第1687話「受け入れるなら」

 破れた繭から流れ出す白い液体が、俺の偽物になっている。どうやら、ここが列柱神殿最後の守護者、レゥコ=イルフレッツの玉座らしい。だが違和感が残る。俺たちがここに入っても、雰囲気が変わらない。


「シフォン、この状況をどう見る?」

「はえ? そ、そうだなぁ。普通じゃないのは分かるよ」


 あの繭自体が、イルフレッツなのだろう。しかし俺たちが至近に迫っても変化がない。際限なく白い液体が流れ出し、生まれた俺が神殿の外へと歩いていく。自我のようなものが感じられなかった。

 繭の周囲を見渡し、状況を検分する。長い歴史を感じさせる石室で、列柱神殿の名の通り、無数の柱が並んでいる。壁画のようなものも描かれているが、その解読は専門家に任せるほかない。

 それよりも気になったのは、繭の側に落ちている瓦礫だった。


「シフォン」


 近付いてきたシフォンも、それに気がつく。


「この瓦礫、不自然だね。天井から落ちてきたのかな」

「そうかもな。非破壊オブジェクトのはずなんだが」


 後頭部をさすりながら首を傾げる。この列柱神殿、何かがおかしい。

 瓦礫は高い天井から崩落したようだ。しかし、見上げてみれば瓦礫の崩れた箇所以外には大きな崩落が見られない。まるで、そこだけ恣意的に削り取ったような印象さえ受ける。

 この瓦礫が、イルフレッツの繭を破ったとすれば、それは偶然だろうか。


「とにかく、この破れているところを直せば俺の増殖も止まるんじゃないか?」

「そうかなぁ? そうだとして、どうやって治すの?」


 懐疑的な目を向けられつつも、俺はすでに秘策を思いついていた。

 シフォンに真っ直ぐ向き直り、その目を覗きながら力説する。


「シフォン、繭って……実質テントだよな?」

「はえ?」

「糸を使って体を包み、安全を確保する。その場から動かすことはできないが、建物ではない。ならこれは、ほとんどテントと変わらないだろ」

「な、何を言って――」

「繭がテントだったなら、俺でも直せるんじゃないか?」

「なおすって、そっちの直す!?」


 そんなバカな、とシフォンが瞠目する。いや、ここは疑わせてはいけない。繭=テントであるということを、信じないと。


「シフォン、この糸はテントの材料だ。分かるな?」

「はええっ!?」


 石室の床には、糸が落ちている。繭を作る際に出た端材のようなものだろう。それを拾い集めていく。シフォンにも手伝ってもらって、ある分全てを一箇所に集める。


「まあ、実際のところを言うと、繭の破れを生身の傷だと思えば〈手当〉スキルで治せるのかもしれないけどな。俺には今、こうすることしかできないんだ」


 シフォンにはアンプルを繭にかけてもらう。LPを回復させるアイテムではあるが、効果があると信じたい。そもそもLPアンプルの効果は“調査開拓員の傷を癒す”というものであり、レゥコ=イルフレッツも第零期先行調査開拓団の一員ではあるはずだ。


「どう考えても言葉尻を弄ってるだけだと思うんだけど」

「それが重要なのは、トーカの首切りで思い知っただろ」


 それが首であると強く信じられるのであれば、空間さえも斬れるのだ。この世界、スキルシステムにはそれだけの拡張性がある。


「問題は、この繭が俺のテントじゃないってところだな」

「一番の問題じゃない?」


 テントならどうにかできるかと思いきや、この世界には所有権の概念がある。簡単に言えば、他人のテントは梃子でも動かせない。当然、勝手に補修なんてこともできない。

 ただしそこについても一つ希望は見えていた。


「イルフレッツ、もし聞こえてるなら、そのまま聞いてくれ。俺は今からこの破れた繭を直そうと思う」


 繭に向かって呼びかける。

 アストラが示したように、守護者たちは話が通じる相手だ。イルフレッツがどのような状態なのかは分からないが、白濁液が流れ出ている間は、きっと生きている。


「もし、直してもいいのなら、俺を受け入れてくれ」


 返事はない。彼、もしくは彼女はこの白い液体に自身を還元しているのだろう。腸というのは蛹になって全身を液化させ、再構成させる。この液体が、レゥコ=イルフレッツそのものなのだ。

