第98話 殺意なき闘争
「ほぉ、流石やな。儂のとっておきがもう二体も討たれてもうとるわ」
レート7クラスの手駒を二つも削られておきながら、
それどころか、その表情には厄災を相手に健闘する日本の防衛機構への純粋な賞賛すら浮かべられている。
「しかも、仮想空間の凍結まで解除されたかぁ。こっちに関しては想定外やわ。もうちょい時間掛かる思ってたんやけどなぁ」
それでも、彼は余裕を感じさせる。
厄災というレート7クラスの手駒を二体削られ、仮想空間の凍結も解除された。
状況は明らかに特務課側の優勢に傾いてきているはずだ。
しかし、それを踏まえて尚、彼は目的を遂行できると自分自身の実力を信じ抜いていた。
「なぁ、
全身に刻まれた裂傷から血を滴らせ、立っているのもやっとな
そんな彼を背に庇うように、二人の人物が立ち塞がっていた。
「ごめん、風早くん。遅くなった」
「八神……さん……」
吹き抜ける風によって
風早の胸中には、その誰よりも頼れる背中に安堵が湧き上がると同時、来て欲しくなかったという思いも迫り上がる。
彼女が己など未だ足下にも及ばぬほど強いことはよく知っている。
彼女がこれまで幾度も死地を潜り抜けてきたことも知っている。
だけど、そうではないのだ。
彼女は優れた紋章者である前に、一人の心優しき女性なのだ。
短い付き合いとはいえど、それでも共に水着選びをして、共に食事をした。
そんな彼のことを大事な友人だと思っていることは、彼の目から見ても明らかだった。
だからこそ、友達と戦わせるだなんて辛いことを愛しい女性に
「風早、心配するな。こいつは貴様が思うほど弱い女ではない」
そんな風早の心情を察したかのように、彼女と共に駆けつけた
風早は八神に淡い想いを抱くが故に、その実像を正確に測れていなかった。
彼女の強さを理解していながら、心のどこかで護ってやらなくてはいけないか弱い女性だという意識が芽生えていたのだ。
しかし、凍雲は知っている。
彼女は護られなければならないほど弱い人間ではないことを。
情に弱く、一度
「ルシファーが君を怪しいって言った時、信じたくはなかったよ」
「なるほど、途中まで順調やったのに最後の最後で警戒されてしもたのはそいつのせいか」
蘆屋道満の企ては順調だった。
数百年前から日本全土に素粒子レベルの式神を散布することで、計画に使える紋章を探した。
そうして見つけた
その後も順調だった。
ピエロなどというくだらない不確定要素も紛れたが、それすらも計画に取り込んだ。
ピエロが東京湾に巨大な怪物を潜ませるというバカをやらかして、危うく潜入していることに気づかれそうになった時は肝を冷やした。
彼が工作した仮想空間の凍結による特務課主力陣の足止めを利用しない手はないと考えていたからだ。
こんな所で捕まってもらうわけにはいかない。
そう考えた蘆屋は、必要でもない高専生徒の紋章に関するデータというトップクラスの機密情報を奪取した。
そうすることで、捜査の目を高専生徒の近くに潜む己へと引きつけて、司会進行を務める高専事務員として運営側に潜んでいたピエロから引き離したのだ。
その甲斐あって仮想空間は凍結し、特務課主力陣は足止めを喰らった。
己の正体に関しても、結局最後まで突き止められずに済んだ。
ルシファーという規格外中の規格外による忠告さえなければ。
「まぁ、バレた時には既に計画はほぼ完了してたからなんも問題はなかったんやけどな」
あっけらかんとした態度で話す彼にとって、事実何の支障もなかったのだろう。
少々計画は駆け足ぎみになってしまったが、その程度で綻びが生まれるほどやわな計画は立てていない。
「なぁ、裏切られて悔しいか? それとも悲しいか?」
蘆屋は伏目がちに言葉を投げかける。
「可愛い弟子を傷つけられて憎いか? それとも怒ってるか?」
その言葉に八神を煽る意図はない。
ただ純粋に、一時は交友を持った身としてその内に秘めた想いを聞いてみたかったのだ。
「……確かに風早くんを傷つけたことには怒ってるよ。でも、裏切られたとは思ってない。だから、悔しくも悲しくも、ましてや憎んでなんかいない」
「……へぇ、ずっと騙してたのに裏切ってへんと? あぁなるほど、ずっと信用されてなかったっちゅうことかな? 失敬失敬。うまく溶け込んでたと思ってたんやけどなぁ」
裏切られたとは思っていない。
八神のその言葉に蘆屋はヘラヘラとした笑みを浮かべる。
どうやら己が思うほど、彼女には上手く溶け込めていなかったようだ。
そう考えた蘆屋だったが、その言葉は他ならぬ彼女の言葉で否定される。
