第1199話「水族館デート」
〈怪魚の海溝〉の広大な海原に高校支援標識〈ミオツクシ〉が配置され、安定した航路が確保された。これが調査開拓活動を力強く後押ししたことにより、〈怪魚の海溝〉はその広大さとは裏腹に管理者たちも驚くほどのハイペースで調査が進んだ。その影響は海面だけでなくその下にまで及び、〈ナキサワメ水中水族館〉には連日のように様々な水棲原生生物のサンプルが移送されてきた。
「ここもずいぶん賑やかになったじゃないか」
「本当ですねぇ。わ、この珊瑚もとっても綺麗ですよ」
たまたま予定が合ったレティと共に水族館を訪れた俺は、その変わり映えに思わず驚いた。殺風景な大水槽にボスエネミーである“封絶のポリキュア”が一匹入っていただけの記憶しかなかったが、見違えるほどに賑やかになっている。
大水槽は〈怪魚の海溝〉の環境を忠実に再現しているようで、ポリキュア以外の原生生物も多く投入されていた。小魚たちが群れをなして泳ぎ、注ぎ込む光に反射して銀に眩い輝きを放っている。底部にはゴツゴツとした岩が転がり、その影にじっち身を潜めるウツボのような魚も見えた。
レティは壁に埋め込まれた小さな水槽にある鮮やかな色の珊瑚を見て、ピコピコと耳を揺らしていた。
「ふふふっ。まさかレッジさんと二人きりで水族館デートができるなんて。これも日頃の行いというやつでしょうか」
何やら珊瑚に話しかけているレティの無邪気な横顔を眺め、この水族館の発展ぶりに身を馳せる。
落ち着いた照明の下を歩いている調査開拓員たちも和気藹々としている。中には恋人関係らしい二人組も珍しくない。いつかレティやシフォンも、そういう人とこういうところへ行ったりするんだろうなぁ。
「レッジさん、5階以下の研究施設にはどんな原生生物がいるんでしょうか」
「まだ正体が完全に解明されていないとか、収容時の危険性が高くてこういう水槽には入れて置けない奴らだろうな」
館内図を見ると、水族館は8階層の円柱上になっている。上から1から4階層までは一般に開放された観覧エリアとなっており、ポリキュアをはじめ多くの原生生物を間近で観察することができるようになっている。
一方、5階層以下は研究施設となっており、管理者であるミズハノメの許可を得た調査開拓員でなければ立ち入りできないようになっていた。
そこに収容されているのは、まだ危険性が高いと判断されている原生生物だ。
観覧エリアで収益を得て、それを活動費として研究を進める。これを基本的な方針としているようで、実際にそれがうまく機能しているのだろう。
「ポリキュアより危険な原生生物がいるんですか?」
レティが大水槽を揺蕩う大魚を眺めながら言う。空間そのものを捻る特殊能力を持つあの原生生物は非常に厄介だ。しかし、今は観覧エリアでその優美に揺れるヒレを見せつけている。
「まあ、最初期に収容した奴だからな。研究も進んで、すぐに対抗策が見つかったんだ」
これも水族館の成果である。
ここで泳ぐポリキュアの生態から能力、身体組成と隅々まで観察し、解析し、解明していく。その結果、ポリキュアの能力を抑える方法も見つかっていた。
「ほら、尾鰭に鉄の枷が付いてるだろ?」
「本当ですね。あれに何か仕掛けが?」
「もうちょっと説明を読んできてもいいんだぞ……」
大水槽の手前には展示生物の解説を書いた板が置かれている。それを読めば、ポリキュアの尾に取り付けられた枷の正体も分かる。
てへへ、と笑うレティに肩をすくめながら、代わりに解説を施す。
「“四次元的位相空間固定錨”というらしい。要は、瞬間移動とか空間捻転とかができないように、周囲の空間を押さえつけるものだと」
「へぇ。なんだか秘密の道具みたいですね」
「四次元だけで連想してるだろ」
とはいえ、実際不思議な道具には変わりない。あの錨の一定範囲内が空間的に固定されることにより、空間を変化させることができないという働きそのものが現実味のない話なのだから。詳しいことはよく分からないが、原理としてはノイズキャンセリングなんかと同じようなメカニズムを使っているらしい。
この〈ナキサワメ水中水族館〉では、あの空間固定錨のような新技術がいくつも研究されている。ここで開発された技術もまた、調査開拓活動の強力な推進力となっているのだ。
「BBBBのおかげで新しく強力なエンジンが開発されて、船での移動もかなり速くなったらしい。今ならポリキュア倒して帰ってくるまで二日でいけるらしいぞ」
