第33章【月海の水渡り】

第1569話「落ち着かない時」

 第三開拓領域〈イヨノフタナ海域〉第二域〈塩蜥蜴の干潟〉中央部。満潮時には薄く水が張り、青空を映す巨大な鏡となり絶景が広がる景勝地。天を貫くように立ち上がる白亜の塔〈エウルブギュギュアの献花台〉の周辺には多くのコンテナが積み上げられ、活気に満ちていた。


「オラーイ、オラーイ。よし、いいぞ。いいぞって。おい! 止まれ! とま――おわああああっ!?」


 時折コンテナが崩れる轟音と悲鳴も聞こえるが、それもまた喧騒を彩る色のひとつといったところか。

 第9回特殊開拓指令がもうすぐ始まる。そんな予感が確信に変わるなか、調査開拓員たちは新天地へ至るための準備を着実に進めていた。


「どっせーーーーいっ!」

『ジャギャアアアアッ!!』


 干潟の中心で激震が走る。薄く水の張った泥の中から飛び出してきた巨大な黒エビが、文字通りの海老反りとなって高く打ち上げられ、落ちてきたのだ。


「『刺し貫くアイシク氷の尖塔ルタワー』!」

『ギョガアアッ!?』


 更に落下地点の水が凍りつき、鋭く尖った氷筍となって突き上がる。甲殻類の硬い体も易々と貫き、凄まじいダメージを一気に与える。

 たまらず悲鳴を上げた黒エビは、ブクブクと口の周りを泡立たせながら身を捩る。もはや致命傷かと思われたが、この干潟に住む原生生物の生命力は伊達ではない。ぐるりと身を翻し氷から脱する。


『ジャアアッ!』


 繰り出したのは強靭な筋肉を詰め込んだ太い尻尾による一撃。ピストルを弾いたような衝撃が、その巨体のまま凄まじいものへと拡大する。干潟が深く抉れ、水分を含んだ重たい泥が大量に飛び上がる。それはエビの周囲ににじり寄っていた調査開拓員たち――というか、レティたちに降りかかった。


「きゃああっ!? う、動けないです!」

「くっ。レティがストレートに攻撃してたら今ので終わったはずなのに!」

「なんですと!?」


 泥を全身に浴びたレティとラクトは一気に動きが鈍くなる。〈歩行〉スキルも持っていない彼女たちに対して、機動力を削ぐ泥飛ばしは致命傷だ。

 黒エビは苦し紛れの反撃に相手が大きく怯んだのを見て、勝機を見出したようだ。逃げることもできたはずだが、そのまま戦いを続行する。ぐるんと尻尾を巻き、力を溜める。


「げえっ!?」

「ちょっとレティ! なんとかしてよ!」

「レティだって軽装なんですよ!」


 大技の予感にレティとラクトが悲鳴をあげる。機動力重視なレティの防御力は、ラクトのそれと大差ない。泥に塗れて回避もままならないこの状況において、まな板の上の鯉とそう変わらない。


『ギジャアアアッ!』


 勝利を確信した黒エビが、勢いよく尻尾を解き放つ。幅広な先端が叩きつけられたら、二人とも仲良く圧死してエビせんべいのようになる。

 だが――。


「はえぁああああっ!? はえんっ!」


 ――パキィィイイイイインッ!!!!!!


『ゴギギャッ!?』


 どこからか白い毛玉が飛んでくる。それは絶体絶命のレティたちと、二人に迫るエビの尻尾の間にギリギリで割り込み、透き通る爽快な音を響かせる。

 刹那の時間に繰り出されたジャストパリィが、黒エビの巨体を吹き飛ばした。


「よし、なんとか間に合ったわね!」

「よし、じゃないよ! なんでわたし投げられたの!?」


 遅れてやってきたのは拳を包み込む異形の盾を両腕に構えたエイミー。干潟に頭から突っ込んでいた白い毛玉、もといシフォンが大きな声で恨み言を放つが涼しい顔で聞き流している。


「全く、この程度の敵に二人でやられるとは」


 エイミーの背後から悠然とした歩みで現れたのは、額のツノを赤く染めたトーカ。身の丈ほどもある大太刀を構え、ちゃきりと鯉口を切っている。


「この程度って……。一応最前線のレアエネミーですよ?」

「私なら斬れますよ」

「うぎぎぎっ!」


 全く疑問を挟まないトーカの様子に、レティが歯軋りする。

 黒エビは硬い外骨格に覆われた重装甲タイプのエネミーだ。どちらかといえば、トーカの斬撃よりもレティの打撃の方が相性が良いはずであった。それではなぜ、レティがラクトと共にここまで苦労しているのかといえば……。


