第1559話「古代の知識」

 エンジェルの素となった遺伝子に、現在は絶滅したと考えられる原子原生生物のものが含まれていることが分かった。すぐさまその情報は共有され、レッジに対する尋問が行われた。


『なーにが“ここで原子原生生物をひとつまみ”ですか! スパイス感覚で投げ込めるようなものじゃないんですよ!』


 たしかにシュガーフィッシュの遺伝子に原子原生生物のものが組み込まれていると証言するレッジに対し、ウェイドが叫ぶ。とはいえ、元を辿れば彼女も元凶のようなものである。T-1からすれば彼女もむしろ責任を追及されるべき側だ。

 もちろん今の状況でわざわざ重箱の隅を突くような真似はしないが。


『とにかく、エンジェルの天使語を解読しろと言ったのはあなたですから。何か意見を出してください』

『そう言われてもな。体内からだとほとんど声も聞こえないんだよ』


 レッジは今、エンジェルの体内にT-3と共に封じられている。エンジェルの声は凄まじく反響するため、逆に聞こえにくい状況だった。


『早くしないと私の街が水浸しになるんですよ!』

『排水機構はあるんだろ?』

『そういう問題ではありません!』


 切迫した状況にも関わらず、いつものように言葉の応酬を繰り広げるレッジとウェイド。そんな二人の、ある意味息のあった会話に、T-1は呆れるやら感心するやら複雑な表情だ。


『古い時代の原始原生生物と同じような声っていうなら、そういうことなんだろう。〈アトランティス〉の古文書群を調べるとか』

『そんな時間ありませんよ!』

『そうか。じゃあどうするかねぇ』


 レッジとて、一人のんべんだらりと傍観しているのは性に合わない。なんとかウェイドたちの助けになれないかと頭を捻る。しかし身体の自由が著しく制限されている今、彼もできることは大幅に限られていた。


『ちなみに、ミートたちはなんて言ってるんだ?』

『はい?』

『うん?』


 前提の確認といった程度のニュアンスで尋ねるレッジに、ウェイドがきょとんとする。うまく意図が通じていない気配を感じて、レッジも困惑する。


『えっと、どうしてここでミートが?』

『いや、だってエンジェルの言葉はおそらく古い原始原生生物間で使われてた言語なんだろ。だったら第零期選考調査開拓団とかマシラとか、その時代を知る奴らにインタビューした方がいいだろ』


 ミートたち変異マシラの根源は、高度に凝縮した汚染術式が自我を得た存在だ。高い知性や深い知識を有する者も存在し、中には特殊な能力を持つ者もいる。ミートは俺が一番最初に出会った変異マシラだが、彼女以外にも多くのマシラが〈ウェイド〉近郊の〈マシラ保護隔離拠点〉に収容されている。

 レッジはとりあえず彼女たちに聞き込みをすれば、どうにかなるのではないかと思っていたのだが、ウェイドたちはそこに思い至らなかったらしい。


『ま、マシラですね! あー、まあ今から聞き込みに行こうと思ってたところですけど?』

『そうか……。じゃあ、何か成果があるといいな』

『そうですね!』


 レッジとの通話を強引に切ったウェイドは、同じく側で聞いていたT-1たちに目を向ける。彼女が頷くのを見て、ウェイドは早速走り出した。


━━━━━


 〈マシラ保護隔離拠点〉には各地で発生したマシラが移送され、収容されている。マシラは凄まじい力を持ち、個で調査開拓団に甚大な被害を及ぼすことも可能であるため、厳重な管理下に置かれているのだ。


『はー、今日も暇だなぁ』


 パノプティコンの如く放射状に立ち並ぶ収容棟の中でも、ひときわ厳重に監視されている棟がある。それは変異マシラと呼ばれる、マシラの中でも更に強い力と知性を持つ特別な存在を収容するための牢獄だ。

 その最奥の真っ白な部屋の中で、色とりどりのクッションに身を埋めている少女がいた。頭に大きなキノコの傘を載せた小柄な少女で、一見するとあどけない可愛らしさこそありつつも、危険な存在であるようには思えない。

 だが彼女こそが変異マシラの筆頭格として知られるミートであった。

 基本的に一日の全てを隔離室の中で過ごすことを強要されている彼女は、常に暇を持て余していた。欲しいものは申請すればいいとはいえ、屋内で長く過ごせば息が詰まる。彼女がパパと称する調査開拓員も暇を見つけては面会にやってくるが、やはり外に出ることは定期的な息抜き事業であるオペレーション“アラガミ”を除いてほとんどない。


『――ミート。ちゃんと大人しくしているようですね』


 今日も今日とて退屈に殺されそうになっていたミートの下に珍客が訪れる。それはこの施設の管理責任者である銀髪の少女だった。隔離室のドアが開いたわけではない。彼女の姿が見えたわけでもない。ただ室内に設置されたスピーカーを通じて、聞き覚えのある声が響いたのだ。


『ウェイド! ねー、ちょっと外に出たいんだけど!』

『……あなたが大人しくしているなら、いいですよ』

『ええええっ!?』


 いつものように軽くあしらわれるつもりで投げかけた要求に、あの頭でっかちで融通の効かない管理者が応じた。その事実にミートは驚き立ち上がる。キョロキョロと周囲を見渡すが、やはりウェイドの姿は見えない。だが、スピーカーはまだ繋がっている。


『大人しくしてる! してるからちょっとだけ!』

『……その前に一つ尋ねたいことがあります』

『なんでも聞いて!』


 むふんと胸を張るミート。

 すこし間を置いて、ウェイドが尋ねる。


『あなたはエンシェントホエールが使っていた言語について何か知っていますか? 第零期選考調査開拓団の活動よりもはるか以前に水中で使われていた言語です』

『え? えーっと……』


 ミートは知らなかった。

 彼女は陸上で活動していた汚染術式である。また、汚染術式時代にはさほど高度な知能を有していたわけでもない。エンシェントホエールという存在すら知らない。

 だが、その事を伝えると外に出る千載一遇のチャンスを逃してしまう。それだけは避けたいと一瞬で考えた。


『知ってるよ! 当然でしょ!』

『本当ですか?』


 疑り深いウェイドに、ミートは一瞬言葉を詰まらせる。

 少し良心が痛んだが、それよりも外に出たかった。


『もちろん! 馬鹿にしないでね!』

『分かりました。――では、ロックを解除しましょう』


 その言葉と共に、忌まわしい収容室の施錠が解除される。重装備の特別製警備NPCが監視に付くが、ともかく部屋の外へ出ることができた。三枚の隔離扉を潜り抜ければ、そこに銀髪の少女が立っていた。


『あなたの力を借りたいのです。それはレッジを救うことにも繋がります』

『パパ!? パパがどうかしたの?』


 事情を知らないミートに、ウェイドは詳細をどこまで話すべきか逡巡した。だが、マシラの知識が必要なことには変わりがない。彼女は腹を括り、ミートを町へ誘うことを決めた。


━━━━━

Tips

◇マシラ用ふんわりクッション

 マシラのために開発された柔らかいクッション。柔軟性に富んだ素材で作られており、強い力で引っ張っても破れにくい。カラー展開も豊富で、サイズも多種多様。


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