第1142話「町の中へ」

 薄いガラスが砕けるように、海底都市を包んでいたドームが崩れ落ちる。薄片が煌めき、水中に光の輝きが乱反射する。


「エイミー!」


 鋭い破片が降り注ぐ中、エイミーの元へと急ぐ。ほとんどの衝撃をドーム側に押し返したとはいえ、彼女のLPはギリギリだ。破片が頬を掠めただけでも致命傷になり得る。しかし彼女は余裕のある笑みで俺を見た。


「心配しなくてもいいわよ。『庇護の屋根』」


 彼女はLP回復アンプルを砕き、アーツを発動させる。頭上に薄く広がった半透明の障壁は屋根のように、俺たちを破片から守る。この防御アーツはその場から動かせない代わりに高い頑丈性を誇るようだ。


「はえええっ!? はわっ、はえっ、ほわわっ!?」

「あ、シフォンもこっちに来いよ!」


 ほっと安堵の息を漏らすのも束の間、シフォンの悲鳴を聞いて彼女の存在を思い出す。次々と降り注ぐ破片を避けながら、避けきれないものは華麗にパリィする様子はなかなかコミカルだ。


「はええ……。し、死ぬかと思った……」


 彼女も彼女でLPがまあまあギリギリだ。いくらパリィで砲撃を凌げるとはいえ、受け流すためのナイフはアーツで生成しているので、どうしても消耗してしまう。

 シフォンが屋根の下にやって来たところで、彼女の頭を撫でて労う。


「ミートは……余裕そうだな」

『あはははっ!』


 ミートの方はどうかと言えば、彼女は予想通り楽しげな笑声を上げて泳ぎ回っている。大きく口を開けてドームの破片を食べているのだが、お腹を壊さないだろうか。


「ミート! 街の中に入るぞ。着いてきてくれ!」

『はーいっ!』


 ともあれ、ここで遊んでいる暇はない。俺たちはまだ目的地に手を掛けただけにすぎないのだ。

 ミートを呼び寄せながら前へ向き直る。ドームの内側に広がっているのは、銀色の建造物群だ。無秩序に増改築を重ね、九龍城のように肥大化した〈パルシェル〉とは違い、全てが一つの意志の下に制御され一分の狂いもなく設計され築かれた都市だ。水中都市であるため、三次元的な立体構造が規則的に入り組み、大小様々な通りが縦横無尽に入り乱れている。

 全てが画一的で、規則的で、秩序だっている。それだけに、無機質で生気や活気といったものは一切感じられない。


「さて、とりあえず真っ直ぐ進めばいいのかね」


 ものは試しだ。俺は一歩踏み出す。その瞬間、町中が赤く光り、けたたましい警告音が鳴り響いた。


『警告。侵入者は直ちに都市管理領域より退去しなさい。繰り返す――』

「おお、うるさいじゃないか」


 ジンジンとする耳を押さえながら、どこかにあるスピーカーを探す。町中に響く拒絶の言葉を発しているのは、明らかにポセイドンだった。彼女が話しているのか、これがあらかじめ録音された声なのか。それは問題ではない。俺は消えた彼女を探し出すだけだ。


「しかし、これはどうしたもんか」


 〈アトランティス〉の街並みは複雑だ。その全てをしらみつぶしに探すとすれば、どれだけの時間がかかるかも分からない。


「たぶん、中央制御塔みたいなところにいるんじゃないの?」

「シフォンも冴えてるな」

「ふふん」

「問題は中央制御塔までどうやって行くかね」

「はええ……」


 シフォンの指摘は的を射ているが、実行に移すとなると難しい。

 都市防衛設備である砲台は全て外側へ向いているため意識せずともいいとして、問題なのは内側を守る存在だ。


「こいつらはいくらでも出てきそうだな」


 ギラギラと光る赤色灯の下、町中の隙間という隙間からあらわれる無数の影。町の中にはまだまだ大量の黒魚が潜んでいるようだった。


「エイミー、こいつらの攻撃は凌げるか」

「流石に難しいわね。十二方向から同時に来られたら相手できないわ」

「シフォンは――」

「無理!」


 エイミーはともかく、シフォンもはっきりと断言する。涙目ですらないところを見ると、これは本当に無理そうだ。となると、頼みの綱はひとつだけ。


「ミート、食べ放題だぞ」

『やったー!』


 無尽蔵の食欲をもつミートは、この黒い魚の群れも美味しく頂いている。ここから先は、彼女に守ってもらわなければならない。


「それで、どうやって制御塔に向かうの?」


 早速飛び出したミートは、大きな花弁を広げて魚の群れに喰らいつく。彼女がバクバクと食事を始めたのを見ながらエイミーがいう。黒魚を凌ぐことができても、それで全ては解決しない。中央制御塔は都市の真ん中にあるが、建物を越えて直接最短距離で向かうのは難しい。


『うりゃーーーーっ!』


 ミートが魚群を削る。しかし、いくら彼女が無類の強さと無尽蔵の胃袋を持つと言っても、四方八方から絶え間なく襲いかかってくる魚を全て飲み込めるわけではない。となれば、入り組んだ街中を進むしかないわけだが、これもまた難しい。


「地図でも欲しいところだな」


 当然、そんなものはない。〈アトランティス〉の存在すら知られていなかったのだ。ここを攻略するのは、まだまだ手間がかかりそうだ。


「――地図ならありますよ」

「なにっ!?」


 その時、背後から声がする。驚いて振り返り、さらに驚く。

 熾烈な砲撃を潜り抜け、黒魚の群れを退けて、彼女たちがやって来た。ローズピンクの髪を水に広げ、巨大な銀翼の鷲が描かれた戦旗を翻し、彼女が立っていた。


「アイ――!」


 本隊から飛び出したのは、俺たちだけではなかった。攻略組が、おいそれと出し抜かれそれを許すはずがない。

 最大手攻略系バンド〈大鷲の騎士団〉、その最精鋭戦闘集団である第一戦闘班はクリスティーネを筆頭に突破力に特化している。誰よりも早く、新天地へと突き進む。ただそれだけの為に鍛錬してきた高技能集団。

 そして、勇猛なる戦士たちを率いるのは、小さな体で大きな旗を掲げる副団長、アイである。


「これだけしっかり示してくれてるんですから。もうこの辺りの構造は全て把握しましたよ」


 タイプ-フェアリー特有の少し尖った耳をそっと撫でながら、彼女は不敵に笑う。

 今も〈アトランティス〉の町中にはけたたましいサイレンが鳴り響いている。その音は響き渡り、反響し、そして戻ってくる。

 アイは町に足を踏み入れる前に、その内部を知っていた。


━━━━━

Tips

◇『庇護の屋根』

 二つのアーツチップで構成される初級アーツ。頭上を覆う移動不可の障壁を展開し、頭上へ降り注ぐ攻撃を防ぐ。消費LPと詠唱時間、消費触媒の負担に比べて障壁は頑丈。数KB級の簡易な術式ではあるが、使いこなせれば便利。

“お嬢さん、私と相合傘しませんか?”――雨降る日の紳士ラブ仮面


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