第546話「潜行開始」
「レッジさん、目を覚まして下さい! テントは海に沈めるものではないんですよ!」
レティが俺の両肩をがっしりと掴んで、体を前後に揺らしてくる。
彼女は精神を病んだ人か、詐欺に引っかかった人を見るような目を俺に向けていた。
「レッジ……。ついに頭までテントに……」
「わたしたちがずっとテントに頼り切りだったから。うぅ」
エイミーとシフォンまで、何故か憐憫の視線を向けている。
なんでテントを出しただけでそこまで……。
俺はレティの手から強引に逃れ、混乱している彼女たちに改めて事情を説明した。
「とりあえず、落ち着いてくれ。別に溺死しようとしてるわけじゃないんだ」
「そう言われましても。テントは潜水艦ではないんですよ?」
レティの目が疑念のものに変わる。
確かに、俺が普段使っている山小屋テントや“鱗雲”は密閉されているわけではない。
あれを水に沈めれば、すぐに至る所から浸水してしまうだろう。
「今回使うのは、“驟雨”っていうテントだ」
「驟雨?」
三人は名前を聞いてもきょとんとしている。
一応、初出のものではないのだが、彼女たちが覚えていないのも仕方が無いだろう。
俺はT-1の方を見て、そのテントの正体を話す。
「ほら、T-1の侵攻を〈猛獣の森〉で迎え撃った時の」
「えーっと、“八雲”だっけ?」
「そうそう」
シフォンは名前を覚えてくれていたようだ。
大規模多層式防御陣地“八雲”というものを、T-1の繰り出した特殊警備NPC群への対抗手段として展開していた。
あの時はすぐに俺たちが陣地から離れ、ダミーとしてしか使わなかったが、ちゃんとテントとしての機能も備えているのだ。
「“八雲”は八つのテントで構築される特殊なテントだ。その八つのテントのうちの一つが、“驟雨”なんだよ」
「はえー、そうだったんですか」
“八雲”は徹底的に堅牢さを追い求めた防御特化の陣地だ。
攻撃力などは無い代わりに、あらゆる攻撃に対する対応策を持っている。
第一層の“白壁”は純粋な物理防御力に特化しており、他の七層もそれぞれ別の方面に特化されている。
「“驟雨”は耐水性に特化したテントだ。水の侵蝕や、激流による突破、あらゆる液体によるあらゆる攻撃に耐性を持っているわけだな」
ちなみに、“散華”は耐火性、“羽切”は耐気性、“極光”は耐雷性、“鉄守”は耐土性だ。
それぞれが攻性アーツの各属性攻撃にも対応している。
基本的に、第一層から第七層までの防御用テントでほぼ全ての攻撃を阻むことができる設計だった。
「そんでもって、“八雲”のパーツはそれぞれが独立したテントとしても使える。“驟雨”ももちろん、それ単体で使えるテントなんだ」
そう言って、俺は“驟雨”を組み立てる。
これも他のテント同様に、建材を使うことでサイズを調節できる。
最小サイズにすると、最近はもうほとんど見なくなった公衆電話ボックス程度の大きさになった。
「ほら、こんな感じに」
金属製のフレームに、金属製の装甲板。
外を見るための窓が八方に付いている、八角形のテントだ。
接続部も防水処理が施されており、これなら水に沈めても内部まで浸水することはない。
「まるで水中探査を想定してたのかってくらい、用意が良いわね」
扉を開いて内部を披露すると、エイミーがまじまじと言う。
別にそういうわけではないのだが、ネヴァが色々頑張ってくれたのだ。
「レッジがあらゆる攻撃に対処できる兎に角頑丈なテントが欲しいって言ったからね。ネヴァさんも色々頑張ったわよ」
自慢げに力こぶを作ってみせるネヴァ。
彼女には本当に世話になった。
「そのおかげで探索もスムーズに進むのでありがたいです。では、レッジさん、行きましょうか」
アイがそう言って、“驟雨”の中に入る。
「ちょ、ちょっと待ったァ!」
「ぐえっ!?」
俺も続いて入ろうとしたら、突然レティが声を上げて俺の襟の後ろを掴んだ。
きゅっと首が絞まり、変な声が出る。
「アイさん、何をしれっとやってるんですか!」
レティは俺から手を離し、“驟雨”の中に収まっているアイに詰め寄る。
アイは首を傾げ、言っている意味が分からないとばかりに眉を寄せた。
「何って、ただの深海探査ですよ。騎士団を代表して私、白鹿庵からはレッジさん。定員は2名がギリギリなので、仕方ないですよね」
「んなわけ無かろうですよ! レッジさん、建材出して下さい!」
レティが耳をピンと立て、勢いよく振り向いた。
そんなに深海探査が楽しみだったのだろうか。
しかし、残念なことにそうもいかないのだ。
「すまん、レティ。ウインチの出力の関係で、このサイズがギリギリらしいんだ」
