第59話「夜の団欒」

 ぐつぐつと煮えたぎる鍋をかき混ぜていると、木々を掻き分けてトーカたちがキャンプへ戻ってくる。


「ただいま戻りました。……すんすん、何かスパイシーな香りがしますね?」

「美味しそうな匂い」


 両腕に幻影蝶を抱えた二人は、鼻先を動かして早速キャンプに立ちこめる香りに気付いたようだった。


「おう、おかえり。もうすぐできるからな」


 鍋の火を見つつ二人に向かって手を上げると、彼女たちは口を開けてこちらへ駆け寄ってきた。


「レッジさん、何か作ってるんですか?」

「〈料理〉スキル持ってた?」


 トーカとミカゲは調理台の周囲までやってきて、火にかけられた鍋を見る。

 そうしてすぐに二人はきょとんと首を傾げた。


「あの、これは……?」

「お湯……」


 混乱した様子で俺を見上げる二人。

 予想通りな反応にくつくつと笑っていると、呆れ顔のレティが大きくため息をついて肩を竦めた。


「本当なら今頃、美味しいチキンカレーが出来てたらしいですよ」

「ええ? でもこのお鍋にはお湯しか入っていませんが」

「カレー、とは」


 どういうことだと追及する二組の目を躱し、俺は頭を掻いて誤魔化そうとする。

 そんな態度で許されるはずもなく、結局観念して事情を説明した。


「単直に言えば、カレーはまだ俺には早すぎたってことだ」

「〈料理〉スキルがゼロの段階でカレーに挑戦するからですよ。折角捌いたシングバードのお肉もダメにしちゃいましたし」


 つまりはスキル値が足りなかったのだ。

 数分前、意気揚々と食材を準備して、シングバードも解体して鶏肉を用意した俺は、胸を張って鍋に放り込んだのだが……


「いやあ、あれほど見事に失敗するとは思わなかった」

「ゲージが九割九分真っ赤っかでしたからね。むしろなんで成功すると思ったんですか」


 料理は赤と黄色に染まったゲージをランダムに行き来するカーソルに合わせてタイミング良く鍋を振るというミニゲームのスコアによって成功判定が行われる。

 カーソルが黄色のタイミングで鍋を振れれば成功なのだが、肝心のゲージ自体が殆ど赤という鬼のような難易度だった。

 スキルレベルゼロの段階で手を出せるほど、カレーという料理は簡単ではないのだ。


「それじゃあ、カレーの香りが残っているのにカレーは食べられないと……」


 話を聞いてしょんぼりと肩を落とすトーカ。

 凛とした姿が印象的な彼女だが、俯く様子はどこか小動物的で可愛らしい。


「む、何やら不穏な思考を」

「何言ってるんだ? とにかくトーカ、安心しろ。カレーは食べられるぞ」


 妙な事を言い出したレティを置いておいて、トーカを慰める。

 そして俺はこんなこともあろうかと用意していたアイテムをインベントリから取り出した。


「そ、それは――!?」


 トーカが驚き目を開く。

 隣のミカゲやレティもこれには予想外だったのだろう。


「お湯さえあれば5分で出来る。いやあ技術の進歩って偉大だよなぁ」


 パウチを沸騰した鍋の中に放り込みながらしみじみと言う。

 面倒なスパイスの配合なんて考えなくて良いし、何時間もコトコト煮込む必要もない。

 本当に、人間とは偉大な――


「レトルトじゃないですか!」

「うおっ!? 突然大声出すなよ、びっくりしただろ」


 お湯が噴きこぼれないようにパウチの位置を調整していると、真横でレティが叫ぶ。

 大人の余裕を持ってたしなめると彼女は何故か更に興奮を高める。


「い、いいんですかレッジさん! あんなに食材用意したのに……」

「でもアレ全部ダークマターになっちまったし」


 料理の作成に失敗した場合、それはドロドロとした真っ黒で焦げ臭い物体Xに変わり果てる。

 もちろん、使用した食材たちは全部無くなってしまう。


「いやでも、プライドとか無いんですか?」

「プライドで腹が膨れるか! コメはちゃんと炊いてるからいいだろ」


 向けた視線の先にあるのは逆さまにした飯盒。

 あの中には真っ白な――多少お焦げもあるかもしれないが――白ごはんが入っている。

 カレー作りに失敗したことで多少なりとも経験値が入りレベルが1になったことと、飯盒炊爨には〈野営〉スキルのレベルに応じた補正が掛かることによって、コメの方はなんとか成功しているのだ。


「なあトーカ。レトルトだって美味しいよな」

「え、はい。そうですね……?」


 突然話の矛先を向けられ、困惑しつつもトーカが頷く。

 それ見たことかと鬼の首を取ったような態度でレティを見下ろす。


「……トーカはなんでも食べるから」

「ちょ、ミカゲ!?」


 そこへ援護なのか謀反なのか分からないミカゲの一言が投下される。


「この前は、青汁コーラ飲んでた」

「ちょ、ミカゲ!? あなた何を……」

「お茶漬けに塩辛載せるし、味噌汁にソース入れるし、きのこ派だし、ごはんにシチューかける」

「あなた普段無口なのになんでこういう時だけ饒舌になるのよ!」


 立て板に水を流すように姉の奇行を暴露していく無慈悲な弟に思わず戦慄を覚える。

 いや最後の二つは別に良くないか……?


