫くことはなかった。
「酷いことするわね」
この場にいたのは糸魚川だけではない。
男が入室してきた瞬間に事態を把握していたマシュは懐から取り出した絵筆で弾丸を弾いていた。
「
間断なく、マシュは絵筆から蒼色の絵具を撒き散らして男を蒼一色に染め上げる。
染め上げられた男は言葉もなく、静かに膝から崩れ落ちた。
男はそのまま床で静かな寝息を立てていた。
「誰かに身体を乗っ取られてた様子だったけど……、もしかしてこれも蘆屋道満の仕業?」
「いや、どうやら違うようだぞ」
突然の
そこには、避難民の内
襲われた人物は同じように身体を乗っ取られるのか、また別の人物を襲い始めては感染を広げてゆき、館内はパンデミックの様相を
そして、感染した彼らはみな、一様にこう叫んでいた。
——どうか、どうか♠︎
「なによこれ、まるで選挙活動をするゾンビね」
「冷静に言ってる場合か! 管制は僕が担当するから
あまりに馬鹿げた事態を前についギャグ思考に陥ってしまったマシュだったが、事態はそう甘くない。
蘆屋道満との決戦が近づいている今の状況で避ける人員はいない。
この場にいる人員だけで、館内にて無差別に増え続ける感染者を止めて、術者を倒さなければならないのだ。
「いや、高専生徒に加えて捜査班の人員、マシュに東城だっているはずだ。人員は足りてる。ならば、俺はここに残って館内人員の統制に努めるべきだ。お前は引き続き戦場全体の統制と蘆屋道満の分析を続けろ」
鬼衆はそう述べると、コントロールパネルを操作して東城へ指示を出し始める。
彼の考えの方が理に適っていると判断した糸魚川は“わかりました”と短く告げると、戦場全体の統制へと戻る。
「そちらは任せましたよ」
「ああ、任された」
「ええ、任せて」
マシュと鬼衆の二人は言葉短く応えて、それぞれの戦場へと繰り出した。
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