勉強と少女

yurihana

第1話

天国よりもさらに上。神々が住んでいると言われる天空のある場所で。二人の神が言い争いをしていた。

「俺の方が力を持ってる!お前は俺の下だ!」

「いいや、俺だ」

血の気の多い若い神二人は、毎日力比べをいている。娯楽がない天空で、神は暇を持て余しており、力比べは暇潰しの一つでもある。

眼鏡をかけた黒髪の男の神がため息をついた。

「そろそろ止めにしないか?

毎日毎日……。いい加減お前と力比べをするのは疲れた」

「お前が俺よりも下だって認めればいいだけじゃねえか!この頑固野郎!」

眼鏡をかけた神が舌打ちまじりに叫ぶ。

「あーもう分かった!

ではこうしよう!人間を使って勝敗を決める!神から人間へはあまり関与できないから、その分お互いの実力が知れるはすだ。

関与は一日一回まで。

これでいいだろう!」

「ああ、いいぜ!どんな勝負でも俺が勝つけどな!」

「決まりだな。

……天使!」

眼鏡をかけた神が清らかな女性を呼ぶ。

「このままじゃいつまでたっても俺達の勝敗がつかない。だから人間を使うことにした。

俺達の決着をつけるのにふさわしい人間を探してくれ」

「かしこまりました」

天使は数秒目を閉じ、開けた。

「ではこの人間はいかがでしょうか?」

天使は空に少女を写し出す。

その少女は美しい黒髪をきゅっと一つにまとめており、白く綺麗な顔を持っている。

だが、それ以外に目立った特徴はない。

「うーん。容姿は良いが、神同士の決着をつけるにふさわしい娘なのか……?」

眼鏡をかけた神は怪訝そうに天使を見た。

それに答えるように天使は少女の説明を始める。

新嶋海月にいじまくらげ。17才。

身長は161cm。血液型はA型。誕生日は12月4日です」

「それで?」

金髪の神がどうでもよさそうに促した。神にとって人間の情報は大して興味のないことだった。

「この少女、他の人間とは少し変わっておりまして」

「どこが?」

「この少女は勉強が大好きで、常日頃勉強に熱中しているのにも関わらず、偏差値が40を切る高校に通っているのです」

「偏差値?」

金髪の神は首をかしげた。

「人間が使う、それぞれの学校のレベルを表す数値です。高ければ高いほど、賢い学校であると認識されます」

「つまり、たくさん勉強しているにも関わらず、馬鹿学校に通っているということか?

単純に頭の質が悪いのでは?」

眼鏡をかけた神が尋ねる。

「しかし、この少女、全国模試にて一位をキープしています」

「へえ」

金髪の神が少し興味を示した。

「新嶋海月は朝六時に起床。六時半から勉強を始め、そこからずっと手を休めずに勉強をしています。休憩は昼ご飯の時と夕飯・入浴の時のみ。22時には寝ますが、それは頭の質を落とすのを恐れてのことです。毎日15時間は勉強に取り組んでおります」

「なるほど。ではその少女の勉強時間を、そうだな……1時間以下にすることができた方の勝ちというのはどうだ?」

眼鏡をかけた神が提案をする。

「いいだろう」

金髪の神は頷いた。

「申し訳ありませんが、その条件は無理があるかと」

おずおずと天使は神に話しかけた。

「なんだ?どこに無理がある?」

眼鏡をかけた神は機嫌を悪くしたようで、その声は低くなった。

天使は頭を深々と下げ、進言をした。

「地上は天空よりも、時間の価値が高いと聞きます。天空での一時間というのは、本当にあっという間ですが、地上ではそうではありません。ですから、10時間以下という条件の方がよろしいのではないでしょうか?」

眼鏡をかけた神は数秒考える。

「なるほど。天使は我々よりも地上に詳しいからな……。では9時間以下としよう」

「オッケー。さて、やるか」

金髪の神がニヤリと笑った。

天使は一礼して、勝負の内容を確認する。

「では新嶋海月の勉強時間を先に9時間以下にした者が勝者となります。

神は、人間がこれから健やかに暮らしていく邪魔をすることはできません。特に命に関しては。例としてあげるならば、病気にさせたり、死なせたりすることですね。もしそうしてしまったら」

「俺達の体力が底をつき、最悪死ぬんだろ?

