目覚めのキスを

 眠り姫。

 僕は、ずっと眠りつづける君を見続けて…諦めきれずにまた君が僕に笑ってくれるのを待ってるんだ。


 海から吹く風がカーテンを揺らして部屋の中に入ってくる。いつも君が毎朝、寝起きの悪い僕を起こすために開けていた窓。

 今日もまた、僕が開けた。いつの間にか、これが僕の日常になりつつある。


「僕は、この窓は、君が僕のために開けてくれる窓がいい」


 開けた窓から僕は視線を後ろのベッドに眠る君にむけた。君が僕の隣で笑って、その可愛い声を僕に…。


「君はもう、僕のために笑ってくれないの?」


 毎日毎日、何度も何度も君に問いかける。

 でも君は、この問いに、僕の言葉に答えもほんの少しの反応さえも返してくれない。


 ーーーああ、僕の“眠り姫”






 君の寝顔。

 今日もまた、ベッドに眠る君を見詰めて…君の声がききたい。君の笑う顔が見たい。

 いつもそう思うのに、君は眠ったままでその綺麗な空色の瞳をずっと見ていない。ただ君は、単純な呼吸を繰り返すだけ。


「昨日は君の呼吸が止まった…もう、僕の傍にいるのが嫌になった!?ルキ!!」


 そう、無反応な君に怒りに任せて怒鳴っても、君はいつもみたいに“うるさい”って怒らない。

 君の怒った声でもいい…だから、起きて。目を開けて僕を見て、こんな情けない僕を抱き締めて。僕が泣いてたら、ルキにくっついてていいんでしょ?


「ねえ、ルキ…僕の傍にいてよ」


 君の、細くて青白い手に僕は泣きながらすがる。君の肌はもともと白くて綺麗だったけど、今ほどの色じゃない。触れただけで骨がゴツゴツなんてしてなかった。

 君の手も体も触れれば柔らかくて気持ちよかった、のに…どうして?君は圧倒的に僕より強かった。持っていた霊神力も能力も才能も、勝ちに行く意志さえも軍の誰よりも孤高だった。


「僕は今も君に守られてる…」


 この家は、君の結界の能力によって外の汚染された空気や敵の死骸から出る人体に悪影響な物質から守られている。

 ここは数少ない軍の砦の1つだ。家だけでなく周りの木々、霊神力を使って動く島、その周りの海でさえもある程度の海域が汚染や敵の攻撃から守られ、僕達は敵の鋭い感知能力から逃げ延びている。


「紘樹!和国で第九小隊が複数の敵と交戦中だ。俺達も出るぞ!!」


 窓の外、浮遊能力で宙に浮く僕の所属する第五小隊の隊長は自分以外の小隊メンバーにも声を掛けていた。また君の傍を放れなきゃいけないなんて、僕には耐えられない。

 でも僕は行くよ、君に“紘樹は弱いし、敵の前でビビって泣くもんね★”って言われるのは嫌なんだ。


「はい、隊長!」


 僕は本当は放したくない君の手をベッドの上にそっと置くと、ベッドから離れてクローゼットの扉を開ける。

 右肩に自分の隊の番号の入ったジャケットを上に着て、君がいつも使っていた刀を腰のベルトに引っかける。君は本当に高度な能力が使用できる武器を持っている…ランクの低い僕じゃ扱えない代物だ。


「行ってくるよ、ルキ。僕がいない間に、いなくなったりしないでね…」


 窓から外に出て、浮遊能力で宙に浮く。ずっと眠り続ける君の寝顔を、出撃のために集まった第五小隊のところに着くまで目がはなせなかった。






 記憶の中の君。

 敵との長い戦いの中で汚染されたこの星の海上を浮遊能力で飛びながら第九小隊が敵と戦う和国へ急ぐ。1小隊3~6人で組まれる軍の能力者部隊は数と感知能力、パワーで勝る敵との戦いでここ数年で急激に数を減らしている。

