第84話 見えざる者


 極寒の吹雪。

 三〇センチメートル前も見えないような猛吹雪の中、凍雲いてぐもとアキラの二人は激突していた。


 そして、彼らの激闘によって発生した音で第三者に居場所がバレないように、消音や認識阻害の結界を張りながらゆっくりホットココアをたしなんでいる太々ふてぶてしいやからこそ、我らが主人公八神紫姫やがみしきである。


「これでもお仕事してまーす」


 紋章術で創り出した灯油ストーブの上でお餅を焼きながら、誰にいうでもなくお仕事中アピールをする。


 と言っても、仕事中なのは本当だ。

 当初こそ、適当に結界だけ張って後は凍雲に任せ、さっさとゴブレットを納めに行こうと考えていた。

 しかし、


「まさか、あの距離で気付かれるなんてねぇ。……はふ、はふ」


 焼き上がった熱々のお餅をきな粉で頂きながらぼやく。

 こう見えて、現在八神は凍雲の援護をしながら第三者とも交戦中なのだ。


 消音、認識阻害の結界を張っていたというのに、それを看破して正確に狙撃される未来が見えた。

 故に、下手人である第一班代表チームに先制して落雷の雨をお見舞いしてやったのだ。


 現在はそれに加えて、八体の分身体を構築して足止めに向かわせ、その指揮をミカに任せている。

 ミカならばなんの問題もないという確信はあるが、それはそれとして向こうの様子が気になった八神は念話で話しかける。


「どう? そっちは」


 八神が念話で話かけると、すぐに返事が返ってきた。


(ややこちらが優勢といったところでしょうか。しかし、久貝くがいさんは近づいても肉弾戦で距離を離されて射抜かれますし、北原さんは私たちと致命的に相性が悪いです)


 優勢にしては分が悪いように聞こえるが、と思うも、それよりも気になったことがある。


「相性?」


(ええ。彼女の紋章は動物格幻想種:フェンリルの紋章でしょう? フェンリルは神々にさえも恐れられた怪物。北欧神話では主神オーディンすら殺した神殺しの獣です)


「それがどうかしたの?」


(伝承による事実とはそれだけで力を持つのです。故に、彼女は神、ひいては神性への特攻性能を有しているというわけです)


 例えば、色々な意味で大人気な戦国大名アイドル?、織田信長。

 彼なら仏教を弾圧したことから、仏教系神話体系への特攻。

 さらに、武田の騎馬兵団を種子島火縄銃で蹂躙したことから騎兵特攻さえあわせ持つ。


 このように、偉人格は伝承・史実に語られたことが力を持ち、特攻となる場合があるのだ。


 とはいえ、動物格には本来、食物連鎖による特攻は存在しても、偉人格のような伝承や史実による特攻は存在しない。

 当然だ、動物が語られることなど稀だからだ。


 しかし、その稀な事例こそが幻想種だ。

 神話、伝承に語られる幻想種には偉人格と同様に、伝承による特攻が存在するのだ。


「つまり、ルシフェルの紋章者で神性を持つ私たちにとっては天敵ってこと?」


(ええ、既に二体ほど分身が一撃で葬られています)


「ヒェ、……増員しようか?」


 自身の本来の強さには及ばずも、少なくとも高専生徒をまとめて相手にできるほどには強い分身を二体も削られている。

 それも一撃で。


 その事実に思わず、短い悲鳴を漏らした八神は増員を申し出るが、ミカはその申し出を不要と断じた。


(それには及びません。今はルシファーが暇潰しと称して彼女の相手をしてくれていますから)


 精神世界から八神やミカの奮闘をさかなにワインを傾ける事に飽きたルシファーは、いつの間にか分身の一つを依代よりしろに降臨していたのだった。


「まぁ、それなら大丈夫か。仮想空間だから死んでも問題ないし」

 

 勿論、この場合死ぬのは北原の方だ。

 いくら神性特攻を持っていようが、格が違い過ぎる。

 十中八九ルシファーに軍配が挙がるだろうが、あくまで仮想空間におけるゲームのようなものなのだから問題はない。

 

(ええ、ですからこちらの方は任せて頂いても大丈夫です。今のうちにゴブレットを納めに行っても良いのではないですか?)


