第1351話「大聖堂の清泉」

 雷鳴が轟く。稲妻が走る。赤い兎が壁を蹴り跳躍した直後、その壁が木っ端微塵に砕けた。次々と迫る雷条を、レティは全て紙一重で避ける。それはまさしく、天賦の才というべき卓越したセンスの賜物だった。


「うるっさいですねぇ! 耳がジンジンしますよ!」

『あなたの声もなかなかです――よっ!』


 金属を叩くような激しい雷声は聴覚が敏感なレティにとってストレスだ。彼女は溜まった鬱憤を即座に晴らすように打出の大槌を勢いよく振り降ろす。地面が抉れ、廃墟が吹き飛び、大きなクレーターが出来上がる。その中心で雷を帯びて耐えるオラクルも、今や全身を汚していた。


「疾――ッ!」


 広域に展開したDAFシステムの〈狙撃者〉が次々と弾丸を打ち込む。オラクルはそれに対処しなければならない。展開した雷球から放電を行い、弾幕を張ることで鉛の弾丸を迎撃する。

 その隙をレティが逃すはずもない。

 打ち込まれた強撃。それはオラクルの腹を抉る。


『おごっ』


 空気と共に生々しい声を吐き出し、オラクルが後方へと吹き飛ぶ。


「はっはぁっ!」


 そこには、すでにレティが先回りしていた。ハンマーを構え、バッターのように迎撃の体勢を取る。空中を吹き飛ぶオラクルは無防備だ。――通常ならば。


『これでも砕いてなさい!』

「ぬああっ!?」


 バチバチと電流が広がる。急激に増幅する電磁力が、オラクルの周囲に落ちていた瓦礫の僅かに含まれた鉄を引き寄せる。巨大な瓦礫が浮き上がり、レティの元へと迫る。さしもの彼女もそれには撤退を選ぶ。


『とりゃっ!』

「ひ、卑怯ですよ飛び道具は!」

『それをいうなら、煩わしい羽虫を下げてくださいな』


 次々と飛んでくる瓦礫を避けながら抗議の声を上げるレティ。しかし、そもそも常に〈狙撃者〉から狙われているオラクルにとっては今更である。

 両者の距離が離れ、一瞬戦闘が落ち着く。直後。


『ついでに、この植物もどうにかなりませんか?』

「それもレッジさんに言ってください!」


 完全に制御を失い、無差別に暴れ回る濃緑の化け物。レッジが残した原始原生生物の巨大な蔦が二人へと迫る。レティとオラクルはそれぞれの方法で蔦を破壊し、潰し、焼き切る。しかし、原始の強力な遺伝子を宿すそれは、更に凶暴性を増すだけだ。


『あの男はどこに隠れたんですか? まさか、敵前逃亡というわけではありませんよね?』


 そうであればますます神とは呼べませんね、と笑みを深めるオラクル。嘲笑する彼女にレティは目尻を吊り上げて反論する。


「レッジさんが敵前逃亡なんてするわけないじゃないですか!」


 レティの役割は、レッジが大聖堂の調査を終わらせるまでオラクルを引きつけておくこと。彼の進捗がどの程度で、あとどれくらい時間がかかるかも分からない。それでも、彼女は信じていた。きっと、彼ならばやり遂げてくれると。

 だからこそ、自分も頑張る。頼ってくれた彼の信頼に応えるために。今も一人で過酷な挑戦をしている彼を支える、唯一無二の最良のパートナーとなるために!


「うおおおおおおおおっ!」

『なっ、なんだか気迫がありますねっ!』


 レティが一気に間合いを詰める。オラクルは驚きつつも、雷球を展開する。二人の衝突の余波で、クレーターだらけの戦場に乱風が吹き荒れた。

 その時。


――ゴォーン。


「っ!?」

『なっ!?』


 鐘声が天空街に響き渡る。

 否、それは地上街にも。地下にも。塔の全域へと余すことなく。

 オラクルが驚愕の顔で固まる。レティは直感的に理解した。彼が成し遂げたのだと。


『そんな、あり得ない……。まだ審判は下っていないのに――』


 オラクルがかぶりを振る。しかし彼女の声を否定するように、鐘の音は何度も何度も繰り返し響き渡る。

 地上街の調査開拓員たちもその異変に気付いただろう。

 レティはオラクルの視線の先を追いかける。彼女が見ていたのは音の発生源。天空街の中央に聳える雄壮な大聖堂だ。その屋根の上、高く天を衝く鐘楼から、その荘厳な響きが広がっている。


「あそこに何かあるんですよね。確認しにいきましょう」


 レティはそれまで死闘を繰り広げていた相手に手を差し伸べる。あの鐘の音が停戦の合図だと分かっていた。

 オラクルはその手に驚き、戸惑いながらも応じる。もはや戦いを続ける理由がないと、分かってしまった。

 荒れ果てた戦場を駆け抜け、廃墟の街を進む。向かう先にあるのは純白の大聖堂。いや、青白い光を放ち、よりいっそう神々しさを増しているようにも見える。その足元、広場の中央に彼が立っていた。


