第1298話「偽者は誰だ」

 ミカゲの呪力を吸い取ったカオスエルフは空中に浮遊し、俺たちを見下ろす。闇を固めたような黒髪が長く伸び、顔の半分以上を隠している。その瞳は見えないが、その弓のように曲がった笑みを見た瞬間、俺は近くにいたレティたちを引っ張って全力で後方へと逃げた。

 次の瞬間、その周りの広範囲に黒い炎が広がった。


「うわーーーっ!?」

「き、消えない!? なんだこれ!」

「あばーーーっ!」


 逃げ遅れたプレイヤーたちが次々と飲み込まれ、一瞬で倒れていく。彼らの力も飲み込んで、カオスエルフはさらに力を増しているようだった。地上に降り立った禍々しい姿のカオスエルフは、近くに倒れていた何を掴んで持ち上げる。


「あれは……」


 彼女はそれを、大きく口を開いて丸呑みにする。

 バリボリと骨を噛み砕く音が不思議なほどよく響く。赤黒い血を口の端から滴らせながら、喉を鳴らして嚥下する。カオスエルフの力が更に増した。


「ゴブリンを、食べてる!」


 シフォンが声を震わせる。

 カオスエルフが喰らっていたのは、路傍に倒れていたゴブリンだった。その枯れた体をむしゃむしゃと咀嚼し、己の中に取り込んでいく。あまりにも常軌を逸した行動だ。


「う、うおおおおおおおっ!」


 誰かが瓦礫を飛び越えて襲いかかる。仮にも前線で活動している調査開拓員、その実力は折り紙付きだ。十分にバフを重ね、最大限の力を発揮しながら、カオスエルフの後頭部へと両手剣を叩きつける。

 だが。


『イタダキマス』

「うわ、あっ!?」


 ぐるりと振り向いたカオスエルフが口を開く。両頬が裂けるほど大きく開いた口腔にずらりと並んだ鋭利な歯が調査開拓員に噛みつく。バキッと大きな音と共に、彼の腕が強引に噛みちぎられた。

 青い血を流しながら悲鳴を上げる青年を、カオスエルフは滑らかな回転蹴りで吹き飛ばす。そして、ゴリゴリと硬い金属フレームを噛み砕き、不味そうな顔をして吐き出した。


『マズイ、イラナイ』


 明らかに知性を感じさせる姿だ。言語を失っていた数分前とは大きく雰囲気が違っている。言葉を放ち、そしてなお強い憎悪を孕んでいる。


『ミンナ、イラナイ。ミンナ、キライ……。ミンナ、シネ』


 カオスエルフが動き出す。彼女が手を軽く振るだけで、地下街が大きく揺れた。

 なお悪いことは、カオスエルフが彼女だけではないことだ。あちこちで似たような爆発が巻き起こり、次々と調査開拓員が死んでいく。


「レッジさん、このままじゃもっと融合しちゃいますよ!」

「けどなぁ。止める手立てがないぞ」


 俺たちにできるのは逃げに徹することだけ。苦しむミカゲの治療をしながら、廃墟の影から影へと逃げ隠れることしかできない。


「アストラ、なにか情報はないか!?」


 一縷の望みをかけて後方で指揮を執るアストラに応援を要請する。向こうもかなり忙しそうだが、彼はわずかな暇を縫って応答してくれた。


『カオスエルフに関する情報はほとんどありません。ただ、別働隊が今頑張ってくれているので――』

「もう少し待ってればいいのか」

『すみません、お願いします!』


 アストラの言う別働隊がどういったものなのか、何をしているのかは分からない。とはいえ、彼はこの状況に絶望していない。ならば、諦めるのはまだ早いということだろう。


「みんな、よく聞け。あのカオスエルフを真正面から相手するのは難しい。アストラの言う別働隊が成果を上げるまで、遅滞戦術を徹底する」

「遅滞戦術ですか」


 首を傾げるレティ。彼女のプレイスタイルからは縁遠いものだ。


「生き残ることだけを考えて、カオスエルフが融合しないように誘導するんだ。反撃しようとか、仕留めようとか、そういうことは捨てていい」

「むぅ。なんだか情けないね」


 ラクトが不満を呈する。レティやトーカも同じような気持ちのようだ。


「し、仕方ないよ。あのカオスエルフの攻撃力と攻撃範囲はどう考えてもバリテン50匹くらいありそうだし」

「兄貴、団長が何を考えてるのかは分かりませんが、なんとかしてくれるはずです。それを信じて動きましょう」


 シフォンとアイが説得する。レティたちもここであっさりと倒されてしまうのは不本意だろう。不承不承といった様子ながら頷く。


「作戦名は“死なない程度に頑張ろう”だ。いくぞー!」

「な、なんて適当な!」


━━━━━


 周囲を黒炎で焼き尽くし、カオスエルフは満足げに周囲を見渡す。廃墟の側に転がっているのは、炎に巻き込まれて焼け死んだゴブリンと調査開拓員。彼女は美味くも不味くもないが食べられるという理由だけでゴブリンを掴み取り、喰らいつく。

