第45話 最速英雄の本領



「だから、ここからは本気の速度だ」


 不敵な笑みを浮かべた風早八神は針葉樹の幹を足場にして一気にトップスピードまで加速する。

 針葉樹が粉々に砕け散るほどの脚力で飛び出した彼女は静を置き去りにして、一気に五〇〇メートル以上離れたルミの元まで駆け抜けた。

 針葉樹林の中故に、直線ではなく入り組んだ経路だというのに全く速度を落とさず、瞬きの間に眼前に現れた風早八神にルミも反応が遅れる。


「——ッッ! 速すぎ!!」


 咄嗟にバレットM82A1にも似たライフルで彼女の神速の蹴りを防ぐも、数百メートルは容易く蹴り飛ばされる。

 ライフルは先の蹴りで銃身が歪んで使い物にならないので、即座に捨てて雪中を空間移動する。

 ルミは一〇〇メートル離れた雪中から、吹雪に紛れてサブマシンガンSuomiKP/-31を取り出すと、銃撃を開始する。


 音もなく射出された弾丸は寸分の狂いなく風早八神に襲い掛かる。

 だが、ルミの魔力放出によって通常弾よりも尚、加速した弾丸でさえ今の彼女を捉えるには遅過ぎた。

 無音かつ吹雪で殆ど不可視に近い弾幕を全て避けながら風早八神は神速の槍で突き穿つ。


「——ッッ!」


 辛うじて雪中を空間移動することで回避できたルミ。

 彼女の速力を鑑みて、今度は自身の有効射程範囲ギリギリである一〇キロメートル離れた地点の雪中へ空間移動する。

 しかし、その背後には既に一〇キロメートルもの莫大な距離を駆け抜けた風早八神が脚を振りかぶっていた。


 今度こそ全く反応できなかったルミは針葉樹を幾つも薙ぎ倒しながら吹き飛び、漸く勢いが止まったと同時にそのまま木にワイヤーで縛りつけられた。


「拘束完了。積もった雪に接してなかったら空間移動もできないでしょ」


 彼女の空間移動は常に地面に積もった雪の中を移動していた。

 故に、積もった雪に接しない木の幹に縛りつければ拘束ができると判断したのだ。

 シミュレーターだから殺害しても問題はないのだが、中身は成人女性といえど見た目幼女な彼女を殺害するのは少し気が引けたのだ。

 

 八神の考察は当たっていたようで、ルミは抵抗する気力もなくだらりと拘束されたままになっている。

 かなりの威力で蹴り飛ばしたのでそのダメージもあって拘束を解く抵抗力すら奪われていたのだ。


 ルミを完全に拘束できたことを確認すると、風早八神は空間移動と見紛う程の速度で、吹雪吹き荒れる針葉樹林の中を駆け抜ける。

 およそ九キロメートルは離れた静の元まで向かい、飛び上がると、そのまま直上で空を蹴って槍による刺突を見舞う。


 ドガァァアアッッ!!


