第585話「海を臨む席にて」

 〈剣魚の碧海〉西方の海域が開かれ、第二開拓領域〈ホノサワケ群島〉が発見された。

 ついに明らかとなった新天地は調査開拓員たちを沸き立たせ、〈波越えの白舟〉失敗の直後で落ち込み掛けていた開拓への機運も再び高まった。

 更に、ワダツミによって【海中高速輸送網敷設計画】が発表され、その技術コンペティションも開かれた。

 それには〈ダマスカス組合〉や〈プロメテウス工業〉をはじめ多くの大手生産系バンドのほか、新参古参個人団体を問わず多数の生産者たちが参加したようだ。


「そんなわけで、今日から本格的に海中トンネルの建設工事が始まったらしいですよ」


 〈ワダツミ〉の商業地区を歩きながら、レティは楽しげな表情をこちらに向ける。

 第二開拓領域が発見されたことにより、この町の活気も最高潮に達している。

 ここ数日は市場に置いた無人販売露店の売り上げも好調で、一日に二回三回と商品の補充をしなければ追いつかない状況だ。


「海中トンネルねぇ。それがあれば、あの嵐やイカの群れも越えられるのか」


 俺は建設系の分野については専門外だからよく分からないが、その道のプロが頭を悩ませて開発した技術を用いて、ワダツミが直々に監督した一大プロジェクトだ。

 それなりの目処がついたから工事に着手できたのだろうが。


「トンネルの外装は新型の上質精錬黒白青622合金製多層装甲らしいので、そんじょそこらの原生生物では傷一つ付けられないって触れ込みですね」

「上質精錬金属か。たしか、最近製法が見つかった新金属だったよな」


 少し前にwikiの更新履歴か何かで見たような覚えがある。

 通常の精錬金属よりも更に純度を上げ、金属そのものの特性を多く引き出したのが上質精錬金属だ。

 黒鉄鋼は多くの武具の土台にも使われるように純粋な硬さが売りの金属で、白鉄鋼は柔らかく柔軟性があり、青鉄鋼は水の侵蝕や錆に強い。

 上質精錬黒白青622合金というのは、それらを6対2対2の割合で合成したものだ。


「つまり、固くてほどほどに柔らかくて水に強い装甲か」

「そういうことですね」


 無人販売露店から売り上げを回収し、レティに運んで貰った木箱から商品を補充する。

 本来は俺一人でやりたいところなのだが、腕力がなさ過ぎて一度では運びきれないのだ。


「すまんな、わざわざ手伝わせて」

「いいんですよ。……これも実質デートですし」

「なんだって?」


 カミルには、今日はT-1にメイドとしての業務を叩き込んでいるため手が離せないと断られてしまって、急遽レティに手伝って貰ったのだが、彼女は随分と楽しそうだ。

 何かいいことでもあったのだろうか。


「ともかく、地下トンネルができれば〈花猿の大島〉とも安全に早く行き来することができるようになりますね」

「とはいえ上質精錬金属、それも合金となるとかなりのコストじゃないのか? 純粋な量だけで言っても、かなりのものになりそうだし」


 期待に胸を膨らませるレティだが、俺としては少々不安も残る。

 開発されたばかりの上質精錬金属は専用の高い温度を出せる溶鉱炉が必要となるのだが、それがまた非常にコストの掛かる代物だ。

 工房に備えているバンドも少なく、町の貸し工房に数機存在する高性能溶鉱炉だけでは供給量にも限りがある。

 また、上質精錬金属の使い道は地下トンネルだけに留まらない。

 新天地が見つかった影響で開拓の勢いは高まっており、より上質で高性能な武器や防具への需要も高まっているはずだ。


「〈アマツマラ〉と〈ホムスビ〉はまた鉱夫で賑わってるみたいですよ」

「あそこも何だかんだ言って、開拓に進展があるたびに儲かってるなぁ」


 金属素材は開拓活動を支える重要な資源だ。

 それを効率的に集められる地下資源採集拠点は、例え海に向かって進出しようとも需要は高まるばかりだった。


「よし、商品補充完了っと。どこかで休むか?」


 俺の作業に付き合ってくれたお礼に何か奢ろうと、レティに声を掛ける。


「いいんですか!?」

「本格的に〈花猿の大島〉の開拓が始まったら、ゆっくりできないだろうしな」


 今日だって、この後は他のメンバーも集まって〈花猿の大島〉へと向かう予定だ。

 海中トンネルの建設と並行して行われるシード02-ワダツミの建設は、俺たちも是非協力してくれとワダツミから頼まれている。


「やったー! じゃあ、前々から行ってみたかったところがあるんですよ」


 嬉しそうに耳を揺らすレティのあとを追い、俺は〈ワダツミ〉の街中を歩く。

 海の方から吹き抜ける潮風が、眩しい日差しに火照った頬を冷やした。

 人々は市場に並ぶ露店を覗き、時に軽食を携えて仲間たちと笑い合っている。


「やっぱり、〈ワダツミ〉も人が増えてきたか」

「そうですねぇ。サービス開始から順調に新規ユーザーも増えてるみたいですから」


 攻略の前線であるというのも理由の一つではあるのだろうが、〈サカオ〉や〈キヨウ〉も人口密度は高まっていると聞く。

 純粋に、開拓司令船アマテラスから放たれるポッドの数が増えているのだ。


「ほら、レティ」

「はい? は、はいぃ!?」


 俺が手を差し出すと、レティは一瞬首を傾げたあと、こちらも驚くほどに大きな声を上げる。

 周囲のプレイヤーたちが何事かと視線を向けてくるが、すぐにまた平穏が戻る。


「こ、これは手を握ってもよいと言うことでしょうか」

「そうだけど……。ほら、迷子になっても困るだろ」


 別に見失ったところでパーティメンバーの現在地は分かるのだが、人混みに流されても手間だ。

 祭りの時とかも、姪に引っ張られながら歩いたもんだ。


