第210話「叡智の保管庫へ」

 トーカの“巌のプティロン”単独撃破は、大手情報中継掲示板でのインタビューもあり瞬く間にイザナミ中を駆け巡った。

 その結果、アマツマラ第8層のクリスタルワームが棲む巣は一種の聖地のように扱われ、連日多くの剣士が詰め掛けた。

 更には熟練度を上げることによる新たな技の発現という可能性が見出されたことにより、攻略班たちが大いにざわついた。

 イベントもなく虚無期間とさえ言われていた平穏は脆くも崩れ、今ではフィールド各地でレベル上げに励むプレイヤーが溢れていた。


「そういえば、プティロン討伐で何かデコレーションは貰えたのか?」

「“筋肉”というデコレーションなら貰えましたよ」

「……筋肉サムライ」

「ミカゲ、何か言いましたか?」


 そんな騒動の渦中にいるはずのトーカは、むしろ台風の目にいるような穏やかさで白鹿庵の小上がりで緑茶を楽しんでいる。

 トーカの名前と顔は一躍有名になってしまったが、俺が予想したほどのトラブルはなく、むしろ町中で彼女を見掛けた剣士たちは少し距離を開けるほどだった。


「トーカは別に話しかけづらいタイプじゃないと思うんだがなぁ」

「……あんな戦闘見せられたら、怖くて近づけない」

「ミ、カ、ゲ!」


 柔和な笑みを崩して頬を膨らせるトーカを見て、ミカゲが素早く天井へ逃げる。

 糸を出せるからと言って、身軽な忍者だ。


「女性プレイヤーからはそれなりに声を掛けられるんですよ。彩花流の使い方を教えたり、スキル構成にアドバイスしたり」

「ほう。なんかまさしく開祖っぽいな」

「い、言わないで下さい。私はまだ師範の資格は持ってないので……」


 感心して言うと、彼女は頬を桃色に染めて顔を背ける。

 そういえばリアルでも剣術をしていたとか言っていたか。

 ゲーム内でもこれだけ巧みに刀を扱えるのだから、リアルでもかなり有名な剣士なのかもしれないな。


「ミカゲは最近どうなんだ? 〈呪術〉スキルとか結構調べてるんだろ?」


 梁に腰掛けて饅頭を食べていたミカゲに声を掛ける。

 彼は〈忍術〉スキルだけでなく、第2回イベント後に実装された未詳文明由来の新スキルである〈呪術〉スキルに挑戦している最中だ。

 しかし新たに実装された〈調教〉を除く、〈呪術〉〈占術〉〈霊術〉のいわゆる“三術”スキルは未だ未解明の部分が多く、どのように運用するかも不確かなのが現状だった。


「……スキルカートリッジがショップで売ってないから、テクニックは発現しないと習得できない」


 梁に腰掛けたまま、ミカゲは覆面越しに口を開く。


「“呪術師の集い”っていうスレッドがあって、そこで話し合ってるけど、なかなか難しい」

「まだ一つもテクニックが見つかってないのか?」


 驚きを混ぜて眉を上げる。

 第2回イベントが終わってしばらく経つというのに、三術はかなり難解なものなのだろうか。


「一応、レベル1のテクニックは見つかってる。……『怨嗟送り』っていう」


 そろそろと降りてきて、ミカゲはテクニックの詳細が表示されたウィンドウを見せてくれる。

 通常スキルレベル1のテクニックというのは大抵、そのスキルのおおよその方向性を見せるようなものだが、


「なになに。『怨嗟送り』、忌々しい相手に強い意志を送る。……ふむ」

「なにも、わからない」


 ミカゲの言葉通り、テクニックの説明文からは何ら具体的な事が掴めない。

 忌々しい相手に強い意志を送ったからどうなるというのだ。

 それで相手が死ぬなら、俺たちの開拓作業もかなり楽になるんだが……。


「中央制御区域の情報資源管理保管庫に行ったら資料があったりするのかね」


 こういった謎でしかない存在の手がかりを探すとなれば、思いつくのはそこだろう。

 制御塔があるエリアに存在する、大きな図書館のような建物だ。

 調査開拓活動及びイザナミ計画そのものに関連する様々な情報が全て保存され、あらゆる障害から保護するためにある施設、情報資源管理保管庫。


「あそこの資料は高レベルの〈解読〉スキルが必要なんですよね?」


 湯飲みを卓袱台に置いたトーカが言う。

 確かに、情報資源管理保管庫に収められているあらゆるデータは格納の都合という理由で独自フォーマットの言語に置き換えられている。

 そのため、解読には高いレベルの〈解読〉スキルを要するのだが、そもそも〈解読〉スキル自体がニッチすぎて保持者が少ないという問題を抱えていた。


「ま、大丈夫だアテはある。とりあえず見に行くだけ見に行ってみないか?」

「……わかった」

「それなら私もご一緒します!」


 不安がるトーカたちに手を振り、白鹿庵の外に出る。

 とりあえずはウェイドの保管庫から当たってみることにして、一路町の中心を目指した。


「俺が考えつくくらいだし、三術スキルを調べてる他のプレイヤーも情報資源管理保管庫のことなんて思いついてるはずだが……」


 歩きながら、一つだけネックになっていることを口に出す。

 三術スキルが実装されて既に一ヶ月が経過しているのだ、情報資源管理保管庫にそれらの記述を求めることを手練れの検証班たちがやっていない訳がない。


「保管庫にその情報がない?」