その他にも色々制約があんだよな。

分かってるよ。さっさと始めようぜ」

「失礼いたしました。

では勝負を開始致します」

神は雲の下を覗く。

そうして新嶋海月を観察し始めた。


ピリリリリと電子音が鳴り、新嶋海月は目を覚ます。

「6時31分……チッ」

起床時刻が1分遅れたことに新嶋海月は舌打ちをする。同じ頃、天空でも金髪の神が舌打ちをしていた。気温やノンレム睡眠とレム睡眠の切り替え等を駆使して、寝坊をするように仕掛けていたのだ。

「くそっ!俺は三時間寝坊するように狙ったのに……!」

金髪の神は頭をかいた。

「あまり干渉できねぇとは言っても一分しか寝坊しねぇとは……」

新嶋海月は部屋の扉を開けた。

「あーあ。勉強時間が減っちまう」

そう言って新嶋海月は一階へ向かう。

「もしかしてこの女、口悪いのか?」

金髪の神は想像していた性格と違ったのか、少し驚いているようだった。

新嶋海月は朝支度を済ませてから、水を持って自室に向かう。

部屋に入ってちらりと時計を見る。

急いで支度をしたために、時刻は6時25分。

「ウンウンウンウンウン。早いに越したことはいからなー」

机に向かい、教材を開く。

それから。

勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強。

ひたすらに勉強。

眼鏡をかけた神と金髪の神は驚いていた。

「なんと言うか、この人間の勉強する様子というのは……鬼気迫るものがあるな。

他の人間とは違うという天使の言葉を納得せざる得ない」

「ああ、今にも教科書にめり込みそうだ」

新嶋海月は文字を次々とノートに書き込み、素早くページをめくる。

視線を左右に動かし、筆記の音を響かせながら、ひたすらに問題を解いていく。

次に、水を一杯飲んでから、流れるように英単語帳を手に取り、ブツブツと音読として英単語を覚えていく。

単語暗記に疲れた、否、飽きたと見えると、洋書を開き、本文を黙読や音読、気分転換に古典の教科書を開き、これも黙読・音読。

一通り終わると、数学の問題集を開き、手を休めることなく、問題を解いていく。

何かと戦っているかのように、必死に知識を詰め込んでいる。

耳を澄ませば、少女の独り言が聞こえてきた。

「もっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっと」

「ここまでくると、狂気だな」

金髪の神が言葉をこぼした。

ごはんを食べているときも、風呂に入っているときも、少女の心は浮遊して、勉強のことが頭から離れていないようだった。

21時。眼鏡をかけた神が仕掛けた。

新嶋海月の部屋の電気がふっと消える。

再び灯りがついたとき、海月の背後には、長い前髪をたらした女性が立っていた。

慌てたように金髪の神を叫んだ。

「お前っ、幽霊使うとかずるいぞ!」

「何を使うかは決まってなかったんだから、実力のうちだろう」

フフンと眼鏡をかけた神は得意気な笑みを作る。金髪の神は悔しそうに成り行きを見守った。

「うらめしやぁあ」

幽霊がおぞましい声を放つ。これにはどんな人間でも腰を抜かし、勉強どころではなくなるだろう。眼鏡をかけた神は勝利を確信した。

だが肝心の新嶋海月は勉強を続けている。

幽霊はもう一度声をあげる。

海月はちらりと幽霊を見て、勉強に戻った。

幽霊は海月の肩に手を置く。

「無視するなぁあ」

幽霊の目から血の涙が弾ける。それは海月のノートにも飛んだ。

「お前こそ」

海月のシャーペンの動きがピタリと止まる。

「私の勉強の邪魔するな」

壮絶な目で海月は幽霊を見る。幽霊は少したじろいだ。幽霊は純粋な疑問を口にする。

