第1743話「沈黙の狐娘」

 人為的な水害により、植生が丸ごと薙ぎ払われた〈鎧魚の瀑布〉下層は、泥濘の広がる沼地となっていた。ウェイドには原始原生生物を使った植林を提案したがけんもほろろに断られ、自然そのものの治癒力に任せられている。

 それに、わざわざ木々の生長を急がせる理由もないと彼女は言った。


「本当に見つかるんですかねぇ、"肥沃のヌロゥ"の手掛かりは」

「体組織の一片でも見つかれば大金星だ。だからこうして、トレジャーハンターが集まってるわけだが」


 再建設も一夜にして終わり、稼働の始まったエナドリプラント。その屋上に登った俺とレティは、そこからだだっ広い平地となったフィールドを見下ろしていた。

 〈歩行〉スキルか特別なブーツでもなければ足を取られてまともに歩けない泥の中に、調査開拓員たちが集まっている。ある者は大きなパラボラアンテナの付いた装置を背負い、ある者はテイムした犬と共に歩き、またある者はダウジングに望みを懸け、皆一様に何かを探しているようだった。

 〈鎧魚の瀑布〉の木々が一掃され、見晴らしが良くなった今こそが探し物をするには絶好の機会だ。ウェイドの号令を受けた調査開拓員たちは、ここで先日発見された未知の原生生物"肥沃のヌロゥ"に関する手掛かりを探していた。


「不死身の原生生物ってのは今までいなかったからな。ボスエネミーなんかもリポップのたびに別個体らしいし」


 各フィールドに一体は存在するボスエネミーは、当然ながら倒してもしばらくしたら新たな個体が現れる。とはいえ、基本的に別個体という認識で良いらしく、実際に細かな行動の癖などが変わっていることはある。

 レアエネミーはともかく、ネームドと呼ばれるような一部の特殊エネミーも、倒せば以降出現はしない。

 つまり、原生生物たちもそれぞれに今生の時間を過ごしているのだ。

 そんな中で現れた"肥沃のヌロゥ"は、調査開拓団の目を引いた。水を吸うことで強大な力を獲得し、更に内側からズタズタに貫かれても死ぬことはない。ウェイドでさえ把握していなかった謎の原生生物であり、その力は絶大だ。

 今も〈オモイカネ記録保管庫〉に記述や記録が残っていないかと調べられているようだが、そちらも成果は挙がっていない。とにかく謎めいた存在だった。

 だからこそ、こうして沼地を浚って何か痕跡が見つからないかと探しているのである。


「ペンさんは神秘の末裔って言ってたんですよね? あんな存在が他にもいるんでしょうか。そもそも、彼女はどこでそれを知ったんでしょう」

「さてな。本人はどこかで聞いたと言ってるらしいが」


 当然の如くペンもウェイドから尋問を受けた。しかし、その直後、"お上"から指令でも降ったのか、すんなりと釈放されていた。この辺りに関しては、俺の知るところではない。


「これ以上聞かれても、何も答えられませんよ」

「おっと。噂をすればなんとやら、だな」


 背後からの声に振り返れば、黒いスーツを着込んだ眼鏡の少女が立っている。ペンは一連の騒動が片付いた後もイザナミに残り、今はこうしてプラントの警備隊長に就任していた。

 フィールドがグチャグチャになったことで原生生物の気も立っており、プラントも頻繁に襲撃されるのだが、それを彼女が対応してくれている。ちなみに給料はビット払いで、エナドリの現物支給はしていない。一応、社割は効く。


「ウェイドもその辺は分かってるみたいだからな。だからこそ、こうやって宝探しをさせてるわけだが」

「ウェイドさんもウェイドさんで大変でしょうに……」


 スイートシェードの食べ過ぎで全身の血管に結晶が詰まったウェイドは、その後機体ごと取り替えることで事なきを得た。とはいえキヨウとサカオが警備NPCと共に出動してきた以上、何かしらの贖罪は必要だった。