「レッジさー、がっ!? ラクト!?」


 成果を挙げた彼に手を振って駆け寄ろうとしたレティは、その寸前で立ち止まる。彼に寄り添うように、彼と腕を絡ませる小柄な少女がいた。更に隣には小麦色の肌のエルフも。


「が、ぎ、ぐ……。まあ、いいですよ。二人が無事なら、レティとしても嬉しいですからね」


 飛び出しそうになった言葉を強引に胸の奥に押し込み、ぎこちなく笑みを浮かべる。そんな様子をオラクルは怪訝な顔で見ていた。

 やがて、レッジたちも二人の接近に気がつく。レアティーズとラクトが咄嗟に身構えるなか、レッジだけは違った。


「おお、レティ! オラクルも!」


 まるで旧来の友を迎えるかのように、彼は驚くほど自然にオラクルの存在を受け入れていた。あれほど真剣に殺し合ったというのに。その意外な反応にオラクルが呆気に取られていると、隣のレティが呆れを多分に含んだ声で囁く。


「レッジさんはそういう人ですから。早めに受け入れたほうが楽ですよ」

『なんなんですか、それは……』


 にこやかな表情で大きく手を振る男に、敵意や害意といった感情は全く見て取れない。あんな凶悪な魔獣を生み出した邪悪な力の持ち主だとは思えないほどだ。

 ちなみに原始原生生物はいまだに暴れ回っている。あれをどうにかするのは、レッジの責任だろう。


「二人ともよく来てくれた。あれを見てくれ」


 レティたちと合流したレッジは、嬉しそうな笑顔を見せて大聖堂を指差す。

 広場から繋がる階段の向こうに、大聖堂の大きな扉が見える。オラクルの記憶ではここ数百年もの間、ずっと沈黙を保ち続けてきた鉄壁の扉だ。


『扉が……』


 それが今、大きく開け広げられていた。オラクルでさえ久しく見ることのなかった内部の様相が露わになっている。


『いったい何をしたんですか』


 オラクルはレッジに詰め寄る。審判の儀を経て、オラクルが斃れなければ開くことがないはずの扉だった。それが今、なぜこうも呆気なく開いたのか。神命の審判者としてその理由を知らねばならない。

 しかし、怒りすら抱くオラクルに対して、レッジはへらへらとした様子だ。雷パンチをお見舞いしてやろうかとオラクルが拳を握る。


「神様に注文の品を届けただけだよ」

『は?』


 飛び出した言葉は不可解だった。眉間に皺を寄せるオラクルに、レッジは階段に置かれたものを指で指し示す。


「第一期調査開拓団が作った花束だ。とある管理者の指令の下で、栽培から収穫、加工、梱包。そして宅配。全部を調査開拓団が担っている。今の調査開拓団を象徴するに相応しいプレゼント。それを、神様に送った」

『何を……』


 何を言っているのか、まったく理解できなかった。

 神がこれを望んだというのか。何のために? なぜこの男に? どうやって? 神の代弁者たる私は、何も知らない。


「分からないことは、本人に聞けばいいさ」


 混乱するオラクルに、レッジは気安く声をかける。彼女の手を戸惑うことなく握り、階段へと誘う。


「ちょ、ちょっとレッジさん! 待ってください。レティも――」


 仲間たちを引き連れて、レッジとオラクルは階段を登る。

 その先に開かれた大扉。奥に広がるのは荘厳な内装だ。精緻な彫刻の施された列柱が取り囲み、高い天井には絵画が描かれている。エルフだけでなく、ドワーフや人魚の姿もそこに見てとれた。

 そして、部屋の中央。そこにレティは見覚えのあるものを見つけた。


「この泉……」


 円形の泉。薄く水を張り、清らかな光を放っている。この形状を彼女は知っていた。

 レアティーズもそれに気が付く。


『地下街にあったものと一緒だ……』


 エルフの少女、オフィーリアが囚われていた。そして、ゴブリンたちを生み出し続けていた黒い泉。それと全く同じ意匠の施された泉だった。違うのはその色だけ。純白に光り輝き、その表面に青い光の筋が無数に走っている。

 レッジがそのほとりに立つと、泉の水面に細かな泡が立ち上がり始めた。


━━━━━

Tips

◇瞋怒する暴虐の大蔦

 現在は滅びた原初原生生物。第零期先行調査開拓団によって蒔かれた“生命の種”から生まれた初期の原生生物。

 非常に強靭かつ巨大な蔦の集合体のような外見であり、植物でありながら高い運動能力と破壊的な衝動を持つ。生まれた瞬間に周辺一帯の地力を根こそぐ奪い、急速に生長すると、核部分を包むように蔦を集め、暴走を始める。周囲の存在を無差別に破壊して荒野を形成し、自身の住みやすい環境へと強引に変える。

 その破壊衝動が収まるのは、寿命を迎えた時のみである。

 一時期は地上のほぼ全てを覆い尽くし、最大の繁栄種として栄華を誇っていた。しかし、気候変動や他種族の台頭によって絶滅する。


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