第1735話「水に飢えた蟲」

 環境負荷の高まりが、自然そのものに搭載された復元力を刺激する。水の流れを遮るものを突破し、土を汚すものを取り除くため、古くからその土地に息づく生命が奮起する。

 彼ら個々の存在は義憤に駆られて動いているわけではない。ただ自身の家が危険に晒されたことに反発している。その小さな動きが無数に集まり、大きなうねりとなって発露するのだ。

 巨大なダムが完成し、瀑布の水が堰き止められた。地下深くにまで不透過層が差し込まれ、地下水脈にも影響が出る。潤沢な水に支えられた湿地林は急速に環境を変化させ、ストレスを蓄積させていく。

 水位が上昇したことにより、滝壺の底から姿を現したゴールデンフィッシュがミートに食べられた。アンが悲鳴をあげるさなか、水底から暗い影がミートへ迫る。


『はふぅ。腹八分目ってところかなー』


 ぽっこりとしたお腹を撫でながら熱い吐息を漏らすミートに。


「ミート、危ない!」


 先に気が付いたレティが咄嗟に声をあげる。だが、次の瞬間。


『へ?』


 ミートは真下から飛び出してきた巨大な顎に捕えられ、ばっくりと丸呑みにされた。


「ミートちゃんさん!?」

「な、なんだあれは! 初めて見るぞ!?」


 ダムの上に登っていたオーディエンスたちも驚愕する。

 現れたのは歯のない大きな口の、ヒルに似た原生生物だった。調査開拓員達は急いでデータベースを確認するが、それらしい存在はヒットしない。学者風の男が愕然として、眼鏡をずらしたまま呟いた。


「み、未確認原生生物……。新種だああああっ!」


 遅れて、周囲も大きな声をあげる。唯一状況が理解できていないのは、まだプレイ歴の浅いアンだ。彼女はゴールデンフィッシュを食べてしまったミートが食べられた事に驚きつつも、周囲の反応に困惑が優っているようだった。


「お、お嬢様? 未確認原生生物というのは?」

「読んで字の如くですよ。これまで目撃例のない原生生物です。最前線ならそれが当たり前なんですが、〈鎧魚の瀑布〉みたいな初期フィールドだとかなり珍しいですね」


 〈鎧魚の瀑布〉は 第一期調査開拓団が惑星イザナミに降り立った時、具体的にはサービス開始時から存在しているフィールドだ。当然、現在に至るまで多くの調査が実施されており、ほぼ全ての原生生物はその存在が認知されている。

 にも拘らず、ここにきて新種の未確認原生生物である。特に調査系の調査開拓員の狂喜乱舞っぷりは凄まじいものがあった。


「って、悠長に解説してる暇はありませんね。いくらミートとはいえ、丸呑みされたらちょっと不安ですし、助けないと!」

「あっ!」


 はっと我に返ったレティの言葉に、アンも思わず声を出す。ゴールデンフィッシュを失ったショックが大きすぎて理解が追いついていなかったが、ミートが丸呑みにされたのだ。しかも、脱出してくる様子もない。


「絶対に仕留めろ!! ルート権を他に渡すな!」

「新種の素材だ。言い値がそのまま付くぞ!」


 目の色を変えた調査開拓員達が次々と攻撃を繰り出す。

 新種の原生生物となれば、そこからドロップするアイテムも未知のものである可能性が高い。ドロップアイテムのルート権を手にすれば、文字通りの一攫千金も夢ではなくなる。

 誰も彼もが先を争い、渾身の一撃を繰り出してゆく。

 しかし――。


「お嬢様、攻撃しないんですか?」

「うーん、ちょっと妙な感じがしますね」


 レティたちは様子見に回る。トーカも珍しく剣を鞘に納め、静観の姿勢だった。

 そんな様子にアンが首を傾げたその時、猛攻を仕掛けていた調査開拓員達がどよめき始める。


「な、なんだこいつ……」

「攻撃が全然通らねぇぞ!?」


 仮にも猛獣侵攻を抑えていた歴戦の猛者達である。そんな彼らの渾身の攻撃を受けながら、巨大ヒルは平然としていた。弾力のある滑らかな茶褐色の皮膚は傷ひとつなく、むしろ矢弾を跳ね返すほどの弾力がある。ミートも体内から猛攻撃を繰り出しているはずだが、それも意に介している様子はなかった。

