第75話 桃源郷はここにあったのか〜胸元から覗く谷間は至高の領域〜



 結局、本番はアホ着ぐるみを着ないことを条件に着ぐるみごと水着一式を購入した八神ら一行は、SHIBUYA106を出て、とあるレストランに赴いていた。


 有名人である風早や八神自身に配慮した完全個室制のレストラン。

 大正ロマンを感じる店内は、日本古来の和を思わせる障子で仕切られながらも、座り心地の良い洋椅子やシャンデリアは当時の和洋入り混じった価値観を想起させる。


「や、八神さん、大丈夫なんですか? 僕たちホントに頼んじゃって大丈夫なんですかこれ!?」

「0が一つ多いような……、疲れてるのかなぁ」

「奮発しはりますなぁ! ま、ワシは遠慮せんと一番高いこのシャトーブリアンとアワビのソテー頼もうかな!」


 田舎者以前に学生の身分では絶対に入れないような超高級店をサラッと予約していた八神に戦慄する風早。

 雨戸に至っては己の眼を疑う価格設定にしきりに眉間を揉んでいる。

 ……芦屋は神経が図太いのか、ただ一人平常運転であるが。


「芦屋くんはもうちょっと遠慮を覚えた方がいいけど、まぁ好きなもの頼んでいいよ。今日は風早くんの優勝祝いも兼ねてるからね。こんなめでたい日にケチケチするお師匠様じゃありませんよ私は」


 えへん、と胸を張ってドヤ顔する八神。

 そんな彼女の様子を見て、先程の買い物でも遠慮する必要はないという言葉を思い出す。

 与えられた好意を受け取ることも大事である、と考えた風早、雨戸の両名は遠慮する気持ちを振り払い、今はこの恵まれた環境を精一杯楽しむことにした。


「じゃぁ、僕はフォアグラ、フィレ、サーロインの食べ比べと季節の海鮮鉄板焼きを!」

「私はA5ランク鹿児島黒牛のイチボステーキと季節野菜の天ぷら!」

「んじゃ、ワシは厳選和牛のタタキも追加で!」

「オーケー。私は風早くんと同じのにしようかな。ついでにサラダも注文してっと。……足りなくなったらまた注文していいからね」


 そういうと、席に備え付けられていたタブレットを操作してオーダーを済ませる八神。


 そして、前菜の三種野菜のテリーヌに舌鼓を打ちながら暫く待っていると、お待ちかねのメインが登場した。


「「「おおぉ〜」」」


 以前にも来たことのある八神を除いた一同は運び込まれる料理に眼を見張った。

 今までの人生で見たこともないほど綺麗な肉質のステーキが熱せられた鉄板の上でパチパチと踊る度に鼻腔びこうくすぐる香りを放つ。


 しかし、きめ細かな肉だけが主役ではない。

 季節の野菜が盛られたサラダもどれもが色鮮やかで、鉄板の上で踊る海鮮も瑞々しさに溢れている。

 ひとめで新鮮で上質な食材が使われていることがわかる一級品の料理の数々。

 そんな料理たちを前にして育ち盛りの子供たちが我慢できるはずもなく、早口気味な“いただきます”の声と共に美食にありつく。


「うまい〜」

「すごい、ちょっと噛んだだけで溶けていくみたい……」

「おお、和牛のタタキもめっちゃ美味いなぁ。これは藁焼きしてるんかな? 香ばしいええ香りしとるわぁ」

「うん、やっぱり美味しいなぁここの料理は」


 四者四様に美食に舌鼓を打ち、次第に言葉数も少なくなり、各々の世界で美食の海に浸る。



    ◇



 美食に舌鼓を打った一同は、食後のデザートであるスキレット仕立てのパンケーキと紅茶をたしなんでいた。

 ……約二名を除いて。


「いやぁ、まさかステーキソースに使われてたアルコール成分だけで酔い潰れちゃうとか、弱すぎ通り越して最早ファンタジーでしょ」

「ですね。梨花ちゃんはまだしも芦屋がこんなに弱かったなんて意外だなぁ」


 そう言いながら斜め向かいで腕を枕に寝こける芦屋の頬を突っつく風早。


(こんなんで酔うわけあらへんやろアホか。……いや、雨戸ちゃんに関してはマジでファンタジーやけども)


