第110話 信念の喰らい合い


 天より降り注いだ暗黒の奔流は、北欧における全神性を宿す勇士を文字通り魂の髄まで焼き貫いた。


 大地が破砕され、もうもうと立ち込める砂埃が視界を遮る。

 しかし、元より視界ではなく魔力感知によって外界を観測している餓者髑髏にとってさしたる障害でもない。

 

 だからこそ、己が知覚機能が捉えるあり得ざる事実を一早く理解した。


「……バカな。……鬽神楽みかぐらは肉体だけでなく魂すら消滅させる呪術です。……生きているはずがありません」

「……そうだな。俺も初めて死を覚悟したぜ」


 もうもうと立ち込める砂埃が内側から払われる。

 そこには、身体の至る箇所に火傷を負い、血を流すウォルターの姿があった。

 その身は満身創痍であることに違いはないが、確かに生を繋いでいた。


「でもまぁ、なんとかなるもんだな」


 そう、力無く笑みを浮かべるウォルターの破れたアロハシャツからは、右肩から胸にかけて刻まれた真紅の紋章が覗いていた。

 それを見て餓者髑髏は気づいた。


「成程、紋章喰いクレストイーターである貴方だからこそ生き残れたという訳ですか」


 魔力感知によって外界を観測する餓者髑髏は、アロハシャツに隠れたウォルターの紋章画数を初めから把握していた。

 その数は二十四画。

 だが、その画数が今や六画にまで減少していたのだ。


「紋章には魂の一部が宿る。だからこそ、貴方は常人よりも魂の規模が大きく、生き残れたのですね」


 紋章武具が好例だろう。

 仮に紋章に元所有者の魂の一部が宿っていないのだとしたら、紋章が秘めるエネルギーの活用は可能でも、そこに宿る異能は発現できないはずだ。


 なぜなら、異能とは紋章ではなく、魂に宿るのだから。

 故に、紋章武具というものが成立している以上、それは紋章に魂の一部が宿っていることの裏付けに他ならない。


 これこそが、ウォルターが生き残れた理由である。

 紋章絶技で防いだ訳でもない。

 その身に自身の分を含めて八人分の魂を持ち合わせていたからこそ、己が魂の滅却を免れたのであった。

 

「細けぇことは知らねぇよ」


 ウォルターは真紅の魔槍を杖代わりにし、今にも崩れ落ちそうになる足を気合いで捩じ伏せる。


「ただ、俺の糧となった戦場の好敵手戦友共が俺を生かしてくれたことだけは理解できる」


 彼の眼には未だ闘志が燃え盛っていた。

 否、その眼に、その心に宿る炎は先よりも遥かな熱量をたぎらせていた。


「なら、その想いに応えなきゃ——」


 とはいえ、彼の身体は文字通り魂の髄まで焼き焦がされている。

 意識は明滅し、これまでに経験のない種の痛みが全身をむしばんでいた。

 

 それでも、彼は槍を握る。

 傷つけられた少女仲間の命を救う為。

 己が魂を護ってくれた、戦友に報いる為。


 ウォルター・ホーリーウッドはこの一刺に全霊を注ぎ込む。

 上空へ飛び上がり、真紅の魔槍を宙に放り投げると、サマーソルトキックの要領で魔槍の石突を全力で蹴り抜く。


「——男じゃねぇだろ!!」 

「ならば、その想い諸共に——」


 餓者髑髏も彼の全霊を真正面から捩じ伏せるべく、最大最強の呪術をもって迎え撃つ。


「——今度こそ虚無へと葬り去って差し上げましょう!!」


 餓者髑髏は両腕を前方に差し出し、合一させる。

 その形は次第に砲身を形造り、砲口には甲高い音を撒き散らしながら、超高密度な魔力が収束していく。

 

 そして、真紅の魔槍と暗黒の奔流は同時に放たれた。


——紋章絶技!! 抉り殺せゲイ・必滅の紅き牙ボルグ!!


——臨界呪法りんかいじゅほう:無骸むがい!!

 

 両雄の最大最強の一撃が激突する。

 万物万象を無に帰す奔流と全てを穿ち殺す紅き牙が莫大な衝撃波を撒き散らして互いを喰らい合う。

 

 その趨勢すうせいは、ウォルターに傾きつつあった。


「ワタシは……負ける訳にはいかないのです。貴方には分からないでしょう。ただ、あやかしであるというだけで逃げ隠れ、潜むしかない。……安住の地が何にも勝る宝と感じるワタシの気持ちなどッ」


 限界を遥かに越えた出力によって、餓者髑髏の両腕が構築する砲身にヒビが入っては新たな骨が補い、更なる強化が施されていく。


「ワタシはもう戦いたくなどないのです! これ以上ワタシの前に立ち塞がるな!! ……大人しく、倒れてくれ……」


 それは懇願こんがんだった。


 餓者髑髏に表情はない。

 肉のない身体に感情を出力する機能などあるはずがない。

 しかし、ウォルターには彼が涙ながらに平穏を望む姿が見えた。


 本当は戦いたくなどない。

 それでも、安住の地を得る為に戦う道を選んだ彼の悲壮な決意が見て取れた。

 

 だからこそ、彼は真正面から言い放つ。


「テメェの事情なんざ知ったこっちゃねぇよ。だけどな、争いをいとうお前みたいな優しい奴を戦場に駆り立てる野郎なんかと共にいる限り、テメェに安住なんてものは訪れねぇよ」


 その言葉を受けた餓者髑髏は、先までの冷静な彼を忘れさせる程の激昂げきこうを見せる。

 

「キサマが、キサマ如きが……!! 我が主人を知った風な口を聞くなァァァアアアアア!!!」


 そこは彼の逆鱗だった。

 敬愛せし主人を侮辱されることなどあってはならない。

 平静を装うことさえ許さぬ激情が、暗黒の奔流の激しさを爆発的に増幅させる。

 それによって、真紅の魔槍は次第に押され始める。

 

「ああ、知らねぇよ。だから、これはただ互いの信念の喰らい合いだ。そこにくだらねぇ事情を持ち込むんじゃねぇよッッ!!」


 ウォルターの肩部から二画分の紋章が消失する。

 途方もない魔力が彼の全身に漲ると同時、彼は再び宙へ舞う。

 そして、空を蹴り抜き、凄まじい速度で今もなお暗黒の奔流と競り合う己が槍の元へ向かう。


「平和を望むってんなら!! そう言って他人に牙を剥くってんなら!! その信念を持って俺を喰い殺してみせろッッ!!!!」


 暗黒の奔流と競り合う槍の石突へと、紋章二画分の魔力全てを注ぎ込んだ蹴りを叩き込んだ。

 

 その一撃が決定打となった。


 真紅の魔槍は石突を蹴り抜く己が主人と共に暗黒を斬り裂き、晴らしていく。


「グッ、ゥォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオアアアアアアアアアアアッッッ!!!!」


 負ける訳にはいかない。

 己が安住の地となってくれた主人へ報いる為に。

 己が平穏を護り抜く為に。

 たとえここで全てを出し尽くしてでも……

 己が存在全てをなげうってでも!!

 負ける訳には——


『それ以上は許さん。……もう十分や。ようやってくれた』


「あ……るじ……!!」


 己が最も敬愛する主人の声を最後に、餓者髑髏はその姿を消したのであった。



    ◇


 ここに八体の厄災が一つ。


 穏鬼崇敬おんきすうけい餓者髑髏がしゃどくろは消失した。

 

 残る厄災は、後二つ。

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