「ううん、君のことは信じてるよ。今までも、そして今この時も」
真っ直ぐと射抜く眼差しに嘘など微塵もない。
「だって、君。誰も殺してないじゃない」
八神の核心をつく言葉に、蘆屋は眼を見開く。
「千里眼で大体のことは把握してるよ。ルークも、風早くんも、
蘆屋の実力は彼らとは比べ物にもならないほどに隔絶している。
彼がその気であれば、誰も生きてはいないはずなのだ。
「それに、風早くんにプレゼントしたネックレスがその役目を果たさなかったのが何よりの証拠だよ」
「ネックレスやと?」
風早の首に提げられた月を象ったネックレス。
それは彼女が優勝祝いとして彼にプレゼントしたものであった。
だが、大事なのはそこではない。
そのネックレスには、彼女の手によってある術式が刻まれていたのだ。
「そのネックレスには装着者が死の危機に陥った時に発動する術式が刻んであったの。それが発動してないってことは、貴方に一切の殺意がなかったってことだよ」
それだけではない。
風早には重傷と言っても差し支えない傷こそ刻まれているが、まるで狙いすまされたかのように後遺症が残るような傷はついていなかった。
「……そんなもん殺す理由がなかっただけや」
「生かす理由はあったってことでしょう? 君が何を考えているのかは分からないけど、私は信じるよ。蘆屋道満であると同時に、私たちの知る
混じり気のない暖かな信頼の情を向けられる蘆屋は、その想いを拒絶する様に視線を外す。
「師弟揃って勝手な奴らや。お前らの知ってる芦屋道永なんていう奴は、ただの幻想でしかあらへん言うのにな」
「……なら、どうしてあの時、……名残惜しそうな顔をしたの?」
風早から告げられた言葉に、今度こそ蘆屋は言葉を失う。
彼が正体を現す時、彼はまるで風早たちと過ごす楽しい時間を名残惜しむような表情を浮かべた。
雨戸の意識が奪われ、風早が満身創痍の身体を押して気力だけで立ち上がった時にも同様の表情を見せた。
何よりも、圧倒的に実力が離れた風早がここまで時間を稼げたことこそがその証明だ。
蘆屋が無意識に抱いていた、親友との最後の時間を惜しむ気持ちがここまで戦いを長引かせたのだ。
「野望を……、成し遂げたい気持ちは、ハァ……確かに……本物なんだと思う。だけど、僕たちの青春を、名残惜しむ……気持ちだって……確かに本物だったんじゃないの?」
「…………」
息も絶え絶えに紡がれる親友の言葉に、蘆屋は沈黙でしか返せない。
「芦屋くん、私たちは貴方を敵だとは思えない。だからこそ、憎しみや怒りでなんて戦わない」
背から伸びるは仄かに発光する六対十二枚の白翼。
そして、神々しく光り輝く光輪に重なるように、地獄そのものを象徴するような禍々しき獄炎の光輪を顕現させる。
左眼は清廉な天の神性を象徴する黄金の瞳。
右眼は邪悪な魔の神性を象徴する真紅の瞳へと変化する。
そして、右手にはルシフェルがかつて愛用した星の光が形を成した聖剣、
左手にはルシファーがかつて愛用した星の影がその形を成した魔剣、
失われた紋章の半分を取り戻し、ルシファーを従えたことで覚醒した力を
「友人として、親愛をもって君を止めてみせるよ」
真っ直ぐと己を見据える彼女に、蘆屋は越えるべき宿敵の姿を幻視する。
(何でやろな。あいつとは似ても似つかんはずやのに、何でか重ねてまうのは……)
しかし、その答えはすぐに出た。
(ああ、そうや。どっちも眩しいんや。どこまでも真っ直ぐ前を見て、世の中の闇を知っていながら、それでも尚、人の善性を信じ抜く姿が……儂には眩しすぎるんや)
だからこそ、彼女らの周りには多くの人が集う。
彼女らが放つ光に集まるかのように。
その
それは、八神も、そして越えるべきあいつも同じであった。
(英雄の素質ってやつなんやろうな。儂には一生掛けても手に入れられん尊いもんや)
「ええ師匠を持ったな。風早」
「当然だよ。八神さんは、僕の最高の師匠だからね」
問答はそこまでだった。
蘆屋はその身にドス黒い魔力を迸らせる。
指先で呪符を挟み、構える。
「
蘆屋は
ドス黒い怨念が形取るは、指の一本一本が刀のように鋭利で、前腕部からは一振りの光も映さぬ黒刀が生えた手甲。
刹那の内に神を素材とした武装を作り上げた蘆屋は、眼にも止まらぬ速度で攻撃を繰り出す。
星の光が形を成した光り輝く聖剣と星の影が形を成した黒き魔剣を交差した一撃が蘆屋のドス黒い手甲による一撃と激突する。
「凍雲!」
「分かってる」
二人の間にそれ以上の会話は必要なかった。
凍雲は彼女の意図を察して、風早を始めとした高専生徒たちを安全な場所へと退避させ、凍結した空間で安全圏を構築する。
