第97話 憤怒の業火

 


冥劫紅蓮めいごうぐれん!!」


 げんの拳が巨大な溶岩となって八岐大蛇やまたのおろちへ迫る。

 対する八岐大蛇は、あでやかな笑みを浮かべて、言葉ことのはを紡ぐ。


八災禍勾玉やさかにのまがたま

 

 彼女の周囲に八種の勾玉が現出する。

 緑、黄、赤、紫、褐色、青、白、黒。

 それぞれ直径五〇センチメートル台の大きさはある八色の勾玉が彼女の周囲を流転する。

 

水禍すいか大瀑布だいばくふ


 八岐大蛇のあでやかな声音こわねと共に青色の勾玉が輝きを放ち、莫大な水の奔流が解き放たれる。

 大質量の水流と溶岩の拳は衝突と共に大規模な水蒸気爆発を巻き起こした。

 

 衝撃波はメインスタジアム全体に響き渡り、周囲を取り囲む結界を不気味に揺らす。

 発生した大量の水蒸気は辺りを白く染め上げ、ムシッとした湿気が辺りを包み込んだ。


 その中心点で、再度凄まじい衝撃波が発生して水蒸気は即座に霧散する。

 衝突点では、八岐大蛇の翡翠ひすいの剣と厳の拳がぶつかり、競り合っていた。


「ふふ、手数が少ないって不便ねぇ」


 八岐大蛇は競り合いながらも褐色、緑の勾玉を輝かせて、至近距離から凄まじい暴風と土砂の大蛇を解き放つ。


「手数など、儂には縁遠い概念じゃな」


——大噴火。


「なんせ、極大の一撃があれば手数の差など容易に覆せるからのう」


 大地が爆散する。

 足元から噴き出した莫大なマグマの奔流は二頭の大蛇を瞬く間に灰塵へと帰し、流動体故に無効化できる自分自身を諸共に八岐大蛇を焼き尽くす。


「ひぎゃあああああアハハハハハハハハアハハハハハハハハハハハハハ!!!!!」


 八岐大蛇は灼熱の溶岩に焼き焦がされた側から再生を繰り返す。

 その身には絶え間ない激痛が襲いかかっているだろうに、彼女は狂ったように笑い声を上げていた。


「いいわ、いいわぁ! 最っ高よあなたぁ!! もっともっともっと愉しみましょう!!」


 彼女は狂っている訳ではない。

 愛すべき人間とたわむれられることが、愛しき人間から愛される痛みを受けることが純粋に嬉しいのだ。

 

「儂は楽しむつもりなど毛頭ない! 娘を傷つけた貴様は塵一つ残さず焼き尽くしてくれる!!!!」


 絶え間なく噴き出す溶岩。

 ひび割れ、不安定な足場の中。

 無限の死と再生を繰り返す八岐大蛇は、全身余す所なく襲い続ける激痛など意に介さず、翡翠の剣を上段に構える。


八禍ノ咎はっかのとがめ


 暴風、豪雷、火炎、毒霧、土石流、大瀑布、閃光、重力場、八つの災いを一つに纏めた災禍の剣が振り下ろされる。


「これは不味い……!!」


 翡翠の剣に込められた莫大なエネルギーを前に、受けることは悪手と断じた厳はマグマとなり地中深くへ瞬時に退避する。


 直後、振り下ろされた翡翠の剣からは一つに纏められた八つの災禍が解き放たれる。

 それは最早暴風だの、豪雷だのといった天災に留まらぬ暴威。


 神の災いは黒き奔流となり、地上に噴き出すマグマの尽くを消し去る。

 否。

 メインスタジアムを囲い込む結界内の地表全てを余さず消滅させた。

 

 後に残るは、天羽あもうによって築かれた光輝く樹木によるシェルターのみ。

 それ以外の全て、瓦礫はもちろん、大気さえもが余さず消滅してしまった。



    ◇



「これは想定以上だね。私の光樹こうじゅによるシールドを五層も消滅させるとは」


 天羽あもうは身の丈程もある十字架を思わせるロングソードを地面に突き刺し、もたれかかるように立ちながら冷や汗を流していた。

 彼女が築いた光樹こうじゅによるシェルターは全八層。

 一層でさえ、ルキフグスの勝利を齎す聖光の剣エクスカリバー・臨界励起オーバーロードを防ぎきる程の防御力を誇る。

 それを五層も消滅させるなど、並大抵の破壊力ではない。

 

「でも、厳さんなら問題ないよね」

 

