第二章前編 七夜覇闘祭

第32話 滲み出す不穏な影


 デリットアジト強襲作戦の翌日。

 バトルドームの数ある施設の一つであり、特務課職員が事務所として使う第一ビルの最上階。

 バトルドーム内の施設群が織りなす景色と、その先に見えるオフィス街を一望できる司令室兼作戦会議室に二人の人物がいた。


 一人は無精髭ぶしょうひげと水で簡単に後ろへ流しただけの乱雑な髪型が特徴の中年男性。


 バトルドーム内は全域禁煙であるため喫煙できず、口寂しさから飴を咥える彼こそが特務課の課長、つまり、特務課を統括する最高責任者である。

 名を時透真司ときとうしんじ

 元天才詐欺師にして、偉人格幻想種:アガリアレプトの紋章により全てを見通す者。


 もう一人の人物は彼の秘書官である誘波波冬いざなみはとう

 少しつり気味の眼が気の強さを窺わせる、出来るキャリアウーマンといった風体の彼女は概念格:波の紋章者。

 通信の傍受。

 遠く離れた人声ひとごえの盗聴。

 逆位相の音波による盗聴防止。

 これらを活用した諜報員としての一面も持つ敏腕秘書である。

 彼は先の作戦の結末について、秘書官である誘波から外交の結果報告を受けていた。


「以上がアトランティスとの協議内容です」

「アルテミスは事実上野放し。……莫大な手付金と最新技術の情報で手打ち……か」

 

 その結果に時透は不満気に舌を打つ。

 だが、それと同時に“ここらが現実的な落とし所か”と納得する。

 事実、これ以上、つまりアルテミスの完全停止まで求めれば、それこそ向こうは戦争を仕掛けてくることになるのはソロモンの未来視で見えていた。


 アルテミスにはそれほどまでの価値があるのだ。

 アルテミスが誇るものは全世界を狙い撃ちできる超高出力砲撃だけではない。

 アガリアレプトの紋章が持つ能力の最たるものである“機密の開示”を用いて調べた結果。

 最大半径一〇〇キロメートル、つまり首都圏全域を覆い尽くす程の範囲に渡って超温暖化現象を引き起こすマイクロウェーブの照射。

 それを応用した電波障害に電子機器の破壊。

 莫大な量の液体窒素やナパーム弾を大気中で爆発させることで、寒暖差を利用した気象操作すら可能とすることが分かった。

 

 何より、アルテミスはアトランティスを防衛する天空の防衛神である。

 これを手放すという選択肢だけは絶対にない事は明らか。

 故に、すべき事は如何にアルテミスを無力化するかではない。

 いざと言う時、どうやってアレを撃ち落とすかなのである。


 もちろん、外交でどうにかできればそれに越したことはなかったが、そんなものは淡い希望に過ぎない。

 所詮は本命を隠すための隠れ蓑だ。

 彼らの真の狙いはアルテミスを撃ち落とす兵器を開発する資金を手に入れる事。

 アトランティスの技術などどうせ寄越すのはこちらからすれば最新だが、向こうからすれば型落ちの技術ばかりだ。

 だからこそ、アトランティスの技術を隠れ蓑に莫大な開発資金を入手することこそが本命であり、担当外交官は見事その任を達成してくれたのだ。


 そこに不満はない。

 最初から分かっていたこととはいえ、特務課でも貴重なレート7相当の戦力である天羽あもうをアルテミス対策の為に腐らせることになる事が不満なのだ。


 とはいえ、アレに対応できるのは特務課の中でも朝陽あさひか天羽の二人しかいない。

 特務課にはレート7相当の実力者が他にも数人いる。

 しかし、衛星軌道上からの超高出力エネルギー砲撃とは相性がよくないものばかりなのだ。

 そして、人類史上最強の紋章者として犯罪の抑止力となっている朝陽を腐らせる訳にいかない以上、仕方のないことではある。

 