「きのこ……シチュー……? トーカさん本当に、残念な……」

「よりにもよって!? そこは別に良くないですか!?」


 レティが本当に可哀想な生き物を見るような視線をトーカに向ける。

 あれ、彼女の凛としたイメージ……。


「わ、私はただ、新たな味覚を探求したいだけで」


 そろそろ泣きそうなトーカを見て、流石に可哀想になってくる。

 俺は軽く彼女の肩を叩き、笑みを向ける。


「ほら、そろそろカレーができるぞ」

「ぐすっ。ありがとうございます」


 彼女に皿を持たせ、テントの中に置いた折りたたみのテーブルまで運んで貰う。

 飯盒とカレーもミカゲたちに持たせ、俺は簡単な片付けだけをしてから後を追う。


「付け合わせは何もなくて申し訳ないが、とりあえず腹を満たそう」

「まさか遠征中にごはんが食べられるとは思いませんでしたよ」


 食器を並べながら、レティが穏やかな表情で言う。

 確かに調理設備がないフィールドでは料理など作れないし、食べられるものといえば携帯食料くらいなものだ。

 しかしそもそも機械の身体である俺たちにとって料理というのは嗜好品か、バフを付ける為のアイテムくらいの立ち位置なのだ。

 料理を食べると、半日程度持続するバフを得られる。

 例えば肉系の料理なら攻撃力が上がったり、スイーツ系ならアーツの威力が上がったり。

 まあ、効果の割には価格も高いため、常用しているプレイヤーはそう居ないが。


「このカレーは攻撃力の上昇と、移動速度の上昇がかかるみたいだな。どっちも若干程度だが」

「つまりは純粋に食べることを楽しめばいいということですね!」


 早速席について銀のスプーンを固く握りしめたトーカが目を輝かせて言う。

 彼女が食に並々ならぬ情熱を注いでいることは、間違いではないらしい。


「ま、そういうことだ。じゃあ食べようか」


 全員が席に着いたことを確認して、手を合わせる。

 声を揃え、共に食事を始める。

 お湯で温めただけだというのに、カレーは驚く程美味しかった。


「凄いですね。予想以上ですよ」


 それはレティも同じらしく、彼女は口を覆って目を丸くしている。


「これは一からスパイス揃える必要無かったなぁ」

「美味しい」


 ミカゲも覆面を横に置き、上品な所作ながら速いペースでスプーンを動かしている。

 しかし素顔を見ると更にトーカと瓜二つだ。

 町中を彼女の格好で歩いていると、見分けられる自信が無い。


「トーカも、どうだ?」

「すごく美味しいですね! 料理自体ゲームの中で食べるのは初めてですが……これはなかなか予想以上のクオリティです」


 無言で口を動かしていたトーカは、喉を鳴らして一息に捲し立てる。

 もはや俺の中で彼女のイメージは、冬眠に備えて頬袋にタネを詰め込むリスに成り代わっていた。


「でもあくまでも王道のカレーですね。ここになにかアクセントを加えてみても……例えばコンニャクとか……」


 突然考え込むトーカ。

 彼女の口から漏れ聞こえる単語は、いかに懐の深いカレーだとしても包みきれないような気がするのだが……。


「レッジさん、お代わりってありますか?」

「うん? 一応パウチもコメもまだあるから、温めればあるが……」

「じゃあお願いします!」

「はいよ」


 おずおずと綺麗になった皿を差し出してくるレティは、安定の無限胃袋だった。

 俺が追加で湯を沸かし直していると、トーカとミカゲもやってくる。

 そんな彼女たちに釣られて、ついつい俺も二皿目に手を出してしまう。


「ぐぅ、食べ過ぎた……」


 そして密林の夜が更ける頃、そこには力なく椅子に倒れる四人の姿があったのだった。


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Tips

◇ボムカレー

 “旨さ爆発!ボムカレー!”のキャッチコピーでおなじみの簡単お手軽レトルトカレー。〈料理〉スキル1でも調理可能で、有名シェフのレシピ5万種類をディープラーニングによって分析した専用AIが配合したスパイスはレトルトとは思えないほどに美味しい。三時間に渡って攻撃力と移動速度が若干上昇するバフが付与される他、一時的に寒冷地への僅かな耐性を得る。


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