第270話「大規模複合呪儀」
朧雲の上に立ち、アストラは眼下に広がる乱戦を睥睨した。
肩に止まるアーサーが荒ぶって翼を揺らし、彼もまた青い瞳を見開いて口角を上げる。
「トップ層が部分的には圧倒しているものの、大局は劣勢。戦線崩壊が近い場所が六つ、すでに崩壊している場所が四つ。死んだらリスポーン地点は近くてサカオのアップデートセンターだ。対してヴァーリテインの首はまだ半分以上も残っている。レッジさんのテントがあるとはいえ、確殺ダメージを受ければ恩恵はない。救護班は既に限界が迫っている。このまま状況が続けば多勢に無勢――ジリ貧だ。
――――だからこそ、おもしろい」
肉眼で戦況を把握し、彼は逆境に心を激しく燃やす。
銀鎧を陽光に輝かせて乱風に青いマントを広げる。
「『猛攻の姿勢』『修羅の構え』『猛獣の大牙』『猛獣の鉄脚』『飢乏の刃』『両断の衝動』」
色鮮やかなエフェクトがアストラを包む。
彼のステータスが大幅に増強され、彼の剣が鋭さを増す。
「――聖儀流、三の剣『神覚』。重ね、四の剣『神啓』。重ね、五の剣『神崩』。重ね、八の剣『神気』」
更に入り乱れる白い稲妻のようなエネルギーが彼の内から広がった。
人智を越え、摂理を凌ぐ剣技を扱う聖儀流――生半可な肉体では繰り出すことも叶わないから、
「行こうか、アーサー」
白羽の鷲が声を上げる。
そうして、一人の青年が戦地へと舞い降りた。
†
突如連続して立ち上がる白い稲妻の爆発に、敵味方双方の間に混乱が生じた。
数秒後、それがヴァーリテインの首を一息に10も吹き飛ばしたものだと知るや、プレイヤーたちは気炎を上げて猛攻を再開する。
「『貪咬連牙』ッ!」
白骨の山から隆起した岩牙がヴァーリテインの黒い首を貫く。
「『漂白する千棘の刃矢』」
そこへ白い矢が突き刺さり、無数の棘となって凍らせ切り刻む。
「――彩花流、肆之型、一式抜刀ノ型『花椿』」
スパンと滑らかな音と共に奇竜の大首が切断される。
レティの頭上へ落ちてきたそれを、黒い拳盾が横へ吹き飛ばす。
「す、すみません!」
「大丈夫です、エイミーが助けてくれたので。それよりもレティたちも随分安定して首を落とせるようになってきましたね」
戦乱の渦中で忙しなく動きながら、レティが鎚を担いで言う。
「ラクトのアーツでデバフ入れたら打撃も通りやすいことが分かったのが収獲ね。ある程度パターンも出てきたし、被弾も減ったわ」
エイミーが両腕の盾を打ち合わせて答える。
新たに牙を剥いて彼女の方へ飛び掛かってきたヴァーリテインを、無数の氷矢が貫き怯ませた。
『長距離射撃に慣れて、精度が上がったのもあるかもね。短弓でも頑張れば行けるもんだね』
遠く朧雲の上から狙撃しているラクトはバンドの通話回線を使って地上のレティたちとコミュニケーションを取っていた。
彼女たちはあれからヴァーリテインの首を落としながら前に進み、今では巨竜の胴体にかなり近付いている。
当然迫り来る攻撃の密度も高く、話しながらも攻撃は継続する必要があった。
「さっきの連続爆発は何だったんでしょうか?」
「多分アストラさんですね。レティは前のイベントの時にスサノオの街中で少し見ました」
戦闘をしながらも視野は広く取っていたようで、彼女たちも先ほどの爆発には気付いていたらしい。
今も猛進を続けているアストラは、ヴァーリテインの胴を目指して彼女たちに近付きつつある。
「しかし、ここから先はちょっとキツいわよ」
エイミーがミサイルのように迫る大顎を拳で打ち上げながら言う。
四人の連携は深まり、ヴァーリテインの対処も安定してきたものの、その胴体に近付くほど単純に攻撃の密度が高くなる。
盾役がエイミー一人しか居ない状況では、これより先に進むことが難しい様子だった。
『姉さん』
その時、新たな声が通話に加わる。
「ミカゲ? 今までどこに居たの」
いつの間にか姿を眩ませていた弟の声に、トーカが首を傾げて尋ねる。
ミカゲは少し悩んで答えた。
『朧雲の上。ラクトとは離れてるけど』
「朧雲の上ね。何か準備してたのね」
察しの良い姉は彼が何か企み、その準備が終わったらしいことを推測する。
『うわ、気付いたら他の機術師に紛れて呪術師っぽい人が沢山居るね』
通話を聞いて周囲を見渡したらしいラクトが、様子が変わっていることに気がつく。
『呪術師、霊術師、占術師それぞれが、協力してる。今から、夜を作る』
「夜を、作る……?」
ミカゲの言葉にレティたちは揃って首を傾げた。
これから何が起こるのか、予想も付かない。
『――始まる』
ミカゲの言葉が合図だった。
力強く下腹部に響く太鼓の音が、朧雲が囲む戦場に響き渡る。
『レティ! 朧雲の縁に篝火が!』
ラクトの声に彼女たちは見上げる。
