第492話「愛の洗剤」
突然〈ワダツミ〉の別荘へやってきたT-3は、腹が重くて動けない俺の前に立ち、一つのテキストファイルを送信してきた。
「これは?」
『集めて貰いたい食材です。それを使って、お弁当の試作品を作りたいと思います』
「はぁ……」
戸惑いながらファイルを開くと、そこには無数の食材が羅列されている。
一つ一つはさほどレアリティの高いアイテムでもなく、数もそこまで多くは要求されていないが、とにかく種類が多い。
“コックビークの胸肉”や“ボーンオックスのヒレ肉”、“グラトニーフィッシュの切り身”、“ケイブフィッシュの白身”といった定番の素材から、“アシッドスラッグの毒肉”、“シビレイソギンチャク”といったゲテモノまである。
更に丼モノを作るためか、米もそのへんの食材屋で買えるオーソドックスなものから、農家プレイヤーが独自に品種改良を行った高級米まで幅広く指定されている。
「これを全部集めるのは、かなり骨が折れるな」
『そうですか。今日回った〈ホムスビ〉内の飲食店で使われていた食材を全て揃えようと思ったのですが』
「ええ……。もしかして、ホムスビの所に行ってたのって、このリストを作るためじゃないだろうな?」
思わずそう問い詰めると、T-3はふっと視線を逸らす。
たしかにホムスビなら、自分が管理している都市の飲食店で使われている食材も把握しているだろうが、わざわざリストに纏めるのは面倒だろう。
それも、今戦っている最中の対戦相手からの依頼だ。
彼女が〈タカマガハラ〉の主幹人工知能でなければ、まず間違いなくリストは作成されなかったはずだ。
「うわ、こんなにいっぱい使うの?」
俺の肩越しにリストをのぞき見て、ラクトが声を上げる。
いつの間にかエイミーたちも近くにやってきて、頭を突き合わせてリストを確認していた。
「こうやって見ると、〈ホムスビ〉のお店でも各地の食べ物が楽しめるんですね。流通技術の発達に感謝ですよ」
「集めようと思ったらかなり手間ですけどね」
レアアイテムこそないものの、ほぼ全てのフィールドを回らなければならないほど、多くの食材が網羅されている。
一から集めるのはかなり時間が掛かる。
「けど、そんな時間あるの? もうカウントは始まってるし、なんなら一日目が終わりそうよ?」
エイミーの言葉が鋭く刺さる。
そう、勝負はすでに始まっていて、ホムスビ側はもう7,000食を売り上げているのだ。
今から食材を集め、試作するのはかなり大変だ。
『やはり、難しいですか』
T-3が唇を噛む。
売り言葉に買い言葉で啖呵を切った手前、尻込みできなくなったのだろうが、彼女も時間が無いことは分かっているようだ。
せめて準備期間を設けられていれば、もう少しスムーズに戦いへ進めたはずだが、今更言っても仕方がない。
「でもまあ、何とかなるだろ」
だが、大丈夫だ。
俺がT-3の肩を軽く叩くと、彼女は驚いて見上げる。
その瞳は見えないが、恐らく半信半疑の眼差しを向けているのだろう。
「リストの食材、大体は揃ってるからな。多少足りないのは、レティたちに集めて貰えば良い」
『えっ?』
ぽかんとするT-3。
俺は彼女の手を引っ張って、大型ストレージがみっちりと収まった倉庫部屋へと案内した。
「第一域の食材から順に読み上げていってくれ。それを取り出してやるから」
食材を一から集めるのは大変だが、すでに集まっているのなら問題はない。
俺は貧乏性の解体師だからな。
その程度のレアリティなら大体はそれぞれ
「まさか、レッジさんの溜め込み癖が役に立つ時が来るとは……」
倉庫部屋を覗き込みながら、レティが失礼な事を言う。
土蜘蛛の時だって、ずいぶん役だったはずなのに。
「けど、〈冥蝶の密林〉と〈毒蟲の荒野〉の食材があんまりないな。レティ、お使い頼まれてくれるか?」
「いいですよ」
『いいんですか!?』
二つ返事で頷くレティ。
それに驚いたのはT-3の方だった。
『レティはホムスビ側ではないのですか?』
「レッジさんに勝手に押しつけられただけですよ。それに、T-3さんを支援しちゃいけないとも言われてませんしね」
困惑顔のT-3に、レティはあっけらかんと答える。
彼女だけではない、エイミーやラクトたちも同様の考えだ。
「そもそも敵味方以前にみんな〈白鹿庵〉だしねぇ」
「試食も任せて下さい。レッジさんだけでは、すぐに限界がくるでしょうから」
「あと、今日は護衛ばっかりで不完全燃焼なのよね。ついでに思いっきりぶん殴りに行きたいわ」
「活きの良いの、持ってくる」
早速レティたちは装備を整える。
ものの数分でラフな部屋着から鎧姿に変わる様子は、目を見張る物がある。
「じゃあ、よろしく頼む」
「了解です。美味しい試作品を期待してますからね」
リストのコピーを託し、別荘を飛び出すレティたちの背中を見送ると、先ほどまで賑やかだった室内が一気に広くなった。
「さて、それじゃあ作れるもんから作っていくか」
