第498話「出発の朝」

 〈万夜の宴〉三日目。

 今日は“鉄百足”をしもふりに牽引してもらうため、“輝月”は〈ダマスカス組合〉の大工房でお休みだ。


『オニトマト3,000個積み込んだわよ』

「了解。じゃ、これで野菜類は全部だな」


 まだ海に霧が立ちこめるひんやりとした早朝。

 カミルと共に別荘で食材の積み込み作業をしていると、倉庫部屋から物音が響いた。

 玄関から現れたのは、本日の主役でもある管理者たちである。


「おはよう。今日はよろしく頼む」

『こちらこそ、ありがとっす』


 一番元気なのはホムスビだ。

 今回、彼女の手作り弁当も共に販売するため、大型コンテナの一つにはそれがみっちりと詰め込まれている。


『しかし、また食料品の販売ですか。私たちの本来の業務にはないのですが……』


 続々と積み込まれていく大量の食材を見ながら、ウェイドが肩を竦める。

 そんな彼女に言葉を返したのは、現在人気投票ランキング一位のワダツミだった。


『ヘーイ。ランキング最下位だからって焦る必要はないですよ』

『なぁ! 別にそういうわけでは……』

『まあまあ。あてらが直接、調査開拓員の皆さんと交流できる機会も限られてるわけやし、こういうのも大切やと思うよ』

『あたしもウェイドより若干上くらいだしなあ。弁当作って頑張って貰えるなら、こっちも張り切るぞ』


 キヨウやサカオも巻き込んで、ウェイドたちは賑やかになる。

 ふと手を止めてその様子を眺めていると、服の裾をくいくいと引っ張られた。


『あぅ。レッジ』

「どうした、スサノオ」


 視線を下げると、うるうると艶のある黒い瞳と目が合う。

 彼女は以前ネヴァに作って貰った、カミルとお揃いのメイド服を着用している。


『スゥたち、迷惑じゃなかった?』

「なんだ、そんなことか。全然迷惑じゃないし、むしろ助かってるくらいだ」


 不安げに睫を伏せるスサノオの柔らかな髪を軽く撫でながら否定する。

 元々、ホムスビとT-3の勝負だったこの弁当販売に、他の管理者たちが手を挙げたのは昨日の夜のことだった。

 食材集めも粗方終わり、別荘でブログ記事を書こうとした丁度その時に、ウェイドたちがやってきたのだ。


『あら、皆さん早いですね』


 玄関口で花を咲かせていた管理者たちに、鈴の鳴るような声が掛けられる。

 機敏に反応したのは、ワダツミのほっぺたを引っ張っていたウェイドだった。


『T-3……』


 ワダツミの白い頬を摘まんだまま、視線を鋭くするウェイド。

 彼女の険しい顔に気がついたT-3は、薄い笑みを保ったまま俺の元までやってきた。


『マジカルパウダーの試作品ができました。唐揚げなどに使うと、更に愛が深まるでしょう』

「え? ああ、じゃあ積み込んどくか」

『それと、味見してくれたラクトさんがキッチンで倒れてしまっているので、またアンチドート・アイスクリームを作って貰えますか?』

「ええ……」


 T-3は今朝もギリギリまで料理の試作を続けていた。

 ラクトとエイミーとミカゲとトーカは、その犠牲――もとい協力者として、朝から色々と食べさせられていたようだ。


『T-3、あなたは一体何を考えているのです』


 ウェイドが鋭く声を上げる。

 彼女たち管理者が昨日やってきたのは、T-3の存在が原因だった。


『何を、と言われても。ただ調査開拓員の皆さんに愛を与えようと思っているだけです』

『解毒薬が必要な料理が愛とは……。とにかく、私はまだあなたを信用していません』

『分かっていますよ。だから、同行を許可しているのです』


 ウェイドから見てT-3は権限的上位者だ。

 しかし、彼女はT-3の行動や思考に不信感を拭い切れていないようだった。

 他の管理者たちも少なからず同様らしく、末妹であるホムスビと二人きりにしておきたくはないという見解が一致したようだ。

 T-3の料理が危険なのは、愛がどうとかいう問題ではないのだが、昨日どれだけ言っても納得してくれなかった。


「レッジさーん、積み込み終わりました?」


 そこへ、緊迫した空気を砕くように、レティの明るい声が響く。

 昨日も忙しく働いて貰ったしもふりの整備をするため、ネヴァの工房へ行っていたが、無事にメンテナンスも終わったようだ。


「あともうちょっとだ。って、何か人数が増えてるな」


 声のした方へ振り返りながら答えた俺は、のしのしと歩いてくるしもふりの背に二人分の影を見る。

 一人はぶんぶんと元気よく手を振っているレティだが、その背後にタイプ-ゴーレムが跨がっていた。


「おはよ、レッジ。私も誘ってくれて良かったのに」「ネヴァ。忙しいかと思ってたんだが……」

