第58話「脆き痩躯の蝶」

 予期せず合流したレティを紹介するためトーカたちにキャンプまで戻って来て貰い、彼女のことを紹介する。

 二人は驚いた様子だったが、快く彼女のパーティ参加を受け容れてくれた。

 むしろ戦力が増えてありがたいとまで言ってくれて、俺が胸をなで下ろすほどだ。


「それでレッジさん、ひとまず数匹倒すことができたのでお渡ししておきます」


 トーカがそう言って、抱えていた蝶を作業台の上に並べる。

 翅を広げれば彼女の顔ほどもある大きな身体は濃い紫色の鱗粉を纏い、月光の中で怪しく光っていた。


「これが幻影蝶か」

「はい。ファントムバタフライとも言います。名前の通り幻影のような技を使うエネミーです」


 つまりはこの蝶の素材が、トーカの求めているものということだ。


「幻影みたいな技って、どういうことですか?」


 密林にやってくるのは初めてなレティがトーカに尋ねる。

 彼女は作業台に並べた蝶の翅を優しく撫でて、その指先に細かな鱗粉をつけた。


「この蝶は危険を感じるとこの鱗粉を周囲にまき散らすんです」


 トーカが指先を擦り合わせると、鱗粉ははらはらと風に乗って周囲を漂う。

 その様子を見て、俺は思わず目を疑う。


「これは……」

「この鱗粉が光の屈折を歪めるようでして」


 異様な光景だった。

 トーカが広げた鱗粉は空気中を漂い、月の光を受ける。

 その結果、彼女の身体がぐにゃりと歪み熱した金属のように形を失う。

 否、彼女だけではない。

 鱗粉の漂う空間全てが不定形に絶えず湾曲し、感覚を狂わせる。


「なかなか厄介ですね。距離感が掴めません」


 それを見てレティが戦闘職らしい視点から感想を述べる。

 確かにすぐ近くに立っていたトーカが遠くへ離れたり急接近したりと移動して、目が回りそうだ。


「その上、夜しか姿を現さず、しかもこの体色です。見つける事がまず難しくて……」


 困ったものです、とトーカが柳眉を寄せる。

 彼女はこの短時間で三匹もの幻影蝶を集めていたが、それでも全然足りないのだろう。


「……僕も、集めた」


 作業台の蝶の隣に、ミカゲが更に二匹を並べる。

 彼も姉の探す素材を集めるため尽力していたようだ。


「じゃあ早速解体してもいいか?」

「はい。おねがいします」


 解体ナイフを取り出しながら言うと、トーカは期待を込めた目で頷いた。

 俺は妙な緊張感を覚えつつ、ナイフの刃先を蝶に向ける。


「『解体』」


 テクニックを使用すると、蝶の体表に赤い線が現れる。

 それを全てナイフでなぞれば解体完了なのだが……。


「これは……」

「どうかしましたか?」


 隣に立つレティが不穏な反応に首を傾げる。

 俺は一度ナイフを置き、大きく息を吐く。

 そうしてトーカの方を向き、おずおずと頭を下げた。


「これは、かなり難しい。失敗も覚悟してくれ」

「そんなに難しいんですか?」

「ああ。ガイドの赤線が初めて見るくらいに細い。かなり慎重にやってもスコアは落ちると思う」


 俺の〈解体〉スキルレベル不足、というのは〈水蛇の湖沼〉という更に難易度の高いフィールドでも通用していたことから考えにくい。

 となればこれは恐らく幻影蝶自身の特質、もしくは昆虫型の原生生物の特質なのかもしれない。

 異常に脆い身体というのは、たしかに虫であれば納得できる。

 そもそも俺はいままでこれほど小さな身体の原生生物の解体はやっていなかった。

 テーブルに並んでいるシングバードでさえ、改めて見てみればかなり小さな身体をしている。


「これはこのフィールド全体の特徴だろうな。解体しにくい、身体の小さなエネミーが多い」

「そういうことでしたか……。わかりました」


 今までパーティの解体役を一手に引き受けていただけにあまり言いたくはなかったが、このフィールドのエネミーはかなり難易度が高い。

 そのことをトーカに伝えると、彼女はしばらく黙り込んだ後、決意を定めた目を向けた。


「それでも、私はレッジさんに頼みたいです。レッジさんのスキルを信じます」

「……いいのか?」


 彼女の言葉に、思わず耳を疑う。

 解体に失敗すればボーナスどころか、普通に得られるはずだったドロップアイテムすら手には入らない。

 そう説明しても、彼女はやんわりと首を振って意志を曲げなかった。


「私が求めているアイテム――幻影蝶の至極鱗粉は通常のドロップでは殆ど手に入らない、とても希少なアイテムです。だからこそレッジさんのスキルで少しでも可能性が高まるのなら、そちらの方が望みは高いと思います」