「どうしてそんなに勉強するぅう?」

「決まっているだろ。勉強したいからだ」

海月は幽霊に向き直る。

「ゲーマーがゲームを楽しむように私は勉強を楽しんで、

恋人が互いを愛するように、私は勉強を愛していて、

マラソンランナーが走るように、私はシャーペンを走らせて、

カレンダーをめくるように、私は教科書のページをめくる。

つまり他人が家族が大切にするように、勉強は私にとって当たり前で大切で、やりたいものなんだよ。そこにどうしてもくそもねぇんだよ」

新嶋海月は堂々と言い放ち、幽霊を睨み付ける。

「だからよぉ、幽霊ごときが私の勉強の邪魔をするな!

1分でも1秒でも、知識を身につけ、アウトプットする。これが私の学生としての義務で、権利で、私の大事なだーいじな趣味であり日常だ」

イライラした口調で新嶋海月は吐き捨てた。幽霊は海月の目の中を見る。底知れない希望と闇、勉強に対する異常な執着を感じとり、幽霊は多少の恐怖と共に、海月の前から姿を消した。

よってこの日の勝敗は引き分けとなった。


次の日もその次の日も、二人の神は失敗し続けた。

「地上で神の力に制限がかかるとはいえ、ここまで上手くいかないのは悔しいな」

眼鏡をかけた神は歯ぎしりをした。

「俺もおんなじことを考えてたぜ」

金髪の神は言った。

そこで二人の神は、今日一日だけは協力をして、新嶋海月の勉強時間を減らすことが可能なのかを確かめることをした。


新嶋海月が学校に登校した日の昼休み、二人の神はビックイベントを仕掛けた。

まず新嶋海月のクラスの放送器具をジャック。そして天使を教室に送り込んだ。本来、天使を人間の世界に送ることはできない。これは二人の力を合わせた結果である。

天使は指示された通りに行動した。

教室に移動陣が浮かび上がる。ちなみにこの移動陣は、昨夜天使が教室に忍び込み、専用のペンであらかじめ床に書き込んだものだ。

移動陣は白い光を放つ。周りの人間は驚き、動揺を見せているが、新嶋海月は「そんなことはどーでもいい」というように勉強を続けている。

そこへ天使が羽を広げて話し始めた。

「急なことで申し訳ありませんが……皆さんをこれから異世界にお連れします」

移動陣が赤く染まる。まもなく発動する証拠だ。この移動陣は本物であり、異世界に行ったとなれば新嶋海月はしばらく勉強ができなくなる。

(勝った!)

と、大人げなく二人の神が思った時だった。

ガリッ

新嶋海月がシャーペンで移動陣の一部を上書きし、模様を消した。

ガリガリガリガリガリガリガリガリ

さらに移動陣を上書きしていく。

「「あああああああああああああ!」」

二人の神は悲鳴にも似た落胆の声をあげる。

一部が欠けた状態では、移動陣は発動しない。

赤い光が収まる。クラスメイトと天使はキョトンとしている。

数分後、神に呼びかけられ、計画が失敗したことに気がついた天使は、ガッカリして天空へ戻った。


天使が戻った後、教室は静まりかえっていた。

新嶋海月は一時勉強を止めたものの、天使がいなくなり、いつも通りの日常に戻ったと解釈すると、心置きなく勉強を再開した。

「おい、新嶋」

クラスの男子が新嶋海月の机に近づいた。

ラノベをよく読んでおり、少し中二病を患っている男子だ。

「なにやってんだよ……!

もしかしたら異世界に行って、勇者になれたかもしれないのに!」

「おいおい、お前何言ってんだよ」

軽く笑い、別の男子が声をかける。

しかしその声は届いていない。

その男子は怒っていた。自分の叶うはずのなかった夢を、目の前で壊されたからだ。

「私は異世界に行きたくなかった。それよりも勉強していたいからな」

「勉強勉強って……!いい子ぶるんじゃねえよ、この『優等生』!