「それなりに忙しいけど、こっちの方が楽しそうだったしね。お邪魔なら帰るけど、整備員も必要なんじゃない?」


 しもふりの背から飛び下りたネヴァは、“鉄百足”をポンポンと叩きながら言う。

 たしかに、しもふりもいるし機獣の修理要員が居てくれれば頼もしい。

 突然ではあるが、彼女にもチームに加わって貰うことになった。


「そもそもドリームチームなんだから、もっと気軽に声を掛けてくれて良かったのよ」

「事前にスケジュール確認した時は空いてなかったじゃないか……」

「昨日のブログを見てから、死ぬ気で片付けたのよ」


 そういうネヴァの目元には若干隈ができている。

 寝不足の状態異常なんてものがあっただろうかと首を傾げていると、彼女がトレード画面を開いてきた。


「そうそう。せっかくお店するんだったら管理者の皆もちゃんとおめかししないといけないでしょ。はい、これ」

「うん……?」


 妙に軽い言葉と共に、七つのアイテムが渡される。

 何を企んでいるのかと訝しみつつそれらを確認し、俺は思わず額に手を当てた。


「ネヴァも相変わらずだなぁ」

「でも、必要でしょ」

「それもそうだ」


 管理者の方へ振り返ると、彼女たちは対立も忘れて興味津々の顔でこちらを見ていた。


「ウェイドはこれだな。キヨウはこっちで、サカオはこれ……」


 俺は彼女たちの前に立つと、ネヴァから受け取ったアイテムを管理者たちに渡していく。

 それを確認したウェイドは、一瞬きょとんとした顔で、次に頬を赤く染めた。


『レッジ! こ、これは……』

「せっかく商売するんだ。接客業だし、制服は必要だろ?」


 ネヴァが急いで作ってくれたもの。

 それは、カミルやスサノオとお揃いの白いフリルのエプロンが付属したメイド服だ。

 せっかく管理者たちが一堂に会するのに、その衣装がバラバラでは見栄えが悪い。

 全員の装いが統一されれば、更に良くなるだろう。

 しかも、それぞれのメイド服にはイメージカラーのリボンが胸元に付いていて、それも可愛らしい。


「ほら、T-3の分もあるぞ」

『えっ』


 最後に、T-3にもメイド服の包みを渡す。

 それを受け取った彼女は、意外そうな顔でこちらを見上げてきた。


「T-3も今日はウェイドたちと一緒に店をやる仲間だからな。ちゃちゃっと着替えてきたら良い」

『そ、そうですか。……では、早速』


 戸惑いながらも、T-3は装いを変える。

 黒い和服にエプロンという姿だった彼女は、可愛らしいメイドさんになる。

 目元は相変わらず鉄壁の前髪ガードで隠れているが、その頬が僅かに赤く滲んでいた。


『うわぁ。みんな、可愛いね!』


 妹たちが自分とお揃いの装いになったのを見て、スサノオが小さく跳び上がる。

 その隣では、カミルが小さくなってメイド服のスカートの裾を握っていた。


「うーん、我ながら良い仕事したわね」

「本当にな。ありがとう、ネヴァ」


 それぞれに違った反応をする管理者たちを眺めて、ネヴァは満足そうに頷く。


「代金は後で請求するわ」

「マジかよ……」

「冗談よ」


 彼女のおかげで、一気に華やかな雰囲気が広がった。

 同時に食材の搬入も終わり、準備は完了する。

 アンチドート・アイスクリームを食べたラクトたちも、足取りがおぼつかないが別荘の前までやってきた。


「それじゃあ、早速出発するか」

「いえあ! しもふりも準備万端ですよ!」


 “鉄百足”と接続したしもふりが、得意げに鼻から熱い息を吐く。

 それを合図に、管理者たちもコンテナの上に登り始めた。


『……ほら、掴まって下さい』

『あら。ありがとうございます』


 先に登ったウェイドが、T-3に手を差し伸べる。

 彼女も不要な争いは起こさず、冷静に見定めることにしたようだ。


「レッジ、最初の営業場所は?」

「まずは第一域をぐるっと回る。そこで肩慣らししてから、危険なフィールドを巡る感じだな」


 地図を広げ、今後の予定を簡単に伝える。

 そうして、俺たちは別荘を出発した。


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Tips

◇フリルメイドドレス

 フリルで縁取られた白いエプロンと、ヘッドドレスが特徴的な、可愛らしいメイド服。胸元のカラーリボンがワンポイント。

 防御力は皆無に等しいが、非常に軽く、動きやすい。丈夫で汚れも付きにくく、撥水加工が施されている。


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