「そうか。なら、俺も全力を尽くそう」


 彼女の信頼を一手に受けて、俺は怖じ気づいていた心を持ち直す。

 改めてナイフを手に取り、大きく息を吸って集中する。


「『解体』」


 薄く光る赤線を目がけ、刃先を差し込む。


「ぐぅっ」


 途端に幻影蝶の黒い身体がぼろりと崩れてしまう。

 まるで乾燥した砂の塊のような脆さだ。

 二匹目を用意して、今度は更に力を弱めて刃を添える。


「……これだと弱すぎるか」


 臆病になりすぎたせいか、今度は刃を差し込んだ判定にならなかった。

 まあ力を入れすぎて蝶を壊してしまうよりはよほどいい。

 俺は若干だけ力を強め、滑らせる。


「よし――」


 今度は問題なく作業が進む。

 この力加減を身体に叩き込む。

 スケイルサーペントやオイリートード、ラピスを解体しているときとは真逆を行くような作業だ。

 俺よりも大きな身体を持つ原生生物は、得てして強靱な筋肉や強固な鱗、骨を持つ。

 今まではそれをたたき割るような勢いで、力を込めて刃を滑らせていた。

 そうしないと作業が進まなかったし、彼らの身体はその力を受け止めるだけの耐久力があった。


「ぐっ。またか……」


 思考と共に手元がぶれる。

 一瞬の揺らぎによって、蝶の身体が粉々になる。

 少し気を抜くだけで全てが台無しになってしまう。

 気を落ち着ける為顔を上げる。


「あれ、トーカとミカゲは?」


 そこにはレティが一人テーブルの側に立って覗き込んでいるだけで、和装の二人の姿が見あたらない。

 キョロキョロと視線を彷徨わせていると、レティが少し呆れた様な表情で言った。


「追加の幻影蝶を狩ってくると言ってましたよ。レッジさんにも声を掛けてましたが、気付きませんでした?」


 俺は愕然として彼女を見る。

 嘘を言っている様子はなさそうだ。

 どれだけ集中していたのかと我ながらがっくりと力が抜ける。


「それなら、レティはなんで残ってたんだ?」


 彼女も戦闘が本職だろうし、キャンプに残っている理由はないだろう。

 そう思って尋ねると、彼女は頬を赤らめる。


「えへへ。そういえばレッジさんが解体しているところをあまり見たことがないな、と思いまして」

「そうだったか?」


 いつも彼女たちの狩ってくれたエネミーを解体しているのだし、それほど珍しいことではないと思うが……。


「戦闘直後は疲れてたりで集中力がないんですよ。地面に座って休んでたりして、レッジさんの方を見てる余裕はなくて」

「そうだったのか。まあ、そう面白いもんでもないだろ」


 そう言うとレティは首を横に振る。


「そんなこと! レッジさん気付いてないかも知れませんが、凄く解体作業が上手いんですよ」

「ええ……。本当か、それ」


 あまり実感が湧かず、彼女の言葉を疑う。

 レティはぷっくりと頬を膨らせて、そんな俺の目を見返した。


「そもそも〈解体〉スキルなんてニッチなスキル取ってる人少ないですから」

「ぐ、そこからか」

「それ取るよりも戦力上げて、時間効率上げた方が基本的には有利ですから」

「質より量って事か」


 そういうことです、と彼女は頷く。

 確かに〈解体〉スキルに当てているスキルポイントを別の、〈戦闘技能〉や〈忍術〉といった直接戦闘力の増強に関わるスキルに割いた方が多くのエネミーを短時間で討伐できる。

 そうした方が得られる素材の量としては多いのかもしれない。


「まあでも、今回のトーカさんみたいなレアドロップ狙いの時は〈解体〉スキルの本領発揮ですよね」

「そうか。普通のドロップだとそもそも全然出ないからな」


 しかし改めてレティには俺のスキル構成の奇特性を突きつけられた。

 そもそも〈野営〉や〈解体〉なんかはどれか一つをビルドの個性を出すためのスパイス程度に添えるものなのだ。

 大多数をスパイスに割いている俺の構成はさながら……。


「……なんか、カレーが食べたくなってきたな」

「なんでそうなるんです?」


 よろめいて突っ込みを入れてくるレティはなんだかんだノリがいい。

 俺は集中力が切れてしまったのを良いことに、インベントリから新しく買い揃えた道具類を取り出していく。


「……レッジさん、これは?」

「言ったろ、カレーが食べたくなってきたって」


 そう言いながら作業台に並べていくのは包丁、まな板、そして鍋。

 更には野菜やスパイスも並べ、食材もばっちりだ。


「あの、〈料理〉スキル持ってましたっけ?」

「今から上げるんだよ」


 そうだな、今晩はチキンカレーにしよう。

 丁度ここにはシングバードがあることだし。


「ええ……」


 いそいそと準備を始める俺を、レティはなぜだか物凄く疲れたような目で見ていた。


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Tips

◇幻影蝶

 ファントムバタフライ。光を大きく歪曲、屈折させる特殊な鱗粉をもつ大型の蝶。濃い紫色の体色は夜闇に紛れ、発見することすら容易ではない。周囲の空間を歪めたような光景を作り出すことで外敵の視界を攪乱して生存を図る。非常に希少な原生生物。


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