千里眼球

古新野 ま~ち

第1話

国道24号線、奈良と京都の境界のガソリンスタンドの側を流れる川に桜の木が立ち並んでいる。無数の羽虫が上空に登っていく。外壁に幾筋もヒビの入ったアパートは真昼にも関わらず棺桶の中のような静寂だった。

磨きたての革靴の爪先が埃で白くなっていく気がした。


急かされるように足が勝手に動く。


目が覚めたときから、今日は何をしなければならないかが明確であった。誘われるままに、工具を持ってボロいアパートにまでやってきた。


他のそれと同じように塗装が剥がれ表札のない扉の前に立った。インターホンを鳴らすが返事はない。

鍵がかかっていた。

すぐに立ち去った。なにも用意しておらず、鍵をこじ開けることが不可能だった。

無人のベランダによじ登りガラスを割ってクレセントを回すだけで侵入できた。

畳の上に散ったガラスが外の陽気で輝いている。散っていく桜の薄い桃色で輝いている。

老人がいた。古いガウンにスリッパというみすぼらしい姿で仏壇の前の椅子に座っていた。

突然の侵入者にも関わらず、沈黙したままの老人は死骸のようだった。


「孤独死のわりには臭いがないな」

老人は動かない。

「なぁジジイ、突然死ぬ気分を教えてくれよ」

「黙れや糞ガキ」老人は目を閉じたまま吐き捨てる「来ることくらい前から知ってたさ」

「なら俺が何しにきたか、もちろん知ってるよな」

俺はノミとハンマーを手にした。

「眼ん球よこせや」

「こんなもんなんの価値もないのに」


老人が瞼の裏の眼球で俺を睨み付けているのだろうか、脳内に氷水を流し込まれるような感覚がした。

その感覚は俺の視界にも滴ってきた。老人が歪んで見えた。魚の内臓を通して世界を眺めるような歪みかただった。色彩が腐敗したようだった。

「弱すぎるな。占い師にもなれないんじゃないか?」

「接客業は向いてないんでな」

「セールスマンにでもなればいい。そうやって土足で人の家に上がり込む図々しさが買われるぞ」老人は憫笑した。しかしその顔が、一瞬で険しいものになると、すぐに哄笑した。


どうやら未来が見えたらしい。

俺は老人が幻視した通りのことをした。

手にしたノミで自分の右の眼球を潰した。片眼に銀色の世界が拡がった。万華鏡ごしに砕けた液晶画面を見つめるような不愉快さだったが、半分の世界は腐敗から遠のいた。


「地獄みてぇに痛いな。あんたもそのうち味わうんだから、楽しみだろ? 」

「地獄なんてない」老人はようやくその目を開いた。「地獄の影があるだけだ」

「そうか」



俺は老人の頭をハンマーで殴りその眼球を抉りとって、噛まずに飲み込んだ。老人は最後に、可愛い坊主によろしくと呟いて息絶えた。


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