円形にヴァーリテインの巣を取り囲む朧雲の縁に、ポツポツとオレンジ色の炎が灯されていく。
等間隔で並べられた篝火に、ミカゲたち呪術師が炎を注いでいるのだ。
『あれは、楔。領域を指定するための、杭』
ミカゲの言葉。
全ての篝に火が灯り、暖かな橙だった炎は青白く色を変える。
ぐるりと外周を取り囲む篝火は、互いに紙垂で飾られた縄によって繋がっていた。
『まずは、“溺愛”のラピスラズリ』
朧雲の上で、一人の女性が両手を上げる。
落ち着いた色合いの修道服に身を包み、銀の杖を持った金髪のヒューマノイドだ。
「ううむ、離れすぎてて声が聞こえませんね……ッ!?」
遠くで小さく見えるラピスラズリの姿にレティが眉を寄せていると、突然青い光が空に走る。
それぞれの篝火を頂点とする、六十四角の星が浮かび上がった。
ゆっくりと、星は回り始める。
やがて風を掴み、朧雲で囲まれた戦場に大渦を引き起こす。
『禁忌領域、“嵐龍の窟”』
呪力の込められた風はヴァーリテインだけを捉えて吹き飛ばす。
無数の首が強風に薙ぎ、地上での戦闘は否応なく中断された。
『夜が来るまで“嵐龍の窟”が時間を稼ぐ。姉さんたちは、出番まで下がってて』
「この強風では戦いどころではありませんね……。レティ、ここは大人しく引きましょう」
黒髪を風に広げながらトーカが言う。
ヴァーリテインに打ち付ける鋭い風は、レティたちも近付けば無傷では済まない。
彼女たちは冷静に判断を下し、一時的に朧雲の足下まで撤退する。
「……アストラさん、あの中でも戦ってるんですか?」
「ケット・Cさんとメルさんたちもですね」
「〈七人の賢者〉は別に地上じゃなくてもいいんじゃないの?」
ミカゲ以外の術師も避難を勧告し、地上の戦士たちもそれに従う。
そんな中、雷鳴と共に白い爆発は止まらず、無数の斬撃や爆炎も立ち上がる。
一部の酔狂たちは、暴風吹き荒れる中でも戦闘を継続しているようだった。
「あっ、見て下さい別の人が出てきましたよ」
朧雲の縁を見上げていたレティが指を突き出す。
ラピスラズリの隣に、朱と黒の風変わりな巫女装束を着たフェアリーの少女が現れた。
彼女は両手に持っていた分厚い紙の束を乱雑に風の中へ落とす。
「わわわ、紙吹雪ですよ!」
風に揉まれ、手のひらほどの紙切れは宙を舞う。
ばらばらと広く散開したそれは、ヴァーリテインの身体に触れると瞬間的に張り付いた。
『“闇巫女”のぽん。今使ってるのは、“硬直の呪符”。これで、ヴァーリテインの、動きを封じる』
「解説ありがとね」
際限なく振りまかれる呪符は次々と奇竜の身体に張り付き、その動きを封じていく。
それと平行して、朧雲が段々と高く伸びていく。
『うわわっ!? な、何これ!? ぴっ、ほ、骨ぇ!?』
「ラクト!? どうしたんですか?」
回線越しに聞こえたラクトの悲鳴にレティが耳を立てて驚く。
『ち、ちっちゃい骨が……いっぱい集まって、積み上がってる……』
か細い声だがラクトは懸命に周囲の状況を説明する。
無数の白骨が増殖し積み重なり、朧雲の壁を更に高く、そして空を覆わんとしていた。
『“孤群”のろーしょんと、〈霊術〉の召喚師たちが出してる白骨獣だから、害はない』
「もしかして、夜を作るって言うのは……」
『うん。白骨獣で屋根を作って、暗闇を作る』
レティの予想にミカゲは頷いた。
その間にも空は狭くなり、白骨獣たちが組み上げていく夜の帳が地面に影を落とす。
多角の星が回り、呪符が暴風に舞う。
『夜は、三術の効果が強くなる。日の光を遮断して、その状況を強制的に作る。陰るほどに、風は強くなるし、拘束は硬くなる』
「ミカゲ、楽しそうですね……」
空を覆う黒い屋根。
その内側に、ポツポツと銀色の小さな光が灯り始める。
『あれは、星。
銀の光は数を増し、天蓋を彩る。
星の並びを擬似的に再現することで、時と時間の制約から占星術師を解き放つ。
『三術連合の大規模複合呪儀“夜蓋”だよ』
呪術師たちが詞を紡ぎ始める。
太鼓が打たれ、鈴が鳴り響く。
骨の獣たちが呻き声を上げ、戦場に飛び下りる。
青髪の占星術師が星印の双曲刀を掲げ現れる。
呪いがうねり、星が轟き、霊獣たちが骨を打ち鳴らす。
理を越えた暴力がヴァーリテインに襲いかかった。
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Tips
◇白骨獣
〈霊術〉で使役する、“霊核”を用いて呼び出した下僕。簡易的な術を施しただけの弱い存在だが、量産が可能で数の利を得やすい。死亡した場合も“霊核”が無事ならば再度召喚することが可能。
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