 僕の所属する第五小隊は5人で構成されていて、比較的メンバーの入れ代わりの少ない部隊だ。あの時まで、この中にルキもいた。


「紘樹、遅れてるぞ!」


「ルキのこと考えててはぐれるなよー」


 先頭を飛ぶ隊長に注意され、先輩にはいつものようにからかわれる。

 僕の少し右斜め前を飛ぶもう1人のメンバー、同期の彼はいつも意地悪な事を言う。


「お前を守ってくれるルキはいないんだ、分かってるよな?俺はお前の盾になんてならねーからな!」


 そうだ、彼の言う通り彼女は…ルキは敵の攻撃に気付かずに立ち尽くしていた僕を助けるために盾になって傷付いた。僕は仲間が敵に殺られて汚染された海に沈んでいくのを見ている事しかできなかった。

 今も起きずに眠り続ける彼女は僕のせいで...。


「ばか野郎、紘樹!ルキはいねえって今言ったばっかだろ!!」


 同期の声に現実に目を向ければ、僕を狙った敵の攻撃を彼は剣で弾き飛ばしていた。

 僕はいつも誰かに守られてばかりいる臆病者で…こんな僕をルキは嫌いになってもしかたないのに。憧れた彼女には戦績は置いていかれるばかりで、能力だって使える数は少なくて、剣も振るえない僕は弱い男。


「こんなんじゃ、ルキにっ…!」


 僕は彼女の刀を抜いて構え、群がってくる敵に勢い任せに突っ込んだ。敵の攻撃が頬や肩をかするが痛みなんて感じない。

 隊長の怒った声だって今の僕にはきこえない。だって、だって…こんな僕が憧れた、ルキの刀の太刀筋はこんなものじゃない。


「僕だってもっと速く!!ルキに守られないくらい強く…!」


 がむしゃらに群れてばかりいる敵を切り裂き続けて、僕が気付くと周りの敵は一掃されていた。

 全身、大量の敵の有害な返り血にまみれている。体から力が抜ける、動きが鈍い…体中が悲鳴を上げているように熱くて痛い。

 彼女はたまに、こんな戦い方をしても平気だと笑っていた。いや、ルキは元々の霊神力の純度も何もかもが高い値で結界能力や治癒系の能力も使えた。


「っ…痛ってぇ…」


 こんな僕とは大違いだ。痛みと熱で意識が薄れる。なんとなく、汚染された海面が目の前にある気がする。

 僕を心配する隊長の顔、僕を叱る先輩の声…一緒の小隊の同期だけでなく、和国で交戦中の第九小隊に所属する同期の姿もある。

 いつの間にか第九小隊と合流していたらしい…でもそこで、僕のぼやけていた視界は真っ黒に染まった。


『敵がこわいの?それとも傷つく仲間を見るのがイヤ?』


 いつも僕の前に立ってこんな弱い僕を心配してくれるルキ。


『紘樹はさがってなよ。あいつらは私が全部片付けるから★』


 どんなに強い敵やどれだけ数が多くても…いや、ルキは強い敵を前にするほど、自分の周りに敵が多ければ多いほど楽しそうに綺麗で怖い笑みを浮かべていた。


 ーーー記憶の中の君は本当に強くて、こんな僕なんかとは大違いだ…






 眠り姫にキスを。

 目が覚めたら、空色の綺麗な髪が目の前にあった。ルキの髪だ。

 どうやらここは軍の砦の、僕とルキに割り当てられている部屋のようだ。僕はまた皆に守られ、足手まといになっても生き残り...僕は愚かにも今になって怖くなり泣きたくなって、それを隠すように同じベッドの隣に眠る彼女の胸に顔を埋めた。


「…キ…ルキっ!」


 ねえ、起きて。僕を抱き締めて、大丈夫だよって君の声で安心させて…お願いだから。

 僕は君がいないとダメなんだ。ねえ…ルキ?返事をして。


「ルキ、起きて...」


 僕の目から涙が溢れてルキの服を濡らし、彼女自身を濡らす。涙の冷たさが君に届いても、僕の想いは届かない。

 まったくルキは起きる気配さえも、空色の瞳を隠すばかりのまぶたはピクリとも動かない。


「ルキっ…」


 僕は君に怒りをぶつけるように、ルキの唇に噛み付いた。

 君が目を覚ますか、僕が諦めるまで…残酷な眠り姫にキスを。







 何処かで、遠く、近く…紘樹のつらそうな声がきこえる。

 私はあなたを守りきれなかった?

