第1624話「孤独の海」

 目を開くと見慣れた惑星イザナミの青空が広がっていた。ここがオノコロ高地ならば青空に霞む開拓司令船アマテラスの威容も望めたのだろうが、見えるのは等間隔のドットのように並ぶ通信監視衛星群ツクヨミだけだ。

 幻覚だろうが、いまだに耳がジンジンとする。まったく、ウチの姉は毎度毎度説教がエンドレスすぎる。まだ話は終わってないとばかりにメッセージが次々飛んでくるが、VRシェルの基幹システムから通知をオフにする。これで電源コードをぶっこ抜かれない限りは平穏が保たれるだろう。


「……さて。とりあえずどうするかな、この状況は」


 現実から逃避してやってきた仮想現実から逃避していた意識を戻す。

 頭上には果てしなく広がる青空。周囲には物陰ひとつ見えない茫洋たる海。さすがは〈黄濁の溟海〉というべきか、生き物の気配すらまったくない。ついでに言うと、仲間の気配も。

 俺が最後にログアウトしたのはクチナシの甲板の上だった。おそらく、座標的にはここであっているのだろう。問題は、ログアウトしている間にクチナシが移動したせいで、俺は今海に浮かんでいるということくらい。


「昔なんかの映画で見た気がするなぁ。船に戻れなくて海の化け物に襲われるやつ」


 まあ、この海には化け物すらいないわけだが。


「テントも建てられないし、泳いで帰るしかないのか? そもそもクチナシたちは陸地に戻ってるのか?」


 しっかりとした地面がないからテントは建てられない。船の方向も分からない。ついでに言うと〈水泳〉スキルを切ってしまっているから、こうして水面に浮かんでいるだけでもジワジワとLPが減っている。

 こう言う時に白月がいたら霧で足場でもなんでも作ってもらうのだが、アイツはクチナシの甲板で丸まっていることだろう。

 インベントリに多少のアンプルと白玉はあるとはいえ、陸地に戻るには足りないだろうな。

 極め付けに、フレンドリストを見ても誰もログインしていない。平日の早朝では仕方がないか。俺も姉さんが志穂に連絡を取った隙を見て逃げ込んできたわけだし。


「……とりあえず奥に泳いでみるかぁ」


 どうせ陸地には戻れないのだ。それなら遠洋方面に泳いだ方がまだ何かあるかもしれない。

 方針を決めて、早速泳ぎ出す。マップはほとんど青一色で情報らしい情報もないが、方角だけは分かるので助かった。

 チャプチャプと波をかき分けながら平泳ぎで進む。しかし〈水泳〉スキルレベルゼロでは、まるで海水が粘度を持っているかのように泳ぎにくい。なまじ以前に〈水泳〉スキルを持っていたからこそ、余計にギャップを強く感じてしまう。


「うーん。LP効率的にも厳しいよな……。なにかスキル下げて〈水泳〉を上げるか?」


 FPOはいつでもスキルレベルを上下できるのが特徴だ。合計スキルレベル1050の範囲内でいつでも自由にビルドを改良できる。


━━━━━

〈槍術〉90〈撮影〉90〈鑑定〉43

〈歩行〉90〈罠〉90

〈制御〉56〈操縦〉51〈換装〉90

〈野営〉90〈家事〉90〈解体〉90

〈栽培〉90〈生存〉90

Total:1050

━━━━━


 現在のスキルビルドは我ながら統一感がない。いろんなことに手を出しすぎているせいで、〈鑑定〉やら旧〈機械操作〉系スキルやらを下げざるを得なくなっている。スキルレベル上限100が解放されてしまったら、いよいよどうすればいいのか。


「とりあえず〈歩行〉を下げて代わりに〈水泳〉をあげておこう」


 〈歩行〉スキルのレベル設定をダウンに切り替え、代わりに〈水泳〉スキルをアップにする。これで、泳いでいると〈水泳〉スキルレベルが上がっていくはずだ。


「おおお。やっぱり最前線のフィールドだと浮いてるだけでも経験値が入るんだな」


 設定を切り替えた途端、ログに連続でレベルアップが並び始める。水に体を浸けているだけでも、初期の頃ならレベルがどんどん上がっていく。代わりに頑張って上げた〈歩行〉スキルが下がっていくわけだが。

 〈水泳〉スキルレベルが5くらいになると流石にレベルアップも落ち着いてきて、泳がなければ纏まった経験値が入らなくなる。それでも泳ぐだけでポンポンとレベルは上がるので、平泳ぎも楽しくなってきた。

 何より、急激にレベルが上がることで如実にその効果を実感できる。どんどん体が軽くなっていき、LPの消費も減っていくのだ。たしか〈生存〉スキルのパッシブ効果にLP回復速度の上昇というものも多少あったはずだから、ある程度の〈水泳〉レベルになればLP消費と回復量が吊り合う時もくるのだろう。


「んー、やっぱり体を自由に動かせるってのはいいなぁ」


 動けば動くほど、より早く力強く動けるようになる。これほど気持ちのいいことはない。現実でついさっきまで逃げられないまま延々説教されてたこともあり、俺はどんどん速度を上げていく。

 そういえば白玉もそろそろ食べないといけないのか。


「んー、うん? そうか、白玉を食べれば酸素はいらんのか」


 泳ぎつつインベントリを探り、はたと気付く。

 水中に潜って泳ぐとLPとは別に酸素を消費する。酸素が枯渇すると今度はLPが徐々に減ってしまうわけだが、アンプルなんかでそれを相殺することができる。そして、SHIRATAMAはその莫大な熱量によって、LP回復速度を補強する副次的な効果があった。とはいえ、飢餓がくるとそれも消えるせいで、ほとんどないようなものなのだが、逆に言えば飢餓がくるまではかなり強いバフとなって助けてくれる。


「行ってみるか、下」


 〈黄濁の溟海〉は水平にだけ広がっているわけではない。むしろ、深淵にこそ限りなく闇がある。そういえば、イザナギも深淵がどうたらとか言ってたしな。行けば何かしらあるってことだよな。

 俺は白玉の残量を確認して、素潜りをはじめた。


━━━━━

Tips

◇過剰熱量

 満腹度を遥かに超えるカロリーを摂取した状態。八尺瓊勾玉が過剰に稼働し、LP生産量が大幅に増加する。機体へのダメージは大きく、酷使はできない。

“管理者機体はノーカン! ノーカンです!”――管理者ウェイド

“そうなのじゃ! むしろ燃費が悪くて困ってるのじゃ!”――指揮官T-1


Now Loading...

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る