第1449話「荒波の小舟」

「レッジさん! レッジさーーーーんっ!」

『レッジいない……。レーダーでも見つかんない……』


 海水が怒濤となって押し迫る。雷鳴轟く暴嵐のなか、レティは必死に声を上げる。クチナシもわずかな痕跡も見逃さないようにと神経を張っている。それでもなお、海に落ちたレッジの行方は捉えられない。

 波は荒れている。10メートルも上下に揺れ動く船では、転覆しないように姿勢を維持するだけで精一杯だ。


『――今から、真ん中まで行く!』


 それでも、クチナシが船首を暴嵐海域の中央へと向ける。バラバラになったワカメが入り混じり荒れ濁る海の中央に、レッジが沈んでいるのだ。


「ダメです!」


 だが、それをレティが止めた。

 SCSであり、レッジがいない今、レティの言葉に従わざるを得ないクチナシは、己の意思に反して動きを止める。


『どうして。レッジを助けないと――』

「今進めば、レティたちまで巻き込まれる。それは避けないと。――あれの情報を集めないと!」


 彼女たちの眼前に浮上した、光り輝く巨大なイカ。大銛烏賊の成熟個体である特銛烏賊よりも、更に比較にならないほどに巨大な、まるで一つの地形、島が浮き上がったのではないかと錯覚するほどの巨体。それは八本の長い触腕を振り回し、ワカメを食い散らしている。


「クチナシは船体の姿勢維持に注力して、もし危険が迫れば回避してください。レティは写真を撮って、掲示板に投げます」


 レッジが海に落ちた。あの巨大イカが現れた。その直後に、〈特殊開拓指令;暴嵐に輝く白光〉が発令された。あのイカは突発的に発生したイベントのボスだ。その情報を少しでも多く集め、少しでも早く公開することがレッジの助けになる。

 すでに〈大鷲の騎士団〉が、〈黒長靴猫BBC〉が、〈七人の賢者セブンスセージ〉が動き出しているはずだ。彼らがあのイカをぶっ飛ばせるように、レティはできる限りのことをする。


――ドガァアアアアアアアアッ!


「きゃああっ!?」


 レティがスクリーンショットを撮ろうとしたその時、嵐を生み出す黒雲にイカの触腕が突き上げられ、凄まじい爆発が広がる。一瞬、暗い雲を照らす赤々とした爆炎。それが偵察に来た超音速飛行機が爆散したものだと気づいたのはすぐのことだった。


「敵対範囲が広い。クチナシ、もっと下がってください!」


 大きいのは図体だけではない。交戦的な原生生物は一定の範囲内に近づくことでも攻撃を繰り出してくるが、このイカはその敵対範囲もかなり広かった。

 飛行機は緊急脱出装置を起動する間もなく爆発四散した。

 その後、更に〈ワダツミ〉と〈ミズハノメ〉のある方角から、次々とミサイルが飛来する。だがそれもイカの大きく太い触腕が横に薙ぎ払うだkでで一蹴してみせた。


「攻撃が全然効いてない……。レティの〈鑑定〉じゃほとんど情報も分からないですね」


 レティの〈鑑定〉スキルレベルは、最前線の原生生物の名前がわかる程度だ。より詳細な情報を集めようとすれば、解析班と呼ばれるような専門家に任せなければならない。しかし、彼女は〈撮影〉スキルも持っておらず、手がかりとして渡せるものは情報量の少ないスクリーンショット程度しかない。

 それでも無いよりはマシと信じて、シャッターを切り続ける。


『レティ、レッジを探しに行きたい! 行かせて!』

「ダメです。レッジさんはまだ死んでません」

『だからこそ――!』

「あなたは死ぬんですよ!」


 NPCは死ぬ。SCSはバックアップもあり、現在はクチナシ級も100隻以上が就役している。だが、SCS-クチナシ-17は彼女ただ一人だ。

 麦わら帽子を雨粒で濡らす彼女の肩を掴み、レティは強い語調で伝える。


「レッジさんは戻ってきます。でも、あなたは戻ってこれないかもしれない。レティは、レッジさんのためにも、あなたを守らなければなりません。レッジさんを信じてください」