 酔い潰れたかと思われていた芦屋は実のところ、全く酔ってなどおらずただの狸寝入りだった。

 と、言うのにも訳がある。


(ワシは雨戸ちゃんの味方であると同時に風早の親友でもあるからな。雨戸ちゃんがダウンしてしもうた今はお前の味方をしたるわ)


 雨戸の恋路をサポートするのが彼の本意であったが、当の本人が酔い潰れてリタイアしてしまったのだからサポートしようがない。


(それに、雨戸ちゃんにばっか肩入れするのもフェアじゃないしな)


 雨戸も風早も大切な友人だ。

 どちらにも幸せになってもらいたいと思っている。

 だからこそ、雨戸の風早に対する想いを応援すると同時に、風早の八神に対する想いだって応援する。

 故に、八神にすら気付かせない無駄に高度な演技で酔い潰れたフリをして二人っきりの空間を作ってやったのだ。


 そして、風早自身も芦屋の思惑こそ知らずとも、この好機を逃すような真似はしない。

 今日は内に秘めたこの想いは忘れて、残り少ない青春をこの四人で楽しく過ごそうと思っていた。

 けれど、好機が巡ってきたのならば話は別だ。

 ここで、彼は用意していたある物を懐から取り出す。


 その直前。


「はい、風早くん。私からの優勝祝い。受け取ってくれる?」

「へ?」


 差し出されたものは一つの袋であった。

 

「この食事会も優勝祝いだけど、何か形で残るものをあげたかったからさ。別に用意していたんだ」


 彼が遠慮することを見越していた八神は先んじて自身の想いを告げる。

 風早としても、そう言われてしまえば無碍むげにできるはずもなく、大人しく受け取る。


「ありがとうございます! あの、見てみてもいいですか?」

「もちろん!」


 八神の許可を得た風早は早速袋の中身を見る。

 入っていたのは一枚の色紙と細長い小箱であった。


「こ、これ、……まさか、特務課第五班のみなさんのサイン!?」


 色紙に描かれていたものは特務課第五班全員分の優勝祝いのコメント付きのサイン色紙であった。

 実は、大会前からとっておきのご褒美として特務課第五班のサイン色紙は用意していたのだが、彼が優勝したので改めてコメント付きでもらい直してきたのだ。

 そして、貰ったのは第五班のものだけではなく、

 

「そ、それに、中央のこのサインは、……まさか」


 中央に描かれた簡素なサイン。

 達筆な字で描かれた名前と、一言、“高みで待っている”という言葉が描かれていた。


「そう、朝陽さんのサインだよ。彼は風早くんが私たちに憧れるきっかけになった人でしょ。だから、一番喜んでもらえると思ってね」


 朝陽昇陽。

 幼い頃、テロリストの人質となってしまった風早を颯爽と助けてくれたヒーロー。

 彼の背を追いかけてここまで来た風早にとって、この贈り物はなによりも嬉しい物であった。


「ありがとうございます! とっても嬉しいです!」


 まるで壊れ物を扱うかのようにそっと袋に戻すと、今度は細長い小箱を手に取る。

 蓋を開けてみると、そこには月を象ったネックレスが入っていた。

 水着を買いにSHIBUYA106に行った際に、分身を構築して、ミカに買いに行って貰っていたのだ。


(うん、我ながら良いセンスですね)

(ありきたりとは言わないでおくか)


 精神世界にて優雅に紅茶を嗜みながら後方オシャレパイオニストずらしているミカ。

 ルシファーはそんな彼女の横で黙してワインを傾けていた。


「それには私の紋章術で術式を刻んでいてね。風早くんがもしもピンチになった時にきっと役に立ってくれるよ」

「術式?」

「あ、やっぱそこ引っかかるよね。でもまぁ、そこは難しい話になっちゃうからまた今度教えてあげるよ」


 そういうと、八神は席を立ち上がって、風早のもとまで回り込むと、手に持つネックレスを取り上げる。

 

「ほら、着けてあげるからじっとしててね」

「えっ!? あっ、ちょっ!?」


 慌てふためく風早を他所に、八神は正面から風早の首に腕を回してネックレスを装着させる。


(おっぱッッッッッッ!!!!)


