第262話「導きの言葉」

 湿った空気を装備が吸い、じっとりと濡れて重くなる。

 先の見通せない霧の中では八咫鏡に表示させた地図だけが頼りだが、それもまたフィールド自体の探索が進んでいないため簡単なものでしかない。

 断崖に背を向け、コンパスの針を頼りに、ほの暗い霧森の中を進む。


「レッジさん、そろそろいいんじゃないですか? もう周囲に人の気配はありませんよ」


 先を進んでいたレティが耳を立て、周囲の様子を探りながら振り返る。

 森の中は静まりかえり、人どころか獣の気配すら感じられない。

 このあたりなら良いだろう、と俺も頷き立ち止まった。


「それで、結局なんで森の奥を目指しているんですか?」


 陣形を崩しレティたちが集まってくる。

 ミカゲだけは少し離れた場所で周囲を警戒してくれていたが、彼も耳を傾けているのだろう。


「俺がミカゲとトーカの二人と一緒にウェイドの中央制御塔を登ったのは知ってるな」


 全員が揃って頷く。

 あの時は、第2回イベントの報酬として貰った〈クサナギ〉への質問権を行使するためだった。

 トーカのためにプティロンについての情報を、ミカゲの為に〈呪術〉スキルについての情報を尋ね、それぞれに有益な解答を得た。


「あれのせいでレティたちは苦労する羽目になったわけですからね」

「それに関しては、本当に申し訳ない」


 少し嫌味を交えて言うレティに、すぐさま謝罪する。

 彼女には随分と助けて貰ったわけだ。


「レティに苦労掛けちまったのは、俺が三つの質問権を全部使っていたからだ」

「トーカとミカゲと、あとはレッジさん自身の質問でしたっけ?」


 頷く。


「そういえば質問の内容までは聞いてなかったっけ」

「ウェイドの〈クサナギ〉に何を聞いたの?」


 好奇の目を向けてくるラクトたちに、俺はしばらく言い淀む。

 これは、どういったものか。


「トーカたちはレッジさんが何を聞いたか知らないんですか?」

「すみません。私たちはそれぞれ貰った情報を纏めるのに精一杯で」

「……気付いたら、レッジは会話を終わらせてた」


 ともすれば二人なら質問の内容を知っているかと思ったが、そうではなかったらしい。

 再び周囲の視線が戻ってくるのを感じて、俺は腹をくくる。


「……美味い魚料理を出す店を聞いたんだ」

「は?」


 五人が綺麗に揃って首を傾げる。

 鳩に豆鉄砲を撃ったようとはこのことか。


「く、〈クサナギ〉への質問権をそんなことに!?」

「前二つの質問と比べて、なんていうか、もっとこう、無かったの!?」


 わなわなと震えるレティたちが俺の肩を掴んで揺さぶる。

 揺れる視界の中、俺は必死に口を開いて弁明する。


「ま、待ってくれ。これには非常に重要な事情があってだな……」

「なーにを気軽に聞いてるんですか! 上司におすすめのランチ聞く新入社員じゃないんですよ!」

「き、聞いてくれ……」

「レティさん、一応言い訳だけは聞いておいた方が良いと思います」


 見かねたトーカが止めてくれるが、彼女も少し……。


「ま、良いでしょう。質問権はレッジさんに与えられたものですし、レティたちに何か言う権利はありませんか」

「行動するまえにその結論に至って欲しかった」


 数度瞬きして視界を落ち着かせる。

 そうして俺は、〈クサナギ〉から返ってきた答えについて彼女たちに言った。


「“今はまだ無いが、今後海中資源採集拠点ワダツミが完成すれば海産物も流通する”という解答があったんだ」

「海中資源採集拠点」

「ワダツミ……」


 ぽかんとして俺の言葉を反復するレティたち。

 思考が追いつかない様子の彼女たちに向かって、説明を続ける。


「海中資源採集拠点ワダツミ。恐らくはアマツマラと同じような役割のものだろう。そしてそれが建設される予定があるということは、それが建設できる場所があるということ。……つまり海があるということだ」

「なるほど、理屈は分かったよ。でもこの森を越えた先に海がある確証は無いんじゃないの?」


 ラクトの指摘は尤もだった。

 〈クサナギ〉からの解答はあくまでも、“海中資源採集拠点ワダツミ”という施設が建設される予定がある、というもの。

 いつ、どこにそれが建てられるかという具体的な解答は得られなかった。


「確証はないが、可能性はある。質問権を付与されたのは俺だけじゃない。特に攻略組のリーダーであるアストラが今、現にイベントを放って森の奥を目指しているのがその裏付けだ。アイツは考え無しに動く奴でもないし、俺と同じように〈クサナギ〉から何らかの情報を貰っているんだろう」