「はあっ!? あ、あんなでっかい立派なウインチなのにですか!?」
レティは船尾に備え付けられた大型の巻き上げ機を指さして言う。
確かに、かなりしっかりとした作りのウインチだ。
しかし、アイが事情を説明する。
「目標の水深までケーブルを伸ばすとなると、それだけでかなりの負荷が掛かってしまうんです。なので、中に入れるのもタイプ-ヒューマノイドが一人、あとはタイプ-フェアリーが一人、これで限界ですね」
「ぐ、ぐぬぬ……」
アイの言葉に、レティはぎゅっと拳を握りしめる。
しかし、こればかりは俺にもどうすることもできないのだ。
「その代わり、レティさんに頼みたいことが」
「なんですか?」
アイは近くにいた団員に指示を出す。
すぐに、簡易保管庫が運ばれてきて、中から潜水服一式が取り出された。
「テントの下降中は無防備なので、護衛をお願いします。潜水服で安全なLPが維持できる水深までで構いませんので」
一応、騎士団からも水中の護衛は出る。
しかし〈白鹿庵〉からもレティが出てくれると、俺は安心だ。
「……分かりました。しっかりお守りしましょう」
レティも納得してくれたようで、彼女は潜水服を受け取る。
ついでにエイミーとシフォンも水中まで付いてきてくれるようだ。
「ありがとう、レティ。助かる」
「まあ、これしか方法がないですからね。油断しないで下さいよ」
「おう、任せとけ」
レティは訝しげな目を向けてくるが、俺もしっかりと仕事はこなすつもりだ。
側には騎士団の副団長として日々活躍しているアイも付いているし、安心だ。
「それだから安心できないんですが……。まあいいです」
「それでは、早速行きましょうか。レッジさん、こちらへ」
アイが“驟雨”の内壁に身を寄せる。
少し窮屈だが、仕方がない。
俺もテントの中に入り、扉を閉めてロックを掛ける。
同時にクレーンアームから垂れ下がったケーブルとテントが接続される。
団員たちの協力で、ゆっくりとテントが浮き上がる。
「ワクワクしますね」
「そうか? 俺はちょっと怖いぞ」
狭いテントの中で、アイと言葉を交わす。
彼女は心躍らせている様子で、窓越しに海を見ていた。
「レッジさん、そろそろ降下しますよ」
「分かった」
レティに言われ、両腕を内壁に突いて体を支える。
その時、不意にクレーンに吊られたテントが風に吹かれて大きく揺れた。
「きゃっ」
「大丈夫か?」
体の小さなアイがよろけて、俺の方へ倒れてくる。
「俺に掴まって良いから。頭とかぶつけないように気をつけろよ」
「あ、ありがとうございます」
アイはおずおずと俺の腰に腕を回してくる。
……腰のベルトとか服の裾とか掴んで貰えれば良かったんだが、まあ、これでも問題はないか。
彼女の頬が腹のあたりに密着する。
ゆっくりとテントは下がっていき、やがて水の中に沈んでいく。
窓から入る光が急激に減衰し、俺はランタンの灯りを点けた。
「レティたちも来たな」
少し遅れて、潜水服姿の騎士団とレティたちが水中に飛び込んでくる。
白い細かな泡を纏って、巨大なハンマーを持って付いてくる。
窓越しに彼女に向かって手を振ると、レティも小さく振り返してくれた。
潜水服の補正のおかげか、重いハンマーを持っているのに、彼女は人魚のように水中を泳いでいる。
「潜水護衛班、配置を確認。レティさん、エイミーさん、シフォンさんと連携を取りつつ、“驟雨”に追従。アクティブな原生生物がいた場合は報告後、殲滅。情報の共有は積極的に行うように」
『シャケ丸、了解』
『華山カヲル、了解』
『錨屋、了解』
『ほえほえ、了解』
アイは共有回線を介して、“驟雨”の周囲に展開している騎士団員に指示を下す。
彼らは皆、潜水特化型ビルド、いわゆる河童ビルドの水中戦闘職らしい。
船上ではクレーンのオペレーターや、船の操舵手も常に構えており、クリスティーナ率いる船上戦闘要員も準備している。
騎士団としても、できる限りの体勢は整えられていた。
「さ、この下に何があるか見に行こう」
そうして、俺たちはゆっくりと、暗い水底へ向かって沈んでいった。
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Tips
◇“驟雨”
大規模多層式防御陣地“八雲”、第二層構成テント。液体による攻撃に対して高い防御能力を保有する、耐水性テント。建材式可変サイズ方式を採用しており、建材を追加することで大きさを変更することができる。
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