第23話 天魔君臨


 意識が覚醒する。

 それは目が覚めるというよりは、意識が芽生えると表現した方が正しい感覚だった。


 足元にはレッドカーペット。

 頭上では豪華なシャンデリアが空間を照らしていた。

 大きな窓からはドス黒い雷雲が稲光と共に赤黒い雨を撒き散らして、ひび割れた荒野を濡らしていた。

 その様はまるで、王城の大広間のようであった。


 そして、眼前には六人。

 いや、六柱の悪魔の幻影を従えた王が玉座に鎮座する。

 腰まで届く白銀の髪に真紅の瞳。

 この世のなによりも美しい相貌そうぼう

 黒主体の貴族服でありながら、軍服のような洗練された機能性を併せ持つ衣装。

 その下には細身でありながら鍛え抜かれた肉体美を隠している。


 玉座にて、スラッとした長い脚を組んで頬杖をつく彼は、どこまでも上から目線で傲慢さを隠さない。


「よく来たな。未熟者よ」


 短い歓迎の言葉。

 殺意も重圧もかけていないただの一声だというのに空間に重みが生じて、建物が軋みを上げる。


 存在としての格の違い。

 

 頭ではなく本能がそれを一早く理解し、身体に震えが走る。

 だが、ふと、握られた右手の感触にその震えは止められる。


「萎縮する必要はありません。私が共にいるのですから」


 その声に反応してバッと振り向くと、自身の右手を優しく握るミカがいた。


「なっ! ……どう……して……。だって、私のせいで、死んだはずじゃ」

「はい。貴女の為に死ねたからこそ、私はここにいるのですよ」


 八神が溢す自責の言葉を、誇らしげな言葉で優しく塗り潰すミカ。

 それは対峙していた頃と違い、痛々しさのない満足げな笑みだった。


「正直、私も不思議な気持ちではありますけどね。記憶や魂と密接な結びつきのある紋章を取り込んだところで、人格が芽生えることなんて本来はあり得ない。それこそ、奇跡でも起きなければ」

「…………奇跡」

「どうして私に意識が芽生えたのか。貴方ならご存知なのではないですか。天魔ルシファー」


 不遜ふそんにも、ミカは玉座に鎮座ちんざするルシファーの眼を直視しながらそう尋ねる。

 地獄界の悪魔ですら萎縮して眼を合わせようとしないというのに、一切怯まず直視する真っ直ぐな視線にルシファーは自然と笑みを溢す。


「フッ。俺様にひざまずかぬ不遜はその眼差しに免じて特に許そう。そして、そこの未熟者を支えた献身けんしんを評価して答えてやる。当然、貴様に自我が残った理由など知っている。愚弟ぐていが祈りを捧げ、貴様のさちを願ったからだ。故に太陰太極図たいいんたいきょくずが如く、貴様と未熟者の魂が結合する形で貴様の自我は残存したのだ」

「成程、エンドレスと同じ状態になったわけですね。けれど、私と紫姫は同型機で遺伝子配列のみならず、魂レベルで近しい存在だったからこそ何の副作用も生まれなかったと」


 エンドレスは他人同士故に、副作用で言語中枢や思考能力が低下していた。

 しかし、彼女らにそういった副作用が芽生えなかったのはそういう理由からだった。


しかり。だが、その奇跡も無に帰す。俺様が貴様らを鏖殺おうさつし、受肉するからな」


 ルシファーが玉座から立ち上がる。

 解放した魔力により六柱の幻影は霧を晴らすかのように霧散し、空間が鳴動する。

 歴戦の戦士ですら彼を前にしては、本能的な恐怖により立ち上がることすらできないだろう。

 だが、彼女らは違う。


「いけますね」

「問題ないよ。私たちなら勝てる」


 一人ならば八神もミカも到底立ち向かえない。

 恐怖に膝を屈してしまうことだったろう。

 だけど、ここには頼れるがいる。

 だからこそ、膝を屈することも、恐怖を感じることもない。


 二人は背に三対六枚の翼と転輪する光輪を顕現させる。

 応じるように天魔も六対十二枚の黒翼を広げる。

 そして、地獄そのものを象徴するような禍々しき獄炎の光輪を顕現させる。


 八神は右手に星の光が形を成した聖剣、明けの明星フォスフォロスを。


 ミカは右手に聖なる焔が形を成した剣、鞘から抜かれし剣、左手には公平を司る正義の秤を。

 