「なるほど、それなら確かに……」


 ルナやタルトがどのような情報を得たのか、そもそも質問をしたのかは分からない。

 しかしアストラであれば必ず質問をして、その解答を今後の行動に反映させるはずだ。

 そう考えて俺はずっとアストラの動向に気を張っていた。


「他のトップバンドが同じように森の奥を目指しているのはどうしてでしょうか? 彼らは質問権も持っていなかった筈ですよね」

「ただ単にアストラ、というか〈大鷲の騎士団〉の動向に普段から敏感だっただけだろう。あのバンドが向かう先が攻略の最前線になるからな」


 〈七人の賢者〉やBBCに明確な情報はないはずだ。

 しかしだからこそ彼らは最前線を牽引する騎士団にとても敏感で、その動きをすぐに察知できるよう常に気を張っている。

 騎士団をライバル視するからこそ、それに少しでも遅れを取ることがないように。


「そんなわけで、イベントで賑わってる裏じゃあ既に新しいフィールドか都市の開拓に向けて各所が鎬を削って競ってるわけだ」

「なるほどなるほど。そんなことを聞いてしまっては俄然やる気が出てきますよ!」


 プレイヤーの多い崖下の起点周囲ではなかなか話せない。

 ここでも、隠密に長けたプレイヤーがどこかに潜んでいるかもしれないのだ。


「事前に共有してくれても良かったのに」


 少し拗ねたように口を尖らせラクトが言う。


「確証が得られなかったからな。崖下に着いて、騎士団がどう動くか分かるまでは何も言えなかった」


 騎士団――とりわけアストラたち〈銀翼の団〉の動向を探るのは容易だ。

 彼らが今どこでなにをしているかという情報は騎士団のホームページで逐一報告されている。

 そうしないとゲーム内で付きまとうプレイヤーが多いから、というのが理由だろうが。


「アストラたちは〈鳴竜の断崖〉側から真っ直ぐ森を突っ切っているらしい」

「つまり〈角馬の丘陵〉と〈鎧魚の瀑布〉側は手薄と」

「ま、そういうことだ」


 とはいえそれもアストラたちの周囲と比較すれば、という前提がある。

 三方向のどこにも森の奥を目指すプレイヤーはいるし、今も原生生物を薙ぎ倒しながら進んでいることだろう。


「俺たちは少人数で、撃破能力で絶対的に不利だ。しかし少人数というのは機動力に優れているとも言える」

「できるだけ戦闘を避けて、静かに素早く森を抜けるということですか」


 トーカの言葉に頷く。

 騎士団などは、恐らく複数のパーティを合わせた大規模な集団で進んでいることだろう。

 立ち向かってくる原生生物を倒しながら進むなら、そちらの方が手っ取り早い。

 そんな力業の戦法が使えないのなら、やるべき事はただ一つである。


「……あの、レッジさん」

「どうした?」


 ミカゲたちの索敵能力が頼りだと言おうとした時、レティがぴんと手を上げて提言してきた。


「レッジさんの“浮蜘蛛”システムがあるならレティたちも普通に戦えますよ?」

「確かに。テントの回復能力があれば、特に補給や休憩の必要もありませんね」

「防御もこの人数なら私一人で十分だし」

「移動砲台になれるね」


 心強い戦闘職の皆さんからの言葉。

 すっかり頭から抜け落ちていたが、俺には今“浮蜘蛛”という強力なシステムがあるのだった。


「……よし、“浮蜘蛛”展開!」


 インベントリから浮蜘蛛を取り出し、起動させる。

 レティが“黒兎の機脚ブラックバニー”を起動し、足に纏う。


「“浮蜘蛛”はLP回復量を若干落とす代わりに範囲を広げる。それでも前衛には届かんと思うが……」

「レティとトーカとエイミーがいれば十分に交代しながら戦闘は続けられますので。しもふりもいますし、問題ありません」


 個人用にカスタムしていた“浮蜘蛛”を少しだけ改良し、周囲の仲間にも効果が及ぶようにする。

 更に言えば仮にテントの範囲外だとしても、俺が〈支援アーツ〉で回復すればいい話だ。


「まさしく移動要塞ね」

「飛蜘蛛と違って行動範囲に制限もないし、回復量落ちたとはいえ十分以上だし」

「では、出発しましょうか!」


 皆の準備が整う。

 レティの声で、俺たちは新たなる土地を求めて足を踏み出した。


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Tips

◇奇竜の霧森

 オノコロ高地を囲むように広がる、濃霧に包まれた森。背が高く幹の太い巨木が枝葉を茂らせ、歩けば肌が濡れるほどに高湿の地域。霧狼や双頭熊などの単独行動性の原生生物が多く、非常に危険。


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