 当然、そんな体勢をとれば彼女の豊満な胸が至近距離に接近するわけだ。

 スーツを着用しているとはいえ、ノンネクタイで、息苦しいからと上ボタンも普段から外している。

 そんな状態でこのようなことをされれば、当然彼の視界は胸元から覗く谷間一色となるわけで。


(めっちゃ良い匂い!! いや、だめだおっぱい! 風早颯! しっかりしろおっぱい!! 色香に惑わされちゃだめおっぱい。無心、無我の境地へと至るおっぱいぱい)


 思春期男子にとってそれはあまりに刺激が強過ぎた。


「はい、着けられたよ」


 思考がおっぱい一色に染まりかけた直前、八神から声をかけられたことで辛うじて現実へと帰還を果たす風早。

 内心、息も絶え絶えで首にかけられたネックレスを眺めていると、


「ちなみに私とお揃いだったり」


 チラッと、谷間から取り出した太陽を象ったネックレスを見せる。

 “誰だよ師匠に情操教育した奴は!”と憤りやら興奮やら歓喜やらがないまぜになった複雑な心の叫びを上げる。


(私の成果です)


 ……なんか、マッドサイエンティストっぽい白衣を着た白髪の男性がサムズアップしてる幻覚が見えた気がする……。


(って! 変な幻覚見てる場合じゃない!!)


 八神による怒涛の攻め(そんなつもりはない)によってノックアウト寸前だった風早。

 彼だってここまで導いてくれた八神に感謝して贈り物を用意していたのだ。


「あ、あの! 八神さん! 僕も贈り物を用意したのでよかったら受け取ってください!!」


 そう言って風早は懐から取り出したものは黒に金の意匠が施されたシックな小箱だった。

 箱を開けると、中には牛革で作られたシックな造りの財布。

 それは、七夜覇闘祭が始まる前から用意していたとっておきのプレゼントだった。

 

 八神には本当に世話になった。

 憧れるだけで、正しく強くなる道を見出せずにただがむしゃらにもがくしかなかった自身の努力を認めて、正しい道を示してくれた。

 

 八神は優勝できたのは風早自身の努力によるものだと言ってきかないだろう。

 けれど、彼にとっては八神がいなければこの優勝はおろか、宍戸にすら勝てなかったと考えている。

 

 だから、夢に近づく一歩。

 まだまだ遠いけれど、誇るべき一歩を踏み出せた恩人に、その感謝を示したかったのだ。

 

(今は別の意味も込められてるけどね)


 今はまだ彼女に並び立つには足りない。

 だが、それが努力を怠る免罪符になどなりはしない。

 

 もう、この想いの答えは出ている。

 

 彼女のことは、恩人だと思っている。

 この気持ちは、その想いからくる感謝の念だと思っていた。


 彼女のことは、尊敬すべき師匠だと思っている。

 この気持ちは、その想いからくる敬愛だと思っていた。


 彼女のことは、姉のようだと思っている。

 この気持ちは、その想いからくる親愛に近いものだと思っていた。


 けれどこの想いは、そのどれもが正しく、そのどれでもなかった。


(僕は、八神さんが好きだ)


 だから、彼女を護れるように強くなる。

 だから、彼女に好きになってもらえるように積極的にアピールする。


——両方こなせなくて何が漢だってね。


「ありがとう! とっても嬉しいよ!」


 黒を貴重としたシックな牛革財布は彼女の琴線に触れたようで、破顔して喜んでいた。


(今は小さな一歩。だけど、僕が貴女を諦める日は訪れません。必ずこの想いは実らせてみせる)


 その想いを胸に、少年は夢を追い続ける。

 

 二兎追う者は一兎も得ずとは言うが、いつの日も成功を得る者は強欲な者だ。

 

 誰よりも強い英雄となって最愛の人の笑顔を護る。


 どこまでも強欲で、ひたすらに純粋で綺麗な願いが、


 いつの日か叶わんことを……。

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