『ギ、ギギ……』

「エイミー、気を付けてください! そのエビは――」


 エビが襲いかかる。標的に選んだのは、挑発系テクニックによって敵愾心を煽るエイミーだ。

 繰り出された尻尾の一撃が、エイミーの拳盾に触れる。その瞬間だった。


「く、かはぁ……っ!?」

「エイミーッ!」


 タイプ-ゴーレム。重量的にも経験的にも衝撃に対応しやすいはずのエイミーが、軽く吹き飛んだ。弧を描いて空を飛ぶ彼女自身、その顔に驚きを浮かべている。


「こいつの攻撃はただの打撃じゃありません! 反発が凄まじいんです!」


 黒エビ。正しい名はレペルロブスター。全身を包む黒い外骨格は外部からの衝撃に対して強い反発を返す。それは自ら叩き込んだ打撃でさえ例外ではない。

 結果として、その威力は見かけの数十倍にまで膨れ上がる。


「なるほど。打撃属性へのアンチというわけですか。ならば――」


 トーカが駆け出す。一撃をエイミーが受けたおかげで、レペルロブスターには大きな隙ができていた。そこに、彼女が神速の一太刀を叩き込む。


「彩花流、肆之型、一式抜刀ノ型――『花椿』ッ!」


 基本にして王道。極限まで研ぎ澄まされた刃は、音すら切り裂いて迫る。


「ダメです、トーカ!」

「なっ!?」


 レティの声は一歩及ばない。

 トーカが叩き込んだ刃がレペルロブスターの甲殻を捉え、そしてブニンと凹んだ。

 驚愕。そして、吹き飛ぶ。


「ぐわーーーーっ!?」

「斬撃も弾んじゃうんだよ。ってちょっと遅かったね」


 ラクトが吹き飛ぶトーカを見送りながら言う。レペルロブスターの厄介なところは、打撃だろうが斬撃だろうが突撃だろうが、攻撃の全てを弾くという点にある。硬そうに見える黒い甲殻の実際は、分厚いゴムタイヤのような弾性を持つものだ。


「は、はええ……ッ!?」


 ひとり取り残されたシフォンに、レペルロブスターの注目が移る。仲間たちの姿を見ていたシフォンは、その目に涙を浮かべ――。


「は、はえあ、はえ……。ど、『ドロー』ッ!」


 タロットカードを引く。山札の中から一枚を選び取り、高く掲げる。そこに描かれていたのは――。


「はえーーーっ!?」


 道化師の姿をした男の、逆さまの絵柄。愚者フールの逆位置は術者に対して悪い効果を与える。

 突然シフォンの足元がボコボコと泡だったかと思うと、干潟に生息するエネミーの一種であるハジケギンチャクが飛び出した。普段は泥の中に潜み、不用意に調査開拓員が踏み抜くと強く弾けるという厄介な性質を持った原生生物で――。


「はえあーーーーっ!?」


 シフォンは勢いよく直上へと吹き飛んだ。

 レティもラクトも、まだ泥から脱していない。エイミーが戦線に戻るにも時間がかかる。絶体絶命の危機が急激に迫っていた。


「――『影縫い』『アサシネイトスラッシュ』」

『ギギャアアアアッ!?』


 だが、その時。突如レペルロブスターが吠える。痛みに悶絶し、手を下した敵を探すように周囲を見渡すが、何も見つけられない。


「『神経断ち』」

『ギイイイイイイイイイッ!』


 更に攻撃は続く。神経を直接断ち切られた激痛が、レペルロブスターを暴れさせる。その的確かつ小さな一撃は、弾き返すことすらできない。更に神経が途切れたことにより、レペルロブスターは一時的に重篤な行動阻害状態を受ける。

 もはや、まな板の主役は成り代わっていた。


「――『痛悼の一刃』」


 最後の一撃は静寂だった。

 刃渡り30cmもない小さな忍刀が的確にレペルロブスターの首裏を掻き切り、その命を終わらせる。己を下した者の姿さえ見ることは叶わず、黒海老が倒れる。

 その影から、黒衣の少年がゆっくりと現れた。


「いやぁ、さすがだなミカゲ!」


 思わず拍手で迎えると、ミカゲは覆面を押し下げて一の字の口を見せる。


「レッジも戦えばよかったのに」

「いやぁ、俺は戦闘専門じゃないからな」


 むしろ俺の仕事はこれからだ。解体ナイフを取り出して、レペルロブスターに取り掛かる。これくらいの大物だと、流石に時間も掛かるだろうが――。


「師匠! ヨモギも手伝いますよ!」

「おお、じゃあ頼もうか」


 どこからかヨモギが現れて手伝ってくれる。かと思えば、レティたちもこちらへ帰ってきた。


「レティさん、大丈夫ですか? 私が直接体で泥を拭って――」

「それは結構です。ぬぬぬ……」


 レティに肩を貸しているのはLetty。彼女は早々にレペルロブスターに突っ込んで吹き飛んで干潟に頭から埋まっていた。むしろ彼女の方が泥だらけだ。レティが連れてきたしもふりが咥えて助け出さなければ、今もまだ埋まっていたことだろう。


『まったく、みんな泥だらけね』


 呆れたように言うのはカミル。彼女もわざわざ着いてきてくれた。


「もうすぐイベントが始まるからな。そわそわしてるんだよ」


 俺は彼女に苦笑を返しつつ、物資が集結している塔の方へと目を向けた。


━━━━━

Tips

◇レペルロブスター

 〈塩蜥蜴の干潟〉に生息する希少な原生生物。大型のエビに似た姿をしており、黒い甲殻を備える。甲殻は分厚く弾性があり、あらゆる物理的な衝撃を跳ね返す。また強靭な筋肉が甲殻内部に詰まっており、繰り出される尻尾の叩きつけは非常に脅威的。

“ポップシュリンプが何度も脱皮を繰り返して成長を遂げた姿でしょう。これは興味深いですね”――管理者ナキサワメ


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