第14話 事の顛末



「鮫島様、報告します。任務に失敗したスパイダーの処理は完了。ムカデは紋章災害となり、ターゲットを追い詰めるも、朝陽昇陽の介入により捕獲に失敗。詳細は後程、報告書にて」

「そうか。報告ご苦労、シェリル。退がって良い」


 某日某所。

 何処かの高層ビルの社長室に三人の人物がいた。

 一人は黄色味がかった金髪のボブカット。

 切れ長の翡翠の瞳。

 黒い龍のような鋭角的なフォルムのパワードスーツを装着した女性。


 ひざまずく彼女に背を向けて窓の外を眺めながら報告を聞いていた、黒髪をバックに撫で付けたスーツ姿の男。

 その名は鮫島咬牙さめじまこうが

 アトランティスの元暗部組織にして、現在は世界各地にアジトを持つ科学結社【デリット】のトップに立つ男だ。


 金髪ボブカットの女性、シェリルは鮫島の言葉に従い、一礼と共に退室する。


 部屋には鮫島と、もう一人の人物のみが残された。

 その男はシェリルよりもなお明るい、雷を想わせる金色の長髪をなびかせて、ソファーにふんぞりかえっていた。


 人に尋ねれば十人中九人は女性と答えるほどに整った、中性的な顔立ちの青年。

 身体の線は細く見えるが、よく見ると無駄なくしなやかな筋肉が発達していることが分かる。

 彼の名はルーク・スペンサー。

 傭兵として世界各地の戦場、組織間抗争を渡り歩く戦争代理人だ。


「鮫島ちゃん、今回は残念だったね。お目当ての女の子を連れ帰れなくってさ」


 ルークは机上に置いてあったクッキーをかじりながら、にこやかな笑みを浮かべる。

 その笑顔からは、少女を誘拐しようとする彼への侮蔑ぶべつ嘲笑ちょうしょうが滲み出ていたが、当人は恐らく隠す気もないのだろう。

 背を向けながらもさとく、その感情を読み取った鮫島は、気にもとめず彼の言葉に応える。


「そうだな。しかし、成果がなかったわけではない。紋章増幅薬の臨床実験では、服用者には紋章増幅薬の元となった紋章者の記憶の一部が書き加えられることが分かった。加えて、紋章絶技による記憶欠落の実証、及び紋章災害の観測すら行えた」


 鮫島はつらつらと言葉を並べる。


 (あくまで傭兵に過ぎない俺に情報を開示し過ぎじゃねぇか?)


 ルークは、デリットの機密情報である紋章画数増幅薬についての情報を垂れ流す鮫島を怪訝に思う。


(つっても、この程度の情報は取るに足らないものなんだろうな。真に重要な情報を俺みたいな根無草ねなしぐさに語るわけもない)


 ふと浮かんだ疑問に対して自己完結するルークを他所よそに、鮫島は言葉を続けていた。


 「特に紋章災害と朝陽昇陽あさひしょうようとの戦闘データは有用だ。彼がまともに紋章術を行使することは少なく、データが乏しかったからね。低レート紋章者の紋章災害では彼に到底及ばないという結果も、事実としては好ましくないがデータとしては良いものが取れた」


