防風林の松
柳楽晋一
プロローグ 雲海
第1話
飛行機が滑走を始めた。
遠くに見える空港ビルが、ゆっくりと窓のふちに入ってゆく。ヨーロッパを訪れてから初めてではないか、日ざしに映える建物を見るのは。こちらで過ごした一週間は、ほとんどいつも曇り空だった。
空港ビルが見えなくなった。あそこで絵里と別れてから30分あまりだ。自宅に向かっている絵里はまだ電車の中だろう。ロビーで僕と過ごしたひと時を、絵里はどんな気持ちで振り返っているのだろうか。
窓からの視界がのびてゆく。ロンドンの都心から遠くないはずだが、空港のまわりはどうやら田園地帯らしい。訪れる予定になかったイギリスだ。ここに立ち寄るために観光先を減らすことになったが、それと引きかえにして絵里との再会がかなった。1時間にも満たなかったとはいえ、初めて訪れたヨーロッパでの最たる思い出は、ヒースロー空港で絵里と語り合ったこと、ということになりそうだ。
もしかすると、絵里と会うことも、ヨーロッパを訪れた目的のひとつだったのではないか。幸せになっている絵里を見るために。その絵里に祝福の言葉を贈るために。絵里との再会をはたした今ではそのように思える。日本を発った一週間前には、ロンドンに立ち寄ることすら予定になかったのだが。
絵里がロンドンで暮らしていることを知ったのは、2ヶ月前の8月だった。ドイツへ出かけるまでに調べておきたいことがあり、東京へ日帰りの出張をした日だ。
暑い日だった。仕事をおえて建物から出ると、冷房で冷えた体に湿気がまつわった。太陽はビルのうしろに隠れていたが、暑さは少しも衰えていなかった。流れる汗をふきながら、僕は地下鉄の駅へ急いだ。
勤務先から直行してきた坂田と新宿駅で待ち合わせ、駅から歩いて行ける大衆酒場に入った。
上京したついでに坂田と会う習慣ができたのは、僕が名古屋へ移った10年ほど前からだ。上京するたびに会うというわけでもないが、その日はどうしても坂田と話したかった。ヨーロッパから帰ったばかりの坂田から、旅行の体験談を聞きたかったので、電話をかけて会う約束をしておいた。
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