『……』
「T-3?」
返事がないのを不審に思ってT-3の顔を覗き込む。
彼女は小さく口を半開きにして固まっていた。
目の前で手を振ると、はっと気がつき、ぎこちない動きでこちらを見上げた。
『どうして……』
「うん?」
彼女が赤い唇を動かす。
『どうして、こうもすんなりと協力してくれるのでしょう。私は、非難され罵詈雑言を浴びせられるのも覚悟してやってきたというのに』
戸惑ったような、信じがたいような声色で彼女は語る。
平然としているように見えて、その実ずいぶんとレティたちに怯えていたらしい。
覚悟を決めてやって来たら驚くほどすんなりと受け入れられて、肩すかしを喰らったのだ。
「レティたちはそんな悪の権化みたいな性格じゃないさ。安心すればいい。ラクトも言ってたけど、俺たちは敵味方以前に仲間だからな。困ってることがあったら助けるさ」
『しかし、私は……』
それでも納得できない様子のT-3。
俺は彼女のさらさらとした細い黒髪をぽんぽんと叩くように撫でた。
「今日一日でどれだけ同じ釜の飯を食べたと思ってるんだ。T-3だって俺の仲間で、つまりは〈白鹿庵〉の仲間だよ」
『そう、ですか』
「T-3風に言うなら、愛だよ。こういうのが愛だ」
『なるほど。これが、愛』
T-3は噛み締めるように言葉を反芻する。
そうして、ようやく飲み込めた様子で、憑き物の取れたようなすっきりとした表情になった。
『ほら、時間はないんでしょ。ぼーっと立ってないで、始めるわよ』
カミルが若干の苛立ちが籠もった声を上げる。
何をしているのかと思ったら、さすが良くできたメイドさんだ。
「分かった分かった。カミル、エプロンの予備ってあったよな」
『倉庫の一番奥の箪笥に入ってるわよ』
“割烹着”と“料理人のエプロン”に着替えるついでに、T-3用にも予備のエプロンを着せてやる。
和服の上からフリルの付いた可愛らしいエプロンは少々違和感があるが、とりあえずは大丈夫だろう。
「とはいえ、T-3は料理できないよな。よし、俺とカミルが作るから――」
『いえ、私が作ります』
「えっ?」
T-3はキッチンへ向かう俺の袖を掴み、強い口調で言う。
俺が戸惑っていると、彼女はもう一度言った。
『私が作ります。管理者ホムスビのお弁当は彼女の手作り、ならばこちらも手作りでなければ』
「そういうもんか?」
『そんなの、誰が作ったって同じでしょ』
「カミルもカミルでさっぱりしてるけどなぁ……」
ともかく、本人はやる気を見せているし、やめろと言うわけにもいかない。
しかし、“料理人のエプロン”がNPC、それも管理者機体のT-3に効果があるのかは分からないが、どうするのだろうか。
胸を張ってキッチンの踏み台に乗るT-3を、じっと見守る。
『――
「えっなにそれは」
突然T-3が放った言葉に、思わず声を上げる。
聞き慣れない単語だ。
恐らくは、管理者にしか使用できない特別な力――他のゲームでいうチートコードのようなものだろう。
問題はその効果だが――
『“
そう言いながら、T-3は米をボウルに移して水を注ぐ。
その行動だけで俺とカミルは驚いてしまう。
本来、FPOにおける料理はこんなものじゃない。
テクニックの『料理』を発動し、現れたウィンドウの指示に従って進めていく。
指示通りに動けば完成品の品質も良くなるし、指示からはみ出せば低下する。
独創的な料理を作るときでも、最初に『レシピ作成』と言うテクニックで指示書を作る必要があった。
だというのに、T-3は『料理』を使わず、自由に動いている。
「なるほど。これならスキルが使えない管理者でも料理ができる」
『そういうことです。私は〈タカマガハラ〉の主幹人工知能“三体”を構成するT-3。この程度、スキルシステムなどに頼らずとも、雑作もないことです』
T-3は得意げに鼻を鳴らし、シャカシャカとボウルの中の米を研ぐ。
その白濁したとぎ汁を捨て新しい水を注ぐ一連の動作は、とても初めてには見えない。
きっと〈カグツチ〉よりも優秀な演算機能によって精密なシミュレーションを行っていたのだろう。
彼女は流れるような所作でシンクにあった洗剤のボトルを取り――
『アホかーーーっ!』
米を泡だらけにする直前、驚くほど機敏にそれを察知したカミルの跳び蹴りによって阻止された。
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Tips
◇レシピ
料理、薬品、武器、洋服などのアイテム製作過程で必要になる手順書。特定のアイテムの製作に必要な材料と、その加工法が記録されている。
レシピカートリッジとして取引することができ、レシピショップなどで入手可能。各種生産系スキルレベル10のテクニック『レシピ作成』を用いて、自由にレシピを作ることもできる。
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