 レート。

 犯罪者には賞金と共に世界共通のレートが存在する。それは国家、市民に対する危険度、強さによって以下のように分類される。


 レート1:チンピラ。

 レート2:強盗犯

 レート3:殺人犯

 レート4:ヤクザ、マフィア

 レート5:大都市を壊滅させ得る

 レート6:国家を滅亡させ得る

 レート7:世界を危機に陥れる


 レート1〜4までなら一般警察でも対処可能なレベルではある。

 しかし、レート5以上は一気に危険度が上昇する。

 特務課のような対紋章者戦闘に長けた組織か、軍隊、自衛隊でないと対処できないレベルになる。

 レート7に至っては核兵器すら通用するものは少ない化け物ばかりの領域だ。


 先程低レートと称されたムカデは懸賞金三〇〇万円のレート4。

 紋章絶技を考慮すればレート5には至るが、紋章災害となった羅刹でさえ推定懸賞金:八億七五〇〇万円の推定レート6の上位程度だ。

 そして、朝陽昇陽をレート換算するならば、紛れもなくレート7。

 それも最上位に分類される。

 そんな貴重なレート7の戦闘データは真面まともな戦闘になることも少ないため貴重なのである。


「しかし、それはそれとしてだ。彼女の回収が急務であることに変わりはない。早急な回収が望まれる」

「まぁ、前金まえきん貰ってる以上、お仕事はちゃーんとこなしてやるよ。成果報酬も期待してるからね〜」


 そういうと彼はバチッという音と共に、雷光をほとばしらせて姿を消した。

 鮫島は笑みを浮かべる。

 彼ならば必ず彼女を回収してくれると、彼の強さを信用しているが為だ。


 彼のレート7の領域にも届き得る強さを。



    ◇



「……ぅうん……」


 微睡まどろむ意識が、次第に覚醒へと向かっていく。


「……ここは、……医務室?」


 意識が覚醒し、思考は明瞭となる。

 そこでようやく、八神は自身の置かれた状況を把握することができた。

 どうやら何処かの建物の医務室。

 おそらくは特務課の本拠地バトルドームのいつものビル内にある医務室なのだろう。

 医務室は個室だった。

 サイドテーブルには花瓶に活けられた、淡く香るガーベラと、お見舞いの品であろうベビーカステラが置かれていた。


「……なんでベビーカステラ?」

「ぼくの行きつけのお店で買ってきたんだ。冷めてても美味しいからどうぞ」


 出入り口の方から声が聞こえて、そちらに視線を向ける。

 すると、背丈の低い白衣を着た少女がスライドドアを静かに開けて入室してきていた。


 前髪のサイドを伸ばした白雪のようなショートヘアをなびかせる。

 翡翠ひすいの穏やかな眼差しが、万人に安心感を与えるその人物の名はクリス・ガードナー。

 特務課最強を誇る第一班の所属にして医療班班長を務める人物である。


 そして、一見女性にしか見えない顔立ちではあるがお股にナニがついているため、女性ではないのかもしれないとクリスを知る人物愛すべきバカどもの中でもさとい者たちは考察している。

 本人曰く“見たらわかるでしょ”、とのこと。

 ……分からないから聞いてるんだよ。


「じゃぁお言葉に甘え——でェィッ!! ……だィ……」


 ベビーカステラを食べる為にベッドから身を起こした八神。

 だが、全身を貫く痛みが走り、乙女にあるまじき悲鳴をあげて再度 on the bed.

 すっかり重症患者であったことを忘れていたのだった。


「なんかごめんね。はい、どうぞ」


 医者として彼女の状態を誰よりも熟知しているクリスは言うまでもなく食べさせてあげようとしていたのだが、彼女の行動が思いのほか早かった食い意地が思いのほかはっていたがために出遅れてしまった。

 その結果、彼女は痛みにもがくハメになってしまったのだった。

 これにはクリスも苦笑するしかない。

 

「まず、君の症状を教えようか」


 そう言ってクリスは、彼女の表情から心理を正確に読み取って、ベビーカステラが欲しそうな時に与えるという、何気に人外じみた芸当を披露しながらカルテを読み上げる。


「まぁ、簡単に言うと肋骨ろっこつが七本の骨折と二本のヒビ。内臓にも幾つか損傷が見られて、打撲や内出血なんて数えればキリがない。神経毒にもやられてたけど、それに関しては解毒剤を投与して、今見る限り解毒げどくには成功してるから何も異常はなし。結論を述べると、全治二日の大怪我だね。よくこんな身体で紋章災害なんて化け物と戦ったものだよ」


 と、カルテを読みながら呆れるクリスに、八神は驚きの声を挙げた。


「えっ、これだけの重傷なのにたった二日で退院!? ……ベッドの数足りてないとか?」


 “包帯グルグル巻きで放り出されるの?” “紋章災害ってなに?” と考えてたらそれすら読み取ったかのようにクリスは答える。


「質問が多いね。一つずつ答えようか。まず、心配しなくてもベッドは足りてるよ。全治二日は単純にぼくの手腕……、と言いたいんだけどそれでも本来なら一週間はかかる。これだけ短いのは単に君の自己治癒力の高さ故だね」


 クリス曰く、八神の身体はかなり頑丈。

 身体能力や自己治癒力、身体に関するありとあらゆる項目が常人を遥かに上回るスペックを誇っている。

 それこそきちんと身体を理解して使いこなせれば、並の動物格の紋章者すら上回るほどに。


 加えて、紋章者は紋章術を発動していなくても常に微弱な力が身体に影響を及ぼしている。

 例えば、凍結の紋章者なら冷気に強くなる。

 動物格、偉人格なら身体能力が向上するといった具合に。

 これによってルシフェルの力が微弱ながら常に身体を巡っているため、ただでさえ高い自己治癒力が更に活性化することで回復が早いのだとか。


 ムカデとの戦闘中、神経毒に侵されながらも戦えたのはこの“内在力場ないざいりきば”とも呼べる現象が、無意識下で自己治癒力を活性化していたためらしい。


「で、次に紋章災害についてだけど、率直そっちょくにいうと君が戦ったムカデ、正確には彼が紋章四角分全てを用いて変貌した、紋章の力そのものに意思が宿った存在が紋章災害と呼称されるものなんだ。それにしても、出勤初日に襲撃された上に大災害に見舞われるなんて運が悪かったね」


