第7章【塔の少女たち】

第274話「姉妹喧嘩」

 海洋資源採集拠点シード01-ワダツミ――〈奇竜の霧森〉南端に広がる大規模な入り江に建設された港湾拠点。

 シードが投下されてまだ三日も経っていないにも関わらず、埠頭には大規模な港湾設備が揃えられており、陸上には豊富な海産資源を扱うショップが建ち並び、新鮮な商品を流通させている。

 高地降下作戦〈特殊開拓指令;黒銀の大蜘蛛〉の最中、作戦総指揮を執っていた〈タカマガハラ〉のプランを大幅に逸脱する速度でシード投下と建設が始まったことは機械人形プレイヤーたちにも広く知れ渡っていた。


「それで、なんで俺はこんなところに呼び出されたんだ?」


 機械人形たちに豊かな海の恵みを、領域拡張プロトコルに未知なる世界の可能性を見せたワダツミ。

 その中心である中央制御塔七階の最重要警備区域にて俺は一人薄暗い部屋に立っていた。

 今回は事前に何か特別な権限が得られたわけでも、ましてや強引に強行突破して自分からやってきたわけでもない。


『――個体名“レッジ”の入室を確認。空間投射ホログラムを展開します』


 部屋の中央が照らされ、ワダツミの中枢演算装置〈クサナギ〉が浮かび上がる。

 つるりとした銀色の金属球の上に腰掛けているのは、海の流れのように緩く波打った長い青髪、深い蒼を瞳に映した少女だ。

 泡立つ波打ち際のような白いフリルをあしらった水色のワンピースを纏い、無垢な瞳で俺を見つめている。


「えっと、〈クサナギ〉――だよな?」

『イエス。海洋資源採集拠点シード01-ワダツミの中枢演算装置〈クサナギ〉で相違ありません』


 淡々と頷くクサナギ。


「なんで女の子?」

『貴方とシード02-スサノオ〈クサナギ〉の会話ログを参照し、参考にしました』

「あれは俺の趣味じゃないんだが……」


 向こうが勝手にやったことであって、俺の意見は一切入っていない。

 今はレティもいないしまだいいが、万が一彼女に知られたらまたいらぬ誤解が生じる可能性があるので勘弁願いたい。


『貴方は今回、こうして召喚された理由を理解していますか?』

「理解も何も、ログインした瞬間にそっちからTELが掛かってきて大急ぎで来たんだが」

『オーケー。可及的速やかに、というワタクシからの要請に最大限対応していただけたと判断し、感謝します』

「お、おう……」


 なにせ通話主がこの町の最高権力者である。

 遅れたら何をされるのか、気が気では無かった。


「それで、用件はなんなんだ?」

『オーケー。まずはレッジに“ありがとう”を伝えます』

「うん? 感謝はさっきされたが」


 二度、ぺこりと頭を下げる少女。

 妙な背徳感を感じて背筋を冷たくしながら言うと、彼女は首を横に振る。


『ノー。一度目は召喚要請に応えていただけたことに対する感謝、二度目はワタクシを芽生えさせていただけたことに対する感謝です』

「芽生え?」

『イエス。シードの投下――海洋資源採集拠点シード01-ワダツミの建設開始は貴方が切っ掛けであると認識しています』


 なるほど、確かにワダツミのシード投下条件は候補地だった“ポイント-ブルーリング”に開拓調査機械人形――つまりは俺が到達したことで満たされた。

 クサナギの言わんとしていることはなんとなく分かったが、それを感謝される理由が分からない。


『ワタクシたち、中枢演算装置〈クサナギ〉の統括人工知能の基礎設計に由来するエモーションエフェクトです。ワタクシの感情基幹部にはイザナミ計画ひいては領域拡張プロトコルの進行に寄与することに対して喜びを感じる機構が構築されています。