 様々な属性のアーツも放たれるが、どれも効果は薄い。頭上のHPバーは微動だにせず、ヒルはただ緩やかに揺れている。


「特殊なフラグがあるボスか?」

「しかし名前も分からんぞ……」

「もっとしっかりした観測機器持ってこないとダメなんじゃないか」


 ただのレアエネミーだとばかり思っていた調査開拓員達が遅れて首を傾げる。巨大ヒルは攻撃をしてこない代わりに防御行動も取らず、ただ泰然とそこにいた。ダムの湖に浮かび、ゆるやかな波に揺れている。

 レティはそれをじっと見つめ、小さく唸った。


「アン、ちょっと釣ってみてください」

「はい?」


 唐突に、レティはアンの肩を叩く。突拍子もない言葉に困惑するアンに向かって、彼女は続ける。


「あのヒル、随分瑞々しいですね。しかも水の底から出てきたように見えました。でもあの大きさで滝壺の奧に潜んでいたとは思えません」

「あの、お嬢様? つまりどういう……?」

「釣ってみてください。そしたら分かると思います」

「えええ……」


 アンは釣りが好きである。とはいえ、魚を釣るのが好きなのであって、生々しい化け物じみた巨大ヒルに釣り糸を垂らしたいわけではない。

 しかし他ならぬ主人の言葉であった。幼少期から叩き込まれた忠誠の精神が、彼女の言葉に逆らうことを良しとはしない。結局、アンは顔を顰めながら釣竿を振り上げた。


「あの、餌はどうすれば……?」

「適当にお肉を付ければいいんじゃないですか?」

「なんて適当な……」


 餌の選定も釣りの醍醐味である。レティの投げやりな言葉に呆れつつ、アンは腐りかけの肉塊を取り出した。こんなこともあろうかと、インベントリには一通りの釣り餌が完備されているのだ。

 なんだかんだと言いつつ準備のいいアンに、レティがニコニコと笑う。その間に針には腐肉が取り付けられ、竿は勢いよく振り下ろされた。


「『ハイパーキャスト』ッ!」


 威勢の良い掛け声と共に、リールから糸が飛び出す。

 緩やかな弧を描いて飛んだそれは、水面へ。そこに佇む巨大ヒルの頭上へと落ちていき――。


「うわあああああっ!? く、食いつきましたよ!?」


 丸い口が大きく開き、腐肉を躊躇なく丸呑みにする。無数の攻撃を受けながらも平然としていた時とはまるで違う敏捷な動きにアンは驚きながら、半ば反射的に糸を巻き始める。


「やっぱりお肉には反応するんですね。ミートもぱっくり食べてましたし、調査開拓員に反応しないのは食べる部分がないからでしょうか」

「何を冷静に考えてるんですか!? お嬢様も助けてください!」


 ともすれば引き摺り込まれそうな勢いである。アンが涙目で悲鳴をあげると、レティも彼女の腰に手を回して支えた。

 特別な鋼鉄製の太い糸がギリギリと音を立てながら張り詰め、水面が飛沫を立たせる。

 アンの視界にはゲージが表示され、特定のタイミングで竿を引くことで少しずつヒルを引き寄せていた。


「今だ! 攻撃しろ!」


 及び腰だった調査開拓員達が攻撃を再開する。しかし、依然としてヒルには全くダメージが通っていない。


「おそらく、水中にいる場合は攻撃に対する完全耐性を持っているのでしょう。いくら攻撃しても無駄です。アン、あれを水中から引き摺り出してください」

「うぬぬぬぬっ!」


 レティの推察は直感によるものだった。

 だが、百戦錬磨の戦士である彼女の勘は鋭く冴えている。

 そしてアンもまた短期間で凄まじい成長を遂げ、歴戦の釣り師へと至っていた。細やかな竿の操作を続けながらタイミングよく糸を巻取り、着実に距離を詰めていく。糸を通じたヒルとの対話だった。