そもそもなんでこの学校に来たんだよ!

自分よりレベルの低いやつらを見て、鼻で笑うためか!?」

「家から近かったから」

端的に海月は返事をした。

「え?」

「この学校は家から歩いて5分のところにある。移動時間が減るのは良いことだから」

「はあ?

いや、勉強っていうなら、移動時間かけてでももっと優秀な高校に行けよ。

そしたらもっとレベルの高い授業受けれただろ」

男子の怒りは驚きによって吹き飛んでいた。

彼女の回答は、その男子にとって、全くの予想外だった。

「レベルの高い授業とかいらない」

海月はため息をついた。

「私はな、したいんだよ!

頭が良くなりたいんじゃない。確かに勉強をしたら結果として頭は良くなる。でも私の目標は偏差値を上げることじゃない。

私にとって勉強とは、手段ではなくそれこそが目的だ!

だから学校のレベルとか……どうでもいい」

その男子を含め、クラス全員が絶句していた。

彼らは遊ぶことこそが毎日の楽しみで、勉強なんてものは楽しみの障害としか思っていなかった。

新嶋海月はうっとりとして言葉を続ける。

「昔の物語を読むこと。漢文の読み方の様々なバージョンを知ること。それぞれの文化に触れること。計算で一つの数字を導き出すこと。関数の曲線で答えを求めること。たくさんの場面の確率を片っ端から出していくこと。あらゆる実験方法とその結果を頭に入れること。本来ならば知ることのできない、私が生まれる前の出来事を事細かに知れること。世界の共通の言語を学び、それを巧みに使えるように鍛え上げること。

これら全てが愛おしく、必要不可欠で、やってもやっても終わりが見えない、いつまでも続けられる、素晴らしいものなんだよ!」

クラスの全員の視線を浴びて、新嶋海月はさらに言葉を繋げた。

「我ながらラッキーだった。私は勉強に、大人が勧めるものに、楽しさを見いだすことができた。これは本当に偶然なんだよ。もし教科に『漫画』が突然入ったら、オタクが一位を取って私は学年最下位となり、挽回するまでに時間がかかるだろうから。

だから今、私が好きだと思うものが、強要される世の中で良かった」

ほっとしたように海月を目をふせた。

何の反応も返ってこないのに気づき、新嶋海月は顔を上げてクラス全員の顔を見る。

皆の顔はひきつり、海月のことをドン引きしていた。

その反応を受け、海月は落ち込むかと神達は思った。しかし海月は「ハッ」と一度笑うと、満足そうに教室を見渡した。

「ウンウンウン。もっとももっとも。

その反応は普通だよ。全部理解なんてされると思ってないし求めていないさ。

でもね、今一度分かって欲しい。

私はよ、ほんっとーーに勉強が大好きだし、必要だし、求めてるんだ。

引いてもいい。陰口を叩いても良い。

だから邪魔をしないでくれよ。

分かったらほっといてくれ!」

海月がイキイキとしてそのことを告げる。今まで隠していた本音を、はっきりと口にできたことに喜びを感じている。

海月が言い終わった直後、チャイムが鳴った。

クラスメイトは昼休みに起こったことを頭の中で整理できず、放課後になっても放心状態だったが、海月は何もなかったかのように教室を出て、いつも通りに家に帰り、いつも通りに勉強を始めた。


それを見て、眼鏡をかけた神が呟いた。

「良い…………とても良い」

「お前、まさか」

金髪の神が眼鏡をかけた神を見る。

嫌な予感があった。

そしてそれは的中した。

「あんな人間は初めてだ。あの子が死んだら俺の眷属にしよう」

「はあああああ!?」

実は金髪の神も同じことを考えていた。

「あれは俺のもんだ!」

眼鏡をかけた神がギョッとする。

「なんだと!?」

こうして二人の神は再び争い始めたのだが、それはまた、別の話。










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勉強と少女 yurihana @maronsuteki123

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