「……いや、何か嫌な予感がするからとりあえずアキラを確実に倒してからにするよ」


(良からぬ未来でも見えましたか?)


「いや、そういうんじゃない。そもそも、例の人物のせいで、この仮想空間内の出来事しか未来視できないしね。だから、これは私のただの直感」


 ただの直感とはいえバカにはできない。

 無念無想の境地へ至り、常に研ぎ澄まされているその直感はもう一つの未来視を可能とするほどだ。


(そうですか。では、こちらも手早く終わらせてしまいましょうか)


「うん。でも油断しないでね。第一班は最強の部隊。何を隠してるか分からないからね」


(ええ、気をつけます)


 八神は念話を切ると、ホットココアを一飲みしてほっこりする。

 一先ひとまず、第一班の対処は問題ない。

 強力な相手ではあるけど、ルシファーが負けるところなど想像できない。

 依代よりしろが分身体故に、耐久力が足りず、実力のほんの一部しか出せないとはいえ、勝利は確実だろう。

 だから、まずは目の前の敵に専念する。



    ◇

 


 猛吹雪によって降り積もった雪上をアキラは駆け抜ける。

 彼女の身体には今もなお、数百倍の重力が掛かり続けている。

 しかし、そうとは感じさせない軽やかな動きで凍雲の氷の銃撃をかわし続ける。


(凄まじい身体能力だな。一体どれだけの人間を喰らえばこれだけの強さを得るというのか)


 偉人格幻想種:酒呑童子しゅてんどうじの紋章。

 そのさいたる特徴は、人間を喰らえば喰らうほど強くなるという特性。

 幼少期を戦場で過ごし、幼く弱い彼女がまともな食料を得ることはできなかった。

 それ故に、戦場の死体を喰らって生きながらえた。

 そうして得た力に義憤ぎふんつのらせ、自然と氷の拳銃を握る両手に力が入る。

 

 もし、彼女の幼い頃に出逢えていたら、と思わずにはいられない。

 歳のあまり変わらない彼女。

 当時はまだ凍雲も少年で、できることなどないに等しいだろう。

 それでも、彼女の助けとなる何かが出来たのではないか、と思わずにはいられない。


「余計なこと考えてますね? 隙だらけです」


 思考の隙。

 一秒にも満たない隙を彼女は見逃さなかった。

 その手に持つ大刀が凍雲の首に迫る。


(しまっ——!!)


「ごめんね。その未来は見えてるんだ」


 光の障壁が大刀を遮る。

 きな粉餅を頬張りながらも未来を見ていた八神が、最適なタイミングで障壁を作り出したのだ。


「なら、これはどう?」


 硬質な音を辺りに響かせて弾かれた彼女は、その力に逆らわず一回転すると逆側から遠心力を乗せた一撃を加える。


 しかし、その一撃は凍雲の身体に触れた途端ピタッと停止してしまう。


「——ッ!?」


 何が起こったのかは理解できない。

 しかし、次に反撃がくることが容易に察しがついたアキラはあえて懐に飛び込んだ。


「…………」


 凍雲は戦闘中に余計な思考を挟んでしまった己に内心で舌を打ちつつ、先程凍結させた大刀の運動エネルギーの一部分のみを解凍することで、指向性を持った衝撃波を解き放つ。

 

