第458話「白将オニシキ」

 ゴンゴンとドアを叩く音が強くなる。

 もうハンマーで殴っているのではないかと思い、並列思考が少し乱れてしまう。

 このままでは輝月が倒れかねないと判断し、俺は扉のロックを解除した。


「レッジさん! 海を走るってどういうことですか!?」


 途端になだれ込んでくるレティたち。

 彼女たちは狭いコックピット内を押し合いへし合い、俺の元へと詰め寄ってくる。


「文字通りだよ。わざわざ船に乗り換えるのも不便だろ」

「そりゃそうだけどね。輝月は海に浮かべるような構造はしてないでしょ」


 よく考えて、とラクトが諭してくる。

 そんなに俺は信用がないのだろうか。


「まあ見てろって、理論的には行けるはずだ」

「それって要はぶっつけ本番ってことですよね」


 トーカの突っ込みには答えない。

 それよりも先に、輝月の四本の脚が白波を踏みしめ、水を割って海の中へと入っていったからだ。


「周りからボールフィッシュとかナイフフィッシュとか、原生生物の群れがたくさん来てるよ。迎撃しようか?」


 輝月の頭の上で見張りをしてくれていたヒューラから、報告が入る。

 コックピットのモニターに表示された探知機にも、それらの魚影が近づいてくるのが映し出されていた。


「いや、大丈夫だ。追いつかれるより先に抜け出す」

「了解」


 ヒューラと通信しながら、操作を始める。


「やっぱり巨大ロボって言ったら、変形だよね」

「なんですって?」


 エイミーが聞き直す。

 それと同時に、輝月が形状を変え始めた。

 四本の脚が扁平なブレード状になり、腹部のコンテナの一つが開き、腰の左右に巨大なジェットスラスターが展開される。

 ブルーブラストエネルギーの青い炎を吹き出して、スラスターは徐々に出力を上げていく。

 海底に脚をつけていた輝月の巨大な体が、推進力を増すにつれて浮き上がる。


「輝月、海上高速航行モードだ」


 ブルーブラスト出力が閾値を超える。

 白い胴体は完全に水面から離れ、ブレード状の四枚の水中翼だけが突き刺さる。

 ばばば、と空気を焦がす音を鳴らして、輝月が速度に乗っていく。

 白い飛沫を上げて、巨大な神鹿が海原を駆ける。

 近づいてきていた原生生物たちは、すでに遙か後方に離れていた。


「はーはっはっ! どうだ、ちゃんと進んだだろう!」


 初めてだったが無事に海上航行が成功し、俺はコックピットで歓声を上げる。

 いわゆる、水中翼船というものだ。

 高出力のBBジェットスラスターは、〈ビキニアーマー愛好会〉から技術提供を受けた特別製で、〈鉄神兵団〉が第四回イベントで使っていた〈カグツチ〉“アメノオハバリ”エディションのスラスターよりも一世代新しい、最新式だ。

 紺碧の海を切るように、四枚のブレードで滑る輝月は、水の抵抗を回避しているために高速で、安定性もある。


「こんな機能も仕込んでたなんて……」

「すごい安定感があるねぇ」


 コックピットの背後で寿司詰めになっているレティたちが、モニター群を眺めながら言葉を零す。


「ぶっちゃけ、今回は〈剣魚の碧海〉がメインフィールドになるからな。対策してないわけがないだろ」


 俺の企画した〈万夜の宴〉は、攻略最前線を押し上げるという主旨のイベントだ。

 ならば、現在攻略の最前線となっている〈剣魚の碧海〉は避けて通ることはできず、その上で陸上へも頻繁に上がる必要がある。

 そんなわけで、この輝月は水陸両方での運用を想定した設計になっているのだ。


「これがあれば、“水鏡”はもうお役御免かな」

「あれはあれでまだまだ出番があるさ」


 ラクトが少し寂しそうに零した言葉に返す。

 “水鏡”は、俺のテントとラクトの氷アーツとエイミーの障壁によって成り立つ、かなり特殊な氷造船だ。

 確かに航行速度や搭乗人数などは輝月の方が勝っているが、手軽さや小回りの面でいえば“水鏡”が圧倒的だ。

 あまり大きな声では言えないが、輝月がこの海上高速航行モードになっている時は、ブルーブラストエネルギーの消費がかなり大きく、金を溶かして進んでいるようなものでもある。


