第1212話「快進撃の副作用」

 〈怪魚の海溝〉上空8,000m地点。高度の限界も近づき、クチナシ甲板上で感じる傾きもほとんど水平に戻っている。実験的に展開した原始原生生物兵装は、どれも圧倒的な効力を発揮した。レティたちの鑑定によって判明したフィールドエネミーは流石は第三開拓領域と言いたくなるほどの高い能力を持っており、まともに戦おうと思うと俺たちでも苦戦を強いられるだろう。それを、まさに鎧袖一触と言って良いほどの圧倒的な力でねじ伏せることができたのだ。


「これでオリジナルと比べたら大幅に弱体化してるってんだから、原始の時代は魔境だな」

「まったくですよ」


 襲いかかってくる細長い中華系の竜みたいな原生生物が、“侵蝕する鮮花の魔樹”に生きたまま食われて落ちていく様子を眺めながら、植物の力強さに驚嘆する。あれもおそらく1パーティ以上の戦力で挑むべき相手なのだろうが、種を一つ植え付けるだけであの有様だ。

 原始原生生物兵装を使うことのデメリットは、ドロップアイテムの回収が絶望的ということくらいだろうか。なにせ遺伝子的な汚染が発生しているわけで、ウェイドがまず使用を許さない。そもそもそういった流出を防ぐため、すべての原始原生生物には細胞増殖阻害遺伝子がすでに組み込まれている。


「ああ、もったいないなぁ」

『細胞増殖阻害遺伝子の組み込み義務は、“増殖する干乾しの波衣”の一件が原因ですからね。あなたが犯人なんですよ』


 自壊していく“侵蝕する鮮花の魔樹”を見送っていると、隣のウェイドが白けた顔で言う。たしかにまあ、あの増えるワカメはちょっとやりすぎたと思ったけどなぁ。


『レッジ、そろそろ光輪の射程範囲に入るよ』

「おっと、もうそんな時間か」


 新兵器の実験に夢中になっていると、クチナシが第一関門の到来を知らせてくれる。

 〈エウルブギュギュアの献花台〉から放たれる巨大な光輪。それに触れれば、どれほどの防御策を施しても、砂の城のように呆気なく呑み込まれる。回避不可能、防御不可能な理不尽な全体攻撃。

 だが、それも上下のどちらかから掻い潜ることができる。海中を潜水艦で進むか、もしくは――。


「来たわよ!」


 船縁から身を乗り出したエイミーが声を上げる。


「下から見るオーロラみたいで、綺麗ねぇ」


 同じく光輪を一目見ようと待ち構えていたモミジが恍惚とした声を漏らす。潜水艦はほとんど全体が装甲に隠れていて頭上の様子は見えなかったが、ここからは猛烈な速度で広がる巨大な光輪が鮮明に見える。

 広大で真っ青なキャンバスに広がる光の帯は、モミジの形容がよく似合う。白一色と思いきや、見る角度によるのか、鮮やかな七色の光が入り混じる幻想的な姿をしている。

 思わず写真を撮ってしまうほどの絶景だ。


「そうそう、こう言うのが見たかったんだよ」

「ちなみにあの足元では物理的に消滅している船団があるわけですが」


 クチナシの戦場では光輪の美しさに興奮する者と、それと同時に発生している理不尽な侵蝕に微妙な顔をしている者の二種類がいた。

 いまだに光輪を真正面から突き抜ける方法を模索している猛者もそれなりに多く、10分ごとに数百隻規模の船団が海の藻屑に消えている。彼らもまたイベント攻略に向けて情報を集めているのだ。

 なんといっても、潜水艦も航空機もそれなりの値段がするからな。緊急特例措置の発令下とはいえ、ソロプレイヤーなんかはおいそれと手を出せるものではない。俺だって、この新生クチナシを建造するためにそれなりの――。


「こほん。まあ、それはいいか」


 過ぎた出費は考えない方がいい。このまま献花台まで到達して成果を上げれば、パブリックデータベースに上げた情報でかなり稼げるはずだからな。


「とにかく、光輪は問題なく越えられそうですね」

「まあ高さはかなり余裕を見てるからな」


 無事に光輪のはるか上空を飛び越えることができて、レティがほっと胸を撫で下ろす。

 光輪の高さ自体は事前にデータが公表されていたし、これくらいの高度を稼ぐのも翼花エンジン方式であれば容易かった。第一関門と言いながら、俺はこの船が飛んだ時点でその通過を確信できていた。