「アルテミスが現状どうしようもないことは分かりきっていたことです。今は潤沢な開発資金を得られた事実を喜ぶべきでしょう」

「……そうだな。パトリックにはあの鉄屑を破壊できる兵器をなんとしても開発しろと伝えてくれ」

「既に伝達済みです」

「流石、仕事が早いな」

「恐縮です」


 して欲しい仕事を先んじて終えてくれる有能秘書官は次の報告に移る。

 彼女は手元に持つタブレットを操作して、デスクに備え付けられた投影器にある映像を映す。

 そこにはとある長閑のどかな村と思しき場所にあるぶどう農園が映っていた。

 しかし、重要なのはそこではない。

 そのぶどう農園の片隅には黒いもやのようなものが映っていたのだ。


「ルミ・ラウタヴァーラ、ソロモン両名による調査が行われた長野県中野市のぶどう農園に突如現れた謎の黒い靄の調査報告を致します」


 彼女は報告を行いながらタブレットを操作して投影機に幾つものデータを表示する。


「結論から言いますと、その正体は謎のままでした」

「だろうな。俺の紋章でも暴ききれなかったブラックボックスだ。だが、それだけじゃないんだろう」


 彼は既に己が紋章を用いてこの謎の黒い靄の正体を暴かんとしていた。

 だが、それでも暴ききれなかったのだ。

 これまでにも暴けなかった謎は幾つもある。


 何故紋章と記憶に繋がりがあるのか。

 何故全ての紋章画数を消費したものは記憶ができない人間ではなく、灰となるのか。

 そもそも紋章が現れたのは本当にフォトンベルトが原因なのか。

 

 アトランティスの機密情報もその多くが暴けなかった。


 これらの原因はおそらく前者と後者で異なる。

 前者は単なる出力不足。

 世界の機密という大容量の情報をあばくだけの魔力がなかったが故だ。

 規模が規模なだけに全紋章画数を消費しても一つの謎を暴ければ御の字と言ったところだろう。

 

 後者は紋章の力を弾かれたような感覚があった。

 十中八九、紋章の力を弾く結界のようなものを展開しているが故にあばけないのだろう。


 なんにせよ、この黒いもやに関しても同様に暴けなかったところを見るに、おそらくは前者の理由に起因するものなのだろう。

 後者である可能性も無きにしもあらずだが、人為的なものというよりは自然現象に近しい印象を受ける。

 つまり、世界の理に関わる機密であるが故に魔力不足で暴けないということだ。

 

「はい。黒い靄の性質について幾つか分かったことがあります」


 誘波はタブレットを操作して箇条書きで纏めた資料を投影する。

 そこにはこう記されていた。


 ①触れた者の精神を乱してトラウマを引きずり出す。

 疑心暗鬼に陥れる。

 他人に悪感情を抱きやすくなるという諸症状を引き起こす。

 ②触れた感触はなく、質量もエネルギー反応も検知できなかった。

 ③触れなければ現状問題はない。

 ④物理的作用では変化は見られないが、概念的作用であれば干渉は可能。

 しかし、弾くことはできても、打ち消すといったことは意味をなさない。

 ⑤打ち消した場合、およそ三秒後に滲み出すようにまた同量、同規模の黒い靄が現れる。


「現象というよりは可視化された概念と形容するのが妥当か。……何かの前兆なのか、それとも人為的な策略の類か……。まぁいい、触れなければ問題ないのなら現状は封印処置を施す。日本全国虱潰しらみつぶしに黒い靄の出現地点を洗い出して封印を行うよう各員に通達。出現地点にはマーキングを施して地形的法則性がないか精査するように」

「承知しました」


 誘波は短く了承の意を示すと、タブレットを操作して全職員へ通達すべくメールを送信する。


「ところで、武闘大会の調整は進んでいるか?」

「ええ、順調です。ただ、第一班のメンバーが重要任務に就いている者が多い為調整が難しく——」


 その後も彼らの会話は途切れることなく暫く続いた。

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