「このまま西の海まで向かって、ウェイドの通報にあったネームドエネミーの討伐を行う。けど、ここで一つ問題がある」

「なんですか?」

「俺はそのネームドエネミーの詳細が分からん。あと、アルドベストの時みたいに突っ込んで轢殺することもできん」


 俺は〈剣魚の碧海〉をあまり探索できていない。

 そういうこともあって、まだその海に出てくるエネミーを全て把握しておらず、ウェイドもその関係でさっきの通報の際にネームドの名前を言えなかった。

 場所が海上ということもあり、体当たりしようとしても下へ逃げられるだけだろう。


「となれば、誰かが輝月の外に出て直接叩く必要があるわけですか」


 なるほどなるほど、とレティが頷く。

 そうして、腰に吊っていた待機状態の天叢雲剣に手を伸ばした、その時だった。


「それなら、俺に任せて下さい」


 レティたちの背後、コックピットのドアの外から声がする。


「アストラが? 近接でもいけるのか?」


 そこに立つアストラを見て、思わず確認する。

 〈剣魚の碧海〉は広大な海洋フィールドだ。

 陸上とは違って足場が乏しく、近接物理戦闘職はそれだけで大きなハンデを背負っている。

 俺としては、ラクトや〈七人の賢者セブンス・セージ〉のメルたちに、輝月の背中からアーツを打ち込んで貰う予定だったのだが――


「任せて下さい。碧海西方のネームドということは、十中八九“白将のオニシキ”ですから」


 どうやら、アストラはウェイドを悩ませているネームドエネミーのことも知っているらしい。

 大手攻略バンドのリーダーなのだから、当然と言えば当然か。


「白将……。もしかして、白神獣案件か?」

「いえ、ただ単に白くて大きなコイですね。額から鬼のような角が生えています」


 彼の説明によると、〈剣魚の碧海〉の四方には、それぞれ白、黒、青、赤のカラーをしたネームドエネミーがいるらしい。

 ネームドと言ってもそこらのボスエネミーと良い勝負をする実力を持ち、海が戦場であることも相まって、討伐するのも一苦労なのだとか。


「じゃあ、アストラを中心にして、機術師で後方支援を――」

「必要ないですよ」


 簡単な作戦を組んでいると、アストラから待ったが入る。

 彼はいつもの微笑を湛えたまま、首を振っていた。


「えっと、アストラさん?」

「機術師はリソースが有限ですからね。できるだけ節約していきましょう。それに――」


 彼は、その顔に攻略組の気迫を滲ませる。


「“白将のオニシキ”は、すでに単独討伐を果たしていますから。任せて下さい」


 他でもない彼にそう言われてしまえば、俺たちに異を唱えることはできなかった。


「そろそろ目標地点だ。アストラ、よろしく頼む」


 しばらく輝月を走らせ、ウェイドから送られてきた座標近くにやってくる。

 俺が声を掛けると、輝月の背中で準備をしていたアストラが頷く。

 彼は煌びやかなな銀鎧と青いマントの、いつもの装備を身に纏い、背中に巨大な両手剣を抱えている。

 周囲に広がるのは、水平線が青空と滲む大海原だ。

 穏やかな海であり、ネームドどころか普通の原生生物の姿も見えない。

 俺たちを追ってきたプレイヤーの船団が遠巻きに観戦しているくらいだ。


「足場の生成も必要ないのか?」


 アストラは単独で狩ると言っていた。

 ラクトの『氷の床』などの足場を生成するのも、必要ないと一蹴された。

 この何もない海で、彼がどんな戦闘を繰り広げるのか、かなり興味がある。


「では、行きます」


 そう言って、アストラはおもむろに踏み出す。

 まるで歩くかのように足を出し、そのまま当然のように海面へ落ちていく。

 高速航行中の輝月は、彼を中心にして大きな円を描くように動き続けてそれを見守る。

 アストラが金髪をたなびかせ、頭から海上へ――


「出てきましたっ!」


 輝月の背上で見物していたレティが声を上げる。

 アストラの落ちる先の海に、丸い影が浮かび上がった。

 それは徐々に濃くなり、やがて海面が持ち上がる。

 現れたのは、大きく開かれた巨大な口。

 鋭い牙がずらりと並び、釣り餌に喰らい付くかのように、アストラを呑み込もうと水面から跳び上がる。


 輝くような純白の鱗に、赤と黒の淡い模様が浮かんでいる。

 金色の目がぎょろりと動き、扇子のような鰭が飛沫を立てる。

 その怪魚の額には、太い二本の角が鬼のように生えていた。


「『車輪斬』」


 このままでは、何の抵抗もできずに呑み込まれる。

 それをアストラがよしとするはずもない。

 その牙が鎧に突き刺さる寸前、彼は一瞬で剣を引き抜く。

 抜刀技のようだが、そうではない。

 彼自身のテクニックで、それは自然と鞘走ったかのように、すらりと刀身を露わにする。

 そのまま勢いを付けて、縦回転。

 オニシキの巨大な口を、すっぱりと縦に切る。


「『断裂斬』」


 なおも落下は続いている。

