第1585話「逆転の法則」

 アンプルを投げつけられたホロウフィッシュはまるで強酸でも浴びたかのように体表を爛れさせ、ごっそりとHPを削らせた。それまでの微々としたダメージ量と比べると雲泥の差である。

 その惨状を目の当たりにした騎士団たちが一様に活気づく。すぐに後方で仲間の支援のため控えていた薬剤師たちが腕をまくり始めた。


「うぉりゃああああっ!」

「食らえ! 死ね! 死にさらせぇええっ!」

「敵にダメージを与えられる! この快感、壮観、達成感!!」


 日頃、どれほど鬱憤が溜まっていたのだろうかと心配になる程、彼らの勢いは凄まじい。まさに水を得た魚のようとはこのことだ。次々と惜しみなく投げつけられる最高等級のLP回復アンプルが、ホロウフィッシュの強硬な肉体を破壊していく。


「『皆を癒す、慈悲の聖光』!」

『コァアアアアアアアッ!!!!』


 さらに、ホロウフィッシュの急所を突いたのはアンプルだけではなかった。まばゆい光が降り注いだかと思えば、大きなカニはジタバタとのたうち回る。その周囲ではギリギリ光の範囲に入っていた調査開拓員たちのLPが大幅に回復していた。

 光の正体は支援機術師による範囲回復アーツ。騎士団の精鋭が使うだけあって、範囲も効果量も一級品だ。日光を浴びた吸血鬼のように暴れるカニに、更に猛追が入る。


「『弾けるパッション』! 『燦々サニーダンス』!」


 黄色いポンポンを振る騎士団の一派がいた。彼女たちは〈応援〉スキルを用いるチアリーダーだ。また、彼女たちを支援するように、後方で楽器を奏でる面々もいた。アイが指揮を執る戦場音楽隊である。

 広域にわたる凄まじい厚みのバフが戦場を支配する。味方を鼓舞し、敵は狼狽える。


「レッジ、これもしかして、バフも効いてる?」

「そうみたいだな。動きが明らかに鈍くなってる」


 いつの間にか側に戻ってきていたラクトが指摘する。音楽隊による演奏や、チアリーダーによる応援、支援機術師によるバフ、それらが全て、性質を逆転させてホロウフィッシュに襲いかかっていた。

 俊敏性を上げる『勇ましき騎兵の軍歌』が高らかに響くと、ホロウフィッシュは全身に鉛が張り付いたかのように身を沈める。自然回復速度を促進する『木漏れ日のロンド』が、ホロウフィッシュの強靭な自然回復力を停止させた。『バックフリップポップ』によって体幹が削れ、あらゆる攻撃で怯み始める。

 あきらかに形勢は逆転していた。普段は主役たちを支える役回りに徹していた支援者たちが、活力をみなぎらせて各々の技を繰り出している。どのバフが逆転すれば有効打を与えられるか、考えたことのないことを考える楽しさに震えている。


「しかし、レティたちは一気に勢いがなくなったな」

「みんな戦闘特化で、支援役っていないからねぇ」


 対照的にしょんぼりと萎れているのは戦闘職の皆さんだ。大判振る舞いにばら撒かれるバフの余波を受けてステータスは非常に高くなっているが、むしろ攻撃は更に通らなくなってしまうのだから当然だろう。

 レティもLettyもトーカもエイミーも、基本的に自分が前線に出張るタイプのプレイスタイルなので、逆にこの状況では後方に下がらざるを得ない。

 また、騎士団の方にも元気のない面々はいた。


「お、俺の泥濘より素早さ下がってないか……」

「せっかく濃縮した毒が効かないどころか回復させるなんて……」


 同じ〈支援機術〉スキルを研鑽する機術師のなかでも、バフではなくデバフによる妨害を専門とする妨害機術師デバッファーたちである。本来ならばホロウフィッシュの各種ステータスを引き下げて戦いを有利な方向へ誘導するのが彼らの面目躍如であるが、それが今回ばかりは効果が反転してしまう。素早さを下げようとすれば、むしろホロウフィッシュが機敏になってしまうのだ。

 すっかり意気消沈してしまった様子のおどろおどろしい見た目の妨害機術師たちは、どんよりと甲板の後方で体育座りで並んでしまっている。


「野郎ぶっ殺してやる!」

「後ろで威張ってるだけだと思うなよ!」

「楽しく踊ってるだけで楽だね(笑)とか無礼めたこと言いやがって!」

「てめぇらの生殺与奪は私が握ってんだぞ!!」


 かなりヒートアップしているようで、支援者たちが日頃抱えている鬱憤が次々と爆発している。そんな怒りを歌や踊りや術式に乗せて放つ彼らに、戦闘職の面々が気まずそうだ。

 支援者にも支援者なりの苦労があるのだろうし、そもそも戦闘職は支援職がいないと、特に前線では動きが成り立たないレベルなのだが。それでもお互いの格差のようなものは感じてしまうのだろう。


「あの子たち、もう少し日頃からケアしたほうがいいんでしょうか」


 自身は戦闘職と支援職どちらでも動けるアイが、複雑そうな表情だ。そもそも騎士団長からして生半可な支援アーツより〈聖儀流〉の自己バフで戦った方が強いというデタラメだから、なかなか難しいところもあるのかもしれない。


「ぶっ生き返らせてやる!」

「どうだ体が熱くなってきただろう! 焼き爛れろ!」

「豆腐の角に頭ぶつけて破裂しやがれええええっ!」


 そんな支援職の皆さんの活躍もあり、ホロウフィッシュのHPは瞬く間に削れ、ついにはゼロへ。


『コォォォォオオオオッ!』


 三種類の強力なバフがランダムに付与されるという50GB級の大規模アーツが放たれ、カニの動きが拘束される。そこへ朝獲れオレンジの果汁100%オレンジジュースがぶち込まれ、復活を促す荘厳な合唱が奏でられる。

 十重二十重に絶え間なく繰り出されるバフが、ホロウフィッシュを滅ぼした。


「いょっしゃーーーーーっ!」

「来た! 見た! 勝った!」

「くぅーーーー疲れました! これにて完結です!」


 口々に歓声を上げる支援職たち。彼らに見送られるように、というか叩き出されるように、ホロウフィッシュの体が黒い塵となって消えていく。風に吹かれ、海へ。

 解体はできないようで少し悲しいが、これで対抗手段が見つかったのは大きな“功績”になるだろう。


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Tips

◇ホロウフィッシュ

 混沌たる溟海の深みに沈澱する数多の気配。投じられた核の元へ集まり、蠢き、形を作る。それは混沌。絶えず姿を変え、世の理に反するもの。愛によって弑し、憎悪によって祝福せよ。


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