 八神はクリスの話を聞きながら紋章災害、羅刹らせつのことを考えていた。


 強かった。

 本気を出せばどんな相手だろうと勝てると思っていたけど、自惚うぬぼれが過ぎた。


 だけど、……得たものも確かにあった。


 無念無想の境地。

 身体を蝕む神経毒と外傷によって、朦朧もうろうとした意識だったからこそ入れた境地。

 己が身体に正直になり、脳ではなく脊髄せきずいで行動することで、一時とはいえ羅刹の速度領域にさえ追いつけた。

 

(私には凍雲のような未来予知じみた予測はできない。ならば、この先の速度領域に対応する為には無念無想の境地に至る必要がある)


「で、事の顛末てんまつとしては朝陽さんが紋章災害を収めたは良いものの、凍雲さんが捕まえたスパイダーは口封じに消されちゃってアジトの場所とか分からずじまいなんだよね。困っちゃうよねぇ」

「ということは、今回の襲撃で得たものは特になし。骨折り損のくたびれもうけってことか……」


 無念無想の境地に至る修業法はまた後ほど考えるとして、今回の襲撃事件について、組織として得られたものはなにもないことに肩を落として溜め息を吐く八神。

 そんな彼女に、クリスは笑みを浮かべて返す。


「それがそうでもないんだなぁこれが」

「どういうこと?」

「なんと! 今回の事件をきっかけに八神さんの周辺警護が必要と判断されて、朝陽さんの所属する特務課第一班の出動範囲がここ、東京周辺に限定された上に、第一班が八神さんの警護を任されたんだよ。……まぁ、と言っても第一班は多忙だから、基本的には第五班が八神さんの警護に当たることになっちゃうだろうけどね」

「えっ、警護ってどういう……!?」


 クリスの話を聞いて八神は驚きの声を挙げながらも合点がてんがいった。


 いくら八神が歴戦の紋章者である凍雲と競り合う程の実力者と言えど、敵は国家が警戒する程の組織。

 特務課に入職したことで一般人ではなくなったとはいえ、それが護りをおろそかにする理由にはならない。


 バディが凍雲であったのも、彼が第五班で最も実力があったからだ。

 安全を確保した上で実践経験を積ませるという意図もあったのだろうが、護衛という意味合いもあったのかもしれない。


「そりゃあ、いくら君が強いと言えど、それが警護しない理由にはならないよ。……元を正せば奴等を誘き寄せる囮役を担ってもらってるわけだからマッチポンプみたいなもので心苦しいけどね」


 心底申し訳なさそうに顔を歪めるクリスの小さな頭を、八神はそっと撫でて柔らかな笑みを浮かべる。


 ……もちろん気づいていた。

 というより元からそのつもりで特務課への所属を申し出たのだから。

 狙われていることが明らかな人物をノーマークで放り出す訳もなく、利用しない手もない。

 気づいた上で我儘わがままを通して入職した事実にも、聡明そうめいなクリスならば気づいていたはずだ。

 その上で、心優しいクリスはデリットをおびき寄せる囮役を担わせてしまっていることに心を痛めているのだ。

 ならば、すべき事は決まっている。


「クリスが気に病む事はないよ。これは私が覚悟を決めた上で選んだ道なんだからさ。今回は実力不足が祟って傷を負っちゃったけど、次はできるだけ怪我なく帰ってくるようにするからさ」


 そう言って笑いかけるとクリスは俯かせていた顔を上げて微笑んだ。

 細まった視界から覗くクリスの表情を見るに、どうやら多少は気持ちを軽くすることができたようだ。


「うん。怪我はなるべくしないようにね。それと全治二日といえど、重傷に変わりはないから絶対安静にね」


 そう言葉を残してクリスは最後にベビーカステラを一つ食べさせると、ほがらかな笑みで病室を後にしようとする。

 しかし、その背にくぐもった声が掛けられる。

 もぐもぐと口の中のベビーカステラを飲み込んだ彼女は話し出す。


「入院中ちょっと用意してもらいたいものがあるんだけど良いかな?」

「身体にさわらないものなら構わないけど、なにが欲しいの?」

「それは……」




 

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