 その眼に宿るは確かな信頼。

 敵は自身の最大防御である光樹のシェルターをたった一撃で五層も破壊する災禍の神。

 けれど、厳は負けない。

 天羽はそう、確信していた。


「だって、娘を傷つけられて過去最高にブチ切れてる厳さんなんて私でも相手にしたくないしね」



   ◇



「あらあら、あの技を受けて残るなんて、あっちのシェルターを作ってる子も気になるわねぇ」


 八岐大蛇は更地と化したメインスタジアムにて、未だ残るシェルターに興味を引かれていた。

 

「でぇも、今はまだ遊び相手がいるし、後のお楽しみに取っておきましょうか」


 品を感じさせる笑みを浮かべ、無造作に背後へと翡翠の剣を振るう。

 しかし、


「あら? フェイク?」


 背後にて斬り裂いたのは、マグマで作られた分身でしかなかった。


「まだ地下に潜ってるのかしら? それならそれでぇ、こうしちゃえ!」

 

 八岐大蛇は翡翠の剣を地に突き刺し、同時に周囲を流転する褐色と白の勾玉を輝かせる。


大地開闢だいちかいびゃく地天奉昇ちてんほうしょう


 地に刺さる翡翠の剣を起点に、メインスタジアムの地表全体に激震が走る。

 無論、その衝撃は地表だけではなく、地下数千メートルにまで轟いていた。

 そして、それだけでは終わらない。

 

 ひび割れた地表から天へと光の粒子が噴出し、大空を漂う浮雲を蜂の巣にする。

 地表から地下数千メートルに至るまで余すことなく光の奔流が荒れ狂い、その余剰エネルギーが地表の裂け目から漏れ出し、天高く舞い出したのだ。


「死んじゃったかしら? 万が一空にいてもいいように上空へも同時攻撃したけどぉ、不要だったみたいねぇ」


 八岐大蛇にはピット器官が備わっている。

 それは熱源を探知するため、蛇類には皆備わっているものだ。

 彼女のそれは通常の蛇類よりもはるかに鋭敏であり、たとえ地下に溶岩が満ちていようとも正確に生体体温を感じ取れる

 それによって熱源を探るも、地下にも空にも反応はなし。


「あ〜あぁ、もう少し愉しめると思ったのに期待外れだったわねぇ」


 八岐大蛇はクルクルと翡翠の剣を回してつまらなさそうな表情を浮かべる。


「まぁいいわぁ、デザートにはちょっと早いけど、頂いちゃおうかしらぁ」


 チロっと先の割れた舌を出して、彼女の縦に割れた瞳孔は光輝くシェルターを捉える。

 だが、その時だった。

 突如、彼女のピット器官が遥か上空に熱源を探知する。


「何かしら? 高度一万、……いや、もっと上? これって……宇宙空間?」


 彼女の優れた熱源探知能力でさえ、その正確な距離を推し量ることは難しかった。

 しかし、段々とその全容が明らかとなる。

 それは彼女の探知能力が研ぎ澄まされていっているからではない。


「近づい、てる?」


 衛星軌道上に探知できた熱源は次第にその距離を詰めてきていた。

 三〇万メートル、二〇万メートル、一〇万メートルと、次第に距離が近づいてくる。

 そして、高度五万メートルをきったところでその全容が明らかとなった。


「あ、あは、アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!! なにそれなにそれなにそれ!! 人間技じゃないわぁ! 一体どうやって宇宙空間まで行ったのかしら!? ううん、どうしてそこまで己が魂を燃やせるのかしらぁ!!?」


 衛星軌道上から落下してくるものの正体。

 それは巨大な溶岩の塊であった。

 溶岩塊は隕石が如く、地球の引力を味方につけて凄まじい速度で迫り来る。


 当然、その正体は厳だ。

 地下を溶岩で溶かして潜った厳は糸魚川いといがわに連絡を取り、方舟はこぶね内に移動していた。

 そして、その後方舟のゲートを介して衛星軌道上へと移動し、そのまま地表目掛けて落下を開始したのだ。


 だが、八岐大蛇が驚愕したのはそこではない。

 彼女の眼は魂の揺らぎを見ることができる。

 その眼で見えた高槻厳という男の魂は——


 ——人のものから逸脱していた。

 

 まるで荒御魂のように激しく燃え盛り、天災そのものかのような魂の揺らぎはマグマを噴き出す活火山そのものであった。


 厳の怒りは天羽の想像を遥かに越えていたのだ。

 彼は、八岐大蛇という存在をこの世に一片も残すつもりはなかった。


 幸いにもメインスタジアムは結界で覆われている。

 シェルターも天羽の護りならば、辛うじて耐えられるだろう。


 故に、加減をする必要はない。

 怒りのままに、究極の一撃を持って敵を滅することができる。


 愛すべき部下を傷つけた報いを受けさせるため。

 この世で最も大切な愛娘に涙を流させた愚か者を誅殺ちゅうさつするため。


 高槻厳たかつきげんは神をも殺す天災憤怒となる。


「アッハアハハハハ!! アハハハアハハアハハハハハハハハハハハハアハハハハハハ!!!!」


 最早言葉をつくろう余裕もないほど、八岐大蛇の胸中は歓喜で満たされていた。


 建速須佐之男命タケハヤスサノオノミコトとの戦いは実に楽しかった。

 人間では到達しえぬ究極の剣技は実に味わい深かった。

 