「技術革新ってすごいですね。レティたちはあんなに苦労したのに……」
「そのおかげで今の技術があるんだから、誇っていいんだぞ」
とにかく技術の進歩は日進月歩だ。昼夜を問わず熱心な調査開拓員たちが切磋琢磨しているおかげで、数日経てば全く新しい技術がすでに実用化に漕ぎ着けている。
今開発されている〈塩蜥蜴の干潟〉まで続く長大な次世代型高速海中輸送管〈ヤヒロワニ〉にも、そういった新技術を積極的に取り込む方針が掲げられている。ヤヒロワニが開通すれば、船に頼らず安全にフィールドを移動でき、干潟に新たな拠点を建設することもできるようになるだろう。
「いやぁ、領域拡張プロトコルは順調に進んでるみたいだな」
惑星イザナミを居住可能な環境へと開拓する一大計画、領域拡張プロトコル。調査開拓団が第一に優先すべき課題であり、絶対的に達成するべき命題である。
最近は色々とあったものの、ようやく波に乗ってきたような実感がある。それもこれも、T-1たち指揮官、ウェイドたち管理者、そして俺たち調査開拓員の連携の賜物だろう。
この水中水族館は、そんな調査開拓団の躍進を強く予感させる。ここを起点に、俺たちはより遠くへと、まだ見ぬ景色を訪ねるほとができるのだ。
そう思った、矢先のことだった。
『緊急通告、緊急通告。管理者T-1より全調査開拓員へ』
前触れなく物々しいサイレンが鳴り響く。水族館のものではない。俺たちの聴覚に直接伝わってくる、特別な全域通報だ。機械音声から、聞き覚えのあるT-1の声へと切り替わる。
『3-2地点――〈塩蜥蜴の干潟〉にて激甚な危険を有する敵性存在が確認されたのじゃ! 現地で活動していた調査開拓員は全て
現地は非常に危険な状態にあり、現時刻をもって指揮官T-1、T-2、T-3の連名によって領域拡張プロトコル破綻危機状況を認定、全都市管理者に対して緊急特例措置の即時発動を指示するのじゃ!
全調査開拓員は当地の管理者の指示に従うように。
――これより、〈緊急特殊開拓司令;天憐の奏上〉を発動するのじゃ!』
突如もたらされた詳細不明の宣言。それから少し間をおいて、館内が騒然となる。
「レティ、とりあえず船を確保しに行くぞ」
「うぐぐぐ、せっかくのデートが……! 仕方ありません、行きましょうレッジさん!」
水を刺されたレティは憤りつつもその思いを押し込んで、きっぱりと頷く。そして、俺たちは調査開拓員たちを押し除けるようにしてエレベーターへと飛び込んだ。
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Tips
◇ 〈最重要奪還目標地域;エウルブギュギュアの献花台〉
[閲覧権限がありません]
[管理者T-1により、閲覧権限が付与されました]
[当該記録の閲覧が許可されます]
[情報機密クラスⅤ:許可なく閲覧した者はどのような事情であっても一切の酌量なく即時の抹殺が許可されます]
[当該記録に関連する全ての記述は情報保全検閲システムISCSによって監視され、情報漏洩のリスクが確認された際には即時の情報焼却プロトコル“鳥葬”が実行されます]
[当該記録の閲覧者には調査開拓団規則第三条における最大機密保持遂行責任が課せられます]
[全ての確認事項を完全に把握し、了承した場合のみ、閲覧を続行してください]
Y/N
[承認を確認しました]
[当該記録を開示します]
◇〈最重要奪還目標地域;エウルブギュギュアの献花台〉
第零期先行調査開拓団の壊滅、および空白の3,000年の原因を解明する重要な手がかりが存在することが示唆される遺構。第零期先行調査開拓団員エウルブ=ギュギュアによって建設、管理が行われていた。
その全体規模は現在も不明であり、これに関する情報は全て管理者ブラックダーク、管理者ポセイドン、管理者コノハナサクヤ、管理者オモイカネからの断片的な記憶から得られた。その信憑性に関しては現在も極秘の調査が続けられている。
[当該記録はT-1によって制限されています]
[記録全文の閲覧を希望する場合はT-1に申請してください]
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第26章【順風満帆の航路】完結です。
明日から第27章が始まります。応援、感想、いつもありがとうございます。
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