第1656話「迫り来る黒影」

 レゥコと共にキャンプ地へと連行され、そこでカツ丼の山に囲まれつつ事情聴取を受けていたところ、突如として大地が大きく揺れ始めた。いや、大地ではなく亀――ホウライが揺れているのだろう。


「ななな、なんですかいったい!?」


 レティが目を丸くして飛び出していく。俺も手錠を外して後を追いかけると、外も騒然としていた。

 グラグラと激しい揺れは、〈歩行〉スキルのない者が立っていられないほどだ。非戦闘員たちが悲鳴をあげて右往左往しているなか、騎士団の重装盾兵がテントの支柱を抑えようとしている。

 そんな矢先、どこからか絶叫があがる。


「何かが上陸してくるぞ! ひぃっ、き、キモッ!?」

「なんだ、いったい何が!」

「うわああああっ!?」


 高台に立っていた誰かが叫び、青ざめる。彼の指差した方向へ目を向けた者も、立て続けに異様な声を出す。沿岸部、亀の甲羅の縁の方から何かがやってくる。その正体を目視する前に、地面を伝わる激しい足音を察知した。


「総員、盾構え! 防御陣形を固めよ!」


 アイの激烈な声が響き渡る。さすがは百戦錬磨の騎士団である。彼女の声が耳に届いた途端、騎士たちは勇気を奮い立たせ秩序を取り戻す。重装盾兵たちが身の丈ほどもある肉厚の金属大盾をずらりと並べ、隙間なく相互に結合する。瞬く間にバリケードが築かれ、さらに防御機術師による障壁も展開される。

 防御陣地が形成されると共に他の調査開拓員たちも落ち着きはじめる。鉄砲隊が盾兵たちの背後に並び、装弾を始める。支援機術師たちが次々と広域のバフをばら撒き始めた。

 だが万全の態勢が整うまで待つことはなく、海から何かが現れる。


「はえええっ!? ご、ゴキ――」

「シフォン、あんまり言わないで!」


 無数の細く短い足を細やかに蠢動させ、油を塗ったように照りつく黒々とした甲殻が揺れている。ぴょこんと生えた触覚も、可愛らしさではなく生々しさをより強調している。

 その姿を捉えた途端、調査開拓員たちのあちこちから悲鳴が上がる。特に女性陣からは恐怖の声さえ漏れていた。〈白鹿庵〉でもラクトが顔を青ざめさせてうずくまっている。


「ラクトは苦手なのか、ご」

「言わないでってば! あんなの一匹見るだけでも恐ろしいのに、大群だなんて!」


 いつもはクールで冷静沈着なラクトが珍しい。

 逆に、レティとトーカはケロリとした顔だ。


「二人は大丈夫なのか?」

「はぁ。そもそも現実離れしたサイズですし、その辺の原生生物と変わらないのでは?」


 ぶっ叩けば砕けますよね、とレティ。


「万が一にもお嬢様の目に入るようなことがあれば、我々の沽券に関わります」


 と、アンが胸を張っている。


「私の地元はそもそも出てこないですしねぇ」


 トーカはそんなことを言う。むしろ物珍しげにまじまじと見つめてすらいた。ミカゲも同じ理由のようで、特に嫌悪している様子はない。エイミーはそもそも平然としているし、ヨモギが少し嫌そうにしているくらいか。

 シフォンは……あの群れに放り込んだら流石に口を聞いてくれなくなりそうだ。


「戦闘制限の解除が確認されました。あれは敵と考えて良さそうです」


 アイからそんな連絡が飛んでくる。なるほど、そういえば盾兵たちが盾を構えられている時点で、ホウライの加護とやらはなくなっているらしい。


「よし、俺は頑丈なテントを建てよう。構築には時間がかかるから、それまでは頼む」

「任せてください。――遠距離から一気に削る! 総員、殲滅攻撃準備!」


 簡単な打ち合わせを済ませたのち、アイは声を張り上げる。その指示を待っていたと、攻性機術師たちが朗々とした詠唱を始める。


「唸れ、我が紅玉の心臓――『拡散する火炎の乱舞』!」

「漆黒の深淵よ、我が原罪を喰らい砕け! 『分裂する光刃の疾風』ッ!」


 巨大な火柱が立ち上がり、紅蓮の炎が甲虫たちを焼きながら吹き飛ばす。さらに輝く風の刃が地面を撫で、次々と切り裂いていく。

 なにやら詠唱の前に余分なことを付け足しているようではあるが、その威力はさすがの一線級だ。


「なんですか、あの詠唱は」

「最近ウチの機術師の間で流行っているようでして……」


 首を傾げるレティに、アイがどこか恥ずかしそうに俯く。俺はかっこいいと思うぞ。あとブラックダークが喜びそうだ。

 〈大鷲の騎士団〉が動き出したことで、他のバンドも続き始める。次々と爆発や土石流が繰り出され、甲虫の大群が吹き飛ぶ。だが、それ以上に向こうの数が圧倒的だった。


「副団長、ダメだ、戦線が広すぎる!」

「いろんなところから上陸されてるよ!」


 アイの下には悲痛な報告が集まる。丸い亀の甲羅の全方位から、黒々とした大群が押し寄せてくるのだ。それら全てを阻むには、あまりにも人数が足りない。


「兄貴が戻ってくるまで気合いで耐えなさい! 近接戦闘の用意もしつつ、罠や爆弾も無制限に使ってよろしい!」


 アストラは内陸部の遺跡調査に出かけたまま、まだ帰ってきていない。それどころか、各地に散った非戦闘職の解析班たちを保護するため多くの人員を割かざるを得なくなっている状況だ。

 アイの指示で地雷やら爆弾やらも次々と投入され、多少は敵の圧力も押し除ける。しかし、やはり完全に抑えるには足りなすぎる。


「レゥコ、あれの正体は分かるか?」

『アイヤー……。まさか、いや、でも……』


 レゥコならばあの甲虫たちの弱点なんかも分かるだろうかと期待を込めて尋ねるも、彼女にとっても予想外の展開だったらしい。仮説は持っていそうだが、まだ自分自身で疑っている。結論を出す前に、奴らがこちらへ到達してしまう。


「仕方ありませんね、ここはレティたちが!」

「首……。まあ、あれも首でしょう。首を斬りますよ!」


 ウチの戦闘担当は早速気炎を上げている。GOと言えば、すぐにでも走り出しそうだ。ラクトはしばらくは直視するのも難しそうだが……。


「レティ、トーカ、エイミー。時間稼ぎをよろしく頼む。アンとヨモギは下がっていた方がいいだろう」

「了解です!」

「任せてください!」

「師匠のことはヨモギが守りますよ!」


 彼女たちは一斉に動き出す。重装盾兵の列を軽やかに飛び越え、赤兎が戦場へ解き放たれた。


━━━━━

Tips

◇対原生生物用大型地雷

 重量のある大型の原生生物を想定した地雷。調査開拓員が踏んだ程度では起爆しないが、150kg以上の重量がかかると凄まじい爆発を引き起こす。原生生物を誘引するエサなどを併用することでさらに効果を発揮する。


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