 蘆屋道満あしやどうまんとの戦争は実に楽しかった。

 多彩な術技、鍛え上げられた肉体、戦闘技巧、その全てが人類の領域を遥かに超越し、神々さえ蹂躙した様は絶頂を覚えた。


 高槻厳の激情は、それらに並ぶほど彼女を喜ばせた。


 只人ただびとがどうして、神をも討ち滅ぼす天災となることができるのか。

 玩具を傷つけられた程度でどうして、そこまで怒りを覚えることができるのか。

 

 八岐大蛇にとって、それは全て未知であった。 

 未知であるからこそ、高揚した。


「ああ、だから私は人間あなたたちが大好きなのよ」


 人は未知を恐れる生き物だ。


 神は未知を支配する生き物だ。


 神獣は未知をたのしむ生き物だ。


 だからこそ、神獣たる彼女は未知なる感情を、それによって引き起こされた神をも殺す大災害を心ゆくまで堪能すべく、愉しげに頬を歪め、翡翠の剣を構える。


「さぁ、貴方の未知を、貴方の怒りを、貴方の誇りを——」


 剣に纏うは暴風、豪雷、火炎、毒霧、土石流、大瀑布、閃光、重力場、八つの災禍。

 それらが翡翠の剣を取り巻くように流転し、合一していく。

 やがて、八つの災禍は合一して目視不可能の極黒となった。

 彼女の背では、輪状に展開された八つの勾玉が臨界点を迎え、極光を放つ。


「——私に教えてちょうだい!!」


——八禍ノ壊劫はっかのえごう


 それは、先の一撃が児戯じぎに思える極黒。

 世界を黒に塗り潰すかのような神罰が、衛星軌道上より飛来した憤怒の溶岩隕石と激突する。


 莫大な光に遅れて、物理的な衝撃さえも伴った轟音が響き渡る。


 衝突によって生じた衝撃波が、メインスタジアムを囲む結界にヒビをいれる。


 極黒の奔流と灼熱の熱波が荒れ狂い、メインスタジアムを蹂躙する。


(嗚呼、これが怒り。これが、……誰かを心の底から想うが故の感情なのね)

 

 両者の全霊は刹那の拮抗を経て、その結末を決定づけた。

 あまねく世界を消し去る神罰は、愛娘を想う父の怒りに焼き尽くされた。

 只人ただびとの怒りに敗北した神罰はつゆと消え、未知を楽しむ神獣は悦楽のままに溶岩塊に飲み込まれた。

 

 衝撃で地殻は崩壊し、大気は尽くが焼失した。

 メインスタジアムを余すことなく溶岩の奔流が舐めつくしてゆく。

 二人の衝突の余波を受けた天羽の光樹は十層に増やしたシェルターが八層目まで破壊されるも、辛うじて持ち堪えることができていた。


「ふ、ふふふ」


 それでもまだ、八岐大蛇は生きていた。

 全身が黒焦げた彼女は力なく、その身を地に横たえていた。

 再生限界まで焼き尽くされたその身体が再生する様子はない。


 既に命脈は尽き果てている。

 こうして生が続いているのは、どうしても伝えなければならないことがあるという、彼女の強靭な意志が生死のことわりさえも超克してみせたからだ。

 とはいえ、それでも彼女の息は持って数十秒と言ったところだろう。

 

「まだ生きとるか」

「ええ、あなたに……、最後に伝えたいことが、あったもの」


 八岐大蛇は焼け焦げた皮膚を動かし、最後の表情を浮かべる。


「私と遊んでくれて、ありがとうねぇ」


 最後まで愉しむことを忘れなかった彼女は最後に子供のように屈託のない満面の笑みを浮かべると、灰となり崩れ去った。


「最後の最後まで遊び気分とはな。まったく、勝った気がせんわい」


 厳は灰となって崩れ去った八岐大蛇の遺骸を溶岩で跡形もなく焼き尽くした。

 しかし、それは怒りによるものではない。

 最後まで神としての在り方を貫き通した彼女への敬意を込めた、彼なりの弔いの焔であった。


「地獄で存分に愉しむが良い。幼き神よ」



   ◇



 ここに八体の厄災が一つ。


 八禍享楽はっかきょうらくの八岐大蛇は破られた。

 

 残る厄災は、後六つ。

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