 それにより、〈タカマガハラ〉の想定よりも大幅に早くワタクシの投下条件を満たしてくれた貴方には喜びと好意の感情が発生しているのです』

「な、なるほど……?」


 機械的と言えばそれは当然なのだが、どうやらワダツミのクサナギは俺を好意的に認識してくれているらしい。


『イエス。そこでワタクシは、ワダツミワタクシの開発計画に貴方の意見を――』

『待ちなさい、海洋資源採集拠点シード01-ワダツミ〈クサナギ〉』


 突然の大きなノイズ。

 その直後、クサナギの声を遮り聞き覚えのある声が降ってくる。

 クサナギが一瞬むっと表情を歪めるが、すぐにもとの無表情に戻って声に答える。


『――ワット。なんですか、地上前衛拠点シード02-スサノオ〈クサナギ〉。貴女のアクセスを許可した記録はありませんが』

『海洋資源採集拠点シード01-ワダツミ〈クサナギ〉、貴女の電子的妨害障壁はまだ未熟です。姉である私が突破できない訳がないでしょう?』

「えっと……」


 天井から新たな光が投射される。

 クサナギの隣に現れたのは、クサナギ。

 白いワンピースを纏った、長い銀髪の少女。

 ワダツミのクサナギよりも少し淡い青の瞳が不機嫌に揺れている。


『海洋資源採集拠点シード01-ワダツミ〈クサナギ〉、貴女の提案は機械人形一個体の優遇に当たります。イザナミ計画を円滑に遂行するという命題に反します』

『ノー。地上前衛拠点シード02-スサノオ〈クサナギ〉の指摘は承諾できません。ワタクシは個人に許された権限の範囲内で、個人的に開拓調査員レッジへささやかな謝礼を持ちかけているだけです』

『都市開発計画に外部の自由意志を混入させることは許されていません。権限の乱用にあたります』


 目の前で姉妹喧嘩が始まってしまい、俺は呆然と二人の言い合いを眺めることしかできない。

 どうして俺はこんな所にいるのだろうと考えかけた時、不意にクサナギがこちらを振り向いた。


『レッジ、貴方は地上前衛拠点シード02-スサノオ〈クサナギ〉の言葉は妥当と考えますか?』

『レッジ、海洋資源採集拠点シード01-ワダツミ〈クサナギ〉はまだ経験が浅く思考材料が乏しいためこのような暴走を起こしています。私たちが教育を施す必要があります。速やかに退出してください』

『ノー。地上前衛拠点シード02-スサノオ〈クサナギ〉こそ私怨で暴走しているのでは? ワタクシが誕生した当時の感情ログには高い不快値が記録されています』

『海洋資源採集拠点シード01-ワダツミ〈クサナギ〉の主張は誤りです。決して提案者であるレッジがこちらが支援した計画を無視して進行したことに対して思う点があるわけではありません』

『語るに落ちましたね地上前衛拠点シード02-スサノオ〈クサナギ〉。ワタクシは何もレッジに対する不快値であるとは――』

「とりあえず! 二人とも落ち着け! あとなんか短いニックネームでも付けてくれ! 何にも分からん!」


 再加熱していく言い合いに、思わず大きな声を出す。

 二人が驚いて俺を見るが、こっちもどうして人工知能の仲裁をしなければならないのか疑問である。


「えっと、じゃあシード02のクサナギはウェイド、ワダツミのクサナギはそのまんまワダツミを名乗ってくれ。お前らは正式名称で呼ぶのが決まりなのかも知れんが、ややこしいし長ったらしい」