 そこで彼女に命じられたのが、"肥沃のヌロゥ"に関する情報収集である。

 とはいえ、彼女がプラントで砂糖を爆食いしていた間、都市管理者としての業務も滞っており、その解消もしなければならない。更に砂糖密輸ルートが発覚したことによって監査も入り、〈マシラ保護隔離施設〉との物品取引プロトコルにも大規模な改修が行われたらしい。

 つまりはウェイドもかなり忙しくしているということだ。『せめてエナドリでも飲まないとやってられません!』と泣きついて来たので、ノンシュガータイプを渡したら人殺しを見るような目つきで睨まれた。


『愛が足りません……』

「うおっ!? T-3じゃないか」


 屋上のフェンスに寄りかかって外を眺めていると、突然新たな声が加わる。驚いて見てみれば、憂い顔のT-3が立っていた。いつの間に、というかどこからやって来たのか……。


『愛が足りないのです、レッジさん』

「すまん、T-3。もう少し噛み砕いて説明してくれ」


 いつもの調子で何かを訴えてくるT-3だが、あいにく俺の理解力が足りない。頼み込むと、彼女は肩を落として言った。


『ウェイドの停滞していた業務も、本来なら既に解決しているはずでした。しかし、愛が足りないのです』

「〈タカマガハラ〉の演算リソース貸与が上手くいってないのか」

「レッジさん、よくそれだけで分かりますね……?」


 急に現れたT-3が憂いていたのは、ウェイドのことらしい。今は積み上がったタスクに押しつぶされそうになっているウェイドだが、当然管理者や指揮官たちもそれを放置しているわけではない。なんとか早期解決に向かうよう、演算リソースを提供して協力しているらしい。

 しかし、本命である開拓司令船アマテラスの中枢演算装置〈タカマガハラ〉がうまく動いていないという。


『T-1が沈黙しています。こちらからの呼びかけにも応じません』

「そういえば、少し前から全然姿を表さなくなったなぁ」


 指揮官の一人であり、実質的にリーダー格でもあるT-1。彼女もウェイドと共に稲荷寿司禁止命令が下されていた。そのせいで寝込んでいるのかと思っていたが、事態はそう単純でもないらしい。


『指揮官ひとりが不能となることで、余波は周囲に出ています。私やT-2にも負担が掛かっていますし、管理者たちにも波及しているのです』


 普段は稲荷寿司ばかり食べているように見えるT-1も、実際のところは常にさまざまな業務をこなしている。だからこそ数千万人規模とも言われる調査開拓団が統率されているわけだが……。今はそれがかなりギリギリの状況にあるらしい。

 T-3は前髪で片目が隠れたまま、もう片方の目で切実にこちらを見上げる。


『レッジさん、どうか愛を。あの稲荷狂いで食い意地の張った狐娘――もとい我らが指揮官の一人に愛を捧げてください』

「なんか、一瞬本音が出たような……」

『愛を!』


 T-3も結構苦労しているというか、ギリギリなのだろう。

 しかし、T-1がどうなっているのかは実際に気になるところではある。なんか、この前もデータベースにアクセスしようとしたら奇妙なことが起きたしな。せっかく作り上げたバックドアもまた一からやり直しだ。


「よし、ちょっとネヴァに連絡するか」

「また何か企んでいるんですか?」


 T-3の依頼を引き受けようとすると、レティがあからさまに警戒する。


「なに、ちょっとお見舞いに行くだけさ」


 俺がそう言っても、彼女とペンはにわかには信じられないと胡乱な顔をしていた。


━━━━━

◇重大インシデントレポート

 〈タカマガハラ〉内部データベース機密領域に対して7,792件の重大な侵入行為が検知されました。SICSにより7,791件が防止され、全てのアカウントの抹消が完了しました。

 機密領域のセキュリティ完全性確認のため、一時的に同領域をロックダウンします。内部で活動中の全てのプログラムは抹消対象となります。


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