 繭に手を触れる。反応はない。


「……『テント補修』」


 緊張しながら、テクニックを使う。

 テント補修は材料を消費して、損傷したテントを補う。キャンパーには必須のテクニックと言っていいだろう。今回材料として使うのは、かき集めた繭の糸だ。


「はえっ!?」


 シフォンの驚愕する声がした。

 俺の手から糸が消え、わずかに繭の裂け目が縮まる。


「ありがとう、イルフレッツ。もう少し耐えてくれ」


 イルフレッツが受け入れてくれた。この傷を癒したいと望んだのだ。

 『テント補修』を使い、糸を消費する。基礎的なテクニックだから、連発もできる。少しずつ、少しずつ穴が塞がっていく。それにつれて流れ出す白い内容液の量も減ってくる。

 だが、


「足りないな」


 わずかに糸が足りない。少しだけだが、完全に穴を塞ぐことができない。

 ぽたぽたと液体が流れ出している。


「おじちゃん、もう糸ないよ!」


 周囲を探し回ってくれたシフォンも絶望的な顔をする。


「すまん、イルフレッツ。ちょっと荒療治になるぞ。――『強制萌芽』ッ!」


 俺はインベントリから取り出した種瓶を、その穴に押し付けた。

 薄いガラスが割れ、栄養液が溢れ出す。乾いた種を濡らす。眠りについていた植物が覚醒し、根を伸ばす。


「おじちゃん!?」

「“血織の赤蔓”。これでなんとか閉じられるはずだ!」

「ちょっと、それ大丈夫なの!?」

「イルフレッツならいける! たぶん!」

「確証ないんでしょ!?」


 複数の原始原生生物の遺伝子を混交して作った植物。その極細の蔓は、あらゆる生物の器官を代替できる、汎用性の塊だ。これは根付いた対象を覆い尽くして、纏い付く。

 つまり、穴を塞ぐことができる。

 テントでありながら、生体。生体でありながら、本体ではない。第零期先行調査開拓団が使う有機外装であればこそ可能な賭けだ。

 赤い糸が白い繭を侵食していく。次々と蔦を伸ばし、根を張り、融合していく。もはや俺にも止められない。見守るほかない。


「イルフレッツ、耐えてくれ。克服するんだ。守護者なら、できるはずだ」


 赤が白を覆い尽くす。

 すでに内容液の漏出は止まっている。あの繭のなかに、イルフレッツはいるはずだ。


「はわぁっ!?」


 繭が内側から強い衝撃を受けて動く。断続的にうごめき、内部で何か変化が起きていることを示す。シフォンは咄嗟に剣を構えて、尻尾をぶわりと膨らませていた。

 赤い糸が千切れ、白い糸が現れる。かと思えば、また赤が覆う。一進一退の攻防が続く。


「イルフレッツのテント、じゃなくて繭は強力だ。俺を模倣できるだけの力もある」


 赤が白に、白が赤に塗り変わる。もぞもぞと繭が揺れうごき、それを支えていた糸がブチブチと千切れる。明らかに、繭の重さが変化している。急激に重くなっている。


「お、おじちゃん!」


 糸が蔓を、蔓を糸が。互いに絡まり、解け、縛り、千切れ、融合していく。

 そして、ついに――


『――――――――ッ!!!!!!』


 揺籃の籠は役目を終えた。

 内側から破られ、それが顕現する。


「レゥコ=イルフレッツ。誕生おめでとう」


 真紅の翅を大きく広げ、急速に成長する蝶。

 守護者イルフレッツが変態を遂げた。


━━━━━

Tips

◇レゥコ=イルフレッツ

 ホウライの列柱神殿にて巡礼者を待ち構える守護者のひとり。序列第一位。繭の中で眠り続ける隠遁の賢者。無限の宇宙を内包し、可能性の星空へ羽ばたく。あらゆる攻撃への耐性を獲得し得る、理外の守護者。


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