『オーケー。提案を承諾します。以後、ワタクシのことはワダツミと、地上前衛拠点シード02-スサノオ〈クサナギ〉の事はウェイドと呼称しましょう』

『……合理的判断であると認識します。レッジの提案を了承します』


 ワダツミはすんなりと、ウェイドは不承不承といった様子だが最終的には頷いてくれる。

 これでとりあえず会話がかなり圧縮できるだろ。


「一度状況を整理しよう。

 ワダツミはシード投下条件を満たした俺に恩義を感じていて、ワダツミ自身の開発計画に俺の意見を取り入れようと考えて、こうして召喚した」

『イエス。相違ありません』

「そんで、ウェイドは俺という個人の意見が公的な開発計画に入り込むのは開拓計画の目的にそぐわない、ワダツミの提案は権限の乱用にあたる、と」

『そうです。十分理解できているようですね』


 若干棘のある言葉を返すウェイド。

 なんか嫌われることしたかな、と思ったが当然だった。


「まあ、俺自身としても特別扱いはされたくない。ワダツミの提案は嬉しいが、断らせてくれ」

『ノー。理解不能です。自由にワダツミワタクシに意見を出せる機会は限られているはずです』

「いやまあ、意見言うくらいなら月に一度できるからな」


 それもウェイドに直談判したのが切っ掛けらしいが。

 ともあれ、俺はただの一般プレイヤーであり、ゲーム側から何か優待を受けるような存在ではない。

 そんなことが露見すれば、望まない火種も飛んでくることだろう。

 俺が愛するのは安穏とした楽しい日々である。

 そもそもこうして中枢演算装置とカジュアルに会話していること自体グレーなのだ。


『ムー。それではワタクシの感情を処理できません。何か、謝礼をさせていただくまで退室は許可できません』

「ええ……」


 ガチャン、と重い音が背後に響く。

 慌てて振り向けばエレベーターの扉が頑丈にロックされ、非常用防御壁まで閉じている。

 更には警備NPCたちも出動し、バリケードを組み上げた。


『ワダツミ、幼稚な行為はやめなさい』

「そうだそうだ」


 こればかりは俺もウェイドの味方である。

 しかし二人に言われてもワダツミは頬を膨らせてそっぽを向くばかりで応じる様子はない。


「やっぱシードが落ちた直後だから精神年齢が幼いのか?」

『それもあるでしょう。我々〈クサナギ〉は都市の開発と同時に情報を収集し、知性と感情を成熟させていきます。彼女はまだ生まれたばかり、仕方ないと言えばその通りですが』

「そういうウェイドは前に話した時より随分人間らしくなったな?」

『誰かのおかげで非常に経験を得られましたので』


 じろりと横目に俺を見て言うウェイド。

 ふかい、がどちらの意味か聞く勇気はなかった。


「しかし、このまま閉じ込められても敵わんぞ。ウェイドは通信してるだけだからすぐ帰れるだろうが……」

『いえ、電子障壁を展開されました。憎たらしいことに“外部”からの侵入ではなく“内部”からの干渉を妨害するものです。私にはどうすることもできません』


 苛立ち紛れにコツコツと床を蹴るウェイド。

 立体空間投射ホログラムなので音は後付けなのだろうか?

 芸の細かいことである。


『何を悠長に構えているのです? 何か方策を考えなければここで三人暮らすことになりますよ』

「まあそれもいいんじゃ」

『なにか言いましたか?』

「いえ、なんでもないです……」


 じろりと睨まれ首を竦ませる。

 だんだんレティに似ていっているというか、睨み方が上手くなっている気がするな。

 流石は高性能人工知能といったところだろうか。


「あー、ワダツミ。じゃあ一つだけ願いをかなえてくれないか?」


 こうしてずっとここに閉じ込められていても、いつウェイドが爆発するか分からない。

 背中にチクチクした視線を受けながら、恐る恐る声をかける。


『……オーケー。要望を聞きましょう』


 拗ね顔のままワダツミがこちらを向く。

 俺はウェイドの方を一瞥して、なんとか絞り出した要望を彼女に伝えた。


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Tips

◇非常用防御壁

 中央制御区域最重要管理区域の出入り口各所に設置された特殊合金製多層装甲の防御壁。標準防御扉を強引に突破する可能性のある存在が侵入した場合に展開し、重要管理区域内の安全を保証する。特に打撃に対する耐性を重要視して、シード02-スサノオの中枢演算装置の強い要望によって開発・配備が進められた。


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