「で、では……失礼します」


 今更何を恥ずかしがるのか分からないが、レティはおずおずと手を掴みかけて、俺の着ている服の袖を少し摘まんだ。


「えっと……」

「こ、これでお願いします」


 先ほどまでの元気はどこへやら、急にしおらしくなったレティは耳を曲げる。

 彼女がそういうのなら、これでいいか。

 ……やっぱり、俺のようなおっさんと手を繋ぐのは抵抗があったりするのだろうか。


「い、嫌なら別にいいんだぞ」


 一瞬、ハラスメントという言葉が脳裏を過り、慌てて声を掛ける。

 レティは驚いた様子で耳を立て、ぶんぶんと首を横に振った。


「そんなわけでは! む、むしろ嬉し……いや、その、レッジさんから手を差し出されるのは、すこし驚いたので」

「そうか。すまんな、つい姪を相手してるような気分になって」


 頬を掻きながらそういうと、すっとレティが顔を上げた。

 その目は大きく開かれ、すぐに細められる。


「れ、レティ?」

「……いえ。そうですよね。分かってましたよ、はい」


 すっかり落ち着いた声で頷きつつ、レティは手を離す。

 そうして、がっちりと枷でも嵌めるように俺の手首を掴んだ。


「え、ちょ、レティさん? なんか、力が強いんだが」

「これくらいしっかり掴まないと、はぐれちゃいますからね!」


 鼻息を荒くしたレティは、俺を掴んだまま大股で歩き出す。

 俺は転けそうになりながらそれについていき、突然変わった彼女の様子に首を捻ることしかできなかった。


「ほら、着きましたよ。カフェレストラン〈海燕〉です」


 レティが案内してくれたのは、港湾区画にほど近い、海を望む小洒落た店だった。

 テラス付き木造一階建ての店で、大きく開かれた窓から風の吹き込む、開放感溢れた明るい雰囲気だ。


「せっかくですから、テラス席に座りましょうか」

「そうだな。……ここのおすすめはパスタか?」


 白いクロスの敷かれたテーブルに就くと、自動的にメニューウィンドウが開かれる。

 最初のページに載っていたのは、海の幸を使ったパスタだ。

 その他にもカレーやドリア、グラタンといった料理、コーヒーやオリジナルカクテルなどの飲み物が揃っている。

 晴れた海に合う穏やかな音楽も奏でられ、喫茶店としても居心地が良さそうだ。


「れ、レティ……!」


 しかし、一通りメニューを見終わった俺は、ある事実に気がついて思わず声を上げる。

 同じくメニューを見ていたレティは、驚いて顔を上げた。


「どうしたんですか?」

「この店、特盛りがないぞ!」


 驚くべきことに、この店には大盛りしか存在しない。

 特盛りやメガ盛り、昇天ペガサスMIX盛りなどという冗談のような料理サイズが見当たらないのだ。

 レティに案内して貰ったというのに、これはいったいどういうことなのか。


「……レッジさん、レティのことなんだと思ってます?」

「いっぱい食べる元気な子、かな」


 ジト目のレティに尋ねられ、俺は率直な印象で答える。

 いっぱい食べる、の単位が常人を遙かに越えているというのはあるが、まあ全体を見て言えばそんなところだ。


「うぐ……。まあ、それはそれでいいですけど。レティだってたまにはこういうところで落ち着いた食事をしますよ」

「そうなのか?」


 今も裏メニュー説を少し疑っている俺は、レティの目を覗き込む。

 彼女は白い頬を僅かに赤くして、ふっと海の方へ目を向けた。


「せっかく、レッジさんと二人で食事できるんですからね。もっとこの場を楽しみたいというか……」

「なるほど?」

「あんまり分かってない感じですね」


 気の抜けた相槌になってしまったようで、レティに落胆される。

 彼女は深いため息をつくと、まあいいですとメニューに視線を戻した。


「じゃあ、レティはイクラとタラコとトビコのクリームパスタにしましょうかね。ドリンクは……シーサイドシャインにします」

「シーサイドシャイン?」

「オリジナルカクテルみたいです。あ、ノンアルですよ。青いレモンスカッシュみたいですね」

「モクテルってやつか。へえ、色々あるんだな」


 この店には随分と洒落た飲み物があるらしい。

 レティの選んだシーサイドシャイン以外にも、名前からは味の想像ができないようなドリンクがずらりと並んでいる。

 俺は少し迷った末、三種の貝のペスカトーレと、ブルームーンというドリンクを選んだ。

 飲み物についてはよく分からなかったが、いつものコーヒーを頼むよりも少し冒険してみたかった。


「いい景色ですねぇ」


 注文を終えたレティが、外に広がる海を見て言う。

 白い砂浜が遠くの方に、手前にはいくつかの船が停まる埠頭がある。

 碧海は陽光を受けて白く輝き、糸を垂らした釣り人たちが間隔を開けて並んでいる。

 この穏やかな風景のすぐ近くで、すでに新天地に向けた大工事が始まっているのだ。


「もっと、いろんな景色が見れるさ」


 この世界は果てしなく広い。

 俺は潮風に流れる彼女の赤い髪を見ながら、そう答えた。


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Tips

◇カフェレストラン〈海燕〉

 海洋資源採集拠点シード01-ワダツミ港湾区画近くに立つ、小さな飲食店。新鮮な海の幸を使ったパスタと、様々なオリジナルカクテルやモクテルを提供する。

 晴れた日には海を望むテラス席も解放され、広大な水平線を見ながら食事を楽しむことができる。


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