『うぅ……』


 そもそも、クチナシはレティに逆らえない。彼女は逆らう口を機能的に封じることもできる。そうしないのは、優しさか信頼か。


『レティさん、今どちらに?』

「アストラさん!」


 その時、レティの元にTELがかかってくる。発信者はアストラだ。やはり〈大鷲の騎士団〉は動き出していた。レッジとレティが今回のイベントの発端にあると考えて、連絡をよこしてきたのだ。

 相変わらず仕事の早い騎士団に舌を巻きながら、レティも簡潔に応じる。


「今は暴嵐海域にいます。いくつか写真を撮ったので送りますね」

『ありがとうございます。レッジさんは……』

「まだ見つかってません」

『そうですか!』


 レティの言葉に、アストラは明るい声を上げる。

 見つかっていないということは、死に戻りしていないということ。つまり海の中で生きている。――いや、生かされている。

 アストラはこの一瞬でそこまで考えていた。


『もうすぐ、ウチのリヴァイアサン級を主力とした船団が到着します。即時砲撃を開始するので、十分に距離を取っていてください』

「分かりました!」


 調査開拓団最大の戦力が動き出している。その事実はレティを強く勇気付けた。

 クチナシに指示を出し、全速力で海域からの離脱を始める。〈大鷲の騎士団〉が所有するリヴァイアサン級は機動力に優れる蒼氷船だが、ラクトたちと作るそれとは文字通りの桁違いだ。数十人の機術師によって構築されるそれは、レイドボスを轢き殺せるほどの火力を有する。


「来ましたよ、あれです!」


 荒く立ち上がる波の間から、輝く氷の船団が見えた。

 到来したそれは、ビルよりも大きな威容を示す。一番艦の船首に立つのは、輝く銀鎧と青いマントが特徴的な騎士団長アストラだ。

 続く二番艦には副団長アイ、第一戦闘班。また別の船には銀翼の団の幹部連中。


「騎士団の総戦力ですね。出し惜しみ一切なしの全力攻撃ですよ!」


 錚々たる面々に、レティは状況を忘れて声を上擦らせる。間違いなく、全ての調査開拓員が最強と答える戦闘集団がやってきたのだ。レッジの功罪も有名だが、純粋な戦闘能力においては彼らに比肩するものはない。


「照準固定」


 朗々と響くアストラの号令。嵐の轟音にも関わらず、不思議とよく通る。

 それに応じるのは甲板に立つ機術師たち。一番艦の甲板に立つ少女たちを見て、レティは目を見開く。


「メルさん!」


 アーツにおける最強。機術師の頂点。

 火属性アーツのスペシャリストである“炎髪”のメルを中心とした七人の少女たち。その歌声が響き渡る。

 七人という小規模グループにして〈大鷲の騎士団〉と対等に相対する実力派、〈七人の賢者〉。彼女たちが開発して世にその絶大な威力を知らしめた輪唱アーツが紡がれていく。

 他の船に乗る騎士団の機術師たちも、TB級の大規模アーツを構築していく。その手際は門外漢のレティでさえ、圧倒されるほど洗練されている。

 大気がうねり、海が悲鳴を上げる。淡々と歌声が響き、意味が積み重なる。

 だが。


「――ッ! 防御体勢ッ!」


 直前。何かを察知したアストラが叫ぶ。

 直後。白い直線が船を貫く。


「アストラさ――!?」


 レティの目の前で、無敵の艦隊が瓦解する。

 赤髪を振り乱し、動揺する瞳を背後に向ける。彼女の目に映ったのは、ゆっくりと触腕を引き戻す――山のようなイカの悠然とした姿だ。


━━━━━

Tips

◇『悉くを焼滅す、火龍の焔息吹』

 火属性上級攻性機術。調査開拓員単身では術式の構築も不可能な大容量アーツ。その炎が落ちた時、地上全てが灰燼と帰すであろう。


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