 味はひどいものだが、食べれば胸の内側で燃え盛る憎悪の炎に薪がくべられる。彼女は更に力をつけていく。


「へーい、そこの彼女!」


 心地よい苛立ちを楽しんでいると、背後から耳障りな声がした。

 カオスエルフが振り返ると、そこに奇妙な長い耳を生やした赤い女が立っていた。貧相な体つきで、見た目にも美味そうではない。しかし、カオスエルフは己の食事を邪魔したという一点だけで、それを殺そうと考えた。


『シネ』

「うわーーーっ!? なんちゃって、そんな短調な攻撃、当たりませんよ!」


 黒炎の爆発が女を捉えたはずだった。しかし、彼女は無傷で煽っている。

 カオスエルフの感情が大きく揺れ動いた。彼女は体を正面に向け、しっかりと力を練り上げる。そうして、放った黒炎の極太の柱が、今度こそウサギ女を捉えた――はずだった。


「へっへっへ! 大技しかできないとは脳筋ですねぇ。そんなんだと足元掬われますよ!」

『ナニ……ッ!?』


 廃墟の陰に隠れたか、その声からは所在をつかめない。しかし、こちらの攻撃が当たっていないのは確かだろう。周囲の気配を探ろうと神経を尖らせたカオスエルフは、直後に強い衝撃で吹き飛ばされる。


「『フルスイング』ッ!」


 ハンマーをまっすぐに振り抜いた、あの赤いウサギ女がいた。いつの間に背後へ回り込んだのか。どうやって距離を詰めたのか。何も分からないまま、カオスエルフは宙を舞う。

 だが、憎悪を取り込んだことで力を増し、空を飛ぶことさえできる彼女は、空中で身を翻して衝撃を殺す。そして、羽虫のように煩わしい女を焼き殺そうと手を向ける。

 そのとき。


「どこ見てるんです――かっ!」

『ガッ!?』


 彼女は背後から再び強い衝撃を受け、地面に叩きつけられる。咄嗟に振り返って見たのは、またもウサギ女。直前まで地上にいるところを見ていたのに、一瞬で背後に回ったと言うのか。

 不可解な現象にカオスエルフは困惑する。それを表情から読み取ったのか、赤ウサギは得意げに笑う。


「悔しかったら捕まえてみなさい! レティが相手になりますよ!」

『……ウザイ!』


 カオスエルフの口元が苛立ちに歪む。地面から跳ね起きた彼女が地面を抉る脚力で駆け出す。本気を出せば、一瞬で肉薄できるのだ。

 しかし――。


「だらっしゃーーーいっ!」

『ナニッ!?』


 再び、意識の外からの打撃。勢いよく吹き飛ばされたカオスエルフは瓦礫を吹き飛ばして地面に叩きつけられた。


『ドコカラ……キタ……!?』


 もはや何も分からない。自分は確実に獲物を捉えているはずなのに。


『オマエ……チガウ……?』


 瓦礫の中から立ち上がりながら、カオスエルフはよくよく敵を観察し、そして気付いた。

 赤い女のシルエットがわずかに違う。いや、ほとんど完璧に同一の姿形をしながら、ただ一部分だけが明確に違っている。


『オマエ、デカイ』

「はぁ!? レティだってデカいですけど!?」


 目の前に立つ乳が巨大な女を睨むカオスエルフ。別の方向から怒りの声が上がる。

 カオスエルフは理解した。自分は1匹に翻弄されていたわけではない。よく姿を似せた2匹が小手先の細工を施して翻弄していたのだ。

 理屈が分かってしまえば簡単なことだ。それだけに騙された自分に怒りが湧いてくる。

 羽虫が2匹いるならば、まとめて焼き払えばいい。

 カオスエルフが周辺一体を燃やす大技を放とうとした直前。


「てやああああああいっ!」

『ガッ!? サンヒキメ!?』


 彼女は再び、死角からハンマーの直撃を受けて吹き飛ばされる。


「とりゃあああっ!」


 しかも今回はそれだけで終わらない。吹き飛んだ先に4匹目のウサギ。体勢を変える暇もなく別の方向へと吹き飛ばされる。


「ふははははっ! これぞレティフォーメーション、どれが誰だか分からないでしょう!」


 うるさいウサギが騒ぐ。だが彼女の言う通り、カオスエルフにはそれぞれの区別がつかない。ただ1匹だけ、胸のデカい奴が分かるだけだ。それ以外のウサギ共は全部同じ姿をしている。

 いったい、何が起こっているのか。

 カオスエルフは混乱したまま、お手玉のように飛ばし続けられていた。


━━━━━

Tips

◇黒炎

 カオスエルフが用いる特殊な炎。原理不明の存在であり、強い燃焼能力を持つ。耐火性素材すら一瞬で灰にするほどであり、通常の物理法則を一部超越している。“燃焼”という概念そのもの、と言うべき存在。


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