 指向性地雷にも等しい破壊の奔流。

 それを至近距離で浴びながらもアキラはその流れに逆らい、凍雲に拳を叩き込む。


 しかし、


「先の非礼を詫びる。今は余計なことを考えることはよそう」


 ノーモーションで拳の運動エネルギーを凍結させて無効化した凍雲は、右手に持つ氷の銃でアキラの眉間を撃ち抜いた。


 凄まじい威力の弾丸を眉間に受けたアキラは

背後に仰反のけぞる。

 この程度の威力では酒呑童子の強靭きょうじんな皮膚は貫けない。

 反撃など気にせず、もう一度攻撃を加えようと身体を動かす。

 しかし、まるで空間に縫い止められたように身動き一つ取れなかった。


「——ッ!?」


 全身を空間凍結されてしまったのだ。

 そして、次の攻撃は既に彼女の真後ろに迫っていた。


闇を照らす魁となれ、明星の剣フォスフォロス!!」


 光の剣を携えた八神がすれ違い様に一閃。

 さしもの鬼の強靭な身体といえど耐えきれず、背中を斬り裂かれたアキラは雪上に倒れる。


 白雪を紅く染める彼女に、八神は油断なく剣を刺してトドメを刺す。


 その直前に、八神はテレパシーで彼女に話しかけた。

 不自然さがあってはいけない。

 故に、言葉は簡潔に。


——天羽あもう班長に伝えて。油断しないでって。


 その言葉にアキラは反応を返さない。

 わざわざテレパシーで伝えたのだ。

 誰にも知られる訳にはいかないのだろうと察してのことだ。

 どのみち、自身はここで敗退なのだ。

 その程度のお使いは果たそう、と瞳を閉じた。


 光の粒子となって消え去ったアキラに背を向け、ゴブレットを納めに行こうとする八神の耳元で低い囁きがあった。


「先の手助けは貴様の体たらくでチャラにしてやる」

「ひゃっ! もう! 耳元で囁かないでよ、くすぐったいなぁ。っていうか体たらくってなんのこと?」


 急に耳元で囁かれてくすぐったくなった八神は可愛らしい悲鳴を挙げて耳を抑える。


「俺が気づいていないとでも思ったのか? 結界で氷塵ひょうじんを遮っていようと、貴様が餅をむさぼってサボっていたことは筒抜けだ」

 

 吹雪の中だろうと、彼は宙を舞う氷塵一つ一つがセンサーの役割を果たしている為、内部のあらゆる事象を察知することができる。

 それが、結界で遮っていようとも、温度変化や音の変化で結界内部の様子を精密に逆算することも彼ならば容易なことだ。


 故に、ヒトが戦っているというのに呑気に餅を食ってサボっていた彼女に絶対零度の視線を向ける凍雲であった。

 

「や、やだなぁ。ほら、あれだよ? 私も別の所で戦ってたからさ、栄養補給というか……ね?」


 そんな彼の視線に後ろ暗いものがある八神は目を泳がせて言い繕う。

 そんな彼女の様子に、凍雲は特に気にした様子もなく、


「今回はそういうことにしてやる。さっきは助けられたしな」

 

 そういうと、猛吹雪の中先を歩き始める。

 慌ててその後をついて彼の横に出ると、


「それにしても珍しいね。戦闘中に凍雲が気を散らすなんて」


 彼との付き合いはまだ数ヶ月と短いものだ。

 しかし、それでも彼が生真面目で堅物で、誰に対しても一切手を抜かない人間であることは理解している。

 そんな彼が気を散らすなんて珍しいこともあるもんだな、と八神は不思議そうな表情を浮かべる。


「……気にするな。面白くもない話だ」


 八神の過去にも勝るとも劣らない凄惨な過去。

 それに同情してIFを考えていたなどとのたまえば、それこそ彼女にぶん殴られる。


 それはアキラと八神。

 凄惨な過去を乗り越えて、今を生きる彼女達に対する侮辱以外の何物でもないからだ。


「ふぅん。ま、今回は詮索しないであげるよ。ほら、さっさと納めよう」


 そういうと、彼女は目的地まで空間転移し、右腕を無造作に振って周囲の吹雪を消し飛ばす。

 すると、そこには苔生こけむした石柱に取り囲まれた台座が存在した。

 積雪の中、確かにその存在感を主張する苔生した台座の上に八神はゴブレットを置く。


 すると、


『ゲームセット!! 勝者!! 第五班チ、チチチチチチチチチチ———』


 アナウンスが狂った音声を垂れ流したと思うも束の間。

 初めに異常を確認したのは出場選手らではなく、外部の観戦者であった。


「あれ? 止まった?」

「なにこれバグか」

「機材トラブル?」

「中の人達大丈夫なのかな?」

「おいおい、これ不味いんじゃねぇのか?」


 仮想空間内部を映していたモニター映像が突如停止した。

 ポツ、ポツ、とした不安の声は伝染し、加速度的に大きくなる。


 そんな時だった。


「皆々様!! 実に見苦しい不安の声をどうもありがとうございます!! ご安心ください。これら全て計画通りにて」


 声を発したのは、司会進行をしていた男だった。


 いや、男なのか?