 紘樹が泣いている。あなたの傍で、あなたの柔らかい髪の感触を楽しみながら、大好きなあなたの笑顔が見たい。

 私が起きないからって、いじけて怒らないで?

 私があなたの頭を撫でないからって、切なそうに泣かないで?

 ねえ、お願い。こんな私にそんな価値は無いから。

 子供みたいに拗ねないで?

 またいつもみたいに“可愛いね★”って笑っちゃうよ?

 ねえ、


「…ひろ、き…」


 私はあなたをぎゅって、抱き締めたい。






 笑う君の頬に…。

 あなたが必死に、私の名前を何度も何度も呼ぶから…とてもとても、あなたに呼ばれるのが嬉しくて。あなたに逢いたくて、私は目を開けることにしたよ?



 海から吹く風がカーテンを揺らして部屋の中に入ってくる。いつも君が毎朝、寝起きの悪い僕を起こすために開けていた窓。

 今日もまた、僕が開けた。いつの間にか、これが僕の日常になりつつある。


「僕は、この窓は、君が僕のために開けてくれる窓がいい…」


 開けた窓から僕は視線を後ろのベッドに眠る君に向ける。君が僕の隣で笑って、その可愛い声を僕に…。


「君はもう、僕のために笑ってくれないの?」


 毎日毎日、何度も何度も君に問いかける。

 でも君は、この問いに、僕の言葉に答えもほんの少しの反応さえも返してくれない。

 そう思って僕は君から目をそらして、君に背中を向けてベッドに座った。


「紘樹の背中は、いつも頼りない」


 え?ずっと聞きたかった君の声が聞こえた気がする。でもこれは僕の願望がみせる幻聴だろうか。

 僕は怖くて、後ろに振り返る事ができない。


「本当に紘樹って弱いし、泣き虫だよね?」


 ヘタレだし、と付け加えられた言葉は僕の耳元だった。頼りないと言われた僕の背中は、少し重いと感じる。

 肩にのっていた手は、いつの間にか目の前を上から下に動き...気が付けば、君に後ろから抱き締められていた。


「ルキ?本当に、ルキ?」


 そう聞きながら首から上を君に向けて、本当にルキが起きているのか、幻覚ではないのかと確かめる。

 目の前には僕を笑う君の顔…僕を小バカにして、からかうように可愛いと、いつものように君の顔に書いてある。


「私以外に誰がいるの?それとも、私が寝てる間に浮気でもしてた?」


 そんなこと、僕にできるわけない。だって君をこんな状況にした原因は弱い僕で、君がこのまま起きなくて君がいなくなってしまうんじゃないかと泣いて怖がってたのは僕だから。

 ああ、目の前には待ち望んだ君がいる。ちゃんと君の声がきけて、閉じられてばかりで見ることができなかった空色の瞳を見ることができている。


「ルキっ…僕をもう、一人にしないで!!」


 君が起きてくれたことが何よりも嬉しくて、僕は勢いよく君に抱きついてベッドの上に押し倒す。

 僕の好きな君の白い肌は青白いままで…それでもいつの間にか泣いているのを隠すように君の胸に顔を埋める。

 大好きな君のにおい。大好きな君の柔らかい胸。傍にちゃんといてくれていると安心できる。


「また泣いてるの?本当に紘樹は…」


“可愛いね★”と君は僕の頭を撫でて嬉しそうに笑う。そして“ごめんね”と続けられた君の言葉は僕の心を締め付ける。

 それでも僕は弱い自分を許せなくても、こんな僕のところに戻ってきてくれた君を許すから。


「もうどこにもいかないで…君をはなしたくない」


「はいはい、私も紘樹が大好きだから…」


 ーーー私はあなたを絶対にはなさないよ★


 必死な僕に呆れたように、まだ泣いている僕を安心させるように君は衰弱した体の弱さを感じさせない笑顔を僕に向けている。

 僕はそんな風に笑う君の頬に…涙を拭ってからキスを落とした。

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