第1120話「入り組んだ管」
時に、植物とは非常にたくましく力強いことで有名だ。硬いアスファルトを突き破って芽吹き、荒涼とした岩の上にも花を咲かせる。その成長速度こそ牛の歩みのごときゆっくりとしたものだが、長い年月を掛けてどんな硬いものでも打破してしまう。
であるならば。もし仮に、著しく成長速度を強化した植物の種などが、ふいに岩の小さな亀裂に落ちてしまったならば。例えば、十分な水と養分とが供給されたのならば。どうなるのだろうか。
「というわけで、『強制萌芽』」
「皆さん、全力で逃げてください!」
種瓶を黒壁の亀裂にセットしたところ、レティが血相を変えて声を張り上げる。それと同時にエイミーたちがきょとんとしているタルトやルナの腕を引っ張り、猛烈な勢いで離れていく。
そんな彼女たちを見送りつつ、俺は用意していたテント“驟雨”に飛び込む。
次の瞬間。
「きゃあああっ!?」
「はええええんっ!?」
黒壁のわずかな亀裂に細い植物の根が降りる。それは日を目指すミミズのように蠢き、周囲の水分を吸収しながら肥大化していく。猛烈な勢いで細胞の増殖を加速させ、指数関数的にその体積を増大させていく。
そしてものの数秒でそれは強靭な力を持つ巨大な大根へと成長を遂げた。
「なんで大根!?」
黒壁にぶっ刺さり、バキバキと音を立てて亀裂を押し広げていく真っ白な大根を見て、レティが目を丸くする。
「何故って、やっぱりこう言う時は大根だろ?」
たまに道路の片隅で生長した大根が話題になることがある。あそこから着想を得て作ったのが、この“衝波大根”なのだ。
“蟒蛇蕺”や“増殖する干乾しの波衣”と同じく生長能力に特化したもので、わずかな隙間さえあればそこに種子を落とし、猛烈な勢いで生長してその亀裂を広げていく。その表皮は非常に硬く、使い方を工夫すれば簡易的な遮蔽物として戦場に置くこともできる優れものだ。
「さあ、一気に砕けるぞ!」
モサモサと葉を生い茂らせて、衝波大根が生長する。残念ながら味や可食性を考えていないため食用には適さないのだが、そのぶんこのような過酷な環境でも健やかに育ってくれた。
衝波大根は一気に黒壁に食い込み、その亀裂を拡大させていく。そして、その力がついに閾値を超えた。
轟音と共に黒壁が崩れる。その向こうに見えるのは、広い円筒状の通路だ。濃いピンク色に見える内壁が蠢き、俺たちを手招きする。
「みんな、掴まれ!」
ナナミとミヤコが“驟雨”を固定する。避難していたタルト達も戻ってきて、テントに取り付く。その直後、ゴウゴウと低く響く大きな音と共に、消化液が黒壁の向こうに続く穴へと流れ始めた。
「うおおおおっ!?」
「いい感じね。このまま流れに沿って進みましょう」
まるでウォータースライダーのような勢いで曲がりくねった管の中を進む。
「レッジさん、もしかしてさっきの黒壁って、呑鯨竜の胃を堰き止めてたんですかね?」
「その可能性はあるな。となると、ずっと何も栄養が取れていない状況だったのか」
あの黒壁の分厚さから見て、数十年程度の話ではないだろう。その間は無補給で生き続けていた呑鯨竜に畏怖の念を抱く。
「けどこれ、一気に流れ出してますけど〈パルシェル〉は大丈夫ですかね?」
「……あっ」
レティの指摘を受けて、その観点があったかと気付く。
言ってしまえば、俺は水槽の栓を抜いたようなものだ。豊かな生態系を作り上げていた呑鯨竜の胃袋が、急速に変化してしまう。そうなれば胃液の中で暮らすことに適応してきた人魚達が心配だ。
流石にやらかしたかと顔面から血の気が引いたその時、俺宛てにTELが飛んでくる。発信者は今も〈パルシェル〉で忙しくしているはずのアストラだった。
「どうしたんだ?」
『大きな音がしたので、レッジさんが何かやったのかと思いまして』