 直上からの刺突は静を狙ったものの、手の甲で槍先を逸らされて地面に突き刺さり、積雪と土砂を捲り上げる。

 そして、積雪と土砂のカーテン越しに静の蹴撃が襲い掛かる。


空虎くうこ螂爬斬ろうはざん


 虎を幻視する猛烈な膝蹴りを槍で受け止めると、ほぼ同時に頸を刈り取るかのような回し蹴りが襲い掛かる。

 それを寸前で避けると、蹴り飛ばして距離を取る。

 風早八神の背後では先の蹴りによって針葉樹どころか、丘そのものが斜めに断ち切られていた。

 おそらく、避けて正解。

 八神の“超克”とアキレウスの加護があったとしても、大ダメージは避けられない一撃であっただろう。


「流石は師匠。強いね」

「当然。先輩としての意地があるんだから」


 両者は同時に積雪を踏みしめて加速し、川の中で激突する。

 氷点下四十度の気温で凍りついた川の水が衝撃波で弾け飛ぶ。

 干上がった川の中で神速の攻防が行われる。


 速度ではアキレウスの紋章者である風早の肉体を駆る八神が圧倒的に上である。

 しかし、その手数差を静は神域の技量によって補い、互角の攻防を繰り広げていた。

 時間にして僅か五秒。

 圧縮された時の攻防を繰り広げる彼女たち。

 そこへ水を刺すように彼女の踵が撃ち抜かれる。


「——ッッ!」


 襲撃者はルミである。

 八神はシモヘイヘの空間移動を積雪下限定のものであると考察していたが、それは外れだ。

 彼女は雪結晶一つでもあればそこを起点に空間移動ができる。

 故に、拘束されて動けないフリをして隙を窺い、アキレウスの弱点として有名なアキレス腱への銃撃を狙っていたのだ。


(といっても、これが、最後の一発だけど)


 風早八神の蹴りによって想定以上のダメージを受けていたルミはそこで力尽き、モシン・ナガンを握る手から力が抜ける。

 リタイアのアナウンスと共にシミュレーターから退場する。


 しかし、彼女は最後に大きな仕事をした。

 アキレウスは弱点であるアキレス腱にダメージを受けてしまえば、不死身の英雄としての完全性が打ち砕かれる。

 千分の一まで威力を減衰させる加護が打ち消され、速力も半分以下になってしまうのだ。

 

 そして、先の全力のアキレウスの速度域と互角の攻防を行なっていた静の前で、突如半分以下の速度になれば結果は言うまでもなく。

 

猛虎硬爬山もうここうはざん!!」


 風早八神の槍撃を、腱が切れて使い物にならない右腕を犠牲に受け流す。

 先の攻防で既にボロ雑巾のようになっていた右腕は半ばから千切れ飛び、目を背けたくなるような有り様となる。


 だが、静はそのような些事、一切気に留めることはない。

 右腕を犠牲にしてできた間隙に、左拳を胴体へ叩き込む。

 次いで、寸勁を打ち込んで吹き飛んだ所を逃さぬよう、即座に頂肘肘打ちを叩き込む。

 それら一連の連撃を一呼吸の内に叩き込まれた風早八神は内臓を破壊され、大量の血を吐きながら針葉樹林の中へと吹き飛ばされる。


 そして、風早八神のリタイアを告げるアナウンスと共にシュミレーターは終了した。



    ◇



「えっと……だからね、こ、これは油断してると足下すくわれるよーっていう教訓でね。…………ごめんなさい。大口叩いて調子乗った挙げ句油断して足下掬われた情けない師匠でごめんなさい」


 風早の前で正座して、耳まで真っ赤で目を逸らしながら震え声で言い訳を垂れ流す。

 しかし、自分で言ってていたたまれなくなったのか、最後にはホロホロと涙を溢しながら懺悔ざんげを始める。

 そんな八神の首からは油断大敵と丸文字で書かれたルミお手製のプラカードがさげられている。

 そして、その背後では静が腹が立つほど誇らしげな笑みを浮かべてコロンビアしている。両腕を掲げている


 さめざめと泣く八神の涙を拭ってあげながら、水性マジックペンでその柔らかな頬に渦巻き模様を描くルミ。

 そんな彼女を横目に、風早は引き攣った笑みでフォローする。


「しょ、しょうがないですよ! アレは不意打ちみたいなものでしたし、僕の身体だったからまだ慣れきってなかったんですよ! そ、それに、修行自体は成果ありましたよ! 八神さんの感覚を通して身体の使い方や“超克”の感覚も掴めましたし!」