「くっ、お嬢様……これ以上は!」


 だが、ダムの壁上から釣り上げるには高さがあり、ヒルは巨大に過ぎた。特注の竿が曲がり、軋む。少しでも力加減を間違えれば、ぽっきりと折れてしまうだろう。

 歯を食いしばるアン。

 その時だった。


「――鏡威流、三の面。『反射鏡』ッ!」


 突如、ヒルが直上へと吹き飛ばされる。

 驚くアンが飛沫の向こうに見たのは、猛烈な勢いで沈んでいくエイミーの姿だった。


「エイミー!? くっ、あなたの犠牲は忘れません! 『ハイパーリフト』ッ!」


 仲間の一押しを無駄にはしない。

 その一心でアンがリールを巻く。浮き上がったヒルの体が、水面からわずかに離れる。そして――。


「うわあああっ!? ヒルから水が!?」


 艶々と張りのあったヒルの皮から膨大な水が溢れ出す。まるでスポンジを絞るかのように、急激にその躯体が小さくなっていく。


「やっぱりそうでしたか! 元々はかなり小さな原生生物だったんでしょう。際限なく水を吸い込み、巨大化することで力を増していたんです!」

「お嬢様!? でも、このままだとまた水面に!」


 エイミーが突き上げたことでヒルの正体が分かった。だが、重力に従い、それは再び水面に触れようとする。水に落ちれば、また同じことが起きるだろう。


「そうはさせないよ。――『凍結する白銀の荒野』!」


 ヒルが水面に触れようとした直前、水は固体へと変わる。

 一瞬にして白く凍結したダム湖で、ヒルが強かに体を打ちつける。ラクトによるアーツが、ヒルの戻るべき水を固めてしまった。氷から給水することは叶わず、ヒルは見る間に萎んでいく。それでもジタバタともがき抵抗し、針を吐き出そうと躍起になっていた。


「その首、見つけましたよ! ふはははははっ! 『迅雷切破』ッ!」


 バタバタと跳ねるヒルが、一刀の下に両断される。

 首のないヒルの首を見つけたトーカの一撃が、あらゆる攻撃を跳ね除けていたヒルに確かな傷を与える。


『もーーーーっ! むかついちゃった!』


 その滑らか傷口から、赤いキノコがぽこぽこと膨らんだ。


「げえっ!? お、お嬢様、あれって!」

「ミートのキノコでしょう。多分触ったら大変ですよ」

「糸を伝ってこっちに来てるんですよ! ひえええっ!?」


 ヒルの全身を無数のキノコが覆い隠す。それは更に糸を登ってアンの方へと。

 悲鳴をあげるアンの肩をぽんと叩き、レティは軽やかに飛び降りた。


「強さは適当に……。アン、糸は切ったほうがいいですよ!」

「はい!?」


 レティは空中で身を翻し、ハンマーを構える。ぐっと全身に力を入れ、エネルギーを内部に溜める。さながら、爆発寸前の爆弾のように。


「『パワーチャージ』『インプレッション』『雌伏の時』『反撃の狼煙』『反逆の決意』『殴打の極意』――」


 力を溜める。溜める。

 ただ一度の瞬間を目指して。

 一瞬、ラクトと視線を合わせる。


「解除っと」


 ラクトがダム湖の水面を液体に戻す。再び地の利を得たヒルが急速に身体を膨らませていくなか、赤髪のウサギが降り立った。

 表面張力により、一瞬だけ水面に立つ。そして、水を掬い上げるようにハンマーを繰り上げる。


「『フルスロットル』『ムーンボヤージュ』!」


 解放された力。

 一打に込められた殺意。

 それがヒルの腹を叩き、吸い始めた水を全て吐き出させる。

 ヒルは猛烈な勢いでダムの壁面に叩きつけられ、放射状の亀裂の中央に埋め込まれる。〈ダマスカス組合〉をはじめとした戦場建築士たちが顔を青くする。

 そして――。


「吹き飛べぇええええええっ!」


 追撃が、ヒルを貫く。

 レティと同じテクニックを同じタイミングで発動し、その後を追いかけていたもう一人の赤兎。彼女のハンマーは、モジュール〈連理〉によって更に威力を増幅させている。

 それが、ヒルを叩いた。

 頑強なダムの壁を、貫いた。


「や、やめ、やめろおおおおおおおっ!!!」


 戦場建築士たちの声も虚しく。

 膨大な水を湛えたダムに穴が開く。


━━━━━

Tips

◇『フルスロットル』

 〈戦闘技能〉スキルレベル60のテクニック。 LPを1%だけ残して全て消費し、その消費量に応じて次に繰り出すテクニックの威力を増幅させる。

 このテクニックの発動直後のテクニックに限り、 LP消費はなくなる。

"渾身の力を込めて貴方に届け"


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