「おお、流石だな」
優秀な指揮官というのは察しもいい。俺はアストラに呑鯨竜の胃を堰き止めていた黒壁を破壊してしまったことを伝える。すでに〈パルシェル〉周辺でも変化が起きているのか、彼はさほど驚く様子もなく頷く。
『なるほど、そういうことでしたか。急激な海流の変化が起きた理由が分かりました。一応、こんなこともあろうかと対応策はクロウリと一緒に用意していますから、すぐに対処します』
「お、おう。助かるよ」
なんか、めちゃくちゃ配慮されていて嬉しいやら申し訳ないやら複雑な心境だ。というか、アストラには俺のあらゆる行動が予測されているような気さえしてしまう。
「アストラはすごいなぁ」
「先回りされすぎるとちょっと気持ち悪いですよ」
アイに向かって呟くと、彼女はすんと退屈そうな表情で言う。たしかに、やらかした時の安心感は大きいが、日常から考えや行動を読まれるのはなかなか窮屈かもしれない。そう考えると、アイもなかなか苦労していることがあるのだろう。
「ちょっとレッジさん、悠長に喋ってる暇ないですよ!」
ゆったりとした気持ちでいると、突然レティの激しい声が飛んでくる。慌てて意識を目の前に向けると、俺たちは絶賛急流降りの真っ最中だ。
「せやーーいっ!」
飛沫の中から時折原生生物や黒壁の破片が飛んでくる。レティたちは必死の顔をしてそれらを次々と打ち返していた。
「アリエス、これはどこに向かってるんだ?」
「知るわけないじゃない。導かれるままに進むだけよ」
一縷の望みをかけてアリエスに尋ねてみるも、素気無い答えが返ってくるだけだ。まあ、ここは正真正銘前人未到の地なのだから、仕方ないといえばそうなのだが。
「レッジさん、前方に三叉路が!」
「なんで腸が迷路になってるんだよ……」
激流に揉まれながら進むと、突然進路が三つに分かれる。相変わらず呑鯨竜というのは、よく分からない体内をしているようだ。
「シフォン、どこか選んでくれ」
「はえええっ!?」
結局、どれが正解のルートかなど分かるはずもない。運ゲーになるのなら、実績のあるシフォンに任せるべきだろう。そんなことを0.5秒で考えて、シフォンの肩を叩く。驚いた彼女はぶんぶんと首を振っていたが、何度か説得すると諦めた様子で進路を定めた。
「真ん中!」
「うおおおおっ!」
俺たちはシフォンの決定に従い、真ん中の道を進む。蠕動する腸管の中、荒波に乗って猛烈な勢いだ。そして、再び俺たちの目の前に分岐が現れた。
「次は!」
「み、右!」
右へ舵を取り、先へ進む。
そして再びの分岐。
「次は?」
「ええと、ええと、左!」
左に入る。そして分岐点。
「右!」
「左!」
「真ん中!」
「右!」
「左!」
「ちょっと冷静になろうか」
激流にもいい加減慣れてきたところで、様子がおかしいことに気づく。どれほど進んでもまるで進展がないのだ。これではツアーどころではない。
「アリエス、ちょっとした可能性なんだが……」
「ぜひ言ってちょうだい」
「これ、ループしてないか?」
それは皆が薄々感じていたことなのだろう。ネヴァなどは『ついに言ってしまったか』などと言いたげな顔をしている。その間にもいくつかの分岐を迎え、際限なく道が続く。
俺たちは呑鯨竜の腸管という迷宮に入ってしまったようだった。
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Tips
◇“衝波大根”
品種改良の末に生まれた特殊な大根。非常に速い速度で生長し、急激に体積を増していく。その圧力は硬質な岩盤をも容易く打ち砕くほど。
組成の強靱化に特化しているため、食用には適さない。
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