「うわぁぁあああん!! 弟子が良い子すぎるぅぅううう!!!」


 ぐるぐるほっぺのまま風早を抱き締めて感涙にむせぶ八神。

 その周りでは静が下唇を引っ張って“ヴィ〜〜!!”と変な声を出しながらバカにするようにぐるぐると彼女らの周りを回っている。

 ルミはその様をスマホでしっかりと撮影していた。

 もちろん、この動画は八神の公式ファンサイト(本人ご存知ない)で公開予定だ。


 いつもはツッコミに回る八神がポンコツ化してしまい、ツッコミ不在により場は混沌を深めていく。



    ◇



 暫くして、落ち着きを取り戻した八神が静をしばき回し、ルミには大きなタンコブを一つ作ってお仕置きしたことで混沌とした場に秩序が戻った。

 ちなみに、ルミに描かれたぐるぐるほっぺはちゃんと顔を洗って落とした。

 抱き締められた時に感じた八神の柔らかで豊満な胸の感触を思い出して、未だに頬を赤くする風早をよそに話を始める。


「とりあえず、今日の修行で体の使い方や“超克”の感覚は掴めたと思う。精神世界の方でも“超克”の修行が完了したみたいだから、明日からは“超克”を使った模擬戦を繰り返し行って戦闘経験を積む方向性で行くけど良い?」

「はい、よろしくお願いします!」

「それじゃ、今日はもう帰るね。お疲れ様!」

「え〜もう別れちゃうの〜? これからみんなで飲みに行こうよ〜」


 日も沈みかけの頃合い。

 てっきりこれからみんなでお疲れ様会をするものとばかり思っていた静は、風早の服をガッツリ掴んでグイグイ引っ張る。


「え、いやでも……」


 口籠くちごもる風早に押せばイケるとつけ上がった静は、終いには、縋り付いて駄々だだね始める。


「ねぇ〜え〜! いこいこいこ〜! 一緒に飲もうよぉ〜!」


 憧れの特務課メンバーで、前回の七夜覇闘祭の戦いを見て尊敬している静に駄々を捏ねられてどうしたら良いのか分からず戸惑う風早は、八神に助けを請う視線を投げかける。

 大きく溜息を吐いた八神は、頭痛でもするのか額を抑えながら呆れきった眼差しでバカを止める。


「飲みにっていうけど風早くんはお酒飲めないから」


 八神は現在十八歳。

 二〇二二年に成人年齢が十八歳に引き下げられ、その数年後には飲酒年齢も引き下げられたため、八神は飲酒ができるのだ。

 しかし、八神より年下で未だ成人年齢に達していない十七歳の風早は飲酒できないのだ。


「んじゃ、ご飯食べに行こ! それぐらいならいいでしょ! ね、ご飯奢るから」


 “ご飯奢る”その言葉に誰よりも鋭敏に反応したのは八神でも、学生であまりお金を持っていない風早でもなく、


「お酒も?」


 駄々を捏ねて風早に縋り付く静の裾をクイクイと可愛く引っ張るルミであった。


「お、………………………………おうともよ」

「めちゃくちゃ熟考したな」

 

 ルミはかの酒呑童子すら飲み負かすのではないかと思う程の酒飲みなのだ。

 独り身で高収入とはいえ流石に懐の心配をした静だったが、意を決して決断した。


「だってずっと働き詰めで明日からまた働き詰めなんだもん! 息抜きしたいもん! 独り身だからお金に余裕はあるから大丈夫なんだもん!」


 僅かに目尻に涙を浮かべながら、既に酔ってるのではないかというテンションで風早の首がぐわんぐわんと揺れるほど揺さ振る。


(まだ二十二歳のはずなのに既にアラサー喪女の貫禄とは……、こんなのに憧れてしまった風早くんがちょっと可哀想だな)


 “戦闘時はかっこいいんだけどなぁ”と戦闘時とのギャップにより残念さが際立つ内面アラサー女に振り回されて、いい加減不憫に思えてきた風早を彼女から救出する。

 そして、もうなんか色々面倒臭くなったので、引き剥がしたバカはそのまま肩に担ぐことにした。


「ほら、行くんでしょ。風早くんはいつも頑張ってるからね。今日は私も半分出してあげるよ」

紫姫しき〜〜!!」


 “私の後輩イケメンすぎじゃ〜”と肩に担がれながらSNSに発信するダメな大人二十二歳。

 風早はその様を苦笑いして見ていた。

 すると、ルミが催促するように、くいくいと服の袖を軽く引っ張ってきたので導かれるように彼女たちの後についていった。

 

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