「じゃあ、この後はまたしばらくのんびり空の旅だな」

「十分おきにオーロラが見られると考えると、なかなか優雅な旅だねぇ」


 ラクトたちもクチナシの飛翔に慣れてきたのか、笑顔を見せるだけの余裕が出てきた。燃料も栄養液も残量は十分だし、クチナシの船体も大きな損傷はない。このまま、8km圏内まではゆっくりとした時間を過ごせるだろう。

 そう考えたのがフラグだったのかも知れない。


『レッジさん、いますか!? てか聞いてください! 聞け!』

「うわぁっ!? なんだ突然!」


 前触れなく耳に直接響く大声。周囲から発せられた物ではない。TELの通信回線を強制的に開いて捩じ込まれた、ナキサワメの声だ。

 一人で驚いて飛び上がる俺を見て、ラクトたちがギョッとする。俺は慌てて周囲にも彼女の声が聞こえるようにスピーカーを操作した。


「どうしたんだ、ナキサワメ」

『どうしたもこうしたもありません! 危険が危なくてヤバいんです!』

「一旦落ち着けって」


 のべつ幕無しに捲し立てるナキサワメ。その様子からかなり焦っていることだけはありありと伝わってくるが、肝心の内容が何ひとつ分からない。


『ナキサワメ、いったい何があったんですか? またレッジの余罪が見つかったんですか』

「なんで俺が罪を犯している前提なんだよ……」


 結局、ウェイドが出てきてなんとかナキサワメも少し落ち着きを取り戻す。少々解せないところもあったが、今は指摘するところではないだろう。

 俺たちが耳を傾ける中、ナキサワメはしっかりと言葉を整理して話し始める。


『じ、実は……。各地のミオツクシ、および通信監視衛星群ツクヨミによる観測の結果、レッジさんたちの行動軌跡を中心に環境負荷が猛烈に高まっているんです』

「えっ!?」


 環境負荷とは読んで字の如く環境に対して調査開拓団が与えた負荷のことだ。環境には状態を維持しようとする性質があり、強い負荷を与えるとそれを退けようと強い反発が発生する。つまり――。


『〈怪魚の海溝〉にて、大規模な“猛獣侵攻スタンピード”が発生します!』

「な、なんだってー!?」


 ナキサワメからもたらされた衝撃の発言に、船内は騒然となる。そんななか、ウェイドだけが冷静に――いや愕然として口を開く。


『まさか、いや……。なるほど、そういうことでしたか』

「何か分かったのか、ウェイド」


 真剣な表情の管理者に、その理由を問う。彼女はじっとこちらを見上げて、深刻な声で言った。


『原因は原始原生生物です』


 現在、クチナシは七株の“昊喰らう紅蓮の翼花”によって飛んでいる。装甲には“胎動する血肉の贄花”と“侵食する鮮花の魔樹”が用いられている。全体のおよそ三割が、原始原生生物で構成された植物由来の素材だ。

 更に進路上に立ちはだかる原生生物に対しては原始原生生物を用いた兵装を使っている。その威力は絶大で、ほとんどすべての強敵をそれだけで圧倒することができていた。


『原始原生生物は第零期先行調査開拓団が惑星そのものの大規模なテラフォーミングのために蒔いた種から生まれたもの。その能力は文字通り、環境を激変させるだけの力があります』

「つまり、環境負荷が鰻登りということか」

『そういうことです。ああ、なんてこと!』


 どうしてこんな簡単なことに気付かなかったのか、とウェイドが絶望に打ちひしがれる。しかし、クチナシを動かしている原始原生生物を止めることもできない。そうすれば、すべてが水の泡だ。


「ナキサワメ、これはどうしたらいい?」

『管理者としては今すぐすべての原始原生生物を回収して欲しいのですが……』


 それが無理なことは彼女も分かっているのだろう。だから、彼女は次善の策を講じる。


『発生した“猛獣侵攻”は〈緊急特殊開拓指令;天憐の奏上〉における不可避の副作用的事象であると認定し、その対処にリソースを分配します。なので……』


 ナキサワメは、管理者として俺たちに命じる。


『必ず、献花台へ到達してください。そして情報を集め、できるならば全ての攻撃を封じ、洋上航路からも侵入できるよう突破口を開いてください』


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Tips

◇秘密通信における特権的介入権

 管理者以上の調査開拓員に与えられる特別な権限。調査開拓員同士の通信を自由に閲覧することが可能で、必要であれば独断によって強制的に通信に介入することが可能。


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