第1532話「釣りに目覚めた」

 クチナシの甲板にテントを張って、チェアに身を横たえる。海の上では鋭い陽光が差し込むが、サンシェードのおかげでむしろポカポカと陽気が心地よいくらいだ。

 波に揺られてのんびりとした時間を過ごす。世間の喧騒を忘れることのできる贅沢なひととき。思わず深いため息も出てしまう。なんとも平和な――。


「とりゃあああああっ!」

「ナイスですアン! せええええいっ!」

『ポギュリュァアアアアアッ!!!』


 平和な時間は慌ただしく破られる。サンシェードの向こうから大きな影が落ちてきたかと思えば、冷たい飛沫が降り注ぐ。凄まじい打撃音と共に細かな鱗の破片があたりに飛び散り、苦悶に満ちた絶叫が洋上に響き渡った。

 直後、クチナシの甲板に巨大な魚が落ちてきて、そのまま事切れる。威風堂々と胸を張って戦果を誇示するのは赤髪のウサギ。他ならぬレティその人だ。


「アンの〈釣り〉スキルも順調みたいですね。〈怪魚の海溝〉でも安定しているとは」

「もったいないお言葉です、お嬢様」


 ピクピクと痙攣している大魚の前でレティがしみじみと言う。深層から釣り上げられた大魚の口には太い針が引っかかっており、糸の先はアンが持つ竿に繋がっている。


「また随分と大物を釣り上げたなぁ」

「まだまだですよ。海は広くて深いことは十分思い知りましたから」


 上半身を起こして立派な釣果に驚嘆するも、アンはまだまだ満足してなさそうな顔で水平線を眺めている。先日の一件、彼女もクチナシに同船していたわけだがT-1からのお咎めはなかった。とはいえ、本人はハギラの存在に強い衝撃を受けたようで、あれから熱心に海釣りを極めようとしていた。

 今回の出航も、俺のバカンスというよりもアンの釣り修行の意味合いが強い。


「レティがいない間に二人で遊ぶなんて、ずるいですよ」

「そ、そう言われましても……」


 レティは自分が仲間外れにされていると思っているのか、先日の顛末を聞いてからずっと拗ねている。リアルの都合を優先するべきだから、彼女は間違っていないのだが。

 アンも主人であるレティが唇を尖らせていることに、どう対応するべきか苦慮しているようだった。


「それで、結局レッジさんのペナルティはどうなったんですか?」

「基本的には借金だよ。まあ、いつものローンが長くなったと思えばいい」

「結局それですか」


 T-1から課せられたペナルティは借金の返済が大部分を占める。借金自体はウェイドに対する負債もまだ残っているので、支払う先が増えたくらいの話だ。別に金を稼いだ側から全額天引きされるというわけでもない。

 今回はウェイドも少し引け目を感じているらしく、彼女からはペナルティに対する支援も多少受けている。借金の返済は正直少し軽くなったまである。

 また、借金の返済だけでなく労働もペナルティに入っている。具体的にはT-1が打ち出した第四次砂糖増産計画への積極的な参加だ。とはいえ、こちらも言われずとも参加しただろうから、ペナルティというほどのものでもない。

 そもそもあれの直後に正式な公表がなされた第四次砂糖増産計画は、調査開拓員たち待望の新フィールドに繋がる布石とあって、全体としての参加への意欲も高い。現在は〈エミシ〉などを中心に、よりハイカロリーな砂糖の生産研究が始まっている。


「レティはまだ暇そうだな?」

「そうですねぇ。第四次砂糖増産計画は〈栽培〉スキルや〈鑑定〉スキルが必要ですし。戦闘職はまだ余暇の真っ最中です」


 嵐の前の静けさだといいんですが、とレティは穏やかな海原を眺めて言う。

 〈エミシ〉では砂糖の栽培研究が盛んに行われているものの、彼女のような戦闘職はまだしばらく出番がない。いざ新フィールドが発見されれば、彼女も息つく暇もないほどに忙しくなるのだろうが。レティ自身は、はやくそうなりたいと待ち侘びている。


「レッジさん、早く解体してください。せっかくの魚の鮮度が下がってしまいます」

「おっと。すまんすまん」


 アンに急かされ、慌てて魚を捌いていく。今回俺が呼ばれたのはクチナシを呼ぶためと、この解体のためだ。アンも〈解体〉スキルは持っているのだが、〈釣り〉スキルのレベルを上げすぎたせいで、このあたりの魚を捌くにはレベルが足りない。


「ところでアン、今日もお刺身ですか?」

「この魚は煮魚にしても美味しいらしいですよ」

「そうですかぁ……」


 アンが釣りあげた魚は俺が解体し、船の冷蔵庫に突っ込んで持ち帰る。骨や内臓なんかは換金アイテムとして売り出され、そっちはアンの稼ぎとして彼女の財布に入る。ただし、魚肉はアンの〈調理〉スキルのレベル上げに使われる。

 そしてもっぱら完成した料理の消費役となっているのがレティだった。

 彼女も初めの方は美味い美味いとハイテンションで食べていたのだが、刺身、寿司、煮魚、焼き魚、魚肉ソーセージ、カルパッチョ、と連日魚料理が続いているせいで、流石に食傷気味のようだ。


「アン、たまには牛とか釣りませんか?」

「海に牛はいませんよ?」


 レティの胸中を知ってか知らずか、無垢な表情で首をかしげるアン。ピュアな少女に、レティも唸るしかない。

 海に牛といえば、海牛タイプの原生生物は見たことがないな。探せばいるのかもしれないが。少なくとも〈怪魚の海溝〉はウミウシが住めるような浅瀬の砂底はないし、やはり牛を釣るのは難しそうだ。


「おっ、また何か掛かりました!」


 そうこう言っていると、アンが船縁に立て掛けていた竿が反応しているのに気付く。早速手に取り、タイミングを合わせながら引き寄せていく。かなりの大物のようで、竿も逆U字にしなっていた。


「おおっ、これは大きいですよ!」


 魚は飽き飽きしているはずのレティも、釣れるとなるとテンションが上がる。アンが激しく格闘しているのを声援で支えていた。バシャバシャと海面が激しく飛沫をあげ、アンが顔を真っ赤にして――


「とりゃあああっ!」


 勢いよく竿を振り上げる。

 水面下から飛び出してきたのは、大きな球体の影。その姿を見て、俺はあっと声をあげた。


「これは……」

「フグ、ですかねぇ」


 釣れたのは大きめのバランスボールほどもある、ぷっくりと体を膨らませた魚。なかなか食いごたえのありそうな見た目をしているが、毒があるため調理には高いレベルが要求される。今のアンの手には負えない相手だ。


「豚なら釣れたな」

「そういうんじゃないですよぉ!」


 レティは大海原に向かって吠えた。


━━━━━

Tips

◇パファーフィッシュ

 様々な海で釣れる大型の水棲原生生物。衝撃を受けたり、敵意や怒りを覚えた際に大きく球状に膨らむことで威嚇する習性がある。その身は適切に調理すれば繊細な味わいで美味だが、肝に猛毒を有するため調理に高い技量が要求される。

 一説には、肝もどうにか調理することで素晴らしい珍味になるという話も……。


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