第97話「白鹿の道案内」

「そうですか……あなた方にも……」


 俺たちも帰還する方法を知らないと伝えると、ひまわりはしゅんと肩を落として小さくなった。

 先ほどまでの自信に満ちた微笑はなくなり、出会った当初にも抱いた庇護欲をかき立てる小動物的な可愛らしさがにじみ出る。


「レティたち以外にも下層へ降りてきている人はいないんですか?」


 焚き火の輪に加わったひまわりの隣でレティが言う。

 あれだけ熱望されていた新フィールドだ。

 俺たち以外にも偶然にしろ意図的にしろ下層へ降りてこられたプレイヤーが居ても不思議ではない。

 ひまわりという存在そのものがその証左だ。


「たしかに、何人かは既に降りてきていると思うのです」


 彼女は小さなチョコバーを両手で持ちながら言う。

 カリカリと小刻みに食べ進める様子はハムスターのようだ。


「でも、そう言った人たちは皆、わたしの同業者だと思います」

「wiki編集者……。調査班ってこと?」


 彼女と同じチョコバーを握ったラクトが首を傾げる。

 ひまわりは少し言い淀んだ後首肯した。


「そうなのです。わたしやレングスと同じ、wiki編集者。そして、〈忍術〉スキル持ちの単独行動に長けた情報収集者です」

「それじゃあ同業の人たちに聞いた方が早くない?」


 エイミーの言葉はもっともだった。

 俺たちは偶然によって下層に迷い込んでしまっただけの一般人であって、信念を持ってこのフィールドの謎を解き明かそうとする攻略班ではない。

 俺たちに道を尋ねるより、同業の他プレイヤーを頼った方が早い気がする。

 しかしひまわりはそう考えてはいないらしく、力なく左右に首を振った。


「そういうわけにもいかないのですよ。……これはwiki編集者の不文律といいますか」


 彼女は重苦しい表情で言う。


「わたしも含め、彼らはwikiへの追記が仕事であり誇りであると思っています。そのため情報は明確かつ確実でなければならず、また公開していない――調査を進めている途中の情報を先んじてwikiに書かれることを嫌います」

「つまり……?」


 ひまわりの言葉に、レティが疑問符を大量に浮かべて首を傾ける。


「wikiに情報が載っていないのなら、誰に聞いても――例えその人が知っていたとしても――教えてはくれないという事なのですよ」

「なるほど……」


 情報を扱うことの矜持を持つ人々だからこそ、情報の公開に伴う責任の重さを知っているのだろう。


「それにしても、掲示板にスレッドでも立てて皆で議論した方が効率良くないですか?」

「それは……」


 ズバリと切り込むレティの言葉に、ひまわりは困ったように目を細める。


「〈忍術〉スキルを取っている単独行動が主な情報収集車は、概して協調意欲に乏しいのですよ」


 痛いところを突かれたと嘆息し、ひまわりは言う。

 なんとなく理解できないわけではないが、拍子抜けするような理由だった。


「皆、影に隠れてフィールドのエネミーを観察しつつやり過ごしているでしょうし、仮に見付けられてもすぐに逃げられるでしょうね」

「wiki編集者ってみんなそうなの?」


 肩の力が抜けたラクトが呆れて言う。

 ひまわりは若干頬を赤くして、慌てて否定した。


「全員がそうというわけではないのですよ。……レングスのように人脈を宝とする人もいますし」


 少しだけ不本意そうにその名前を口にするひまわり。

 確かに、俺がトーカとミカゲの姉弟に出会ったのも彼が紹介してくれたからだ。

 あの厳つい風貌は記憶に残りやすいし、快活な性格は親しみやすい。

 つんとませた所のあるひまわりも彼にはよく懐いているようだし。


「レッジさん、何か失礼なことを考えていませんか」

「考えてないです……」


 キッと睨まれ言葉を硬くする。

 女性たちの勘が良いと言うよりは、俺が顔に出やすいのか……?