「〈新天地〉の制服の寸法まで保管してるんだぞ。未詳文明由来とは言え、プレイヤーがスキルレベルを上げられるスキルについての情報が一切無いなんてことはないと思うが」


 ミカゲの言葉に首を振る。

 あそこは開拓にまつわる森羅万象を収集している場所だ。

 もし未だに情報が見付けられていないのだとすれば、その理由は恐らく――


「この膨大な数が問題なんだろうな」


 巨大な鉄扉がぬるりとスライドして開く。

 薄暗い照明に照らされるのは、高い天井とそこに整然と並ぶ巨大な本棚。

 書架にみっちりと収められているのは、それ一つで物理的な本何百冊分もの情報を持つ高耐久データカートリッジだ。


「これは……。たしかにこの中から特定の情報を見付けるのは骨が折れそうですね」


 奥が霞むほどの広い空間にトーカが顔を顰める。

 しっかりとした梯子が取り付けられた頑丈な書棚の周囲には、疎らだが〈解読〉スキル持ちらしいプレイヤーたちが居る。

 彼らは仮想ウィンドウやモニタなどにカートリッジ内のデータを出力し、それぞれの道具で翻訳と記録を黙々と続けていた。


「ここや、スサノオの保管庫に籠もったきり一切外に出てない翻訳家も居るって聞く。それだけしても情報を全て復号することはできないし、なんなら毎日それ以上の数のカートリッジが搬入されるそうだ」

「なんだか、地獄みたいな空間ですね」


 どれだけ解読しても終わらない、むしろ日が経つほどに自分の成果以上の量が降ってくる。

 なるほど確かに地獄のようだ。


「ま、こういう作業が好きっていう変わった人は一定数いるもんさ」


 事実、公式wikiの翻訳済み情報資料というページには膨大な情報が公開されている。

 それら全ては、保管庫で作業を続ける翻訳家たちの成果なのだ。


「ところで、トーカ、ミカゲ。この保管庫を見て気付くことは無いか?」


 くるりと身体を翻し、二人に向かって問いかける。

 一瞬驚いた彼らはキョロキョロと保管庫内を見渡して首を傾げた。


「えっと、本棚がたくさんあります」

「……カートリッジも」

「そりゃあそうだろ」


 二人の解答にかっくりと肩を落とす。

 保管庫に保管するものがないなら、保管庫の意味が無い。


「そうだなぁ。……ここのカートリッジ、実は碌に分類分けはされてないんだ。一つのカートリッジ内でもどこかの料理屋のメニュー表とボスの情報が一緒に載ってたりするし、地形データの入ったカートリッジの隣に俺たちにはアクセス権すら無い重要機密が入ったカートリッジが並んでたりする」

「ランダム、というよりは情報が無作為に詰められてるということですか?」

「そうだな。情報の性質よりも、その情報を集めた日時順で並んでるらしい。ま、その時系列もカートリッジごとだから規則性はないが」

「……参照性が悪すぎる?」


 ミカゲの言葉に頷く。


「ああ。ここにある膨大なカートリッジから目的の情報を探し出せないのは、どこに何があるかが一切分からないからだ」


 公私の隔てなく、重要性の階級分けもされず、ただ詰め込めるものから詰め込んでいったような乱雑さ。

 これも一種のセキュリティなのかもしれないが、これでは保管が良くても情報の運用が難しい。

 保管庫とは、ただ保管するだけで無く必要な時に必要なものへ迅速にアクセスできる参照性も重要な要件の一つであるはずだ。


「……検索機が、ない」

「ああ。正解だ」


 この保管庫にはみっちりと書架が詰め込まれ、無数のカートリッジが並べられている。

 図書館と同じ機能を持った施設だが、そこにあるような蔵書検索の手段を持った道具が見当たらない。


「じゃあ、検索機はどこにあるか。ここの情報にアクセスし、運用するのは誰で、それはどこからこの情報を見ているか」


 そう言うと、ミカゲはピンときたようだ。

 困惑したままの姉を差し置いて、保管庫の外へ出る。


「制御塔の、上に行こう!」


 このウェイドを統括する最高頭脳、町の中枢を司る演算システム〈クサナギ〉ならばこの無造作に積まれた膨大な情報へアクセスする方法もあるだろう。

 ならば俺たちもそこへ向かえば、情報を捌き砂漠の中から砂金を見付ける方法を得られるかも知れない。

 そんな考えの元、俺たちは保管庫の隣に聳える制御塔の中へと駆け込んでいった。


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Tips

◇情報資源管理保管庫

 地上前衛拠点スサノオの中央制御区域内に建設される、情報集積基地。各スサノオの管轄範囲内で発生、収集された様々な情報を高耐久カートリッジに収め、保管することを目的としている。

 原生生物、天災、及び考え得るあらゆる外的障害から情報を保護するため複数の物理的、情報的、電子的、その他の保護装置が組み込まれている。中央制御塔に次いで強固な施設の一つ。

 平時は一日を通して解放されており、調査開拓員ならば自由に出入りしカートリッジを参照することが可能。ただしカートリッジ内のデータは容量節約とセキュリティの観点から特殊な圧縮記法によって変換されているため、データの復号には高スキルの〈解読〉スキルが必要となる。


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