 今の今まで誰も疑問にすら思わなかったが、彼を正しく認識することができない。


 そこに誰かがいることは分かる。

 だけど、それが男か女なのか、若いのか年老いているのか、一体どんな声で、どんな服装なのかも分からない。

 何より、一番の問題は、ずっと認識していたはずなのに、正しく認識できていなかったと気づけなかったことだ。


 司会進行者は仮想空間の天蓋てんがいに立ち、まるで道化の如く大仰な立ち振る舞いで両手を広げてみせる。


「お初にお目にかかります愚かで愚鈍なる皆様。私の名はピエロ!! 狂嗤う道化クレセント・クラウンが主柱の一柱。どうぞ……お見知り置きを」


 未だボヤけた輪郭しか捉えられないピエロは、ボウ・アンド・スクレープと呼ばれる中世ヨーロッパ貴族社会における伝統的なお辞儀を披露する。


狂嗤う道化クレセント・クラウン? 確か、世界中で活動する目的なきテロリスト集団だっけ?」


 観戦席で第二班のメンツと共にゆっくりと眺めている天羽。

 そんな彼女が溢した言葉を耳敏みみさとくピエロは拾う。


「否、断じて否です!! 目的はありますとも、そう、ただ壊して、愚かな民衆の悲鳴を楽しむという崇高な目的が、ねぇ」


 ボヤけて正しく認識できないながらも、自己陶酔に浸っているだろう声音が響く。


 狂嗤う道化クレセント・クラウン

 彼女の言う通り、国際的なテロリスト集団であり、過去にイギリス王室襲撃、世界的なサイバーテロ、国家重役になりすまして政界を掻き乱す等タチの悪い愉快犯的組織だ。


「今回はちょっとした悪戯いたずら。仮想空間内部の時間を停止させ、ある贈り物を用意しました」


 モニター映像に生じた異常は映像機器に問題があったのではなかった。

 実際に仮想空間内部の時間が停止していたのだ。

 誰にも正しく認識できない彼ならば、制御盤に細工を施して時間停止させることも可能であろう。


 それに加えて、彼が用意したという贈り物。

 パチン、とその指を鳴らした瞬間、仮想空間内を映していた映像が切り替わり、そこには東京湾沿岸が映し出される。


「ご覧ください。貴方達の住む街が無様にも踏み潰される様を!!」


 モニターに映された東京湾沿岸から何か、巨大な物体が現れた。

 大量の海水を纏って現れた、否、立ち上がったそれは、クラウスが書類にて報告していた件の怪物だった。

 推定の全長は一〇〇〇メートル。

 その姿を一言で表すならば、白い外骨格に覆われた巨人。


 東京湾最深部。

 海底七〇〇メートルの深海から歩みを進め、始めは胸元辺りまでしか見えなかったその異様があらわとなる。

 

 目鼻は鋭い格子状の外骨格によって隠され、唯一晒された口元は歯茎が剥き出しで、ゾンビを彷彿ほうふつとさせた。

 右胸には検体番号だろうか? 『24』という数字が刻まれていた。

 全身の筋肉が異常発達しており、膨れ上がった筋肉を白い外骨格が無理矢理抑えつけて圧縮しているような印象を抱かせる。


 しかし、そんな怪物の前に立ちはだかるように、港の埠頭ふとうに立つ一人の人物がいた。


 逆立つ短い銀髪のオールバックからは、前髪が二房垂れている。

 眼鏡こそかけていないが、鋭い黒の瞳は凍雲にそっくりだ。

 けれど、凍雲が『凍てつく冬』を連想させるのに対し、彼は『鋭く研ぎ澄まされた刃』を連想させる。

 右手に見えるは、そびえ立つ山を連想させる深紅の紋章。

 三画で刻まれたその紋章を覆うように、黒のレザーグローブを装着する。


「お前らには何もさせん」


 彼の名はクラウス・バゼット。

 アウトロー達を纏め上げた特務課随一の武闘派にして、問題児の長。

 特務課第三班班長にして、自然格:大地の紋章者。


「俺の信念にかけてな」

 

 己が正しいと思った行動を全うする。

 己に課した唯一にして絶対の信念を貫く鉄の男。

 それが、クラウス・バゼットという男だ。

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