その様子を気配だけで察した八神は、鍔迫り合う蘆屋を力任せに弾き飛ばし、大魔術を行使する。
「侵食領域展開:
世界が、彼女の色に染め上げられる。
夕焼けに燃えていた大空は黄金に輝く。
雲間から差し込む薄明光線が、緑豊かな幻想郷を照らし出す。
色とりどりの草花が地を彩り、清らかな川のせせらぎが心を落ち着かせる。
されど、その内に込められた術式は凶悪だ。
侵食領域に引きずり込まれたが最後。
術者の攻撃は必中となり、領域内部の環境効果が術者の味方をする。
文字通り、世界そのものが敵となるのだ。
「紋章絶技……、やないな。紋章を喪失してるようには見えん。莫大な魔力量と緻密な操作技術による偽りの侵食領域か」
「正解。と言っても、本来の力を取り戻した今となっては本物の侵食領域となんら差異はないけどね」
紋章が六画の頃は、過程の省略程度しかできない半端なものだった。
しかし、十二画の紋章を取り戻した今ならば、紋章を消費せずとも正真正銘、本物と同一効果の侵食領域を発動できる。
「何の代償もなしに世界を塗り替える絶技をぽんぽんとまぁ気軽にやってくれるで。これは儂も手加減してる場合じゃないかな?」
常人には不可能な絶技を目の当たりにした蘆屋は楽しげに笑う。
そんな彼の顔面に音速など遥かに越える速度で何かが飛来する。
「おっと。殺意たっか」
飛来した何かは氷の槍だった。
莫大な冷気を噴出することで音速を越えた槍だったが、蘆屋はいとも容易く受け止めてみせた。
「当然だ。
この幻想領域にいるのは八神と蘆屋だけではない。
彼女の頼れる相棒もまた、この世界に招かれていた。
「だからこそ、二人で戦うぞ」
八神に背を預けるように、凍雲は氷の槍を蘆屋へと向ける。
「うん! 足引っ張らないでよね、相棒!!」
八神もそれに応えて、互いに背を預ける形で蘆屋へと剣先を向ける。
「ええで、二人まとめて捻り潰したるからかかってきぃ」
雲間から薄明光線が差し込む、黄金に輝く幻想郷を舞台に、神をも喰らいし陰陽師と特務課第五班最強バディの激闘が幕を開ける。
◇
雨戸梨花を起点とした呪術が発動するまで——
——残り十五分。
______________________
【補足1】八神が侵食領域をノーリスクで扱える理由
今回八神が紋章消費なしに侵食領域を発動しましたが、普通はできません。
たとえ、他者の紋章を喰らって十二画の紋章を得ても、魔力の貯蔵量が増えるだけで、放出するための蛇口の大きさは同じであるため不可能です。
元々十二画の紋章者で、蛇口も馬鹿げた大きさだった八神だからこそできた芸当です。
【補足2】蘆屋道満の計略について
登場人物全員が蘆屋道満によって騙されていました。
まず、蘆屋道満は芦屋道永として普通に入学して紋章高専に潜入していました。
勿論、この時から雨戸の紋章に目をつけてのこと。
彼は数百年前から日本全土に素粒子レベルの式神を大量に散布しており、これによって計画に使えそうな紋章を探していました。
散布した式神は、
その気になれば内側から呪殺することも容易。
おそらく初見で抵抗できるのは朝陽と天羽、ソロモン、高槻厳、八神(と言うよりはルシファー)くらい。
東京湾に沈んでいた巨大生物は、蘆屋道満ではなく、ピエロによるもの。
特務課達は七夜覇闘祭に潜んでいるものが一人だと思い込んでいた為、これをピエロではなく蘆屋道満によるものと勘違いしてしまう。
しかし、勘違いしながらも、ドンドンと七夜覇闘祭に潜むピエロの存在に近づきつつあった為、蘆屋道満はある策を講じる。
それこそが高専生徒の機密情報奪取。
紋章高専生徒の機密情報を盗んだのは七夜覇闘祭に潜んだピエロの存在を気づかせないように、自身に注意を引きつけるため。
これによって、運営スタッフに紛れていたピエロは隠れ、生徒に紛れていた蘆屋道満にミスディレクションされる。
→ピエロを護る行動は、彼の計画を察して利用しようと考えた為。
これによってルキフグスや厳を代表とした大戦力の封印に成功する。
ソロモンを撃破したのも蘆屋道満。
ネタバレになるので詳しくは言えないが、彼は全ての紋章者にとって天敵と言える存在である為、先に潰した。
ソロモンはその実力は確かであるが、高専生徒であったこと、八神から聞いていた彼女の新しく出来た友人であったことで油断し、その上蘆屋道満の体術は朝陽らと同等の規格外のものであった為、即座に気絶させられて封印された。
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