 アストラは跳び上がってきた怪魚とすれ違いながら、その白い腹に深々と剣を突き刺す。

 彼自身の重さも乗せて、鋭利な刃が腹を裂いていく。

 赤黒いエフェクトが流れだし、“裂傷”の状態異常がオニシキのHPを削っているのが分かった。


「しかし、あのままでは海に落ちますよ」


 レティが心配そうにアストラを見る。

 海に落ちれば、そこは怪魚の独壇場だ。

 例え高い〈水泳〉スキルを持っていようと、そこの住民には敵わない。


「大丈夫ですよ」


 レティに向かって、アイが答える。

 彼女はアストラが負けることなど、欠片も考えていないようだった。

 そして、事実。


「ふっ――」


 腹を裂いていたアストラの剣が、骨か鱗に当たって止まる。

 その瞬間を待っていたかのように、彼は逆上がりをするように、剣の柄にのぼり、刀身を蹴って跳び上がる。


「剣を手放した!?」

「ていうか、さっきの身のこなしは何なの? ほんとに行動系スキル持ってないんだよね?」


 唯一の武器をあっさりと手放したアストラに、輝月の上の観客席でどよめきが起こる。

 それを見て、アイが少し誇らしげに笑っている。


「アーサー!」


 空中へ高く跳び上がりながら、アストラが叫ぶ。

 瞬間、待ち構えていた彼の愛鳥が勢いよく飛来し、コイの腹に突き刺さった剣を引き抜いて彼の元へ向かう。


「おお。すごい連携だ。な、白月」


 コックピットのモニターで見ていた俺が、足下で寝転んでいる白月に話しかける。

 彼は興味なしといった様子で、小さく欠伸を漏らしていた。


「『天雷』」


 空中で無事に剣を受け取ったアストラが、その切っ先を真下に向ける。

 発動したテクニックは、剣を直下に突き刺すもの。

 銀色の刀身に、白い雷を纏わせて、まさしく稲妻のような勢いで、彼はコイへ剣を突き立てる。

 海に潜ろうとしていたオニシキの背に深々と突き刺さり、巨大な魚体が揺れ動く。

 それと比べると遙かに小さなアストラが、投げられるように海へと弾き飛ばされる。


「今度こそ足場がないですよ」

「だから、大丈夫ですって」


 彼の放り出された先は海。

 それでもなお、アイは取り乱すことがない。


「――団長は、海を走れますから」


 ぱんっ、と海面を叩き、白い飛沫が上がる。

 その後も連続して破裂するような音が鳴り、アストラの体は一向に沈まない。


「アストラ、本当に行動系スキル持ってないんだよな」


 不安になって俺が尋ねると、アイはしっかりと頷く。

 ならば、あの、海を駆けている姿はどういう理屈なのだろう。


「足が沈まないうちにもう片方を出す。それを続ける。そうしたら沈まずに海面を走れる。ね、簡単でしょ。――と、団長は言ってました」

「それができたら苦労はしないんだよなぁ」


 飛沫を上げて走る機械人形には、さしものコイも驚いたらしい。

 怯えた様子で角を掲げ、アストラに向かって威嚇する。

 しかし、その程度で止まるはずがない。

 むしろ、それは大きな隙として青い眼に映る。


「『鱗削ぎ』」


 ざん、と両手剣が大きく振るわれる。

 薄く美しいオニシキの魚鱗が削がれ、柔らかな肉が露わになる。

 アストラは海面を踏み、振り向く。

 彼は二本の足を高速で動かし続け、常に走り続けていた。


「『斬躯波乱』」


 絶え間なく放たれる無数の斬撃。

 嵐のような乱れ切りが、鱗を失ったオニシキの巨躯に傷を付ける。

 苦し紛れに振られた、巨大な尾びれによる横薙ぎの攻撃を、騎士団長は軽く跳び上がることで避ける。

 まるで棒高跳びをするかのように、華麗な背面跳びだ。


「『骨断ち』」


 尾が真下を通過する瞬間。

 彼の剣が再び燦めく。

 尾の先端がさっくりと断ち切られ、体から分離する。

 それにより、オニシキは遊泳能力を大幅に削がれた。

 動きの鈍くなった怪魚の側を駆け、彼は頭の方へと向かう。

 身を翻し、剣を引き抜く。

 その顔には楽しげな笑みが浮かんでいた。


「――『兜割り』」


 一刀両断。

 彼の持ち技である〈聖儀流〉すら使わない、圧倒的な強者の立ち回り。

 ウェイドを悩ませた巨大な怪魚を、彼の青年はただ一本の剣だけで切り伏せた。


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Tips

◇白将のオニシキ

 〈剣魚の碧海〉西方に生息する巨大な怪魚。純白の体躯に黒と赤の淡い模様があり、外見はコイに似ている。額には短い二本の角が生えており、正面から見ると鬼のような顔立ちをしている。

 巨大ながらも非常に運動能力が高く、海面20メートル以上も跳び上がることが可能。

 その鱗は薄いものの非常に硬く、また美しさから美術的価値も高い。


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