第461話「大物喰らい」
ワダツミ近海、東方海域。
こちらは“黒将コウロク”が棲んでいた北方の荒れた海とは打って変わって、再び西方と似た穏やかな水面が広がっていた。
他の海域よりもかなり水深があるようで、輝月の計器に表示されている数値でも、随分な深さを指し示している。
「ここに棲んでるのが“青将のダシャク”ですね」
輝月の背上に立ち、星球鎚を甲板に突いて、レティは穏やかな海原を見渡す。
時折、捻れ鰯の群れがバチャバチャと白い飛沫を上げ、そこに海鳥の群れが向かっている以外は、平和そのものだ。
本当にネームドがいるのかも怪しく思えてくる。
「ほんとに五人で大丈夫か?」
コックピットから、レティに向かって最後の確認をする。
彼女は少しうんざりしたような顔ではっきりと頷いた。
「大丈夫ですよ。ラクトは輝月から離れないのでテントの力を借りることができますし、それなら足場の問題も解決します」
「そうか? それならまあ、俺としては頑張れとしか言えないが……」
「その言葉だけで百人力ですよ」
むん、と腕を曲げて見せるレティ。
ライカンスロープはゴーレムについで筋肉質であることもあって、あどけない笑みとは少しミスマッチなたくましさがあった。
「BB配分を腕部に極振りしてるのもあるのか?」
「脂肪は特に付いてませんからね。ムキムキですよ」
「そりゃあまあ、機械人形だしな」
衝撃吸収のためにクッションのようなパーツはあるが、レティみたいに鯨飲馬食したところで無際限に付く代物でもない。
ちなみに、タイプ-ゴーレムが耐久性に優れているのは、胸部のクッションが分厚いことも要因の一つに上げられるようだった。
「レティさん、そろそろ“ダシャク”の生息ポイントです。準備を」
「了解です。――では、レッジさん。ちゃんと見てて下さいね」
アストラに呼ばれ、レティがカメラの方を一瞥して離れていく。
その背中を見送りながら、俺も気合いを入れ直した。
「レッジ、見えたにゃあ」
輝月の頭頂に立っていたケット・Cが声を上げる。
しかし、彼が指さす先にカメラを向けるもそれらしい影は見えない。
「ケット。何も見えないが?」
「いやいや、もうすぐそこまで来てるにゃ。ほら、あそこの鳥山」
モニターをよくよく見てみれば、遠くの方に鳥の群れが渦巻いているのが見える。
その真下では海面が白く跳ねていて、恐らく小魚の群れが戦っているのだろう。
「あれがどうかしたのか?」
「いや、あれが“ダシャク”のポイントなんだにゃあ」
説明してなかったっけ、とケット・Cが首を傾げる。
レティたちが粛々と準備を進めているところを見るに、どうやら甲板では既に説明が成されていたらしい。
「操縦席に居たから聞いてなかったな」
「そりゃ申し訳なかったにゃあ。ま、とりあえずあそこに近づいてよ」
「はいよ」
輝月の鼻先を、鳥山の方へと向ける。
BBジェットスラスターが火を噴いて、ぐんぐんと距離を詰める。
それと共に鳥山が鮮明になり、予想していたよりもかなり大きな規模のものであることが分かった。
「あれ、海鳥じゃないな……」
「
ケットがテントの縁に腰を下ろし、足をぷらぷらと揺らしながら言う。
スケイルイーターもその名の通り、硬い鱗を易々と食い破る強力な捕食者なのだが、今は防戦一方になっている。
「あ、レッジ。そろそろ速度落としてにゃあ」
「いいのか? まだ距離があるが……」
「うんうん。これくらい離れてないと、巻き込まれるんだよ」
熾烈な争いを繰り広げる鮫食い鳥と鱗破りたち。
ギャアギャアと騒がしい鳴き声が、かなり離れていていてもよく聞こえる。
「そろそろ来ますよ」
唐突に、アストラが口を開く。
その直後、二つの群れがまとめて呑み込まれた。
「……は?」
海中から現れた、巨大な口。
非常識な大きさだった“白将のオニシキ”すら丸呑みにできそうな、“饑渇のヴァーリテイン”に匹敵するような巨大な竜。
確かに、形だけ見れば子子子のペットであるトーピードサーペントのヒョウエンと似通っている部分もある。
