第65話 炎熱の魔人

 ある日の昼下がり。

 紋章高専校舎裏。

 日当たりが悪く、ひんやりとした空気はこの暑い季節にはちょうど良く、居心地が良い。


 そんな人通りが少ない場所で、タンッタタンッとコンクリートの地面が小気味良い音を奏でる。

 イヤホンから流れるポップで色彩豊かな音色。

 コンクリートが奏でる硬質で単調な音色。

 対極とも言える二つの調べが調和するこの瞬間が好きだから、日向夏目ひゅうがなつめは好んでこの場所でダンスの練習に励んでいた。

 

 そうして一人、薄暗い校舎裏でダンスに励んでいると、物陰から気配が近づいてくるのを感じた。


『精が出るね、なっちゃん』

『あ、はるちゃん! どうしたの? 今日は部活休み?』


 訪ねてきた人物は滝澤遥。たきざわはるか

 剣道部副部長を務める、彼女の同級生にして中学からの親友だ。


『ううん、どうしても伝えたいことがあったからちょっとだけ抜けてきたの』

『伝えたいこと?』


 彼女は剣に愛された天才だ。

 中学三年の秋から剣を握り、紋章術の練習を始めたにも関わらず難関である紋章高専の入試を主席で突破した。


 そんな彼女はすっかり剣の魅力に取り憑かれていた。

 メキメキと上達するのが楽しいのか、暇さえあれば剣を握るほどだ。

 そんな彼女は剣道部の副部長としての責任感もあり、部活を少しの間でも抜けるのは珍しい。

 それだけ大事なこととは一体なんなのだろうか?


『もうじき七夜覇闘祭があるでしょ。私も、なっちゃんも選抜メンバーに選ばれてるからさ』


 そう言うと、彼女はニッと不敵な笑みを浮かべて、拳を突き出す。


『だから、宣戦布告にきた。なっちゃん、親友だからって、ううん、親友だからこそ、手加減なんてしない。全力で勝つからね!』


 その言葉に、日向は驚愕すると同時に、嬉しさが込み上げる。

 滝澤はつい最近鍛え始めたというのに、その実力をメキメキと伸ばして、今や紋章高専全体で見ても有数の実力者だ。


 彼女は、そんな滝澤に嫉妬していたのだ。

 心の何処かで、劣等感を抱いていたのだ。

 もう、私なんて眼中にすらないんじゃないかとさえ考えたことだってある。

 

 だけど、違った。

 滝澤遥は、今も昔もずっと彼女のことを越えるべき目標と定めていた。

 最も近く、最も負けたくないライバルであると考えていた。

 彼女に勝っているなどと思ったことは、ただの一度としてなかった。

 だからこそ、彼女に勝ちたいと思った。

 だからこそ、絶対に勝つと宣戦布告を行なったのだ。


『それはこっちのセリフだよ。はるちゃんにだけは絶対負けない。ううん、はるちゃんに勝って、優勝してみせるんだから!』


 溢れ出そうになる涙を堪えて、彼女は親友の拳に合わせるように拳を突き出す。


『じゃぁ、約束』


——勝った方が優勝すること!


 それは誰も知らぬ、少女たちだけの約束。

 互いが、互いを最も強い強者であると信じる少女たちの儚い約束。

 

 けれど、その約束があるからこそ、彼女は立ち向かえる。

 どれほどの強者が相手であろうと、負けることはないのだ。



    ◇



 二回戦最終試合。

 フィールドは高層ビル立ち並ぶ摩天楼群。

 試合に臨む選手は日向ひゅうが夏目なつめ吉良きら赫司あかしの両名。


 その趨勢すうせいは、全くの五分であった。

 日向夏目ひゅうがなつめは、両手両足から炎を放出することで高速移動して的を絞らせない。

 吉良赫司きらあかしは、機動力こそ乏しいものの、一撃でも与えられれば勝負を決められる。


 そんな二人の戦いは吉良が立ち並ぶビルの一つに身を隠した為、膠着こうちゃく状態に突入していた。

 しかし、吉良にはそう悠長にしている時間は残されてはいなかった。


(攻撃を当てるには何か策が必要だが、そう時間をかけるわけにもいかないな)


 ビルの窓から外を見ると、至る所が炎上しており、今も尚その被害を拡大させている。

 この試合は、八神の入職試験のように周囲に配慮する必要がない。

 故に、日向はフィールド全体を破壊し尽くし、大炎上させることで自身に有利な環境を構築することにしたのだ。


 遠くでは、吉良を探しながら周囲の熱量を上昇させる為に掌から莫大な炎熱を放って次々とビルを破壊し、摩天楼群を倒壊させている様子がうかがえる。

 その熱量は遠く離れた吉良のいるビルまで届き、額には汗が浮かぶ。


(まるで天災だな。あれほどの高機動力、高殲滅力を相手にどうやって隙を作るか)


 彼の紋章術は概念格:血液の紋章。

 対象の血を目視すれば操作可能で、一瞬にして血を外部に放出させることで死に至らしめることができる。


 しかし、そんな必殺性を持っているとはいえ、彼の紋章には他に特筆すべき長所はあまりないのだ。


 日向のような大空すらも駆け回るような高機動力もなければ、摩天楼を幾つも同時にぶち抜けるほどの高火力も持ち合わせてはいない。


 染谷そめや篠咲しのさきのようなからめ手ができるような応用の幅もなければ、宍戸ししどのような身体能力を強化する術も持たない。

 

——紋章においては十二名の選抜メンバー。いや、紋章高専最弱だろうな。


 そう、弱音を零す。

 けれど、それが諦める理由にはならない。

 諦めずにその腕を磨き続けたからこそ、今の彼がある。


(まずはあの機動力を奪う必要がある。その方法を考えないとな)


 下水道に誘い込むか?

 入り組んだ狭い通路ならば、奴の機動力を奪える。

 ……いや、ダメだな。

 下水道はガスが溜まっている閉塞空間だ。

 ガスに引火すれば、逃げ場のない爆風に飲まれる。

 自然格の流動する肉体ならそんな自爆特攻すら選択肢に入ってしまうからな。


 だが、狭い通路に誘い出すと言う手は有効だ。

 機動力が制限されるというのは大きい。

 当然、向こうもそれは理解している為、屋内へ誘い込むのは困難ではあるが、


(惹きつけるだけなら息をするよりも簡単だ)


 

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