 天魔ルシファーは右手に星の影が形を成した魔剣、宵の明星へスペロスを。


 それぞれが信を預ける武器を手に、もう一つの神話が紡がれる。



    ◇



 黄金に支配されし異界と化した地下空間。

 侵食領域と同様に世界から隔絶した異界。

 そこで、天と魔を統べる覇王ルシファーと、かつて彼を討ってみせた大天使ミカエルの激闘が繰り広げられていた。


 それはもはや対決というには、規模があまりに大き過ぎた。

 一瞬と形容できる間に数万もの剣戟の応酬が繰り広げられる。

 その余波だけで大地は裂け、天が引き裂かれる。

 そして、彼らは剣と剣を合わせる傍らで数千もの紋章術魔術を行使する。


 爆炎と大瀑布が相殺され、水蒸気爆発を引き起こす。


 雷撃とエネルギー波がぶつかり、莫大な熱量を持つ爆発によって地表がガラス化する。


 大樹を持って押し潰さんとするなら、暴風を持って引き裂く。


 地獄界ゲヘナに眠る不死の魔物を召喚するなら、次元ごと切り裂く。

 

 黄金の空そのものを堕とすなら、緑豊かな大地が牙を剥く。


 最早戦争という言葉すら形容に値しない神話の戦いが続く。


「クハハハハハハハハッッ!! たのしいな。久方振りの戦いが貴様とであったことは、真に僥倖ぎょうこうだぞ!」

「僕は勘弁願いたかったね! そもそも、戦いなんて僕は嫌いなんだ!」


 正義の秤が揺れる。

 天と魔、つまりは大空と大地を司るの覇王を調和させる。

 大空と大地、それぞれの属性に引っ張られる形で引き裂かんと力場が発生するも、ルシファーは魔力によるゴリ押しで力場を粉砕する。


「苦手だとほざきながらエグい真似をする」

「兄上相手に手段なんて選んでいる余裕はないさ」

 

 ルシファーは薄い笑みでもってその言葉に応える。

 宵の明星へスペロスによる空間を埋め尽くす漆黒の斬撃を繰り出す。

 ミカエルは応じるように、正義の秤を揺らしてルシファーにも同様の空間を埋め尽くす漆黒の斬撃を繰り出す。

 そして、両者同時に己が信を預ける剣にて迫り来る無数の斬撃を退けた。

 

「兄上、貴方はまだ人間を不出来で愚かな人形と断じているのか?」


 ルシファーはかつて、神の似姿にすがたとして造られたアダムとイヴに仕えろという命令にそむいた。

 『神に成り代われる程の力を持った自身が何故、矮小わいしょうな泥人形ごときに仕えなければならないのか』と考えたからだ。

 その傲慢な考えは昔から変わらず今もそうなのか。

 だが、それにしては少し違和感を覚える。

 そうミカエルは感じたからこそ問うたのだ。


「当然だ」


 即答だった。

 事実、その眼を見れば心の底から人類をさげすみ、見下していることが察せられた。

 しかし……、


「だが、それだけでないことも理解した」


 先程までの侮蔑ぶべつに満ちた真紅の瞳は、いだ海のような眼差しへと変化する。


「あの小娘を通して俺様は世界を見た。そうして感じるものがあった。俺様が認めても良いと思う人類がいた。……故に!」


 天魔は地獄の業火によって、自身の背後に精神世界の様子を投影した。

 そこには天魔ルシファーと戦う二人の瓜二つな少女の姿があった。


「俺様は一つ、賭けをすることにした。俺様が認めた小娘どもが今一度その輝きを示せば、我が力の全てをくれてやる。もし、俺様の期待に応えられないというならば——」


 左手を勢いよく握り締める。

 その動作に連動して握り潰されるように投影していた業火を破壊する。


「忌まわしき神が創った世界を破壊し、俺様が新たな世界の神として世を創造する」

 

 不敵な笑みを浮かべて述べるルシファーにミカエルはあきれた視線を向けて言う。


「相変わらず素直じゃないね。兄上」

「相変わらず可愛げがないな。愚弟」


 神話の激闘は地下深く、黄金に染め上げられた異界にて続く。

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