しかし、そのスケールが文字通り桁違いに乖離していた。
「出たにゃあ、“青将のダシャク”。四将の中で最大サイズを誇る、大物だにゃあ」
幾分興奮した様子で、ケット・Cが言う。
彼の隣に立つMk3も、フードの影から飛び出したヒゲが楽しげに震えていた。
「レティ! 本当に大丈夫なんだろうな?」
あれほど巨大なサイズだとは聞いていない。
慌てて問いただすと、レティは唇を尖らせる。
「何度も言ってますよね。大丈夫ですって。このサイズも事前に聞いていますよ」
彼女が毅然と言い切る。
その間にも巨竜は浮上を続け、ようやく長い首の中程までが現れた。
それ一つでバランスボールほどもありそうな金色の目玉が、ぎょろりと俺たちを見下ろす。
「むしろ、あれだけ図体がデカい方がやりやすいですよ。――足場が沢山ありますから!」
ダシャクが浮上から降下に転換する。
その瞬間、レティとトーカとエイミーの前衛組が一斉に甲板を走り出した。
同時に、自己バフを掛けて準備をしていたラクトがアーツを発動する。
展開されたのは『氷の床』。
それは、細く長く伸びる道となって、三人を“ダシャク”の元へと送り届けた。
「有効範囲ギリギリ! あとは飛んで!」
「これだけ近づければ余裕ですッ!」
アーツには射程の概念がある。
輝月の体側から突き出した氷の道は、ダシャクに到達する前に途切れてしまった。
それでも、彼女たちには十分だった。
「初撃は頂きますよっ!」
「あっ! ずるいですよ、レティ!」
レティが踏み込み、跳び上がる。
星球鎚を大きく振り上げて、アストラの『車輪斬』のように高速で縦回転しながら巨竜へ迫る。
彼女の後ろを追いかけるトーカもまた、腰に佩いた太刀へと手を伸ばす。
「“夜刀・月”。抜刀。――『迅雷切破』ッ!」
トーカの力強い踏み込み。
その衝撃で、堅氷の道が崩壊する。
彼女は一条の雷となって、最短距離で巨竜へと接近する。
「ああもう、足場を崩さないでよ」
移動速度で二人に敵わないエイミーが苦言を呈する。
とはいえ、彼女は自前の障壁を展開して、軽やかにそれを蹴って進んでいるが。
「咬砕流、四の技――」
「彩花流、肆之型、一式抜刀ノ型――神髄――」
一歩先に飛び出したレティ。
彼女を追いかけるトーカ。
二人は同時に発声を始める。
不安定な空中でもしっかりと型を決めているのは、彼女たちの高い技量が故だろう。
発生のタイミングはほぼ同時。
だが――
「『紅椿鬼』――ッ!」
「『蹴リ墜トス鉄脚』! どりゃああああっ!」
先に攻撃が当たったのは、トーカの抜刀技だった。
〈剣術〉スキルは〈杖術〉スキルのテクニックよりも発生が速いものが多い。
そのほんの毛先ほどの僅差によって、先手はトーカが獲った。
「ぐわあああっ! レティの初撃がっ!」
「抜け駆けするのが悪いんです、よっ!」
どん、と強い衝撃がダシャクの首を叩く。
分厚い岩のような皮膚を凹ませ、クレーターのような痕を付ける。
その中心にいるレティは、悔しそうに唇を噛んでいた。
彼女の隣では、トーカが細長い刀を振り切っていた。
巨大すぎる竜の首ならば、彼女の剣撃も当てやすいだろう。
『紅椿鬼』は対象の首を切ればボーナスダメージが入る。
それもあり、初手から巨大な原生生物には、絶大な傷が刻まれていた。
「二人とも、あんまり私より先に攻撃してほしくないんだけどなぁ」
ごん、と砲弾が当たったかのような音と衝撃。
太い幹のような海竜の首が一気に凹む。
「ヘイト管理が面倒になるのよ」
エイミーはそう言って、巨大な鉄拳を構えた。
_/_/_/_/_/
Tips
◇
〈剣魚の碧海〉に生息する、巨大な鮫に似た原生生物。非常に鋭い牙と力強い顎を持ち、堅固な鱗を持つ海洋原生生物であろうと難なく喰らう食欲の権化。
また、知能が高く、多数の群れを形成して生活しているため、天敵も少ない。
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