「それでレッジさん」

「はいなんでしょうか」


 話題を区切り、ひまわりは口を開く。


「その、足下で眠っている白い鹿は……」

「ああ……」


 彼女の視線の先にいるのは、身体を丸めてくうくうと寝息を立てる白鹿だ。

 焚き火にあたり、さも気持ちよさそうに目を閉じる彼の耳は倒されていて、俺たちの会話も聞こえていないようだ。


「もしかして掲示板で話題になっていた白いエネミーですか」

「流石に知ってるわな」


 ちいさなwiki編集者は当然ですと胸を張る。

 レティよりもマメに情報を集めている彼女は、最初からチラチラと白鹿に視線を向けていた。


「俺もなんで懐かれてるのかは知らないんだがな――」


 そう前置きして、俺は彼と出会った時の事を話す。


「森の奥の、岩に押しつぶされた芽ですか」

「ああ。岩を壊したらこんなアイテムが出たよ」


 インベントリから隕鉄の欠片を取り出し、ひまわりに見せる。

 彼女は興味深そうにそれを見つめ、鑑定なども使って詳細を調べた。


「知らないアイテムですね。恐らくは新規アイテムなのですよ」

「まあ、そんな気はしてたよ。スサノオに戻ったら知り合いの鍛冶師に見てもらう予定だ」

「結果が分かれば是非教えて欲しいです」

「別に良いぞ」


 特に拒否する理由もない。

 俺が頷くと、彼女はぱぁっと表情を明るくして俺の手を握った。


「ありがとうございます!」

「お、おう……」


 そんなに感謝されるほどのことだったのか。


「あのぅ、レッジさん」


 困惑しているとレティが不意に口を開いた。


「どうした?」

「その牡鹿くんなら、上層へ戻る道を知っているのでは?」


 目から鱗が落ちるとはこのことか。

 レティの意見には説得力があった。

 俺たちが最初に白鹿と出会ったのは上層だ。

 この森に棲んでいる彼ならば、俺たちの知らない道も知っていることだろう。


「おーい、気持ちよく寝てるところ悪いんだが……」


 ぽんぽんと控えめに牡鹿の腰を叩く。

 柔らかな白い毛並みは手触りがよく、火に照らされていないところは少しひんやりとしていた。

 彼は片目を開けて、俺の顔を見るとフンと鼻息を吐いた。


「もし上層……滝の上に戻る方法があったら教えてくれないか?」


 白鹿はじっと俺を見つめている。

 倒れていた耳がぱたぱたと動いているから、声は聞こえているはずだ。

 その意味を理解できる保証はなかったが、なんとなくにじみ出る知性のようなものを感じていた。


「おっ」


 突然、白鹿が立ち上がる。

 彼はシャラリと水晶の角を揺らして焚き火を囲む俺たちの顔を見ると、スンと鼻を鳴らした。

 そうして、キャンプの入り口に向かってとことこと歩き出す。


「ちょ、ちょっと待て撤収するぞ」

「武器取り出すので待って下さい」

「突然ね!」


 動き出した鹿を見て、俺たちは慌てて移動の準備を整える。

 キャンプを畳んでランタンに火を灯し、レティたちが武器を持って周囲を守る。


「まさか本当に道案内を?」

「知らないけど、多分そうだろ」


 驚くひまわりに同感だが、白鹿に対する信頼もあった。

 全員の準備が整うと、白鹿はとことこと歩き出す。


「追いかけましょう」

「ランタンである程度敵は遠ざけられるが、気をつけるぞ」

「わたしは弓使えないからね。戦闘要員に数えないでね」


 前にエイミー、後ろにレティが立ち周囲を警戒する。

 俺は言うに及ばず、武器のないラクトと攻撃力は殆ど無いひまわりは二人に挟まれて俺の左右に並んでいた。

 菱形の陣形を取りつつ、俺たちは白鹿の先導に従って森を進む。

 白鹿はまだ夜の明けない暗森の中を迷うことなく掻き分けていった。


「滝とは平行に進んでいますね」


 ひまわりが言う。

 そういえば、彼女は空間把握能力に長けていた。

 スサノオの地下に張り巡らされたトンネルの道案内をしてくれた時のことを思い出す。


「滝の裏側に秘密の通路が、なんて思ってたんだが」


 予想が外れ少し悔しい。

 そんな俺をレティが生暖かい目で見ていた。


「それはわたしも最初に確認したのですよ」

「やっぱり確認したのか」


 当然のように頷くひまわり。

 俺が考え得る限りのことは、すでに調査しているのかもしれない。


「レッジ、川があるわよ」


 前を進んでいたエイミーが言う。

 耳をすませば急流の飛沫の音が聞こえる。

 滝壺から細かく分岐する川の一つが横たわっていた。

 白鹿はそれを軽快に飛び越え、さらに先へと進む。


「暗いから気をつけてな」


 ランタンで照らしながら、彼女たちが川を越えるのを手伝う。

 その後も森の中と川を交互に進み、だんだんとフィールドの端の方へと移動する。


「おや?」


 そうして時間が過ぎたとき、不意に白鹿が足を止めて俺たちの方へ振り返った。


「到着か?」


 白鹿の近くまでやってくると、彼は顔を上げる。

 それに倣ってランタンを掲げると、崖が滑ったような崩落の跡が光に照らし上げられた。


「まさか、ここを登るのか?」


 崩れた跡とはいえ、俺の背丈よりも巨大な岩がごろごろと転がっている。

 大きなスケールで見ればなだらかな坂だが、とても登れそうなものではない。

 そう思って白鹿に顔を向けると、彼はふいっと顔を逸らす。

 そうしてとことこと岩の足下を歩き、そこにできた小さな隙間に頭をねじ込んだ。


「ええ……」


 ぐいぐいと蹄で地面を掻いて、身体を押し込む。

 中は少し広がっているのか、少しして白鹿は黒い鼻先を穴から出す。


「よく入れますね……」

「角が折れないか心配だわ」


 それを見たレティたちも呆然として立ち尽くす。

 いかに白鹿が大柄な鹿とはいえ、俺たちよりは小さい。

 彼がギリギリ入れるほどの穴に俺たちが入ることはできない。

 途方に暮れて突っ立っていると、痺れを切らした様子で白鹿が這い出てくる。

 彼は俺の後ろに回り込むと、ぐいぐいと背中を頭で押してきた。


「お、おい何を……。まさか……」


 白鹿は俺の隣に立つと、枝角をガシガシと岩に当てる。

 それを見て俺は彼の言わんとしていることを理解した。


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Tips

◇チョコバー

 携行性に優れた食料。コンパクトながらも高エネルギーで、味も比較的良好。チョコレートとナッツ、ドライフルーツなどの簡単な材料で作れる。料理人の入門編に用いられることも多い。


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